2009年5月 浜名湖・鳳来寺山ツーリング

 

 東名富士川SAより富士をのぞむ

 

 よく通るのにその先が目的地で、しばらく訪問していない観光地があるものだ。そこだけでも魅力的なのに、時間があれば寄りたいのに、それができないところ。それが浜名湖だった。もともと静岡や愛知などには縁が薄く、ツーリングにいったことは数えるほどだ。その浜名湖をたずねてみようと考えて周辺を見てみると、以前から気になっていた古い霊場の鳳来寺山がある。ここと浜名湖のうなぎに目的を定めて、ETC1000円を利用してキャンプ・ツーリングに行くことにした。

 

 横浜の港北PA 後ろの車はデイトナとBB

 

 ETC1000円を利用するには東京圏を避けて、東名なら厚木からのらなければならない。しかし一般道で厚木まで走っていられないから用賀から東名に入った。横浜の港北PAに朝食に立ち寄るとーー港北うどん380円なり、味は書かないーー懐かしいフェラーリ・デイトナとBB、それに最新のフェラーリもやってきた。東名はGWの殺人的な混みようから一変して空いている。快晴の空の下、気分よく西へ走っていった。

 富士山が大きく見える。東名を走るのは夜ばかりだったから、この風景を見るのは初めてかもしれない。きれいな富士山を眺めつつ90キロから110キロで巡航する。我がDRは100キロで走行しているとキャブが咳き込んだようになり、ガス欠のようにギクシャクする癖があるのだが、そこからアクセルを開けるとエンジンは安定するので、スピードをのせたまま走行車線と追い越し車線を行ったり来たりしてすすんでいった。

 富士山が美しいと評判の富士川SAで休憩する。それがトップの画像である。ここで給油をして、浜松西ICで高速をおり、浜名湖の南端の弁天島付近と、奥浜名湖の舘山寺温泉あたりをまわろうと考えて走りだす。その浜松西ICに近づくと1キロ渋滞しているとでている。ここで高速をおりる車で混みあっているので、ひとつ先の三ケ日ICまでいって東名をおりた。料金は1600円である。

 

 浜名湖で潮干狩りをする人たち 奥の橋の下にも人がたくさん

 

 浜名湖の西側をまわりこんでいく。浜名湖の北部は人家などが少なくてよい雰囲気だ。南にすすむと湖西町となり、やがて南端の弁天島に近づくと潮干狩りの人たちで混んでくる。時間がちょうどよい頃合だったのか、夏のような陽気に誘われたのか、ものすごい人が出ていて、駐車場に入る車が行列し、海を見れば、こんなにたくさんでやっているの? そんなに貝はいるの?、と感じるほどのにぎわいだ。潮干狩りが皆好きなんだ、潮干狩りは浜名湖の文化かもしれない、と考えてすすんで目的のうなぎ店にむかった。

 

 うなぎ専門の店 志ぶき

 

 店はTMにも紹介されている舘山寺温泉にある『志ぶき』である。店に入ると座敷の一席を残してほかの席はすべて埋まっていた。ひとりなので相席になるのかと思ったら、座敷の4人席にどうぞ、とのこと。4人席にひとりなのは悪いと思い、贅沢だと感じたが、いちばん高い大名御膳3500円を注文した。すぐに客がやってきて入口で待ち始める。4人席にひとりというのは待っている人にも悪いが、調理に時間がかかるから、これでいいのだと後でわかった。

 

 う巻き

 

 料理が出てきたのは50分後だった。まずう巻きがきて、その後でほかのものが一気に運ばれてくる。蒲焼に白焼き、肝焼きにう裂きに酢の物、肝吸い。いずれも美味しい。なんと言っても蒲焼がいちばんだが、食べきれないほどのボリュームで、品数を考えると安いくらいだと思う。だからこれだけ混んでいるのだ。

 

 大名御膳 

 

 うなぎを2匹分使っているという料理をなんとか完食して店をでると、店内だけでなく外まで行列ができていたが、その人気に納得であった。食後は三方原にいってみた。言わずと知れた徳川家康と武田信玄が戦った古戦場だが、史跡があるのかと思ったら何もなく、周辺を走ってみたが、いまは住宅が建ち並んでいてイメージとちがっていた。

 その後は浜松の街にいってみた。じつに大きな街だ。何年も前に来たことがあるので、そのときの記憶をたよりに市街地を見てまわり、夕刻が迫ったのでキャンプ場にむかうことにする。今夜の野営地は『てんてんゴーしぶ川キャンプ場』である。鳳来寺山の南の渋川という地にあるからこの名前だが、てんてんゴー、はどういう意味なのか聞くのを忘れてしまった。昨日、念のために電話を入れておいたのだが、利用者は少なくて、寂しいですよ、とのことだった。

