9月3日 旅の始まり

 

 フェリーの2等寝台

 暑い。テレビでは最高気温は34℃になると言っている。あまり暑いとフェリーに乗る茨城県大洗までの道程がつらいなと思いつつ、DRを家のまえにひきだした。バイクは整備はもちろんワックスも十二分にかけてある。チェーンにもう一度注油して、夜の23時59分発のフェリーの出港時間まで時をつぶそうとするが、はやる気持ちがおさえきれず、何も手につかない。出かけるには早すぎるのだが、15時30分にはこらえきれずに出発した。

 夕方になり涼しくなってからでかけたほうが賢明だと、わかっていて炎天の路上にいる。しかし暑さも苦にならない。旅のはじまりの高揚感と、バイクの感触が心地よくてならないからだ。荷物を積んだバイクの重量感と、エアーを高めにいれたタイヤの硬い走行感、体重移動したときのバイクの挙動をたのしみつつはしっていく。北海道で着る予定のゴツイ革ジャンをザックにいれて背負っているのだが、ザックの重心が高くて走りづらい。時間はあるので途中で丁寧になおしてからすすんでいった。

 今年の夏の旅行は、もともと家族でいく予定だった。しかし諸々の事情により中止となって、私ひとりでツーリングに出てもよいことになったのだ。予定変更は思いもよらなかったことだが、行けるとなれば心は放浪にかたむいていく。昨年は家内とPキャンで北海道をまわったのだが、家内の好みで都市を観光したために、思うように道内をはしることができなかった。ひとりならば自由に旅することができる。あの林道、この湖、そのキャンプ場とプランは日々かたまっていった。  

 高速をつかっても早くついてしまうので一般道でいく。もとより高速代も惜しいのだ。新4号線を北上して栃木県小山市で50号線に右折すれば、春に日帰りドライブでたずねた笠間をぬけて、水戸、大洗にいたる。このルートをとることにしていた。

 50号線にはラーメン山岡屋がある。夕食はそこでたべたいと思っていたのだが、茨城県岩瀬町にある店のまえに着いたときには、まだ腹はすいていなかった。コンビニで冷たいお茶を買って飲み、さきへすすむ。山岡屋はどんどん増殖中なので、水戸、大洗にも1件くらいあるだろうと考えていくが、ついてみるとない。水戸の大きな市街を横切りつつ、山岡屋に未練をのこしてすすむと、店が途切れて大洗への道となってしまった。

 大洗への街道筋に大した店はなく、大洗の町自身も小さなもので、食事をする場所をみつけられずに、19時20分にフェリー・ターミナルについてしまった。出港の4時間30分前である。すでに4・5台のバイクが到着していたが、まだ早すぎるのでUターンして夕食と買物にいく。すくない店のなかからすき家をえらんで豚丼380円を食し、ガスも満タンにした。21.91K/L。スーパーがあったのでフェリー内での食料を買おうとするが大したものはなく、水2リットルとノートを1冊もとめて318円である。つづいてセブン・イレブンにはいってパン2個とおにぎり1個で407円だった。

 フェリー・ターミナルにもどると8時30分で出港の3時間30分前だった。受付にいって乗船手続きをするがすぐに終わってしまう。あとはひたすら待つだけである。荷物をつみこんでいるさんふらわあを見にいくがすぐに飽きてしまい、ターミナルの2階の待合室で時間をつぶす。メモ魔の私はさっそく手帳をとりだすが、きょうは書くこともすくなくて、すぐに筆もとまってしまった。

 バイクの乗船開始は22時30分からとのことだが、本を読む気にもなれずに待合室のテレビをながめる。やることもなくて家内と母にさんふらわあの画像つきメールを送ると、フォーマはバッテリー切れになってしまった。この旅のためにムーバと併用できる、デュアル・ネットワーク・サービスの契約をしてきたので、ムーバに切り替える。このサービスはフォーマとムーバのどちらか一方をつかえるシステムである。1台がバッテリー切れをおこしても、もう1台がのこれば便利だと思ってつかったのだが、非常に調法した。

 時間をやりすごし、22時10分に待合室をでた。DRはターミナルのまえにとめてあるので、乗船口に移動しようとおもったのだが、放送がはいり、バイク、車両の乗船開始をつげている。さっそくエンジンをかけて乗船待ちの列にならぶが、準備はさせておいてなかなか乗せず、しばらく待たされた。

