9月9日 林道大冒険

 

 

 上士幌航空公園 早朝にバルーンを上げる人たち

 4時30分にトイレにおきると晴れていた。夜が明けるところである。まだ早いのでもう一度眠り、5時30分に車がきた気配でおきだした。7・8人の若い男女がバルーンのイラストのはいったバンとセダンでやってきて、輪になって話しあっている。平日の早朝に何事だろうかと観察するが、いたって健全そうな若者たちなので、かえってなにをしようとしているのか気になった。

 きょうは連泊するつもりなので、テントを移動すべきかどうか判断するために、下のキャンプ場のようすを見にいった。キャンプ場をあるいていると、上のパターゴルフ場にもきた、バルーンのイラストのはいったバンがやってきて、乗ってきた女性がトイレのそうじをはじめる。上士幌町のシンボルマークがバルーンなのだと合点がいって、その女性に、キャンプ場がわからなくて、上のパターゴルフ場にテントをはってしまったのですが、と言うと、キャンプ場に張りなおしてください、とのこと。それはそうだ。暗くてわからなかったので、と礼儀正しく弁解しておいたのは無論のことである。

 キャンプ場の水場で顔をあらっていると、昨夜の長髪ライダー氏がきて挨拶をかわした。テントにもどって引越しを開始する。まずきょうの林道ツーリングに必要なものをトップケースとタンクバッグにつめこみ、バイクにとりつけた。それ以外のものをまとめて下のキャンプ場にはこんでいく。3人組は夜寒くてあまり眠れなかったのか、陽があたって暑くなったテントの入口を開け放って寝込んでいる。NSR君も動きがない。若い男女のグループはバルーンをあげる準備をはじめた。どうりで健全そうなわけである。大きなバルーンを皆でひろげ、そのなかへバーナーで熱風を送りこみはじめた。

 バーナーの断続的な燃焼音を聞きながら荷物を2回はこび、最後に設営したままのテントを両手にかかえて移動する。テントが簡単そうでいちばん大変だった。空のテントは軽いと思ったのだが、、風をうけてバルーンのようになびいてしまい、持ってあるくのに力がいって、汗をかいてしまった。6時10分に移動を開始して6時30分におわった。新しい場所に落ち着くと、バルーンが空に急上昇していく。バルーンはこんなにも短時間で上がるものなのだと知った。

 昨夜の不快な気持ちは朝になってすっかりなくなっていた。新しい場所で朝食のラーメンをつくって食す。キャンプ場の入口には小屋があって、なかにはルールや注意事項が書かれたものと、宿泊受付名簿のノートもおいてあった。そこに住所、氏名、連泊の予定を書きこんで朝の準備は終了した。

 キャンプ場からパターゴルフ場においてあるバイクまで歩いて出発した。3人組もNSR君もまだ寝ている、7時20分だった。ゴミは捨てられないのでハンドルにぶらさげていく。きょうは林道を長距離走行するので、非常食のおにぎりやパン、水などをコンビニで買うつもりだ。ゴミはそこで捨てるつもりだった。

 走りだすとバイクの軽さが新鮮なおどろきだった。ずっと荷をつんではしってきたので、空荷で走行すると劇的にフィーリングがよくなる。このハンドリングならどんな悪路でもいけそうだ。航空公園のまえをはしる道道367号線を西にむかう。まっすぐな道である。胸のすくような北海道らしい直線道路を数キロすすみ、道は左に直角にまがってまたまっすぐに南にいく。

 まっすぐな道を朝靄ののこるなか走っていくと、かなたに小学生が3・4人いるのが見えてきた。見えてから近づくまで、まっすぐな道なので時間がかかる。小学生たちは白いヘルメットをかぶり自転車通学だ。そのなかの女の子が手をふるので、私も左手をあげた。これも北海道ではよくあることである。女の子は薄着だった。タンクトップにショートパンツだ。私は革ジャンをきていても寒いくらいだというのに。中学生たちも学校にあるいていくが、彼らは上下ジャージ姿だった。

 林道にむかっていくが、不安のような、恐いような気持ちが生じてくる。これは北海道の林道にはいるときだけ感じるもので、それは熊への恐怖なのだった。今回はもしものときのために保険にもはいってきたのだが、準備をしているときには何もおこらぬものなので、熊には出会わないだろうと思うのだが、緊張はたかまるのだった。

 国道274号線にはいり、TMにのっているレストラン、カフェ・ブーオの看板をみてすすみ、貧しい家並みのなかをぬけて、道道593号線にはいると、早くも屈足のパンケニコロベツ林道の入口についてしまった。

 コンビ二は1軒もなかった。山奥にはいるので非常食がないことが心配だが、このまま林道に進入することにする。ハンドルにぶらさげていたゴミはタンクバッグにしまい、止まると暑いが走ると寒いので、革ジャンの下にセーターを着こんで走りだした。全長29キロのパンケニコロベツ林道に突入すると、すぐに通行止めの看板がでている。工事中で通過するのは不可能だ。ダンプカーが何台も出入りしていた。

 走りやすいと言うパンケニコロベツ林道を29キロのぼり、奥十勝峠からシートカチ林道にすすみ、枝道で『秘奥の滝』という冒険心をそそる滝を見にいって25キロ走行し、道道に一度でて、ヌプントムラウシ温泉にはいるためにヌプントムラウシ林道を30キロ往復し、またシートカチ林道を17キロ奥十勝峠にもどり、ペンケニコロベツ林道を28キロくだって、合計130キロの林道走行をする予定が、出だしからつまづいてしまった。

 仕方がないので、下りで走るつもりだったとなりのペンケニコロベツ林道をのぼることにする。2本の林道はとなりあっていて、奥十勝峠で合流するのだ。林道の入口にまよい、北にむかう道があったのではいっていくと屈足牧場にいく道だった。牧場だけあって路上に殺菌用の石灰がまいてあったりして珍しいが、道があっているのか地図をみていると、牧場の人がライトバンでやってきて、ペンケニコロベツ林道はこの道ではなく、川ぞいの林道なので、橋をわたったところからはいるのだと教えてくれた。