 浜松の北、国道257号線をいき、金指駅近くのスーパーに入り食材を物色する。海が近いのに魚で良いものがない。そこで豚肉と海老とイカを焼くことにして、今回は米も麺も持参していないので、パンといっしょに購入した。

 

 てんてんゴーしぶ川キャンプ場のサイト

 

 キャンプ場は買物したスーパーからすぐだった。国道から県道に入るがわかりやすいように看板が出ているから迷うこともない。キャンプ場についたのは17時20分である。ここはバイクのトライアルのコースがあって、ライダーがふたりいたが、今夜キャンプするのは私だけで、後は遅い時間にバンガローに泊まる人たちが来るだけとのこと。入村料の210円とキャンプ代1050円、それに近くにある温泉は立ち寄り湯ができないとのことで、300円で風呂も使わせてもらうことにした。

 

 サイトからの風景

 

 ひとりの貸し切りだからどこでも好きなところにテントを張ってくれとのこと。サイトにいってみると広場があって、その上は山になっていおり、高いところにもサイトがある。見晴らしがよいほうが気分がよいから、高い位置にテントをたてることにした。

 まずすぐ下の集落でビールを買ってきて、シュバ、グビビッ、とやりながらテントを張る。マットやシュラフもひろげて、食事の準備もととのえておき、風呂にいく。管理棟にある必要にして十分な風呂で汗をながし、食事をはじめた。

 

 今宵の夕食

 

 肉と海老とイカを焼くだけだから簡単だが、熱々で美味しい。あまりに美味しくて、口のなかを火傷してしまったほどだ。暮れ行く景色をながめながら酒を飲み、食事をとって気分は最高だが、蚊がいる。今年はじめての蚊だ。蚊を追いつつ食事を終えると、テントに入ってラジオを聞きつつ今日のメモをつける。電波状況が悪くてラジオがよく聞こえない。林では梟が鳴いている。野営の夜を楽しみつつ酒を飲んでいると21時過ぎには眠ってしまった。

 

 

 翌日は4時45分に起床した。涼しいのでサマーセーターを着て朝食のうどんの用意をする。食事をして撤収を開始するとセーターはいらなくなった。

 

 県道をつないで愛知県新城市に入った

 

 6時10分に出発した。目指すのは北にある鳳来寺山だ。県道をつないでいくが分岐が多くてわかりにくいし、道は舗装林道のように狭い。一度道を間違えて林道にでたりしたが、山間の集落を見ていると、私は田舎暮らしはできないなとつくづくと思った。そんなことに憧れたこともあったので。

 国道151号線にでて鳳来寺山パークウェイに入る。8世紀創建だという鳳来寺を見学したいと思ってすすんでいくと、鳳来寺に近い有料駐車場につづく道が閉鎖されている。ゲートが開くのは8時で今は7時。1時間もある。どうしようか、鳳来寺を諦めて先に行ってしまおうかと迷うが、次にいつ来られるのかわからないから、とりあえず先にすすむと、鳳来寺の表参道があると表示されているので、そこへ行ってみることにした。

 

 鳳来寺の参道

 

 歴史を感じさせる、狭い参道をいく。朝早い時間だったから参道の階段下までいけたが、観光客がいる時間では無理だっただろう。表参道は何千段もの階段で、とてもここを行く気にはなれない。写真をとって引き返したが、ここは霊場であると同時に登山の人気も高いようだ。

 地図を見たりメモをつけたりして時間をつぶし、7時45分にゲートにもどるとチェーンははずされていた。さっそく有料のーーバイクは200円ーーの駐車場にすすむ。10分で東照宮、15分で鳳来寺と聞いて歩きだした。

 

 鳳来寺の東照宮

 

 徳川家康の母がここで子供が授かるようにと祈って生まれたのが家康とのことで、東照宮があるのだそうだ。つづいて鳳来寺の本堂にいく。本堂は鉄筋コンクリート製の新しいもので風情がない。その奥には昔の本堂などがあるが、こちらは朽ちかけていて、屋根には雑草が生えて倒壊しそうになっている。古い僧坊や宿坊なども放置されて倒壊しているものもあり、衰退し、荒れている印象なのは歴史があるだけに残念だった。

 

 雰囲気のある境内の道

 

 織田信長と徳川家康の連合軍が武田勝頼の騎馬軍団を鉄砲で打ち破った設楽原の古戦場にむかう。設楽原なので設楽町へ行くと、これはまったく方向がちがうところだった。進路を修正して南下するが、この奥三河は山が深く、川もきれいでよいところだった。

