2011年 北海道ツーリング 1日目 新潟から北海道へ

 

 雨の関越道

 

 深夜1時に眼が覚めた。テレビの台風情報を見ると台風はまだ高知沖にいる。この台風は動きが遅くてたいへんな影響をうけた。大洗ー苫小牧便のフェリーが土曜日、日曜日と連続で欠航になってしまい、これまで使ったことのない新潟便で北海道にわたることを余儀なくされたのだ。その新潟ー小樽便の運行状況を確認すると、問題なく出航するとのこと。フェリーが出てくれるのか一抹の不安を感じていたので、これでやっと安堵して出発の準備をはじめた。

 バイクに荷物を積んでいると雨粒が落ちてきた。予報では関東は雨。しかし新潟は晴れなのだ。いずれにしても降られるのは確実なのでカッパを着て2時10分に出発する。嬉しいことに走りだす前に雨は止んでくれた。

 すぐに関越道に入らず節約のために国道を北上する。高速は使わざるをえないが、できるだけ無料の一般道を利用したい。夜の国道17号線を行くと埼玉県の深谷で雨が降りだした。その先の本庄ICから関越道に入る。関越は昨日は台風の影響で通行止めとなっていたのだが、今日は大丈夫だった。

 高速を80〜90キロで巡航してゆく。高崎で雨は強くなり、たたきつけるような豪雨になった。その烈しい雨降りの中を走るだけでも辛いのに、伊香保では突風もふきだした。横風をうけるとバイクをながされて怖い。高架橋の上ではとくに風が強く、橋の下に落とされそうで恐怖心が増す。そのため60キロしか出せず、後続車に次々とぬかれることとなった。

 4時30分に関越トンネルに入った。トンネルは雨も風も関係ないからとても楽だ。新潟の天気予報は晴れだから、国境のトンネルをぬけると雨は止んでいるのではないかと期待したが、出てみると雨だった。それも走るのが嫌になるほどの強い降りで、スノー・シェッドが連続し、湯沢のリゾート・マンションの見える高速を肩をすぼめて進んでいった。

 雨は激しいが風は吹かなくなった。走りつづけて疲れたので塩沢石打で休むことにする。こんな天気ではバイクは私だけだろうと思っていたら、都内ナンバーのフェーザーの若者がやってきた。びっくりしたがやがて嬉しくなる。寒いのでホットコーヒーを飲んで暖まる。自宅を出るときには暑かったのだが、上越国境をこえるので用心して長袖シャツを着てきた。それでも寒かったのだが、気温はずっと24℃と表示されていた。

 雨具の襟をきちんと閉じていなかったので、そこから雨水が入ってきてシャツが冷たくなっている。そこをしっかりと閉じて走りだす。それにつけても頭に浮かぶのは先日バイクの事故で亡くなられたmacさんのことだ。突然逝ってしまわれたmacさんのことが、思い出されてならないのだった。

 明けてきた塩沢石打SAを出発すると雨は弱まりやがて止んだ。頭上は雲が多いが新潟方向の空は晴れている。予報は当たり新潟の天気はよいようだ。前方に虹がでていることに気づく。濡れた路面の先の山の上にかかっている。雨は辛かったがよいこともあるのだ。

 後方からバイクが追い上げてきた。BMW・R1200GSのタンデムだ。ホンダCB1300もやってくる。ナンバーは私の近くだから彼らも欠航になった大洗ー苫小牧便から新潟便にふりかえて北海道にゆくのだろう。

 フェリーに乗る前にガスを入れておきたいので黒部PAで給油をした。GSを出て休んでいるとハーレーの二人組みがやってきてカッパを脱ぎだす。また降られたらたまらないから私はまだ雨具をとらない。新潟平野はずっと田んぼばかりだ。高速の左右に延々とつづく。それは壮観で、土の匂いと草の香り、牛のにおいがするのだった。

 新潟ICの先の亀崎ICに7時についた。フェリー・ターミナルとサッカー場はここと案内がでていて、サッカーJ1のアルビレックス新潟のホーム・スタジアム、ビッグ・スワンも見えている。朝食をとってからフェリー乗り場にゆきたいが営業している店が1軒もない。しかたがないから新潟駅に行ってみることにした。

 晴れたのは嬉しいが暑くなってきた。新潟は大きな街だが朝から開いている食堂がないからやはり田舎だ。駅に近づくとようやくコンビにはあるがレストランはなく、すき家が1軒だけ営業していた。