 行ってみるとすぐにわかった。道道からはいると入口は広場のようになっていて、林道は『草刈り作業中』と看板がでている。これなら熊にあう心配はいらないと、林道にはいったのは8時35分だった。直後にキタキツネと会う。キツネは草のなかに消えたが黄金色の健康的な個体だった。

 林道はすぐにペンケニコロ川ぞいの道となった。川というよりも沢と呼ぶほうがふさわしい大きさだが、台風の影響で増水し泥色に濁っている。路上には直前に車がはしった痕跡があった。これが草刈り作業をしている車だろうが、1時間もたっていないような感じだ。なぜわかるかと言うと、路面にのこったタイヤのあとや、水たまりを通過したようすで判断できるのだった。

 路上にタイヤのトレッド・パターンが鮮明にのこり、とくにトレッドの角がくずれていないものは時間がたっていない。通ったばかりのタイヤ痕は細部までくっきりとしているが、時がたつにつれて角からくずれだし、輪郭がぼやけていく。水たまりを通過した跡も、直後は道路に水がのびているが、やがて水は地面にしみこんで、消えていく。この水の消え加減で、どのくらい前に車が走行したのか推測できるのである。これは渓流釣りのために身につけた知識だ。私よりもさきに川にはいった者が、どのくらい前にいたのか知ることは、釣果に大きな差がつくので。誰かが釣りをしたすぐ後では魚はほとんど釣れないのだ。ちなみに動物の足跡の新旧を見分けるのもおなじ手法である。まだ熊の足跡は見たことはないが、鹿やウサギ、キツネや狸のものは何度も眼にしてきた。

 

 

 ペンケニコロベツ林道 フラットで走りやすい

 ペンケニコロベツ林道は28キロと長いので、どのくらいすすんでいるのか知るために、オドメーターで距離を見ながらはしっていった。路面はフラットで非常に走行しやすい。オンロードでも軽自動車でもはしれる道だ。林道にはいって7・8キロすすむと前走車に追いついた。草刈り作業の2台である。前をトラックの作業車がいき、後ろに軽バンの監督車がついている。軽バンはすぐに道をゆずってくれたが、トラックは2トン車なので、道が狭くてぬくこともぬかせることもままならず、しばらくついていくことになった。

 草刈りは人が歩いてやるものだと思っていたが、車に取りつけられた特殊な機械で効率よく作業をしていた。トラックの荷台にユニックのような、クレーンのアームのようなものが装備されていて、その先端に草刈り機械が装着されている。人が手にもって草を刈る機械、金属の円盤が回転して草を刈る、あれを大型化したものである。それを助手席に後ろむきにすわったオペレーターが操作するのだ。アームは1本しかなく、車の左側しか作業できない。のぼりの今は川側を刈っていて、下りになると山側を作業するのだ。

 草刈りアームの操作はじつに巧みだった。路肩には草だけではなく、目印の杭や岩、木などもはえているが、オペレーターはそれらを瞬時に見わけてよけていく。その上手さと反射神経のよそに感心しつつ、2キロほどいっしょにはしると、広くなったところで先にいかせてくれた。

 手をあげて先行するが、路肩が刈ってあるのとないのとでは大違いだった。刈ってあれば道が広く感じられるし見通しもきく。刈っていないと道の横の藪に熊がひそんでいそうで不気味である。川ぞいをいくので魚が釣れそうなポイントが散見されるが、この山奥でひとりで釣りをする気になれないし、道具はおいてきてしまった。それより以前に熊が気になって、ひらけていないところではバイクをとめる気持ちにさえなれなかった。

 林道はおおむねはしりやすい路面でどんどんすすめるが、土砂崩れで泥が路上に流れこんでいるところが2ヶ所あり、そこはぬかるんでいる。通過しようとするとフロントがズルッとすべり、また必殺の右足路面キックでたてなおした。

 トップ・ギヤにいれて飛ばせるところもあった。長い直線だ。調子にのって速度を上げていくとギャップがあらわれ、ブレーキをかけるがスピードが落ちないままつっこんでハンドルをとられ、冷や汗をかくが、また性懲りもなくアクセルをあけていくと穴ぼこがあり、とばされるということを馬鹿のように何度もくりかえした。

 走っていくとブルー・フラッグがおちていた。路上で雨にふられた状態なので、台風のまえに通過したバイクからおちたようだ。青ハタはすでに2本あってテントにおいてきたのだが、拾いあげてシートにたてた。また前走車の走行痕がある。この車は2・3時間はまえにとおったようだ。スピードをあげてはしっていくと、コーナーをぬけた直線のさきに、草のなかに逃げこもうとするキツネのしっぽだけが見え、すぐに草やぶに消えた。これまた黄金色にかがやく、健康的な若いキツネのしっぽだった。

 雨がながれて掘れてしまった路面、浮きジャリもあるが、走りやすいペンケニコロベツ林道をはしりぬき、9時35分に奥十勝峠についた。峠には字の消えかかった標識だけがたっている。周辺は熊笹がおいしげり、森林限界がちかいので、木は高原性のトドマツしかはえていないものすごく山深いところで、私のほかには誰もいず、静まりかえっていた。

 

 

 奥十勝峠 後方の山は下ホロカメットク山

 下ホロカメットク山の美しい円錐形の姿がよく見える。はじめはこの女性的な山が十勝岳だと思ったのだが、十勝岳はその右にある、茶色の火山性の猛々しい山だった。奥十勝峠を右におれて、シートカチ林道にすすむと急坂をくだっていくが、道は雨水がながれて深く掘れてしまったガレガレの状態だ。台風直後で最悪の状況なのだろう。大きな段差のある荒れた急坂をおりていくが、デコボコ道のなかにルートを見つけてすすむきびしいたどりである。このときばかりは荷物をおいてきてほんとうによかったと思った。荷を積んでいたら相当手こずったはずで、ここはオンロードでは無理だろうし、車高のたかいジープでも腹をこすってしまうだろう。

 急坂をすぎると路面はおちついたが、オフロード・バイクの走破性能のたかさにあらためて感心した。これだけ多様な道をはしりぬくことができる乗り物はほかにないだろう。この醍醐味がオフロード・バイクからはなれられなくなってしまう魅力なのだ。

 

 

