9月6日 夢紀行と熊の幻影

 

 

 天塩川温泉キャンプ場の朝 霧が深い

 5時に眼が覚めて5時30分に起床した。寒い、冷えこんでいる。体感的には15℃以下だと思うが、新調したマイナス5℃まで対応のシュラフのおかげで、眠っているあいだは寒さをかんじることはなかった。

 霧が深い。天候は晴れのようだが視界はきかなかった。朝食のラーメンをたべ、連泊するつもりだったが明日は雨とのことなのでやめて、すこしでも予定をすすめられるかもしれないと考え、テントを撤収していくことにする。夜露にぬれたフライシートのあつかいに手こずった。まわりで起きているのは大阪ナンバーのセロー氏(ヤマハのオフロード・バイク)と車の人のみ。ほかのライダーはテントからでてくる気配はなかった。セロー氏が出発したあとの7時10分に霧のなかDRを発進させた。

 当初の予定では朝一番に美深歌登大規模林道にはいり(道北スーパー林道ともよばれる)、この旅の大きな目的地、函岳山頂にたつつもりだったが、この霧である。あとから行くつもりだった宗谷に先にいって、霧の晴れた午後に函岳につくように、コースを逆まわりにすることにした。

 北海道の川らしくゆったりと流れる天塩川にそって北上していく。谷をひとつこえると霧が晴れ、そのさきの谷には霧がたまっている。一谷ごとに霧の濃淡がことなるなかをすすんでいくが、夢のなかをいくようだ。やがて霧は風にふきとばされ、太陽があらわれて、遠別へむかう道道119号線との分岐までいくと完全に晴れた。考えてみると函岳山頂までのぼってしまえば雲のうえにでるので、霧など問題ではない。予定通り走行してもよかったかもしれないが、函岳にいく霧の林道では、警戒心がうすれて森からでてきた熊に会ったかもしれず、どちらがよかったとは言えないのだった。

 バッドボーイに乗った女の子をぬいた。彼女はダッフルバッグをリヤシートにしばりつけていたが、固定のしかたが不安定でバッグがななめにかたむいている。地図をみるためにとまると彼女は先にいくが、GSに入ったところをまたぬいて手をあげて挨拶をかわした。晴れわたった道を快走していくがガスの残量が気になりだした。宗谷岬まで、あるいは稚内市街までもつはずなのだが、このさきは国道はとおらず道道をつないでいくつもりなので不安になる。バッドボーイの女の子が給油をしていたGSを余裕をもって通過したばかりだというのに、つぎにスタンドがあれば入れるにかぎると思うのだった。

 雄信内にホクレンがあったのでバイクをとめた。しかし9時にならないと開店しないとのことことで道道256号線にはいる。北上して幌延の町にはいるとGSがあり、よかったと思いつつ給油をするが、やはりまだ余裕があった。22.37K/L。135円で1661円。このあたりは自民党の武部幹事長の地盤だった。またこのさきでは中川農相の地元もあり、北海道には大物がそろっているのだなと思った。

 幌延から道道121号線にはいった。トナカイ牧場の看板がでている。気温は18.2℃。革ジャンの下にセーターをきていても寒いほどだが、旅のまえに想定した日中の平均気温は15℃なので、そこまで冷えていないことになる。15℃で走っても寒くないように装備はととのえてきたのだ。またキャンプ時の想定最低気温は5℃程度と考えていた。

 

 

 大陸的な風景がつづく道道121号線

 道道121号線をすすむと車が1台もはしっていない道となった。前後をいく車両はなく、すれちがう自動車もほとんどいない。そして左右は丘陵地帯で、開陽台やナイタイ高原、美瑛の丘をはしっているようであるが、それらよりも大陸的なので、モンゴルの草原をいくようでもあった。

 干草の匂いのなかを快走していく。沼川にでるとさらに交通量のすくなそうな道道1119号線をえらんで北上し、突然ひらけてレンタカー会社がたちならぶ、稚内空港の横をぬけて、宗谷岬の南、国道230号線の海岸線にでると、コンブの香りがたちこめていた。

