アンナプルナ登頂  モーリス・エルゾーグ  岩波少年文庫  昭和37年  260円  

 古い本である。我が家に昔からあったのだが、父の本である。現在発行されているのか不明。時代の使命を終えてしまい、廃刊になっているかもしれない。敗戦後の焦土からたちあがりつつあった時代に、将来の社会の宝となる子供のために創刊された、崇高な使命感にあふれた、岩波少年文庫が存続しているのかも不勉強につき、不明である。
 本書は1950年に、8000メートル以上の高峰登攀に人類ではじめて成功した仏チームの記録を、隊長で山頂にもたったエルゾーグが、少年少女むきに書き下ろしたものである。正式なドキュメントは『処女峰アンナプルナ 白水社』として発行された。
 当時のヒマラヤは地図さえ不正確で、登山はまず、山のふもとに行くことから開始された。山のふもとに行くルートさえ確立されていなかったのである。このルート探索は探検に相当した。地図のない未踏の地をいくのである。チームを編成して、14座ある8000メートル以上の山の、いずれかにとりつけないか、季節風が吹き始めるまでの限られた時間のなかで、手探りで探索がすすめられた。
 登山は山のふもとに行くルートを探すことが第一段階で、第二段階は登山ルートの開拓となり、アタックキャンプの設営できる地点までまで登って、第三段階で山頂へのアタックとなる。仏隊はアンナプルナ登頂に見事成功するが、その後が本当の山場となる。下山だ。
 登頂成功に興奮したエルゾーグは山頂で時を忘れてしまい、天候の変化に気づくのも遅れて、しかも手袋を落としてしまった。アタック隊のふたりは下山を開始するが、厳しい自然環境、薄い空気、寒気、天候悪化に閉じ込められ、雪と氷の中でビバークをよぎなくされる。もちろん凍傷にも苛まれる。
 ふたりは助けにきた仲間と合流するが、エルゾーグは氷のクレパスの中で、凍傷が進み、生きることを諦めてしまう。しかし仲間が彼らを救った。
 エルゾーグと仏隊は下山、撤退していくが、その途中でエルゾーグは手足の指を失っていく。テントのなかで、同行していた医師の手で切断されて、ヒマラヤに残されていくのだ。アタック隊の隊員も足の指をなくしてしまった。
 人類の挑戦の崇高さと、その代償を深く考えさせる書。

 

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