 シートカチ林道のゲート 動物よけのためライト点灯中 

 林道をすすむと秘奥の滝への分岐の手前でゲートがしまっていた。ゲートには鎖がまかれているが鍵はかかっていない。台風のため通行止めとゲートのむこう側に紙がはってある。つまり私が走ってきたほうが通行止めなのだ。それはいけないとゲートをあけ、通行可の領域にはいり、分岐を左におれて秘奥の滝にのぼっていった。

 この登りはまたガレガレの浮きジャリと、雨で道がながれてしまった荒れた林道だ。しかもまわりはさらに山深くなり、トドマツと熊笹の密度がこくなって、身近にせまってくる。原生林があまりに生々しくて、都市生活者の私には恐いくらいだ。この林道を8・5キロのぼる秘奥の滝までのルートを、だれもいない、物音もしない大自然のただなかを、熊がでてこないことを祈りつつ、ひとりではしっていった。

 すばらしい風景なのでバイクをとめて景色をながめたり、写真をとったりしたいのだが、左右にせまる熊笹が気になって停車する気持ちになれず、たまに熊笹が後退してひらけた場所にでると、ようやくバイクをとめてカメラをとりだし撮影した。

 10時15分に秘奥の滝の入口についた。滝は林道から見えるものと思っていたのだがそうではなく、人ひとりが通れるくらいの、熊笹のなかの道をあるいていくのだ。熊笹は肩くらいまである。とてもではないが草やぶのなかにひとりで入りたくないし、それより以前に、熊出没中で秘奥の滝への小道は通行止めなのだった。

 熊笹のなかの小道に通行止めのロープがはられていて、熊出没中の張り紙とロープが生々しく、強い迫真性をもって眼にうったえてくる。非常におそろしい。ただちに通過する。周囲は深い原生林で、ここに熊がいなくてどこにいるという環境だ。すすむとまた『熊に注意』と張り紙がでているが、どう注意したらよいのかわからない。ただカーブの手前では盛大にクラクションを鳴らして、こちらの存在に気づいてもらうのみである。しかしこの一帯には熊のフンはなく、気配も感じられなかった。

 すすんでいくと十勝岳の登山口があった。ここに車をデポし、ポストに入山届けをいれて、熊笹のなかの小道をのぼっていくのだ。こんな登山道も私は絶対にあるきたくない。ここをのぼる人はすごい人間だと思いつつ通過した。

 ガレた道をいく。急なのぼりくだり、ヘアピン・カーブがつづく。見通しのきかないところはクラクションを何度もならしていく。誰もいない。車もバイクも登山者も、そして熊も。無人の原生林をすすんでいった。

 たまにシートカチ林道にくだっていく枝道がある。枝道にはいれば早く山からおりられそうだが、道の状況がわからないので、本線の秘奥の滝線(仮称)をすすむ。原生林のなかの荒れた林道を、熊の幻影におびえつつ走るのはストレスがかかるので、すこしでも早く山からおりたいのだが、いちばん安全と思えるルートをとらなければいけないと、枝道をくだる安易な選択を排除した。

 心のささえになったのが車の走行痕だった。1台の車が私と同方向にはしったタイヤの跡がのこっている。1日くらいはたっていそうなものだったが、4輪駆動のジープのようだ。ジープでなければ轍を雨がながれて深い溝となっているこの林道を、走ることはできないだろう。たぶん道路管理の車であろうジープの、迷いのない走行痕をたよりにすすんでいった。

 

 

 秘奥の滝にむかう林道 十勝岳が近い

 秘奥の滝の先は、TMではレイサクベツ林道と表示されている。分岐がたびたびあり、その都度ゼンリンのより詳細な地図をみてルートを確認していく。こちらは10万分の1の細かいもので、TMの20万分の1よりもはるかに詳しく正確だ。ただジープのあとを盲目的についていくのではなく、たしかめながらすすんでいった。ところでこの一帯は人気の林道コースで通行量は多いらしい。夏休み中や休日はそうなのかもしれないが、私のおとずれた9月の平日はまったく人はいなかった。

 やがてシートカチ林道までくだって合流すると、森林限界をはなれ、木のおおい森林帯となった。道も安定し、砂利道ではなく締まった土の道となり、起伏もゆるやかなくだりとなって飛ばせるようになる。車の走行痕はいつのまにか2台分にふえていた。タイヤ痕にはげまされてきたので、私も強く痕跡がのこるようにする。コーナーの立ち上がりではアクセルをワイルド・オープンして、後輪で土を蹴たてていく。DRが立ち上がったコーナーの出口では、路面がささくれたようになっているのがミラーから見えた。

 どんどん加速していく。ギャップもないのでアクセルを大胆に開閉し、ギヤをひっぱり、エンジンブレーキを併用しつつ加減速して、コーナーのつづくフラットな林道を快走する。思うままにバイクをはしらせ爽快だ。しかし飛ばしすぎないように自重もしつつ、山を駆けくだっていった。

 唐突にダムのまえにでた。ジープが1台とまり、事務所のドアは開け放ってあって、なかに若い男性がひとりいるのが見える。林道にはいってはじめて人をみたが、先方もバイクの音に気づいてこちらをふりむいていた。

 ダムは北海道電力の発電用だった。すすむとまたゲートがあり閉鎖されているが、またしてもゲートのむこう側に通行止めの表示がしてある。これは従わなければいけないとゲートをあけ、通行可の地域にはいったのは10時45分だった。ここまでくるとふつうの山である。大自然の緊張感はなく、自然よりも人間の力のほうが強いところだ。こうなると私の気持ちも大きくなるのだった。

 川幅がひろく、泥色の濁流がながれるシイ十勝川ぞいをくだっていく。対向車などこないと思い込んで左カーブに右側通行で進入すると、パジェロ・イオがやってきていた。あわてて急ブレーキをかけ、右に回避するという禁じ手で難をのがれたが、先方の驚愕の表情と急ハンドルを切る手の動きが眼にのこる。衝突回避に精一杯で後輪がロックし、エンストしてしまう。熊よりも交通事故にあう確率のほうが高いので、不注意や慢心はいけないと心をひきしめた。

