9月3日(月) 熊におびえて渓流釣り

 

 上磯ダム公園キャンプ場の朝

 

 4時45分に起床した。テントの外に出てみると、キャンプ場の芝には一面に朝露がおりている。自宅の周辺では朝露を見ることはないから新鮮だった。テントを撤収しながらラーメン雑炊を火にかけるが、麺と無洗米がスープを吸ってしまっているので水を足したのだが、当然味は薄くなってしまってひどくまずい。いかにケチの私でもとても食べられたものではなく、ほとんど捨てることになったので、これなら昨夜の猫にやればよかったと思った。

 バイクまで荷をはこぶと芝についた朝露で靴が濡れる。これも忘れていたことで、そうだった朝露がおりるとこうなるのだったと思い出した。管理棟で眠っている若いふたりは起きてくるようすはない。準備をととのえて5時40分に出発した。

 道道96号線を北上して大野町に入る。町には仕事にむかう人がいて、休暇をとって遊んでいる私は愉快な気分になった。町をでて国道に入ると車のペースが一気にあがる。80キロで走っているとぬかれ、交通の流れは100キロで、もっと速い車もいる。このスピードで北海道にきていることを実感した。また気温は18℃で涼しく、これまた北海道を感じた。

 中山峠をこえると厚沢部川が左からあらわれた。この川は釣り雑誌に紹介されていて、いかにも釣れそうなのだが、フェリーのなかで厚沢部で熊が多数目撃されているというテレビ・ニュースを見ていたので、ビビッて通過する。今日の最初の目的地は鰊漁で栄えた江差で、昔の栄華に触れたいと思っていた。

 天候は曇りで気温はあがらず、今にも降りそうな空だった。風が強い土地なのか風力発電の巨大なプロペラがまわっていて珍しい。思わずバイクをとめて写真をとったが、これが風力発電の風車のできはじめだった。

 江差には7時50分についた。ちょうど通学時間で小学生が歩いていて、小6の息子もいまごろ学校に行くころだと考えた。看板にしたがって旧関本家別荘にいく。ついてみると大半は公園になっており、一部は幼稚園で、当時の繁栄の残滓さえない。すぐにここを見限ってまた看板をたよりに網元の家を見にいくが、こちらも大したことはなく、期待はずれの中途半端な気持ちで江差を後にした。

 海岸線を北上して熊石町の相沼内川をめざす。ここも雑誌にとりあげられていた川で穴場らしい。釣ってやるぞと気合をいれて走っていった。海岸線のルートでは70くらいのサイクリストと挨拶をかわしたが、高齢の人は珍しい。またツーリング中のライダーも多く、すれちがうときに必ず手をあげあうが、これも北海道だけのことだ。そして北海道ではライダー、サイクリストだけでなく、バックパッカーとも会釈をかわすのである。

 釣りエサがないので釣具店をさがしながら走った。雲は流れ去って晴れてくる。気温も上昇し、暗かった海の色も青色に変わっていった。寒村の食料品店に釣りエサの看板が出ていたので急停止すると、店の前で外をながめていたおばさんが、私の対応をするために慌てて店に駆け込んでいく。のどかだ。店舗にはいってそのおばさんに聞いてみると、海釣り用のエサしかない。
「海辺ですもんね、それでは」
 と出ようとするとおばさんが話しかけてくる。近くの川では鮎がたくさん獲れるのだそうだ。私は山女や岩魚が専門で、鮎には興味はないのだが、なんでも溯上した鮎が堰に行く手をはばまれて、たまっているポイントがあるのだとか。そいつを地元の人が投網で一網打尽にして分けてくれるのだそうだ。
「天然物ですか?」と聞くと、
「もちろん、ヒレピンのきれいなヤツ」
「それはすごい。天然の鮎なんて、見たことないですよ。そりゃ、美味しいんでしょうね」
 と言うと、おばさんうなずくが、
「でも、ほんとうは獲っちゃいけないんですって」とデクレッシェンドで秘密めかして言う。
「禁漁で?」
「ええ」
「でも、いっぱいたまっているなら、いいんですよ」と答えると、おばさんは微笑んでいた。

 おばさんと別れて走っていくが、釣具店がないままに相沼内川についてしまった。その川は渇水で釣りはどうかという状況だ。10キロほどすすんで畳岩という集落でようやく釣具店をみつけたが、ここも川釣りのエサはない。しかし1キロ手前の釣具店にはあると教えてもらって、もどってみると店はあった。この釣具店に気づかずに通り過ぎていたのだ。ここでキヂとブドウ虫を800円で手に入れた。

