地上生活者 〈第3部〉 乱像 李恢成 講談社 2008年 2900円+税
在日の作家が過去を振り返る作品の第3部。大学編である。
東京で苦学生となった主人公の在日の青年は、北朝鮮系の学生団体に所属し、政治運動に関わるようになる。運動の様子が時代背景を詳細に書き込みながらつづられていく。その時々に主人公が感じたこと、思想的な疑問や迷いなどが生き生きと書かれているが、これはトルストイの小説を読んでいるような感じがする。主人公は露文科にかよい、ドフトエフスキーの卒論を書こうとしているから、影響があるのかと考えてしまった。
運動の目的は建国されたばかりの理想国家、北朝鮮の発展と、そこへの帰国である。よいことばかりを宣伝された祖国に、在日の方が帰国して行った歴史をつづっていく。そこに主人公の青春、恋愛も織り込まれている。
ここで作者が書きたいのは、何の疑いも持たない純粋な人々が、理想の国家と喧伝された北朝鮮に帰国していった姿であろう。そして主人公は少しずつ疑問を感じはじめる。北朝鮮はほんとうに理想の国なのかと。信じられるのだろうかと。これは第4部への伏線となっているのだろう。その後の北朝鮮はどうなったのか誰でも知っていることだから。
主人公は、愚哲、という青年である。日本で生まれた彼は、日本名は、ぐてつ、で、朝鮮名はウチョルだ。ひとりの主人公の中にぐてつとウチョルが存在し、互いを観察、批判している。それは在日の方の心をうまくとらえているのだろうし、作品の効果としてもうまく効いている。
私の大学時代の友人に在日三世の男がいた。彼は北朝鮮への帰国事業を心の底から憎悪していた。その片棒をかついだ会社や新聞社も憎んでいた。学生のときはそれがどういうことなのかわからなかった。ここにはそれが書かれている。帰国した人間は労働奴隷としてあつかわれ、差別されたのである。
作者は若いときから詳細な日記をつけているのではなかろうか。そうでなければ50年も前の迷いや不安をこれほど書き込めないと思うが、それは凡人の私の感じたことでほんとうのところはわからない。
朝鮮は列強に翻弄されるアジアのポーランドである、と作品中にある。日本人にはそこまで感じられないが、たしかにその通りだ。そして北朝鮮への帰国費用は北が負担し、帰国後の生活、教育は公民として保証すると説明されて人々は海を渡っていった。
青春小説の要素もあるのでときに甘ったるいエピソードもあるが、素晴らしい力作である。