スズキGSX400F
1982年1月登録。初期型。2型になるとカラーがツートンカラーになり、3型はインパルスに発展した。
初めて買ったバイクで、バイク屋から乗って帰るときには涙がでるほど嬉しかった。1981年デビューで同年におくれてCBX400Fも発表された。CBXは定価が485000円で値引きはほとんどなし。かたやGSXは定価430000円が、販売対抗上6万円引きであった。貧乏学生だった私にこの差額は大きく、本当は最新のCBXが欲しかったのだが、2年ローンでのGSX購入となった。
4気筒のエンジンはスムーズでスローがきいた。7000回転をこえるとツインカムエンジン特有のクオォーンという乾いた排気音になり、アクセルを開けるとエキサイトさせられた。
しばらくノーマルで乗っていたがしだいに改造し、ヨシムラのサイクロンマフラーやビートのバックステップ、コンチハン、FRPのフロント・フェンダー、スタビライザーなどを装備していった。当時の典型的な峠スタイル。3日とあけずに大垂水峠にかよったり、北海道や紀伊半島ツーリングに使用した思い出のモデル。
3年で33000キロ走行するとカムチェーンが伸びてエンジンがガラガラと音をだしはじめ、大型免許にも合格したため乗り換えた。
カワサキZ750GP
やっとナナハンを手にいれた
1984年に6回目にして大型免許に合格した。当時は大型に合格することは非常に困難で、免許を持っているだけで尊敬された時代。試験では技術はもちろんだが、人間性、大人としての成熟度が問われたと思う。23才で大学4年、就職活動をはじめていた私は、試験官に、こいつに大型免許を与えても何の問題もなかろうと認められたと感じた。試験前と後で、試験官にさりげなく社会人か学生か、とか、大学4年なら就職はどうするのか、などと聞かれたものだ。
そして選んだのがこのナナハンだった。この年にはGPZ750R、ニンジャがデビューしていた。しかし最新のモデルは当然手が届かず、買ったのは登録後1年落ちで6000キロしか走っていなかった新同車のZ750GP。アウトバーンの集合管がついていた。
鮮烈な赤と黒のカラーが気に入っていた。またキャブレターではなく、インジェクションだったためエンジンのつきが非常によく、ハンドリングも軽くて、峠でも軽快に走れた。後継車のGPZ750Fにも乗ったことがあるが、フルカウルがついていることもあって全体にマイルドな味つけで、アクセルをあけても体重移動しても、ブレーキをかけても緩慢であった。GPはオーバーステアで、GPZはアンダーステアだったという感じ。
中古で41万ぐらいだったと記憶する。GSXを下取りにだすと、16万くらいでとってくれて、1年のローンで手にいれた。当時GPは新車でも大幅値引きの498000円で販売されていた。しかし新車は黒しかなくて、中古の赤にしたのだった。
このバイクのエンジンはZ650Fのものがベースになっていて、現在のゼファー(ゼファー750)も基本的にはおなじである。したがって今でもバイク屋でゼファーをみると、また乗りたくなってしまう、余韻の残っているモデル。ナナハンの空冷4気筒モデルは、私の世代では定番ではなかろうか。Z2にしろホンダのFにしろ。
カワサキ ZX−10
Z750GPも古くなってきたと感じた88年。買い替えを考えた。ねらったのはカワサキZ1000GTR。パニアバッグのついたツアラーで、ツーリング派としては当然の選択だ。エンジンはニンジャとおなじでパワーも十分、渋いシルバーのカラーも大人らしくて気に入った。さっそくショップに商談にいった。
Z1000GTRは不人気車で展示車などない。だいたい実車も数えるほどしか見たことがなかった。バイク屋にはいって社長と話そうとしたとき、店の真ん中に展示してある巨大なバイクに目を奪われた。それがZX10だった。
デビューしたばかりのカワサキのフラッグ・シップである。一目惚れだった。押し出しのあるアピアランス、堅牢なフレーム、無骨なフルカウル、ほとんど路上に存在していないタイミング。なにしろ出たばかり。高校生の時に見た、デビューしたばかりの『CBX』の残像もよみがえった。