「バイクでまわりながら釣りですか、いいですね」と店主は言う。有望河川を聞いてみると、
「ここらではやはり、相沼内川でしょう」とのこと。
「水が少なかったけど」と言うと、それはここら一帯の川が雨が少なくて渇水気味のためで、水は少なくとも、やるなら相沼内川でしょう、とのことだった。 

 もどるのは癪だが10キロバックすることにした。ガイドブックによると河口のすぐ上にゲートボール場があり、見た目は悪いがここから釣れるとある。先にすすめば堰堤が2基あり、その下の溜まりもポイントで、その奥は熊の危険あり、とも記されていた。 

 相沼の集落から内陸に入り、河口から1キロもいかずにゲートボール場があらわれた。たしかに見たところはパッとしないポイントだ。川の両岸は畑と草地で、カラスよけのためか、絶えず四方からバンバンと空砲の音がしている。バイクをおりて川を見にいってみると、60年配の方がひとりで釣りをしていたが、腕はよくない。竿をふる動作やエサを流している姿を見れば、おおよその技量はわかってしまうのである。ただ今まで見たこともない大きな魚籠を肩からさげているのが眼につく。竹で編んだ高級なものだったが、本州のものの倍の厚さがあり、これが渓流釣り天国で魚影の濃い北海道サイズなのだろうかと思った。

 その釣り人に、
「釣れますか?」と声をかけた。情報がほしいので。
「小さいのばっかり」との答え。
「でかいのが釣れるんでしょう? ここは雑誌にでていたんですよ」と言うと、
「ん? どうかな」
 お父さん口が重い。
「ハリスは何号を使っているんですか?」
「1号」
「1号?!」
 私は通常0.15号か0.2号あたりを使用する。これは首都圏の常識だが、これくらいラインを細くしないと魚が気づいて逃げてしまうのだ。お父さんは私の反応が意外だったらしく、
「0.8号をつかう人もいるが、俺はいつも1号だよ」とのこと。これも北海道サイズだ。
「ところで、バンバンいっているあの音はカラスよけですか?」
「そう、カラスと熊だ」
「熊?」
「そう、よくでるんだよ。この辺りはまだ民家があるから大丈夫だが、すぐ上にいったら爆竹を鳴らしながらすすむんだ」
「真っ昼間で、こんなに暑くてもでるんですか?」
「でる」
「こんなに町に近くに?」
「そう」
 ショックだ。北海道で釣りをする自信がなくなってきた。
「ここらだけでなく、海岸まででる」
「町のすぐ近く、国道のとなりじゃないですか」
「そう」
「そう、ですか…‥、この上には堰堤があるんですよね?」
「ああ、あのあたりはよくでる」
「…‥」

 礼を述べてバイクにもどった。どうしようかと迷う。熊は恐いが釣りはしたい。熊には会いたくないが、本州では見られない、大きな魚に出会いたくてやってきたのだ。しかも北海道なら数も釣れるだろう。悩んだが上流にある堰堤にいってみることにした。すすむと道はジャリ道となり、民家はすぐになくなった。その先にはコンクリート工場があってトラックが出入りしている。そしてそのすぐ先に第1堰堤はあった。まわりは田んぼで熊は、もちろんいない。日差しが強くなっていて、通常なら暑さに弱い熊は日陰で休むはずだ。ポイントを見てみると釣れそうである。熊は恐いが意を決して竿をだすことにした。

 

 相沼内川の入渓ポイント

 

 釣り支度をととのえて熊鈴をつけ、ホイッスルも持っているので、ピー、ピー!、と鳴らして歩きだす。道路から50メートルほど藪のなかを歩かねばならず、それが不気味だ。恐々すすんで川辺にたち、ついに北海道での第1投を振り込む。と…‥ん? 反応がない。つづいて第2投、第3投…‥当たりがない。見たところでは絶好のポイントなのだが魚信はなかった。ハリスは0.6号と近年では使ったことのない太いもので大型にそなえていた。しかし釣りながら周囲を見まわすことをやめられない。岩が熊に見えてしまうほどビクビクしていた。