 左手に海をみながらすすみ9時10分に宗谷岬に到着した。昨年はじめて樺太を遠望したが、今年はさらによく見える。沖をみているととなりに東海ナンバーのスズキDR・BIGがやってきた。製造中止になってしまった排気量800ccのビッグ・オフである。これはめずらしいバイクですね、と言うと、それはお互いでしょう、とビッグ氏。でも、DR・BIGには5回は会っているけど、DR650にであったのは2回目だから、そちらのほうがめずらしいですよ、だって。私は自分以外のDR650を新旧を問わずに見たことはないので、たしかにそのとおりだろう。

 BIGははじめてみるカラーリングなのでそう言うと、これは最終型でめったにないカラーだそうで、これまためずらしい。ビッグ氏とは一時別れて、お互い宗谷岬の写真をとったりする。私はバス停にいってみた。昔の思い出があるので。小さな平屋のバス停のなかには、昔とおなじく旅人ノートがおいてある。ノートは3冊あり中をのぞいてみたが、旅人ノートは今も昔も変わらない印象だ。壁には宿泊禁止のはり紙があり、今も昔も若い旅人の考えることはおなじだが、1980年代は宿泊禁止とは書いていなかったと思うのだが、どうだろう。

 バイクのもとにもどると、DR650とDR・BIGがならんでいるのはめずらしいから、写真をとらせてくれとビッグ氏が言う。どうぞ、と答えていろいろと話すと、ビッグ氏は刀も所有していて、昨年は刀で北海道にきたそうだ。スズキ党ですか? と聞くと、うーん、と考えるが、たしかにハスラーも持っていて、スズキ3台とヤマハを1台保有しているが、スズキ党と呼ばれることには抵抗があるようだ。それぞれのバイクが好きで所有しているだけで、メーカーにこだわっているわけではないと言いたいようだった。

 ビッグ氏は、刀よりも積載量があるので今年はBIGできたそうだが、荷物が多いので林道は走らないそうだ。私は走ってますよ、と言うと、たしかに走った跡がありますね、と昨日の物満別林道を走行してはねた泥のあとを見ていた。泥はフェンダー、エンジン、アンダー・ガードにはげしく付着している。

 これからどうするの? と聞くと、網走まで300キロなので、きょうはそこらへんまで考えている、とのこと。あなたは? とたずねられたので、これから宗谷丘陵の林道にはいり、さらにケモマナイ林道、道北スーパーを走行する、とこたえると、また、うーん、とうなっていた。オフロードバイクをビッグとハスラーの2台も所有しているくらいだから、ビッグ氏も林道が好きなのだろう。

 10時30分にビッグ氏とわかれて宗谷岬から旧海軍望楼にのぼっていき、宗谷丘陵に浸透していく。すぐに丘陵地帯となり、牧場がつづいて家畜の屎尿の臭いがする。それもすぐに切れて、丘陵を牧草地にした土地となり、日本とは思えない丘の連なりがあらわれた。

 

 

 宗谷丘陵

 丘陵の川がながれているような低地の部分は、人の手がくわえられずに潅木がのこり、ほかは開拓されて牧草が植えられている。すすんでいくとそれもしだいになくなり、原野となって、熊笹と灌木帯になり、やがては森林帯となった。道は舗装されているがオホーツク方向は通行止めと看板がでていた。

 森林帯をすすんでいくと道はT字路にぶつかり、左のオホーツク方面は警備員がたっていて進入できない。右にまがるほかなくてすすむと、舗装直前の、整地もおわりアスファルトを敷くだけになったジャリダートとなった。走りやすいので70キロで走行する。もっと飛ばそうかとも考えたが、このスピードで転倒するとひどいことになるので自重しておいた。