 

 四谷の千枚田

 

 千枚田が5キロ、と看板がでていたので立ち寄ってみた。四谷の千枚田である。気まぐれで寄ってみたのだが、一目見て絶句してしまった。こんなに大きなものとは思いもしなかったのだ。観光客も少なく、あまり知名度もないようだが、ここは穴場だった。写真の上のほうにもバイクでいってみて景色をながめたが、道が狭いので車はとめられない。自動車はこの画像の背後に駐車場があり、そこに停めることになっている。

 

 設楽原に再現された馬防柵

 

 設楽原歴史資料館へいく。合戦にいたるまでの当時の徳川と武田の状況説明や合戦のようす、そして鉄砲、甲冑の展示などがある。興味深く見学し、屋上にのぼると設楽原を見渡すことができる。馬防柵や首洗池、千人塚ーーすごい名前だーーなどが見えるので見にいってみた。戦死者を葬ったという信玄塚の近くにも住宅があったりするが、三方原よりも古戦場を感じられるところである。馬防柵を見学して往時の激戦をしのぶが、イメージとしては設楽原はもっと山梨に近いところなのだと思っていた。事実は勝頼が三河深くに攻め入って敗れたのだが、城を盗ったりとられたりを繰り返していたから、いずれにしても雌雄を決するときがきたのだろう。そして勝頼は、先ほど見てきた鳳来寺山方向に落ちていったとのことだが、ここから甲斐は遠い。

 

 豊川稲荷の山門

 

 豊川稲荷に行く。有名な稲荷なので一度たずねたいと思っていたのだ。着いてみるとバイクは路上駐車できそうだったが、ライダーはひとりもいないので、そうすることは躊躇われ、300円を払って駐車場にとめることにした。山門前の店を見ながら歩くと思ったよりも賑やかではない。これでは川崎大師のほうがはるかに門前町は大きい。その参道を歩いていると、80を過ぎた品のよいおばあちゃんが、お食事は如何ですか、と言う。80過ぎの看板娘だ。これは反則技だと思う。おばあちゃんに言われたら、考えちゃうよね。帰りに寄ろうかと思って稲荷にいくが、稲荷だけにいなり寿司が名物のようだ。

 

 豊川稲荷の本堂

 

 山門をくぐるとさすがに大きな堂宇が建ちならんでいる。画像の山門の奥に、今川義元が寄進した山門もあり、法堂、本堂もじつに堂々たる建物だった。

 

 うなぎまぶしいなり寿司ときしめん

 

 さて名物のいなりずしときしめんを食べようと考えて門前町にもどっていく。するとまたあのおばあちゃんがいて、強い日差しの下を日傘をさして路上に出てきて、お食事をどうぞ、と言う。向かいの店の看板娘は50くらいの女将さんで、やはりこちらにと誘われたし、おばあちゃんの店はうなぎ屋なので、うなぎは昨日目一杯食べているらやめようかとおもったのだが、いろいろあるそうなのでおばあちゃんの店にとおった。頼んだのはうなぎまぶしいなり寿司ときしめんの1200円である。ふつうのいなりでよかったのだが、せっかくなのでこれにしてみた。味はとても美味しく、いなりのご飯にいろいろと混ぜてあって凝っているし、きしめんの出汁もよかった。そしてうなぎは熱々で、美味だったがまた口のなかを火傷してしまった。

 

  駒角PA すぐ横に喫煙コーナー

 

 そろそろ帰ることにして豊川ICから東名に入った。順調に走行していくと秦野中井ー厚木間が事故渋滞しているという。15キロ渋滞とのこと。その手前の駒角PAで休むことにするが、2輪の駐車場のすぐ横に灰皿がおいてある。タバコを吸っている人の横にバイクをとめるようになっていて、これには頭にきた。後日NEXCO中日本に電話をして抗議をするとーーフリーコール0120・922・229ーー貴重な意見として受け止め、善処します、とのこと。いつまでに直すとはいえないとのことだが、狭いPAなので少数派で文句になさそうなバイクコーナーの横に灰皿を置いたのではないのか、と問うと、そうかもしれません、との率直な答えが返ってきた。いずれにしても数ヶ月して善処されなかったらまた電話しないとならない。そうでないとここはバイクコーナーではなく、喫煙コーナーに成り下がってしまうから。じっさい4・5人で吸われるとたまらない。

 用賀で東名をでると料金は行きと同じ1600円だった。ETCは安い。癖になってしまう。

 

 

 

 

 

 

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