赤いバイクに弱い。赤いカワサキに幻惑されてすぐに契約した。110万ほど。社会人3年目で結婚したばかりだったが現金で支払った。
またがってみただけで試乗もせずに手にいれたのだが、納車されて乗って帰ると早くも失敗の予感。もともとツアラータイプの、アップハンのポジションが好きなのだが、ZX10のポジションは前傾がきつい。手首に体重がかかり、気になってしまう。しかも大きいだけに取り回しが大変である。走りだしてしまえば驚くほど素直で、はじめてだったラジアルタイヤのグリップ力も抜群だったのだが、バイクの出し入れが大変な労力となり、乗るのが億劫になってしまった。これでは本末転倒だ。
2年で5000キロしか乗らず、愛着ももてなかったので手放してしまった。おりしもバブル崩壊がはじまり、不安になったのも一因。息子も生まれていた。買い叩こうと足元を見るバイク屋に嫌気がさし、知人に55万で売却したが、このときから個人売買に目覚めた。
女性もバイクも見た目だけで選んではいけない、の典型の買物だった。
カワサキ KDX200SR
不況にそなえて車検のないバイクをえらんだ。これまたカワサキのフラッグ・シップ。エンデューロ・レーサー・レプリカのKDXである。初期型だ。デビューして1年の人気爆発中のモデルだった。それを格安で手にいれた。モトクロスごっこにだけ使用されていて傷だらけだったのだが、個人売買が秘訣だった。程度は悪かったが市場価格は25万以上はしていた。それが15万だった。
傷だらけ、泥だらけのバイクを磨きあげ、チァンバーの錆をおとしたら見られるようになった。
オフロードの走破性は抜群なのだと思う。オフではいまだにヨチヨチとしか走れないので、限界など不明だから、じっさいのところは分からない。しかしサスの安定性が他車よりはよかった。モトクロスごっこで他車とせりあったときの挙動が一番安定していた。またエンジンのパンチ力もあった。200としてはだ。これを化け物だとか、モンスターなとど評する者もいたが、そんなに凄いわけがない。そんなことを言うライダーは経験が不足しているのだ。
ネックは100キロちょっとでガス欠になることだった。タンクがあまりにも小さいのだ。さらに2サイクル・オイルも350キロごとに補給しなくてはならない。オイルの補給はボルト止めになっているシートをはずして行う。上の写真がその様子である。レーサー・レプリカなので割り切った作りかたをされているのだが、林道ツーリングもままならない。それにKDXに乗っていると、林道でもモトクロスごっこでも、かっ飛ばさなければならないようなムードがあった。そんなことできないよ。もっとのんびりと、長い距離を走れるバイクにしようと1年で手放した。
セカンド・バイクなら、よかったモデルだ。
ホンダ シルクロード
ガスの余裕をもって林道ツーリングができること。維持費が安いこと。値段が低いこと。それでいてこだわりを感じさせるバイクという条件でえらんだ。それがシルクロードである。金のないお父さんにぴったりのバイクだ。私にはKDXよりもこちらのほうがあっていた。
これも個人売買だ。乗らずに庭に放置してある状態で、雨ざらしにされ、タイヤのエアーも抜けていたから、格安で手に入れた。錆、傷、水垢をおとし、あちこち再塗装し、価格の何倍もの修理費をかけてスクリーンも取りつけた。かなりきれいになり、マニアのバイク然となった。ゴーグル誌で通のバイクと持ち上げたりしていたので、満足して乗っていた。
CB250RSと共通のエンジンはよく回り、燃費もよく、ひとりで走るには必要にして十分だった。しかしいかんせん22馬力では非力で、高速や大型バイクといっしょではストレスを感じること大なり。越後の豪農ツーリングで買い替えを決意した。
スズキ DR650RS
高速でながれに乗れるオフロードバイク。大型バイクといっしょでも、おいていかれないオフロードタイプ。シルクロードで不満だった点を解決してくれるバイクを探した。ショップでアフリカツインやテネレにまたがってみたが、重心が高く,車高もたかすぎて、これで林道をはしるのは恐い。その下のクラスにねらいを絞った。