 ここが日本最北端の林道だろうが、もうすぐなくなってしまいそうだと考えながらすすむと、工事のはじまっていない、狭くて荒れた本物の林道になった。この林道は3キロほどの短さでおわり、すぐに道道1077号線に接続する。この道をすすむと宗谷岬へ北上したときにつかった道路にでて、ついさっき走った道を逆方向に南下していく。朝とおなじルートではおもしろくないので、道道121号線をえらんで南にいくが、こちらは道道1119号線よりもだいぶひらけていた。

 沼川までもどり道道138号線にはいってオホーツクの浜鬼志別にむかう。交通量のほとんどない快走路をすすみ、浜鬼志別ではDRの走行距離が3万キロに到達した。15年で3万キロである。あまりにも乗っていないなと反省しつつ走ると、気温20℃と表示されていた。オホーツク海にぶつかり海岸線の国道238号線にはいって南下すると、道の駅『さるふつ公園』がある。ここで昼食をとることにした。

 

 

 考えてみると朝はインスタントラーメンで、昨夜はざるそばだったのだ。しっかりしたものを食べようとメニューをみて、いちばん高くて豪華な料理、さるふつA定食1575円を注文する。窓際の席でメモをつけていると、待つこともなくすぐに料理がはこばれてきた。名物のホタテ、サーモンの刺身にてんぷら、焼き魚にカキフライ、鳥の塩焼きまでついていて、食べきれるだろうかとあやぶんだが、けっきょく完食してしまった。

 ここのレストランは近くのホテルが運営していて、ツアーの団体客が利用する大規模な店舗だった。レストラン内では稚内空港に予約客が何時について、どのくらいあとに何人到着する、という放送をながしては、席と料理の準備をくりかえしている。どうりで私の注文した定食もすぐにでてくるわけである。そして観光バスでやってきた団体客に、天然のホタテが猿払の名物で、刺身は天然です、と説明している。天然と養殖ではブロイラーと地鶏ほどちがいます、と言っていたが、たしかにホタテの刺身はコリコリとしていて甘味のおさえられたものだった。

 食事に満足して12時20分に道の駅を出発した。つぎはTMに、湿地帯なので天候によっては通行止めになる、と書かれていて興味をひかれた、浅茅野から分岐する道道732号線にいってみることにする。猿払川ぞいの道道の周囲に、湿地帯がひろがっているようなのだ。国道から道道にはいるとすぐにジャリダートとなった。舗装路だと思いこんでいたので意外だったが、あとから確認すると、TMにはまちがいなく未舗装路としるされていた。湿地帯とのことで、サロベツ原野にある沼と湿地のようなところかと想像していたが、まったくちがう風景だった。ここは草の生い茂る原野で、木もはえていて、湿地というよりも乾燥した草原のような印象だった。


 

 水深計がある湿原の道

 草の繁茂する原野の道をいくと、ときおり回転灯のついた鉄柱がたっていて、柱には水深計がつけてあり、とまってよくよく見てみると、道が冠水、水没したときには、水深計をみて通行可能か判断せよ、と書かれている。水深計は1・4メートルもきざんであり、乾燥している現在、水がこんなにでることは考えられず、びっくりしてしまった。よほど水はけの悪い土地のようだ。水のでているときにはいりこんだら、進退がきわまってしまうだろう。

 この湿地をいくダートは上猿払まで17キロとのこと。ストレートで見通しもよく整地されているので飛ばせる。トップギヤにいれてガンガンはしった。スピードは80キロをオーバーする。調子にのって走っていると路上に黒い物体があり、よく見るまでもなく熊のフンだ。しかも2ヶ所にありびびってしまう。周囲に人家はないが、山のなかというわけでもない湿地の原野に、熊は生息するのだと知った。それにしてもヒグマのフンははじめて見た。ツキノワグマのフンは栃木県奥鬼怒林道の枝道でみたことがあるが、ヒグマのものは一段と黒々としていて、大きい。ただフンだけならいいのだが、姿をみたりすることは絶対に嫌だった。