 ポイントを見切って移動しながら釣ると、当たりがでだした。しかしかかってくるのは小さなハヤかチビ山女で、こんなはずじゃないぞ北海道!、と思いつつ続けるもチビしかこないのだった。堰堤の下につくとそこは淵になっていて、大きな魚がたくさんいる。よく見ると頬の黄色い鮎で、おばさんの言っていたとおり堰の下に群れている。この周辺の川はどこも同じようで、鮎は塩焼きにしたらさぞかし美味しいだろうと思える、20センチ以上の型ぞろいだった。この鮎は禁漁なのかもしれないが、これをいくら獲ろうが大した問題ではないと思われた。

 鮎は欲しくないので山女か岩魚、もしくは大型の虹鱒ーースーパーレインボーと呼ばれているーーを狙うが、どうにも釣果が伸びないので竿をたたんだ。この川のもっと奥に行けば釣れるのかもしれないが、熊が恐くてそんな気になれない。遊びにきて熊に襲われるのは割りにあわないからで、相沼内川の釣りは1時間ほどのわずかな時間だったが、熊の幻影におびえる心理戦のようでもあり、情けないが精神的に消耗してしまった。

 相沼内川から走りだしてまた海岸線を北上し、道路脇にあった小さな神社で昼食をとった。メニューは塩ラーメン雑炊である。インスタントの塩ラーメンと無洗米をいっしょに煮たものだが、まず無洗米を炊いてから、しかる後に水を足してラーメンをいっしょに煮るという、大胆不敵、格安栄養なしの料理だ。味は、これを読んでくれているあなたの思った通りの単純なものだが、出発3日目にしてようやく予定通りに昼も自炊ができて満足だった。ラーメン雑炊ができるまでのあいだ、朝露で濡れたテントや八甲田で雨にふられた衣類を干す。テントはすぐに乾いたが、洋服は生乾きのままだった。日差しは強かったが気温は22℃である。アブが寄ってきたのでタオルで叩き落して、靴で踏み潰しつつ食事をとった。

 昼食を終えて走りだし、公衆電話を見つけて職場に電話をした。業務上私にしかわからないことがあるので、1日に1度は電話を入れなければならない。わざわざ公衆電話をさがしたのは死蔵しているテレホンカードを使うためである。しかし休暇中に仕事の話をするのは白けると思いつつ同僚に状況を聞くと、よろしくない。非常に景気が悪く、思わしくない。詳しくたずねると休みの気分が台無しになりそうなので、必要以上に耳に入れないようにして切り上げた。

 日本海がきれいだった。青と緑をまぜたような明るい色彩で、深みがあり、透明感もあった。私の気分がそうだからなのか陽気な色調にも見える。強い直射日光のせいで明度も高まっているようだ。この道は18年前に逆方向から走っている。そのときは雨で、海の色は灰色と泥色の混ざったような、陰気な、暗鬱な色あいだった。海の色は空の色の反映にほかならないのだろうから、快晴の今日は晴れの色、雨降りだった18年前は雨模様の色彩だったのだろう。

 その海には小船が浮かび、昆布を取っているのか、それとも貝類なのか、漁師が長い棒で海のなかをさぐっている。すすんでいくと道路沿いに点在するのは貧しげな寒村で、海岸で昆布を拾う女がいて、女性の着ているエンジ色のカッパの上下が波のしぶきに濡れて光っている。女は白い長靴をはいている。その先の集落では家の前の歩道一面に昆布を干している。拾ったものか、船でとったものなのか、300メートルほどつづく家並みが切れるまで昆布は干してあったが、女も漁師も集落も昆布も、わびしげに見えた。

 北海道のカラスは小さい。都内のカラスの三分の一ほどしかない。食料事情がちがうからだろうか、それとも種類が異なるのか。この辺りはエサがあまりないようだから、都心でゴミをあさっているカラスとくらべると、食べ物の差が発育の格差をもたらしているのだろうかと考えてしまった。

 島牧村に入ると賀老の滝の看板が眼についた。国道から15キロほど山のなかに入るようなので行くのはやめたが、直後にGSで給油をしたときに店のおばさんに聞いてみた。
「賀老の滝っていいですか?」と。
 おばさんは話しかけられたことが予想外だったらしく戸惑っている。口ごもっているから相当不器用な人だが、
「いいんじゃないですか」とやっと答える。
「でも、遠いですかね?」とたずねるとしばらく間をおいて、
「雨の降ったあとなんかは、そりゃ見事ですけど、ちょっと遠いですよ」
 ようやく笑顔がこぼれた。
 23.5K/L。109円と高く1720円。おばさん領収書をよこさない。これでは脱税し放題だと思ったが、そんなに目端のきく人ではないし、売り上げもあまりない感じだった。しかし高いので、これ以降は価格表示のある店でだけ給油をすることにしたが、そうすると必然的に大きな街のGSとなった。