 慎重に山をくだっていくとまたゲートがあった。やはりゲートのむこう側に通行止めと紙が張ってある。ゲートをあけてすすむと難所が2ヶ所あった。1ヵ所は土砂崩れで泥が路面を5メートルほどおおい、ヌタヌタにぬかっているところ。ここはバイクをなるべくまっすぐにして進入し、バタ足走法でのりきった。つぎは路上を水がながれて川のようになっているところだ。水深は浅く3センチから5センチだが、水の表面が反射していて、すぐまえの水中の状態しか見えない。止まるようなスピードで右足をだし、何かあればすぐに止まれるようにかまえつつ、10メートルほど水のなかを走行した。

 やがて林道はおわり舗装路の道道718号線にでた。長距離の林道走行をおえて、自分では大事業をなしとげたような気分だ。熊の恐怖にたえ、原生林のなかのものすごい山奥にわけいり、トドマツと熊笹だけの世界で、十勝岳を間近にみた。ふつうの人には眼にすることのできない風景だ。地元の人、北海道の林道を走りなれた人には笑われるかもしれないが、私としては今回の旅のもうひとつのハイライト、大冒険を達成したような気持ちだった。

 その余韻にひたりつつ曙橋にくだって、つぎはヌプントムラウシ温泉につかるべく、ヌプントムラウシ林道に進入した。TMには温泉まで奥深い道をいくダート15キロとある。ここも人気の温泉なので是非いきたいのだが、林道の入口にはバイロンがあり、そこに通行止めと書いてあった。バイロンが道の真ん中においてあるだけで、ロープがはってあるわけでもないので、すりぬけて先にいくが、フェリーの中でみた夢、道の真ん中に標識が1本だけたっていた光景を思い出して、心にひっかかりをもつ。1キロほどすすむとコンクリート製の橋があり、橋全体が水たまりになっているところにでた。

 

 

 ヌプントムラウシ林道の水たまり

 泥水のなかにつっこめば通過できるかもしれない。しかしここまで車がはしった痕跡がなかったので、とまって水深をはかることにする。シートに立ててあったブルー・フラッグをぬいて水にさす。足をぬらさずに確認できるのは1メートル先までだが、水の深さは10センチほどである。靴をぬいで裸足になり、泥水のなかを歩いて橋をわたって、水深をたしかめてからバイクですすむという手もあるが、そこまで情熱はないし、夢でみた情景も気になるので、ここで引き返すことにした。

 林道をもどり、温泉にはいりたいので道道を山奥にすすんで、国民宿舎の東大雪荘にいくことにした。曙橋からジャリダート9キロの行程である。この道はオンロード・バイクでもはしれるおだやかなルートで、道路幅もひろくフラットだ。四輪車がカーブの手前でブレーキをかけたためにできた洗濯板のようなギャップや、たまに大きな穴もあるが、さっきまで走っていた林道にくらべれはなんでもない。ガンガンと飛ばしていった。

 この道にも熊出没中の看板がでているが、もしもここで熊に会ったとしても、バイクで楽々ふりきれると思う。それほど飛ばせるダートだ。またしても調子にのりすぎて穴におちたり、洗濯板の上を高速ではしってブレーキをかけられずにコーナーがせまったりして手に汗をかくが、思う存分飛ばして11時30分に東大雪荘に到着した。

 まず500円の料金で風呂にはいった。露天風呂がふたつある設備のととのった清潔な温泉である。露天風呂からはトムラウシ川の渓流を見おろすことができて、熱いものとぬるめの湯の2種類となっている。年配の人がひとりいたがすぐに出たので私だけになり、やがてまたひとり年配の方がきて、ふたりで大きな空間を贅沢につかった。

 サウナもあって汗をながす。体が火照ると内風呂のイスにすわって熱をさまし、ぬるめの露天につかって青空を見あげた。きょうは金曜日である。ふだんなら仕事をしている時間に、ひとりで北海道のトムラウシ温泉にはいっている幸せに感謝する。あまりにも気分がよいので、平日に遊んでいて、こんなによい気持ちで大丈夫だろうかと、不安になってしまう働きバチの私だった。

 風呂からあがってレストランへいく。鹿肉ハンバーグ定食1000円というメニューにひきつけられて、ウエイトレスにきいてみると、100%鹿肉とのこと。珍しいのでこれを注文した。ちなみにこの料理がレストランの最高額料理である。平日だけあって昼時のレストランにいたのは年配のご夫婦2組のみ。私が『鹿肉』と言っていたので耳をそばだてているのがわかる。皆さんはそばをたべていらっしゃった。

 

 

 東大雪荘の鹿肉ハンバーグ定食

 料理はすぐにでてきた。見た感じはごくふつうのハンバーグである。食べてみるとデミグラスソースの味しかしない、癖のない肉だった。鹿肉だと言われなければわからないほどで、野趣を味わいたくてたのんだから、物足らなくて落胆する。そういえば栃木県の奥鬼怒でも熊や鹿、猪の肉を食べたことがあったが、鹿はまったくの無味無臭であったことを思い出した。

 食事を終えてロビーにでてみると、売店で『日本百名山トムラウシ山』とネームのはいったTシャツを1000円で特売していた。よほど買おうかと思ったがやめてしまう。しかしあとになって買えばよかったと後悔した。

 13時に東大雪荘を出発した。食事をしたレストランは、駐車場に面して大きなガラス窓をもうけてあるので、いっしょにいた年配のご夫婦がこちらを見ているのがわかる。彼らは車できていたので、平日にひとりでバイクに乗ってきた働き盛りの私は、異質な人間に見えたことだろう。

 のぼってきたジャリダートを軽快にくだっていく。来たとき以上にスピードをだしていった。見通しがきけばアクセルをワイルド・オープンする。ギャップでふられても、ハンドルをとられても、直線ならばアクセルをあけて推進力をかければ車体は安定する。ジャリダートを強引に飛ばして痛快だった。もちろんコーナーでは速度をおとした。万一対向車がきても安全にすれちがえるように、十分な余裕をもって、キープレフトで走行した。

 13時20分に曙橋までもどり林道走行は終了した。工事と台風の影響で予定の半分しか林道をはしれなかったが、台風通過の直後なのでしかたがないと納得する。ツーリング全体でふりかえっても、予定していた林道の半分しか走破することはできなかったのだ。

 安楽な舗装路をくだっていく。路上には蝶がおおくいるのでよけつつすすむ。モンシロチョウがほとんどだが、雌雄のペアになって求愛のロンドを舞っているので、彼らに衝突しないように直線をスラロームしていった。