 13時10分に道道84号線の舗装路にでた。この湿地帯はただジャリダートを飛ばした印象だけがのこった。道道84号線をつかってオホーツクの海岸線にもどっていく。思ったよりも大きくて水のきれいなクッチャロ湖のよこをとおり、オホーツク海ぞいを走る国道238号線にもどって浜頓別についた。

 つぎはケモマナイ林道にはいろうと、進入口をさがしつつR238を南下していく。標識や看板がでていなくてわかりづらいが、民家のよこをはいる道がそうだろうかとあたりをつけていってみる。入口には、海を育てる森、という趣旨の広場の案内がでていたとおもう。はいっていくとすぐに砂利道となり、内陸にむかっていくのでまちがいなかろうと思うが、分岐があってどちらにすすんだものだか判断がつきかね、道の荒れのすくないルートをえらんでいく。すると前述の海を育てる森の広場にでるが、手入れはわるくて雑草が生い茂っている。広場をすぎて沢にそってしばらくすすむと、ロープのはってある通行止めとなった。


 

 ケモマナイ林道

 ならば分岐でまよったもう一方の道だったかともどっていくと、錆びついて字もよく見えなくなった林道看板があり、ケモマナイ林道と確認することができた。もう一方の道にはいっていくと、砂利道が雨水のながれで掘れてしまっていて荒れており、ところどころジャリの浮いているルートとなった。走りづらい急坂をのぼっていくと、荒れた段差でフロント・タイヤがすべり、バランスをくずして転倒しそうになった。一瞬、転倒を覚悟した。しかし、こんなときは必ずでる、必殺の右足地面キックがでて立ち直り、転倒をまぬかれることができたが、あぶなかった。

 荒れた林道を慎重にすすんでいくと、さっきとおなじロープの通行止め地点にでた。分岐のどちらをいってもおなじところにでるのである。ほかにも枝道はあるのだが、本道とは思えないものだったので、ケモマナイ林道はあきらめることにした。

 ケモマナイ林道から国道にもどると、休憩をかねて職場に電話をいれてみた。いくら休暇中とはいえ気になることもあるのだが、私がいなくとも業務は平穏にながれていて安心した。

 いよいよ道北スーパー林道にはいることにして南進していく。オホーツクをくだっていくと、また革ジャンの胸に、こんどはスズメバチがぶつかって、前方に数瞬はねとばされ、後方に飛び去っていく。虫が胸にあたった瞬間、アナログの視界がデジタルのコマ送りに切り替わって、スズメバチが前方にはじきかえされる3コマの画像が、あざやかに視野に焼きついた。防寒のためもあるが、北海道ではスズメバチよけの意味からも、革ジャンが必需品である。襟元もしっかり閉めておかなければ、どんな虫がとびこんでくるのかわかったものではない。

 気温は23℃に上昇した。宗谷周辺の道北地方では、この時期に川を遡上するサケ・マスが見られるとのことで、川があると注意していた。そして通りかかった徳志別川の河口を橋をわたりながら見ると、サケが川のなかからジャンプして、空中をとんだのがみえた。すかさずバイクをとめて見物にいってみると、橋の下にたくさんにサケがあつまっているのがわかる。テレビでしか見たことのない光景だ。橋の上流と下流では断続的にサケがジャンプしている。魚体全体が空中におどりでるダイナミックな跳躍で、サケの膂力に感心した。

 しかし川の底には、ヒグマにかじられたサケの死骸がいくつも沈んでいて、ここは市街地だというのに、このあたりにも熊は出没するのだろうかとびびってしまう。上流で食べられたものが流れてきたのかもしれないが、ほんとうのところはわからない。2001年のツーリングでは道南の江差のすぐ北で、市街や海岸にまで熊がでると聞いたことを思い出した。

 サケに別れをつげてはしりだし、長距離林道の道北スーパー林道にはいるので、枝幸のホクレンで給油をした。21.43K/L。131円で1691円。スタンプをおしてもらえますか? と年配のGSマンにいうと、ハイどうぞ、と青旗をくれた。耳が遠いのだ。それでも道北スーパー林道の入口、風列布林道の入口を地図をしめしてたずねると、林道はフーレップ川にそっているので、川の横から入るのだと教えてくれた。大声で。