 休業日の道の駅ーーこんなのはここが最初で最後だったーー『よってけ島牧』で休憩し、これからのことを考えた。今日は尻別川のポイントのある倶知安にむかう予定だが、行くだけで17時にはなってしまいそうで、そうなると釣りはできず1日は終わってしまう。そして明日は尻別川で釣りをして積丹半島をまわるつもりである。18年前の積丹半島は海岸線の道路がつながっておらず、一周することができなかったから、今回は走ってみたいし、何より強烈な印象ののこっている神威岬を再訪したいと思っていた。神威岬には神々しい岩が立っているのである。18年前のツーリングで神威岬の先の海中に屹立するローソク岩を見て、動けなくなるほど感動したのだ。正に神のようなオーラをまとった神秘的な岩だった。その神の岩に再会したいと思っていた。

 ところでこれから予定通りに倶知安にはむかわずに、積丹半島に入って神威岬で神に会い、その後半島をすすんで18時を目途にキャンプ地をもとめるという手もある。これならば今日一日をフルに使うことができて効率がよい。そして明日倶知安にいけばその分長く釣りをできるのではないかと考えた。ポイントは今日倶知安に行くとすると17時につくから、日没までの1時間が無駄となる点だ。一方積丹半島にすすめば18時まで行動できるから、時を有効に使いきることができる。誠に貧乏性だが、1時間を浪費したくなくてこんなことを考えたのである。

 いろいろと検討したが、今回のツーリングでは積丹半島一周と神威岬を諦めることにした。ツーリングの最終目的地は知床のカムイワッカの湯である。金曜日までに行って、日曜日には帰らなければならない。もちろん高速は使用せず、フェリーも青函の予定で、なるべく金をつかわないようにするつもりだ。カムイワッカの湯から自宅まで2000キロはあるだろうから、できれば金曜日のうちに帰り始めたい。その間に釣りも楽しみたいから、一度たずねたことのある積丹と神威岬を断念したのだ。そして今日あまる予定の1時間は、蘭越町とニセコの境を流れる、尻別川第一の支流と呼ばれる昆布川で釣りをして、有効につかい、今夜は倶知安に野営して、明日は午前中に尻別川の本流で夢のビックワンをもとめて竿をだし、その後札幌方向にすすむことにした。

 海岸線と別れて道道523号線の美川黒松内線に入った。道道は幅が狭くなり左右の林がせまってくる。走行する車も少なくなり、農耕車が走っていたりして、民家も減り、畑や牧場が広がって、これぞ北海道、という風景が展開した。15時30分にはまた職場に電話をいれた。状況が思わしくないと聞かされて気がかりでかけたのだが、その後も芳しくない。近年になかったほど現状は悪いのだが、休暇中の私はどうすることもできないから、同僚にすべてを託したが、電話を切った瞬間には仕事のことは忘れることにした。それでもまた明日以降も電話をしなければならないのだが。

 黒松内町で国道5号線に入って蘭越町を北上する。やがて羊蹄山が見えてきたがとてもきれいな山で、美しい円錐形をしている。写真をとりたいと思ったが、先を急ぐ気持ちが強く、止まらずに走りつづけた。 

 昆布川には思ったよりも早くついた。1時間だけ余裕があると思い、それならば昆布川で時間をつぶそうと考えたので、これなら今日のうちに本来のポイントである倶知安の尻別川本流でやれると思い、さらに先を急いだ。尻別川の釣りが今日のうちにできれば明日の予定がこなせてしまう。そうすればどこか別のところに行けるし、釣りの予定を増やすこともできると欲張って、眼の色を変えて全力で急いでしまうのだった。

 ニセコ町には『ニセコビュープラザ』という羊蹄山がよく見える道の駅があり、ここでも写真をとりたいと思ったが、やはり先を急ぐ気持ちにせかされて、止まることができない。個人的にはビュープラザの少し手前のほうが羊蹄山のバランスがよくなると思われたが、その写真をとるのはいつのことになるのかわからない、次回にすることにした。

 羊蹄山に近づくと緑色だった山は黒く変色して、木が生えていないことに気づく。山肌には雨の浸食によってできた深い縦溝があり、それは山頂から麓まで等間隔に走っていて、円錐形のおだやかな山だと思われたのが、本来は荒々しい表情をしていることを知った。