 蝶々スラロームをしていると足に何かが当たりだす。アスファルトの上をみるとバッタが無数にいた。蝶といっしょにバッタも避けていく。こんどはバッタスラロームだ。

 十勝川ぞいにくだっていく。ガードレールの横は川なので、今のように泥にごりの大増水でなければここで釣りができるだろう。ただし舗装路のすぐ横では釣果はのぞめないだろうが。やがてトムラウシの集落にでた。2001年のツーリングではここの小学校まできて引き返したのだ。その奥にこれだけの北の大地の醍醐味があって、今回そこを走破することができて満足だった。

 バッタスラロームをつづけて山をおりていく。2001年に釣りをしたポイントを見つつすすむ。2001年は渓流釣りをしてはみたものの、やはり熊の幻影におびえて釣りに集中することができず、30分ほどでやめてしまったのだった。

 東大雪湖を通過し、十勝ダムをぬけて道道593号線との分岐、朝パンケニコロベツ林道にむかった岩松に13時50分にもどってきた。つぎは然別峡の鹿の湯にはいるべく道道593号線にはいり、道道85号線とつないで北上する。道道85号線は然別湖のさきの山田温泉で通行止めと表示されていて、糠平湖にぬけることができない。鹿の湯のつぎは糠平湖畔の林道をはしって、タウシュベツ橋をみたいと思っていたのだが、こちらからは行くことができないと知った。

 然別峡にむかうには道道85号線から道道1088号線にはいるが、山深い道となった。コーナーのつづく山岳路を飛ばしていくと、さきに道路管理のライトバンがはしっている。もうすこしで追いつきそうになったときにジャリダートとなり、バイクの私はスピード・ダウンするが、ライトバンはほとんど減速せずにはしっていく。ライトバンはどんどん先にいき、ついには見えなくなってしまった。林道で車にちぎられたのははじめてだ。ライトバンの人はかなりの腕だったが、助手席や後部座席にいた同乗者はたまらなかったのではなかろうか。

 鹿の湯のある然別峡野営場へはジャリダートの道道1088号線から、分岐を左におれて沢にむけてくだっていく。この道は北海道ではじめて遭遇した深いカーブで、まがりきれないのではないかと、肝を冷やしてしまった。切れこんでいくカーブなどないと思い込んでいたので、オーバー・スピードでコーナーに進入し、途中でブレーキをかけて体勢をくずしてしまったが、なんとかたてなおした。

 分岐から野営場まで1キロほどなのですぐについた。私が到着すると、先行していた道路管理のライトバンはもう引き返していく。野営場を見にきたのだろうか、それともここまでの道路を確認していたのか。たぶん後者だろうが、ライトバンを見送りつつ、野営場入口の広場にはいり、位置をえらんでDRをとめた。人気はなく、だれもいない。どうなっているのかと思いつつ、ヘルメットをとっていると、奥の駐車場から老人が歩いてきて、頓狂な大声をだした。
「だれもいないんだよね、どうしてだろう。だれもいないっていうのは、困っちゃうんだよね」
「そうなんですか」と答えて老人を見ると、やぶれて穴があき、しみだらけになったジャージにランニングシャツ姿だ。歯は何本もぬけていて、使い古した安いビニールサンダルをはいている。一見するとホームレスのような格好だった。

 老人に言われてキャンプ場の受付にいくがだれもいない。キャンプ場のなかにも人の気配がなかった。老人は昨夜、車で鹿の湯にはいりにきたそうだが、だれもいないのでキャンプ場には立ち入らず、駐車場の車のなかで車中泊をしていたとのこと。人が来るのをひたすら待っていたのだ。ルールは厳格にまもる人のようで、それがこの人の処世術として体にしみこんでいるもののようだった。

 受付のすぐ先には橋がありロープがはられていた。老人はこのロープをこえることをはばかっていたのだが、ここに手書きの紙がはってあり、鹿の湯は増水で水没し、入浴できません、と書いてある。老人がきたのは夜だったから見えなかったのか、もともと眼がわるいのか、あるいは字が読めない人なのか、老人はこれを知ることができなかったのだ。私がそれを告げると、なんだ、そうか、とうなっていた。

 しかしロープで閉鎖されてから時間がたっている感じで、水はすでに引いているかもしれず、なにより鹿の湯が見てみたいのでキャンプ場にはいっていった。カメラと、一応手ぬぐいもさげて。老人はそんな私を見て車にもどっていった。

 キャンプ場は奥行はあるが幅はあまりない。林間のサイトをあるいていくと、鹿の湯は奥にあると書いてある。だれもいない野営場をぬけて奥の沢ぞいにでると、熊笹のなかを小道が川へおりていく。この小道をくだっていく途中で、これまで見たことのない動物の足跡をみつけた。

 

 

 見たことのない動物の足跡を発見 

 道の真ん中に、右の前足か、もしくは後ろ足のものだけがひとつ、ポツンとのこり、ほかにはなにもない。足跡は大きなもので私の右手よりも大きい。これまで見たことはないのだが、これは熊の足跡としか考えられないもので、しかも直前についたと思える、真新しいものだった。足跡は熊笹のなかの小道を横切っていったのだ。下から、沢からあがってきて、キャンプ場方向か、その上の林へいったようだ。

 やおら大声で歌を一節うたう。手をふりまわし、熊笹を蹴っとばして音をたて、周囲を見まわすが黒いものは見えない。熊笹のなかにいるよりも、川原の鹿の湯のあるところのほうがひらけているので、そちらに移動した。まわりに注意をはらいつつ、鹿の湯に手をいれてみると、水である。よく見ると川の水が湯船にながれこんでいて、これでは当分入浴はできそうもない。だれもいないことにも合点がいって、写真だけとってひきかえした。

 

 

 沢の水がながれこんでいる鹿の湯

 それにしても熊は用心深い生き物である。道に足跡をひとつだけ残したのは、必要最小限のその足だけついて、ほかはつかないようにしたということで、足跡を意識して生きていることになる。これまで見たことのある鹿やタヌキ、キツネなどはこんなに神経はつかわず、ベタベタと足跡をいくつものこすので、熊の頭のよさに感心するが、それが逆に不気味で恐くもあった。