 スタンプに心をのこして出発し、GSマンの言うとおり川のよこに入口をみつけて、風列布林道にはいっていった。しばらくは舗装路がつづくが、道は左に直角にまがり、まっすぐ行くのが砂利道の風列布林道なのだが、アスファルトの町道のほうが立派で、つい舗装路にいってしまう。しかしすぐに気づいてもどり、狭いジャリダートをすすんでいった。

 風列布林道は道道120号線にでるまでジャリダートが17キロつづく道だ。一部には深ジャリもあったがおおむね走りやすいルートで、たとえるなら軽でもはしれる。オンロード・バイクでも十分走行できる道だった。

 道道120号線にでると天の川トンネルをぬけて北へいき、すぐに川ぞいをはしる美深歌登大規模林道にはいった。スタート直後はハイ・スピードではしれるジャリダートである。沢のよこをいくが、この川は岩魚や山女の釣れそうな、じつによい渓相をしていると思っていると、ここはさっきサケが河口でジャンプしていた徳志別川の上流部なのだった。

 いくら魚が釣れそうでも、熊がこわくて釣りをする気にはなれない。走りやすい高速ダートをすすんでいくと、やがてアップダウンがきつくなり、道は荒れて、ジャリも深くなってきた。もはや飛ばすどころではなく、林道のなかにルートをえらんで慎重にすすんでいく。切れ込もうとするハンドルをおさえつけ、肩に力をいれ、奥歯をかみしめて荒れた林道をいく。雨水のながれで掘れてしまったのぼりの道をノロノロとすすみ、やはり荷物をおいてくればよかったと後悔しつつ、運動性能のおちたバイクを運転し、熊のこともわすれて17キロすすみ、加須美峠には16時35分に到着した。この林道はオンロードでは無理だろう。道もかなり掘れてしまっているので、車でも車高のたかいジープでなければ苦しいと思う。むろんこれは私が走ったときの印象だ。林道は定期的に整備されるだろうから、その表情が変化することは言うまでもないことである。

 ようやく峠となり急坂だった道も平坦になって、肩の力をぬいて安堵しつつすすんでいくと、『熊注意』の看板がいくつもでていた。遭難多し、熊多し、15時下山励行、と書かれていて、熊の気配は感じられないが、看板のことばに恐怖心を触発されてしまった。

 15時下山励行と言われても、いまは16時35分。夕刻になりつつある。しかもこのさき、レーダー林道に進入して、10キロ先にある函岳山頂にはどうしてもいってみたい。『毎年多数の行方不明者がでています』。看板のことばに恐怖心があおられる。『15時下山励行』。函岳山頂が今回の旅の目的のひとつなのだ。熊はこわいが、いま諦めたらつぎはいつ来ることができるのかわからないので、覚悟をかためていくことにする。加須美峠から分岐する函岳レーダー林道の入口にはゲートがあり、開いているが人気はない。ゲートの手前には入山ポストがポツンとたっていた。

 人も動物の姿もない深山は静まりかえっていた。レーダー林道にはいっていくと、でだしは森のなかをいくルートで、ここにいきなりヒグマのフンがあった。しかも2個も。それも新しいものだった。数時間前、湿地帯の原野でみたフンは、すくなくとも半日はたっていそうなものだったが、このフンはほとんど時間がたっていないようで、1時間はすぎていないものと思われた。

 恐怖心が一気にピークになる。熊の気配におびえつつ、クラクションを鳴らしながら森のなかをすすむ。やがて森林帯をぬけて左右がひらけた。道は深ジャリでハンドルをとられるが、時間におわれ、熊の幻影におびやかされて飛ばしてしまう。深ジャリのダートをハイ・スピードではしり、コーナーにはいると、フロント・タイヤが深ジャリのなかをアウトにながれだし、道からとびだしそうになってしまった。これはいけないと速度をおとすが、しばらくたつと、またギャップにかまわずアクセルをあけていて、あばれるバイクを力ずくでおさえつけて全力で走ってしまっている。