 倶知安に入り国道276号線で尻別川の上流にむかう。雑誌に載っていたポイントは倶知安ではなく、倶知安のとなりの京極町の、そのまたとなりの喜茂別町だった。倶知安だとばかり思っていたので、これは誤算だった。

 祭りをやっている京極町をぬけ、ポイントの喜茂別橋をめざすが距離があり、徐々に時間がなくなっていく。喜茂別橋はR230にあるのだが、入るのを誤ってR276をそのまますすんでしまい、尻別橋にでた。時間は16時30分で日没が気になる時刻である。尻別川は15キロ下流から渓流魚が釣れるとガイドブックにでているので、ここでも喜茂別橋と同等の釣果が得られるだろうと判断し、ここに入渓することにした。

 国道の路肩にバイクをとめて釣り支度をととのえ、川におりていく。国道の橋の下で、トラックが上をビュンビュンと走っているから熊の心配はいらない。橋の下の流れを見てみると深場になっていてよさそうだ。ここで釣れれば晩飯には山女か虹鱒の塩焼きが食べられて、貧しい夕食が豊かになると期待して釣りはじめた。

 しかしここもまったくダメだった。なんといっても水質がよくない。川がドブ臭くて、たとえ釣れたとしてもここの魚は食べる気になれない。そして当たりはあるのだが、かかるのは小さなハヤばかりで、山女はチビさえかからない。しかもすぐ上流に釣人の気配がして、どうやらふたりいるようだ。それでも夕刻が釣りのゴールデンタイムなので18時まで粘ったが、夢のビックワンはヒットせず、諦めてキャンプ場にむかうことにした。ここでこの状況では、数キロ離れた喜茂別橋でも釣況はいっしょだと思われる。ならばこれ以上尻別川で釣りをすることもないから、明日のここでの釣りは中止とした。しかしここはイトウが釣れることもあるということなのだが、やはりいくら北の大地北海道といえども、パッと来てすぐに答えがでるほど甘くはないことがわかった。

 暮れかかった道を倶知安の旭ヶ丘公園キャンプ場にむかう。無料なのでこの野営場をえらんだのだ。道道478号線の京極倶知安線をいくが、左手は道路から500メートルほど畑がつづき、その先は林となっていて、その上には羊蹄山が見えているというすばらしい景色が展開する。また写真をとりたいと思うのだが、暮れてきて気持ちに余裕が持てなくて、またしても止まれない。倶知安に入るころにはすっかり暗くなっていて、今日も日没後のキャンプ場探しだ。釣りをもっと早く切り上げればよかったと後悔しながら野営場にむかうが、それでも市街地のすぐ近くにあるキャンプ場についたのは18時45分で、思ったよりも早く到着することができた。

 ガイドブックにはオートキャンプは禁止となっているが、サイトのすぐ横にあるロータリーまでバイクで入ることができて、2輪がたくさんとまっている。芝生のサイトには1人用の小さなテントがたくさん並び、ライダーとサイクリストが大勢いて、まるで彼らの解放区のようだ。浮ついた旅人が集まっているので、地元の人もここには近づけないような雰囲気だった。

 ライダーたちの近くにテントを張ろうと思うが、彼らは眼があうと会釈を送ってくるが、20代ばかりで若いから、話があうとは思えず躊躇われる。彼らを避けるとなるとサイトの奥まで行かねばならないが、そこまで荷物をはこぶのは億劫だ。そこでロータリーの横に、ひとつだけポツンと飛び地のように単独であるサイトにテントをたてることにした。

 テントの設営はいつものようにすぐに終わり、さっそく味噌ラーメン雑炊を作りつつ、エアーベットのポンプを踏む。これが10分もかかり毎度のことで嫌になるのだが、このベットが地面の硬さと寒さを防いでくれるから、使わないわけにはいかないのだった。

 若者ばかりだったキャンプ場に中年のライダーがあらわれた。四国ナンバーのセロー氏で45くらいの人だ。もしかしたら老けて見える方で私と同じくらいかもしれない。同年輩のライダーがいたのでいささかホッとして食事を済ませる。セロー氏はサイトの奥に歩いていった。

 面倒臭くなっていたが風呂にいくことにした。毎日入浴する、これがキャンプ・ツーリング中に最低守りたいことだ。不潔なのは自分でも嫌だし、どんなに疲れていても風呂に入れば必ずよかったと思うのが放浪の法則。キャンプ場から3分ほどでつく市街地の東湯にむかった。