 キャンプ場を歩いてもどっていくと、入浴の準備をととのえた老人がやってきた。残念ながら風呂にははいれないと告げて、ふたりならんで駐車場にかえっていく。老人は木の根に生えていた大きなキノコをとると、一口かじって味をみて、すぐに吐き出し、キノコも捨てた。私はあっけにとられてそれを見ていた。キノコはとりあえず口にいれてみて、たべられるかどうか判断するようだ。

 老人は歯が何本も欠けていてことばが不鮮明だし、ホームレスのような格好をしているので、人によっては侮られるだろう。私は年配者、年長者にたいして、よほどのことがないかぎり失礼な態度をとらないので、老人にもそのように接した。老人は肩に力のはいっていない、てらいのない人だった。

 老人は温泉マニアだった。鹿の湯だけでなく、熊の湯、カラマツの湯、岩尾別温泉、セセキ温泉など、無料ではいれる秘湯をまわることが趣味のようだ。75才をこえているように見えて80はいっていない感じ。上砂川に住んでいて、気がむくと、秘湯めぐりの放浪の旅にでるとのこと。ルールと指示にはまことに忠実にしたがう人で、ついさっき私も見た、ヌプントムラウシ林道入口の通行止めのバイロンも、昨日いってそのまえで迷ったが、けっきょく指図にしたがって引き返し、ここに転進してきたそうだ。家をでたのは昨日とのこと。

 秘湯めぐりをするのは旅マニアの若者だけだと思い込んでいたので、老人の愛好家がいておどろいてしまった。しかも都会の物好きではなく地元の方である。参考のためにどこの湯がいちばんよいのか聞いてみると、
「やはりヌップだな」とのこと。ヌプントムラウシ温泉のことである。老人はヌップと呼んでいた。
「ヌップがいちばんだで」
「ほかはどうですか?」
「ほかはそうだな、知床の熊の湯の下の、なんと言ったかな」
「下と言うと、南ですか?」
「そうそう、なんだっけかな、そこもいい」
 老人は名前を思い出せなかったが、羅臼の南にあるのは薫別温泉だろうか、それとも川北の湯か。老人は自分のペースで旅をしていた。格好など気にしていない。このさきどこへいこうかと、そればかり考えていた。この増水では糠平湖の先、沢をあるいてわたっていく岩間温泉もダメだろうし、だいいち然別湖までくだっても、糠平湖への道は通行止めなのだ。ほかに転進するにしても、上士幌をまわらなければならない。どうしたらよいだろうかと聞かれたので、上士幌まわりでいくほかありませんよ、と答えた。

 老人はさきに出発した。ライトバンで砂利道をのぼっていく。私もつづいて出立するが、枝道から道道のジャリダートを4キロはしっても老人に追いつかず、さらに舗装路になって飛ばしても、コーナーの連続する道のさきにライトバンは見えてこない。老人がそんなに速いとは考えられず、老人は通行止めを承知の上で、然別湖にくだったのだと思われた。時間はある人だから、通行止めが解除されるのを待つことにしたのだろう。そのほうがガスもかからないから。

 私は糠平のタウシュベツ橋のかわりにナイタイ高原にむかった。去年も家内と立ち寄ったのだが、時間がなくてすぐに立ち去ったので未練がのこっていた。あの気持ちのよい巨大な広がりのなかで、ゆっくりしたいと思っていたのだ。

 帰りの道道1088号線でも黄金色のキタキツネをみて、朝走ったまっすぐな道を上士幌にもどっていく。R274をはしっていくと大型重機にのった男性が作業をしていた。ツナギ姿で自在に重機をうごかしていて、動作は躍動感にあふれている。北海道では男でなければできない力仕事が眼につく。男が男らしく生きている姿が新鮮だ。大型の農機、大型重機をつかい、そして仕事場は大農場や大牧場、畜舎など。スーツを着て都会のビルにこもって仕事をしている私には縁遠い世界だ。

 左右には北海道らしい風景が連続する。防風林で区切られた、牧草地や畑がつづいているのだ。一枚の畑なり牧草地はたいへんな広さで、どのくらいとは数字であらわせない。私がとらえられる土地の広さの感覚を、はるかに逸脱してしまっている。この広大なとうもろこしやじゃがいもの畑、また牧草地のさきには山がみえる。ときに溜め息がでるほど美しい畑と山と空の組み合わせがあり、周囲は牧場特有の、干草と酸っぱいような匂いにつつまれているが、この香りも、車や電車ではなく、バイクか自転車ではしらなければ感じられない、独特でかすかなものだ。また写真が趣味であったなら、何枚とっても足りないほどの空の諧調のふかさと、作物の色、太陽の光の角度であった。

 まっすぐな道をはしりテントのおいてある航空公園までもどってきた。このさきにナイタイ高原があるので、念のためこのルートを通ったのだが、テントをみると風で飛ばされていてひっくりかえっている。横着をしてペグを打たなかったからだが、キャンプ派としては恥ずかしいことなので、いそいで立て直しにいった。ペグをうちつつ周囲をみると、テントは7・8張りのこっていたが人気はなく、失態は目撃されずにすんだようだ。

 15時15分にナイタイ高原にむけて再出発するが、航空公園から道道にでる道、右にターンして坂をのぼっていくこのコーナーで、苦手の右コーナーを楽々とフルバンクしてきりかえし、自分で乗れているとおもった。こんなに自在にバイクをあやつれたのは久しくないことで、何日間も単車にのりつづけていることがそれにつながっていると実感された。

 ナイタイ高原にのぼっていく。アプローチの道は昨夜の迷走でわかっているので、一直線にむかう。するとツーリング・ライダーがひとりついてきた。後ろのバイクをためすようにスピードを80キロから90キロ、それ以上にあげていくが、後続のライダーはついてくる。たわむれはやめて、速度をほどほどにして気持ちのよい高原道路をすすみ、ナイタイ高原の入口へ左折して大牧場にはいった。

 のぼっていくと景色がひらけ、ナイタイ高原の一部が展開されるが、この下部とでも呼ぶべきところだけでもたいへんな広さである。胸のすくような広大さだ。写真をとりたいが逆光なので、6キロさきにある展望台にむかうが、景色としては入口からはいってすぐのところがいちばんよい。牧場の上部は起伏が大きくなって壮大な感じがなくなるのだ。