 もしもここで転倒したら、DRをすぐにおこすことはできないのだ。荷物を満載しているので、アスファルトの上であっても重くて引きおこすことはできず、しかもここは深ジャリで、タイヤがすべり、苦労するのは必定である。転倒してしまったら、一度すべての荷物をおろしてからバイクを引きおこし、そのあとでまた荷物を積みなおさなければならない。

 人がひとりもいないこの山奥で、熊におびえながらそんなことをするのはご免で、ようやく冷静になってアクセルをもどした。ずっと見えているのになかなか近づかない函岳山頂のレーダー下には、16時50分にたどりついた。10キロは15分の道のりだったが、15分がこれほど長く感じられたことはない。この林道は飛ばさなければおだやかな道で、オンロードでも十分にはしれるものだった。

 

 

 函岳山頂 

 バイクをおりて景色をながめるとたしかに絶景だった。日本海側には利尻富士が見え、オホーツク側にも山々がつらなっている。レーダーの下は広場になっていて、登山避難小屋の函岳ヒュッテが無人でたっていた。ゆっくりと景色をたのしみたいのだが、人気のない山頂では落ち着いていられない。ここは人間よりも熊のほうがおおい、ヒグマの領域なのだ。暮色が濃くなってきてDRの影も長くなっている。人のいないヒュッテも不気味だが、なにより熊がおそろしい。山頂からの写真を数枚とって早々に走りだした。

 

 日本海側の景色 利尻富士を遠望する

 

 オホーツク側の景色

 いまやってきた10キロのジャリダートをもどっていく。全体に深ジャリで、ジャリのなかにタイヤがもぐっているような感じではしるが、こういう道は手ごたえがダイレクトではなく、バイクでジャリのなかを泳いでいるような、からまわりをしているような、妙な走行感だ。ころばない程度に飛ばしていくが、左右にひろがる熊笹のかげに、熊がひそんでいそうで気味悪かった。

 加須美峠までもどっても、美深にくだる道は17キロの林道である。暮れていく林道では熊にあう確率がたかまるだろうから、気がせく。ヒグマのフンがあった付近は、手前から盛大にクラクションを鳴らして一気に通過する。このあたりだけ森林帯になっていて、いかにも熊がいそうだし、フンの大きさからみてもかなり大型の個体だと知れて、そいつと遭遇することは絶対に嫌だった。

 17時05分に加須美峠にもどり、少々ほっとしつつ美深への林道をくだっていく。カーブの先や陽の暮れかたに注意をはらいながらすすんでいくが、道は安定したジャリダートで飛ばせる。となるとアクセルをにぎりなおし、スピード・アップしてガンガンと走りだす。ハイ・スピードでダートを走っているとたのしくて我を失いそうになるが、ヘアピン・カーブの手前ではクラクションを何度も鳴らして熊よけをする。アクセルを大きく開閉し、ギヤチェンジをくりかえして、林道をかけぬけていくと、カーブのさきをキタキツネが1匹、路上から森のなかへ逃げこんでいった。

 17時35分に17キロを走りきり舗装路にでた。バイクをとめて一息いれる。ダートを17キロ+17キロ+10キロ+10キロ+17キロの71キロ走行したが、1台の車もバイクにも、人にも会わず、出会ったのはキタキツネ1匹とヒグマのフンだけだった。もっとも気づかなかったのは私だけで、何頭かの熊は近くにひそんでいたのかもしれないが。

 舗装路を美深にくだっていくとまたキタキツネがいるが、キツネは人里にちかいのほうが多いようだ。やがて国道40号線にでた。この分岐には美深歌登大規模林道を紹介する『ライダー・コース』の看板がでている。この長距離林道はたしかにライダー・コースだ。4駆でも一部手こずるだろうがオフロード・バイクでならたのしめるはずだ。念のために記すと荷物はないほうがいいだろう。キャンプ道具を満載して走るのは苦しい。