 フェリー・ターミナルにむかうとスズキGS400のライダーがガスを入れている。GSは懐かしいバイクだ。30年はたっているだろう。ピカピカなのでフル・レストア車だろうと思う。船内でたべる食料を買ってターミナルにすすむ。キャンプ仲間のミッキー君がお父さんと車で北海道旅行にゆく予定で、偶然おなじフェリーに乗ることになっている。そのミッキー君にフェリー乗り場で会えるだろうと思っていた。

 8時にフェリー・ターミナルについた。高速で会ったBMWのタンデムやCB1300、それにGS400もやってきた。GSは淡いブルーでスポーク・ホイールの初期型だ。オーナーは私よりも少し上の方でナンバーはごく近くだった。

 カッパを脱いでいると隣りにBMW・R1150RTがやってきた。macさんとおなじバイクだ。RT氏は年上の人でナンバーはこれも近い。RT氏も大洗ー苫小牧便が欠航になったのでこちらに流れてきたとのこと。それにもしも新潟便が不通ならば、青森まで走って青函フェリーを利用するつもりだったと言うが、それも私とまったく同様だった。

 RT氏は、なにしろ夏の北海道ツーリングだけが楽しみなもので、と何度もくりかえす。バイクとキャンプ、北海道が大好きなようで、それも私と同じだ。RT氏はホクレンのフラッグをすべて集めるつもりだと張り切っていた。私はフラッグにはこだわらないが、RT氏はスマートフォンでフラッグの残っている店舗をチェックしている。毎年こうして手に入れているのだそうだ。

 乗船手続きにゆくとミッキー君がやってきた。30分前に到着したそうで、新潟駅にむかう私とすれちがっていたとのこと。ミッキー君とmacさんのことを話しあう。私はお通夜に参列したが告別式には出られず、告別式にだけ出席したミッキー君とは会えなかったのだ。macさんのことが残念で無念だと語りあう。お父さんにも挨拶をして後刻船内で飲むことにした。

 ところで大洗ー苫小牧便は2等寝台にバイクで24930円だ。それが新潟ー小樽便は同条件で14600円となっているが、この1万円もの差はなんなのだろうか。大洗のほうが自宅から近いが、この差額は大きいから、これからは日本海ルートを利用しようかと考えてしまった。

 気温が上がってきた。日差しも強くなりものすごく暑い。フェリー内で使うものをザックに詰めるがそれだけで汗だくになってしまう。ツーリングでは着替えは必要最低限しか持ってきていない。着古したものを持参し、着たら捨てていくのが私の旅のスタイルだ。しかし初日から洋服が減ってしまうのは困るので、船に乗ったら洗濯をすることにした。

 乗船が開始された。さっそく船にすすむとミッキー君がいてこちらにカメラをむけている。車の同乗者は徒歩で乗船するのだそうだ。フェリーに乗り込んでバイクをとめると隣りにGS400がやってきた。綺麗なバイクですね、と言うと、すっかり古くなってしまって、と返事がかえってきたが、なんと新車で買ったGSにずっと乗り続けているのだそうだ。と言うことは35年くらいということになる。GSはメッキされたホイールはもちろん、アルマイト加工されたエンジン部品などに腐食のくもりすらない。雨のなかを走ってきた汚れはあるがまるで新車のようだ。たぶん室内保管して大切にしてきたのだろう。しかしこんなに丁寧にバイクをあつかっている人には初めて会った。

 寝台に荷物をおくとすぐに風呂にゆく。RT氏は私が展望風呂に歩いてゆくともうあがってきた。体を洗っているとミッキー君もきたから、乗船したらすぐに入浴するのはライダーの習い性のようだ。 

 

 

 ミッキー君とお父さんと船内で乾杯

 

 ラウンジでミッキー君とお父さんと合流してサッポロ・クラッシックで乾杯する。お父さんは初対面の私にきさくに接してくださった。いろいろと話をさせていただいたが、経済や税金のことなどで話がはずんだ。ミッキー君は親子でもそんな会話はしたことがないと言っていたが、お金にシビアな私が加わると、俗っぽい話題で盛り上がったのだった。

 昼酒はきく。一度解散して30分ほど眠り、その後はメモを整理したり、ガイドブックを見たり、また風呂に入ったりしてすごし、18時からラウンジてひとりで飲んでいると19時にミッキー君がやってきた。お父さんも来られて昼よりも一段と打ち解けて楽しい時間をすごさせていただいた。船は揺れなかった。雨も降っていない。台風は相変わらずノロノロとすすんでいるようだ。これなら大洗ー苫小牧便も欠航にすることはなかったのではなかろうか。

                                       313.4キロ