 電気柵や大型農機、たくさんの牛たちを見ながら展望台に到着した。ここから高原を見おろすとやはりたいへんな広さだが、巨大すぎて牧場に見えず、ただの山肌のように感じられてしまう。写真の構図としてもおもしろくなく、右にいったり左にあるいたり、上にある動物慰霊塔までのぼってみたりもしたが、よい景色はえられず、高原をくだることにした。

 

 

 ナイタイ高原 日本一周中のカップルにモデルになってもらった

 入口近くの風景のいちばんよいところにもどると馬がむれている。ここでなんとか気に入った写真をとろうとするが納得がいかないでいると、荷物を満載したハーレーのタンデム・ライダーがやってきた。挨拶をかわして話をすると日本一周中のカップルだった。ハーレーを駆る彼は、首都圏を1カ月前に出発して、九州の佐多岬まで南下し、北上に転じて、北海道入りして1週間目です、とのこと。非常に礼儀正しい好青年だ。
「いやー、それはうらやましい」と言うと彼は照れて、
「でも、収入がないですから」と卑下する。
 私はそんなことはどうでもよいことで、旅はできるときに、好きなだけしたほうがよいと思っているのに、
「それができるのも、若いときだけでしょう」と思ってもみない、分別くさいことを言ってしまった。なぜこんな月並みなことを口にしたのだろうか。ただの相槌をうつだけのつもりだったのに。彼らとわかれてからひどく後悔してしまったが、彼は聞きなれたことばをまた言われた、という顔をしていた。

 悔いを引きずりつつナイタイ高原をくだって上士幌の町にもどっていく。ハーレーのふたりに追いついて、セイコマにいく私は彼らと手をふってわかれた。彼らも航空公園でキャンプするものと思っていたが、さきにすすんでいった。セイコマで朝からもっていたゴミをようやく捨て、缶コーヒーとカップめんをふたつ買う。これは帰りのフェリーの食料である。ゴミを捨てさせてもらったので買物をしたのだ。

 キャンプ場にもどり、テントのなかで荷物の整理をしていると、林道ツーリングにパンク修理道具はもっていったのだが、タイヤレバーは忘れていったことに気づき、ゾッとする。パンクしなくてよかったと思うが、しばし脱力してしまった。

 DRのもとにもどるとスズキのオフロード・バイク、DF200の青年がいた。彼は長髪ライダーの仲間だ。昼間すれちがってもいたので、2回会いましたよね、と言うと、そうでしたか、と気づかなかった彼だった。めずらしいバイクなのですぐわかりましたよ、と言うと、人気がないんで、と呟く。それはお互い様だが、彼はDRのシートにたててあるブルー・フラッグを見て、
「フラッグはのこってないんですね」と言う。
「のこっているGSもけっこうありますよ。そんなところは、フラッグあります、と看板をだしてます」
「そうですか。でも、フラッグを集めにきたわけじゃないし」と彼。そうは言ってもフラッグが欲しそうだ。
「よかったら」とフラッグをとって、「これどうぞ」と彼にさしだした。
「え? いいですよ」と断る彼。それはそうだろう。
「私はブルー・フラッグをほかに2本もっていて、これはきよう、林道で拾ったものなので、気にしなければ、どうぞ、ほんとうに」
 と言うと彼はうれしそうに受け取った。フラッグもこれで幸せだろう。

 つづいて昨夜の自分のことばに責任をはたすべく、昨晩道をたずねたエネオスにいく。給油をしながら、昨夜道をたずねたが、満タンでガスをいれることができず、明日入れにいくと言ったので、約束どうりきた、と同年くらいのGSマンに言う。彼は、それはそれはわざわざ、とこたえて笑う。私は、道をきいたのは若いアルバイトらしき青年だったので、礼を言っておいてほしい、とつづけた。私はライダーはいい加減な人種だと思われたくはなかったのだ。筋はとおすのが流儀でもある。また昨夜、上士幌の小娘に卑劣なことをされたので、なおのこと身ぎれいにふるまいたかった。21.17K/L。130円で1813円。

 私の実家にメロンを送りたいと思っていたのでAコープにいってみた。店内にはいって果物をみるが、みやげにおくるような品はなく、外にでてたまたまいた店員にきいてみても扱っていないとのこと。近くにそんな店がないかたずねてみても、思いあたらないとのことだった。上士幌付近ではメロンは生産していないらしい。

 Aコープのまえで店員と話をしていると、250のオフロード・バイクが2台やってきた。東北ナンバーの25くらいのカップルである。ライダー同士なので会釈をすると、
「今夜はAコープで買物して、航空公園でキャンプ?」と話しかけられた。年下で初対面なのにいきなりタメ口である。私は礼儀を知らない者は大嫌いで、ふだんならこの手の人間は相手にしない。カチンときたが、旅先のライダー同士なので、
「ええ、そう」と答えた。
 彼はDRをみて、
「えらい、ごついバイクやね。これ650?」ときく。
「そう」と答えると、
「フリー・ウインド?」とたずねるので、
「もっとずっと古いタイプ。フリー・ウインドよりも、はるかに前だよ」
彼は周辺の林道は走ったかと聞いてきた。明日林道走行をするそうなので、パンケニコロベツ林道は完全に通れないこと。ペンケニコロベツ林道や秘奥の滝へはゲートはしまっているが、鎖がまかれているだけなので通行できること。ヌプントムラウシ林道は走行できるのかもしれないが、通行止めのバイロンがおいてあり私は1キロほどはいって引き返したこと。そして然別湖と糠平湖間は通行止めになっていることなどを教えた。

 私は初対面の年下の人間にもぞんざいな言葉づかいはしないので、彼も私につられて、タメ口と丁寧語のまじった、妙な言葉づかいになるが、私はこんな口をきく人間と話をしたことはない。職場にいる彼とおなじくらいの年の後輩は、恐がって私にはほとんど話しかけてこないほどなので、ギャップを感じる。

 彼は台風のときにはどうしていたのかと聞くので、和琴のバンガローにいた言うと、彼らもバンガローに避難したと語った。命が惜しいので、と大袈裟な修辞をまじえて言う。これから買物をして航空公園にむかうという彼らとわかれたが、スッキリしない後味がのこった。