 すでに夕刻をむかえているので、いちばん近い森林公園びふかアイランドでキャンプをすることにした。今朝はしりだしたときにはもっと南にいくつもりだったのだが、考えていたほど予定をすすめることはできなかった。昨夜とまった天塩川温泉から30キロしかすすめなかったことになる。これならばテントを撤収して荷を満載してはしったりせず、すなおに連泊したほうが利口だったが、これは結果論で、1日走ってみなければわからないことだった。

 キャンプ場にむかい、途中で店があれば買物をしていこうと思うがなにもなくて、R40を北上するとすぐに道の駅びふかがあらわれ、この裏にびふか温泉とキャンプ場はある。キャンプ場につくと受付をしてくださいと入口に書いてあったので、管理棟にいってみると、首都圏ナンバーの250スクーターの青年といっしょになった。受付はもう閉まっていて、あすの朝清算すればよいとでていたので、私はテントの設営をはじめたが、スクーターの青年は律儀にもおなじ敷地にあるびふか温泉まで歩いて、料金200円をはらってきたと教えてくれた。

 私もさっそく料金をはらいにいき、宿泊者名簿に住所・氏名を記入した。(翌年の元旦にびふかアイランドから年賀状が届いてびっくりした。こんなキャンプ場ははじめてで、やる気があるなと感心し、これから近くにいったときは必ず利用しようと思った)。

 テントにもどり、これで心おきなくキャンプができますよ、とスクーター氏に礼を言うと笑っていた。彼は転職する機会をつかって旅にでたそうだ。つぎの仕事につくまでになんとか時間をつくったのだ、と。そして、20代最後で独身なのでこられた、と。結婚したいたらこんなことできませんよね、とつづけるので、私は結婚しているし、高校生の息子もいるけど来てますよ、と答える。すると、どうやったら来られるのですか、と聞く。
「家内にいろいろと貢物をして、ゆるしてもらったのです」と秘訣を伝授した。
 家内はあれが欲しい、それともあっちがいいかしらと迷っていたが、最終的には食器洗浄機が献上されることになった。私のポケットマネーからである。痛い出費だった。

 スクーター氏は、そうですか、結婚していても来られるんだ、と呟いていたから、彼も相当のキャンプ好き、北海道好きのようだが、結婚する相手がいるようだ。

 テントをたててシュラフをひろげ、キャンプの準備がととのうと美深の町に夕食の買物にでかけた。町にはいっていくと道北ラルズというスーパーがあったのでそこにはいり、100円引きで580円になっていた刺身の盛り合わせと、インスタントラーメンやざるそばの友のネギを100円、のどごし生を165円で買ったのは18時53分で、16℃と表示されている国道をキャンプ場にもどっていった。

 買ったものをテントにいれると風呂にはいりにいく。入浴料は300円と安い。ゆっくりと湯船につかり、ロビーのソファにすわってメモをつける。時間をかけて日記を書き、20時25分にテントにもどると、スクーター氏はテントのなかで彼女と電話ではなしているようだ。どうりで結婚したらツーリングには来られないと言っていたわけである。若いってすばらしい、と思うと微笑がもれた。

 

 

 美深の夜の友

 テントにはいってラジオをつけ、刺身で一杯やりだす。家内に電話をかけると明日は台風接近で雨とのこと。大雨確実、と。どうするの? ときかれ、十勝周辺の林道をはしってから屈斜路湖の和琴半島にいくつもりだったのだが、滞在することが目的の和琴に避難して、台風をやりすごそうと思う、とこたえた。これはきょう1日はしりながら考えていた台風対策だった。

 刺身は量があったしビールものんだので、主食のそばをゆでることなく、ひとり宴会をおえて眠りについた。

                         502.2キロ  これは走りすぎだ。

  

 

 

 

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