 銭湯の暖簾をくぐって番台のおばさんに、
「いくらです?」と聞くと、
「え? 370円です。9月10日から10円上がったんですよ」と申し訳なさそうに言う。値上げを知っていてわざと聞いたように思われたようだ。
「ずっと値上げしていなかったので、それで…‥」
 そんな意地の悪いことを言いそうな男に見えたのだろうか。370円でも安いと思いつつ払い、汗をながし、熱い湯につかって唸り声をもらす。やはり風呂はいい。疲れがとれるし、なによりサッパリとして気持ちがよい。満足して風呂からあがり体を拭いているとセロー氏がやってきた。
「やあどうも、キャンプ場で会いましたね」と声をかけると、
「ああ、そうでしたか」と私のことなど見ていなかったようだ。それでも、
「あのキャンプ場、前と変わりましたよね」と話しかけてくる。
「さあ、はじめてなのでわからないのですが」
「そうですか。前に来たときとちがうと思うんだが。でも、あのときは手を怪我していたから、よく見ていなかったのかもしれない」
 怪我をしているのにキャンプ場に泊まるか? と思っていると、
「それに蚊もいませんよね」とセロー氏。
「いや、いましたよ。それで蚊取り線香をつけています」
「そうですか、いますか、やはり。いやそうだと思って私も蚊取り線香を買ってきたんですよ」
 と嬉しそうだ。私もよい年をして貧乏ツーリングをしていて相当変わっていると思うが、セロー氏もかなりのものだ。線が細くて不器用な感じ。繊細でもあり、教師なのかなと漠然と考えた。先生は子供に勉強を教えているので、社会や大人同士の世界を知らないから、世間ずれしていなくて浮世離れしている人が多いからだ。セロー氏は美術の先生のようなタイプに見えた。

 銭湯をでると町はもう眠っていた。時間はまだ8時だが、どの店も閉まり、明かりが落ちている。夜が早いなと思いつつ、バイクで走って公衆電話をみつけて自宅に電話をした。家内は今日、入院中の母を見舞ってくれたと言う。母は非常に喜んだそうだが、私の言動が冷たいと家内にこぼしたそうだ。それは母のせいで私の責任ではない。人は自分のまいた種によって相応の結果を得るのだ。明日は手術とのこと。母はもう来なくともよいと語ったそうだが、また明日いってみる、と家内は言っていた。

 テントにもどり焼酎を飲みつつメモをつける。キャンプ場はスキーのジャンプ台の下にあり、私のテントの横にはジャンプ台にのぼる階段があって、その脇にはトイレがある。その先にキャンプ・サイトがひろがっているのだが、時折トイレの臭気がただよってくるのが玉に瑕だ。

 すぐそこの芝生のサイトでは、若い男女がテントの前で焼き肉をしながら大はしゃぎをしていた。カップルだとばかり思っていたのだが、友達のような会話をしているのでよく聞くと、女のほうが偉そうにしていて、男はへりくだっている。テント一枚しかへだたっていないから声がよくとどくのだが、そこにもうひとり男が加わった。3人組だったのだ。帰ってきた男は積丹半島をまわってきたそうで、寒い、寒かった、と連呼している。そして、
「トンネルに入ると暖かくて、しばらく、ボーッとしてた。ホント、3・40分ボーッとしてたよ。今日はよく走った。ホント、よく走ったよ。それで、自分にご褒美と思って、ウィスキーを買ってきた」
 こういう精神構造の若い人が多くなった気がする。自分に優しく、何をしても自己肯定的で、考えが甘いのだ。バイクで遊んできて、よく走ったから自分にご褒美を買う、という理屈はありえないと思うし−−仕事で頑張ったのならわかるが、それでもよほどことがないかぎり考えられないーー私の世代ではこんな気持ちの悪いことを言う人間はいなかった。若い人たちは甘い自己認識とゆるく生きる姿勢に共通の傾向があると思うのは、私が年をとってしまったからかもしれない。しかし平成大不況と言われるなかでも若者はおおらかに育ったのだろう。その間の経済変動と社会の軋轢は、筆舌に尽くせないほどの憎しみや恨み、血や命であがなわれているのだが。
 3人の馬鹿騒ぎを聞きつつ焼酎を飲み、やがて意識を失った。

                                               402.7キロ 2899円