 まわりのバイクはつぎつぎにエンジンをとめていく。DRはキックしかないので最後までかけたまま待つが、いつになっても乗船ははじまらないので、ついにエンジンを切った。乗船をまつバイクは荷物の少ないほうがおおい。ライダーハウス利用なのか、それともいまの時代からいって若くともホテルをつかうのか。キャンプ派は5人にひとりくらいなものだ。私のまえにいる20代の250オフローダーがいちばん荷がおおく、私はそのつぎだろうか。もう1台いた30代のオフローダーが私のつぎという感じだった。

 ところでターミナルの待合室にいたときに、ライダーのなかで私が最年長だった。ライダーは20代がいちばん多く、つぎに30代、40代は私ひとり。しかしその後で親子ツーリングの60代の人がきたので最年長はまぬかれたが、キャンプ派では文句なく最年長だった。

 乗船待ちの列にならびながらまわりのバイクを観察する。周囲にいるのはオンロードの400、原付スクーター、荷物満載の250オフローダー、ゼファー750、アメリカン・バイクなど。荷を満載しているオフローダーとは、装備をみればお互いおなじ趣向なのがみてとれて、視線をかわしあう。しかし彼は20代。あまりに年がちがうので、こちらから話しかけようとは思わなかった。

 DR650というほとんど日本に存在しない逆輸入車にトップケース、新品のヘルメットと、見た目には年相応のベテラン・ライダーぶりに見えているだろうかと、くだらないことを考える。他人は私のことなど気にしていないだろうが、みすぼらしく感じられるのは嫌なので、まわりと自分をくらべてしまうのだった。

 22時30分の定刻に乗船開始となった。15分ほどならんで待たされたのだが、はじめから決められた時間に乗せるために、15分前から整列させられていたわけだ。少々不満である。鋼鉄のハッチの上をすべらないかと用心しつつ走り、船倉におりていく。何層も下にいって、地下4階にバイクをとめた。すぐに係員がやってきてバイクをロープで固定する。はじめて使う商船三井の職員は無駄口をきかない。これまで利用してきた東日本フェリーの社員とくらべてしまうが、商船三井の船員のほうがはるかに好ましかった。当り前のことをあたりまえにやっていただけとも言えるのだが。

 客室にいこうとするとエレベーターは上昇していったばかりだった。待つのは嫌なので階段でいくことにするが、今いる場所が地下4階とはわかっていなかった。はじめは勢いよくのぼっていったのだが、すぐに事態を認識し、はやくも体力がつきる。狭くて急な階段をバテバテであがり、ようやくのことでロビーにたどりついた。

 ロビーにはホテルマンのような制服をきた案内係りの男性がたっていて、歓迎の挨拶をし、部屋への道をおしえてくれる。2等寝台への道筋をたずねてすすむが、寝台利用ははじめてだ。この船には2等室がなかったので2等寝台にしたのだが、帰りのフェリーは2等室の予約だった。

 2等寝台は上下2段のベットになっている。上のベットでは嫌だなと思っていたのだが、上段はすべてあいていて、下しか客をいれない混み具合だった。寝台の枕の上には電灯がありコンセントがついている。さっそくフォーマを充電して風呂にいく。すぐに入浴するのはフェリーに乗ったときのいつもの習慣である。風呂は大きなもので湯船がふたつありサウナもついていた。サウナは明日にとっておくことにして、手早く汗をながして風呂からあがり、ビールを300円で買って飲みつつ家内にムーバで電話をする。ようやく落ち着いた、と。

 2等とはいえ寝台はよかった。狭いが個室なのでプライバシーはまもれるし、荷物も放りだしておけて、2等室のように席をたったすきにスペースをとられてしまう心配もいらないので。これは帰りも寝台にしようと受付にいくと、船内では手続きはできないとのこと。苫小牧につけばターミナルで変更可能とのことだった。お金にシビアな(ケチとも言う)私が価値があると思うのだから、余裕のある人は寝台利用がおすすめである。

 船内を散歩してみた。売店があったのではいってみると、、ツーリング・マップル(通称TM)が1冊だけある。出発前に買おうとおもったのだが、機会を逸して入手できなかった地図だ。パラパラとページをめくって走行予定の林道のコメントを読んでみると、情報に十分な価値があると判断し、1680円で購入した。しかしこれで地図が2冊、ガイドブックが3冊と本がおおくなってしまって、タンクバックにおさまりきらなくなってしまった。

 売店のあとで甲板にもでてみたのだが、暗くて景色は楽しめないし、スリッパだとぬれた甲板はすべって危険なので、早々に船内にもどった。寝台にかえって持ち込んだ焼酎をのみつつTMをめくる。巻末には温泉、キャンプ場、宿、食べもの、見所、林道情報などがあって飽きない。フェリーはいつのまにか出港している。TMをながめつつ酔い、12時30分ころに就寝した。

 

 

 

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