ヤマハXT600、ホンダ・ドミネーターをさがしたのだが、このクラスは在庫が皆無。絶対数も少なく、出会いが縁になる。機種を絞らず、希望のタイプに近ければそれでもよしとしてめぐりあったバイクだ。
1990年型を1994年に入手した。8000キロ走行の極上車だった。やはり個人売買である。スタイルはドミネーターのパクリ? とおもうほど似ている。パワーは45馬力なのでもっと欲しいところなのだが、バランスはよい。信頼性、品質とも申し分なく、燃費もよい。ただセルがついておらず、キックで始動するので慣れるまでは大変だった。
650シングルの始動は、まずデコンプでエンジンの圧縮をぬくことからはじまる。この操作をしないとキックはおりない。デ・コンプレッション(減圧)し、キックを軽く踏んでビストンの上始点と下始点をさぐり、キック位置を決め、一気にけりおろす。一発で始動したことはなく、調子がよいと二発で目覚める。機嫌を損ねると、百回キックしてもかからない。手にいれたばかりのころは汗だくになり、また足首を痛めたりしながらキックしたものだ。友人や旅先であったライダーから、よくこんなのに乗ってるね、と言われるモデル。
おまけ ホンダ CD125
よいバイクだった。一時保有。通勤に使用した。
ここまではHPをはじめた2005年ころに記述している。
ヤマハセロー250
DR650RSが気に入って1994年から乗り続けてきたが、走行距離も11万キロを越え、各部も経年劣化して、いつ故障するのかわからないと感じるようになった。又、近年林道を走っていると、DRでは重いと感じるようにもなった。もっと軽い、扱いやすいバイクのほうが、林道ツーリングを楽しめるのではないか。新しいバイクを手にいれるべきではないか、と考えるようになった。そしてそれはセローではないのかと結論をだした。
2021年2月。セカンド・バイクとしてヤマハセロー250を購入した。ファイナル・セローである。セローが生産を中止してしまうということも背中を押した。排ガス規制などの対応で、再販売はきびしいらしいとの報道もあった。今手に入れないと、新車はなくなってしまう、買うなら今だ、と考えたのだ。250クラスのオフロード・バイクはセローのほかに、ホンダCRF250とカワサキKLX230がある。このなかでいちばん林道ツーリングにあっているのがセローだ。マウンテン・トレールと自称しているモデルなのである。林道ツーリングに使うのが目的なのだから、これほどふさわしいバイクはあるまい。そのバイクがなくなってしまうかもしれないのだから、どうしても購入したくなったのだ。それにこれからはバイクも電動化してゆきそうだ。私は電動バイクにはのりたくない。ガソリン・エンジンの鼓動をかんじるオートバイにのりたいのである。そのためにも、今セローを手に入れておくべきだとおもったのだ。
バイクを買ったのは1994年のDR以来で、新車となると1988年のZXー10以来だ。手続きの仕方もわすれてしまっていた。セローの第一印象は、軽くて、原付のように小さい。とてもスムーズで扱いやすいが、パワーがない、というものだった。スピードもでなくて、気持ちよく走行する速度は55キロくらい。国道の早いペースにはついてゆけず、高速は厳しそうだ。これは舗装路を走った印象である。トップ・ギヤが70キロほどで吹けきってしまい、それ以上スピードをだすとエンジンが苦しそうなのである。
一方で林道にゆくと、軽くて小さな車体が生きる。どんなところにでもゆけるとは思わないが、DRでは引き返すような路面でもどんどんゆける。軽いから切り返しやUターンも楽だ。ギヤ比も低くて、しかもクロスレシオになっているから、ダート走行に最適だ。オフロードをゆっくりと走るスタイルの私にぴったりのモデルである。インジェクションつきのエンジンはつねにセル一発でかかる。しかも燃費も40キロ以上と驚異的だ。長くつきあえるモデルだとかんじている。