 すぐ近くにある上士幌ふれあいプラザにいく。役場のとなりにある立派な建物の温泉施設だ。駐車場にはBMWのツアラーがとまっていたので、となりにDRをならべてふれあいプラザにはいる。料金は360円。新しくて清潔感あふれる温泉だった。

 湯船には年がおなじくらいのBMW氏がいた。雰囲気が地元の人とはちがうので一目でわかる。私もそうなのだろうか、一見してわかるのだろうかと考えた。BMW氏もひとりのようだがあえて話しかけたりしない。ゆっくりとくつろいでから風呂からあがり、ロビーできょうのメモをつける。毎晩かなりの分量を書くので時間がかかるのだが、それが好きでやっているのだ。そしてそれをまとめてHPにUPするのもたのしい作業なのだが、こんなに長いものを読んでくれる人はほとんどいなくて、レポートも後半のこの文章を眼にしてくれる方はほんとうに貴重な、稀少な読者なのです。

 メモを書きこんでいるとAコープで会ったカップルがやってきた。会釈をするとよってきて、彼は喋る、しゃべる。彼女は対照的に無口だ。彼はキャンプ場でよい場所をとれなかったこと、蚊にさされてしまったことなどをまくしたてて風呂へいった。どうやら自分のペースだけで生きていて、人のことは考えないようだ。その後もメモをつけていたが、彼が風呂からでてきたので席をたった。

 Aコープにいってきょうの夕食をかう。欲しいのは毎晩でもよい刺身である。主食は持参のそばのつもりで店内をみていくと、ホッキ貝とホタテを格安で販売していた。そこでホッキを3、ホタテを2、タコの刺身と、焼き網をもってきたのにまだつかっていないので、甘塩トラウト一切れとビールを791円でもとめた。

 

 

 航空公園の夕食

 19時すぎにキャンプ場にもどり炊事場でホッキとホタテをさばく。魚や貝をさばくのは自己流、釣り師流である。ホッキは腹の部分を切って内臓をすて、ぶつ切りにするだけ。ホタテもひもをはずして貝柱といっしょにぶつ切りである。切るのはナイフではなく、家庭でも愛用している小出刃だ。ちいさくて携帯に便利だし使い勝手がよい。魚をさばくのは出刃でなければダメだ。ナイフはスマートなのもワイルドなものもあるが、持ち歩かなくなってしまった。

 ホッキが3、ホタテが2、タコもあるのでかなりの量になった。トラウトをあぶって食べだすが、たべきれるのか心配なほどである。キャンプ・サイトに設置されているテーブルにすわり、刺身や焼き魚をつまみにしながら酒を飲み、メモのつづきを書く。DF200氏は長髪ライダーのグループで宴会をしている。トイレにいくときに、こんばんは、と挨拶をして走っていった。駆けることもなかろうにと思っていると、帰りもはしっている。その後も移動はつねにはしっていたので、そうする人のようだ。このグループは夜はいっしょにいるが、昼は別行動のようで、長髪ライダー氏は日が暮れてからおくれて帰ってきた。暗くて道がわからなくなり、キャンプ場にもどるのに迷った、と言いながら。ここはほんとうに夜になるとわかりづらいところだ。

 周囲のキャンパーを酒のつまみにしつつメモをつけていると、あのカップルがやってきた。
「ひとりですか?」と彼が言う。
「ええ」と答えると、私のつまみをのぞきこみ、値踏みするような顔で、
「ホタテにタコ、そばもあるのか。俺らは肉がすこしあるから、なら、いっしょにやりましょか」と言う。損得勘定をした末の結論なのが見てとれて、とてもつきあえないし、彼のことはもう見切っている。
「いや、日記をつけているから」とことわる私だった。「書き終わるまで、まだ時間がかかるんでね」
 ふたりは去っていったがテントにはいると外にでてくるようすはなく、テントのなかで肉を焼いているのだろうかと、いぶかしく思った。私は若いころに年長者にたいして馴れ馴れしい態度をとれなかったので、15も20も上の人間に、自分の都合だけで接するような人の心はつかみようもない。それにもともと、ナイーブな人間としかつきあいたくはないのだ。

 8時すぎにメモは書き終わった。たしかに蚊がいる。このときのために蚊取り線香を持参しているので、火をつけると効果は絶大だった。またあぶった鱒がおいしい。脂がのっていて火にかけるとジュージューと脂がしたたり落ちる。それをつまんで酒を飲めば最高の気分だった。こんなことが最高なのだ。キャンプをして、安いトラウトをあぶって酒をあおれば、一年間仕事で頑張れるほどの、満足感がえられるのだった。

 私のとなりのサイトにいたのは若いカップルだった。彼らは早々にテントにはいったのだが、しばらくたつと低いうめき声がもれてくる。テントの外にいるのは私と、すこしはなれたところで宴会をしている長髪ライダーのグループだけなので、声が聞こえたのは私だけだろう。若いってすばらしい、と思っていると静かになり、テントのなかで事後処理をしているらしい、テント生地表面がさざなみだつのが見える。あんなころもあったなと酒盃をかたむける夜だった。

 冷えてきた。若いふたりもちゃんと服をきないと風邪をひくだろうと、お節介なことを考えて酔っていく。ひとりで酔えば自問自答の世界にはいっていくのみだ。どれだけひとりの旅をくりかえしてきたのだろう。どれだけひとりで酒を飲み夜空の下にいたのだろうか。いつも心にひっかかっていることを自然と吟味することになり、それをずっと考えていると旅のあいだに結論がでるのだ。だれかといっしょならこれほど自分とむきあうこともない。これがひとり旅のよいところだ。

 今夜の結論は自分は変わらないということだった。若いころから私の性格は変わっていない。堅苦しい、融通のきかない、人の好みのはげしい男なのだ。酔えば酔うほどに確信をふかめる。自分が何者であったのかをあらためて知り、来し方に視線をおくり、将来におもいをはせる。自分を見つめるなんて、いそがしくてわすれていた。そのうちに酔いはふかまり、思考力は混濁して、テントにはいることにする。シュラフにはいると暖かく、心地よくて、すぐに眠りにおちていった。

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