愛犬王 平岩米吉伝 片野ゆか 小学館 2006年 1600円

 在野の犬科動物研究家、犬奇人と呼ばれた人物の一代記である。

 主人公の平岩米吉は明治30年に東京で生まれた。生家は豊かな商家で、働かなくとも生活できた米吉は、長じてから犬科動物などの研究に打ち込んで生涯をすごしたのだ。

 現代よりも少し前の時代には、自らの財産を投じて好きな分野の研究をして一生をおくる者が存在した。大学や研究機関で学問を追及するのではなく、自宅で研究をしたのである。米吉は大学教育を受けていなかったが、今のように学問が高度に追及され、細かく専門化される以前は、市井の研究家であっても、未開拓の分野では日本の第一人者となれた時代だった。

 米吉は昭和4年の、昭和恐慌の真っ最中に自由が丘に広大な土地を用意し、自宅をたて、犬科動物の研究を開始した。広い庭に多数の犬を飼って、その習性を観察したが、それだけでは飽き足らず、比較検討のために狸や狐、果てはハイエナからジャッカル、狼まで飼育した。この狼は皆よく人になついたというからおどろかされる。

 このような次第だから米吉の奇人としてのエピソードには事欠かない。米吉は特に気に入った犬を車にのせて銀ブラに同伴したが、よく馴れた狼を銀座に連れて行ったこともあると言う。周囲の人は狼など見たことがないから気づかなかったというが、よき時代のことである。

 米吉は著述にも注力している。動物文学という雑誌を発行し、動物研究、真の動物の姿と文学の融合を目指した活動を、戦前戦後とつづけたのだ。この雑誌ではシートン動物記や小鹿のバンビなどの作品を日本で最初に紹介している。

 米吉が愛情を注いで飼育した何十頭もの犬の系譜も語られる。特に聡明なシェパードの親子のエピソードが印象的だ。米吉は犬たちを愛してやまないが、彼らはアジア特有の犬の病気、フィラリアという感染症のために本来の寿命を生きられず、4・5年から7・8年で死んでいってしまうのだ。米吉はこのフィラリアを撲滅するため、昭和10年に『フィラリア研究会』を設立、東京帝大教授に研究を依頼している。このフィラリアは現在月に一度、犬に薬を飲ませれば予防できるようになった。こうなったのはごく最近のことだが、フィラリア撲滅の運動を始めた米吉の恩恵を、現代の愛犬家は受けていることになるのだ。

 米吉は好きな犬の研究に生涯打ち込んだ。ドンキ・ホーテのようにまっすぐに。現代にはもういなくなってしまった人種の魅力的なドキュメントである。作者は犬に関する本を書いている方とのこと。米吉と犬たちへの視線があたたかい。

 

 

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