8月20日 まずは北へと走る


釣れた山女を串刺しにして焼く

 金曜日である。夏期休暇をとり朝5時にシルクロードで出発した。きょうと明日はソロで走り、明後日はグループ・ツーリングとなる予定だ。本日の目的地は新潟県鹿瀬町付近。福島との県境にちかい山間の町だ。この年のJR東日本のキャンペーンにとりあげられ、ポスターが電車のなかによく貼ってあった。山の分校のような小学校のまえで、子供たちがならんでいる写真だったと思う。素朴さがつたわってくるようなポスターだった。

 鹿瀬では釣りとキャンプをするつもりだ。渓流釣りで夕食のおかずと酒の肴を手にいれる算段である。はたして思惑どおりにさかなを手にすることができるだろうか。

 早朝の国道を淡々とはしる。栃木県の小山では雨にあったが、カッバを着ることもなくあがってしまう。R4を北上しつづけ,8時30分には白河についた。久しぶりに4号線をはしったが、バイパスが整備されて走りやすくなっていて驚いた。70キロで快適に巡航できるのだ。このスピードは我が友シルクロードのもっとも得意とするところで、気分よくはしれた。

 白河からはR294にはいり、猪苗代湖をかすめて会津若松をめざす。この道も交通量がすくなく、やはり70キロで快調にはしる。空を見あげると、雲の切れ目から太陽がみえていた。

 会津若松には10時についた。ここでは買い物をするつもりだ。ウィスキー、釣りのエサ、キャンプ用のロウソクである。駅前通りの酒屋でウィスキーを買い、釣具屋の所在をたずねてエサのブドウ虫も手にいれた。会津若松は歴史のある城下町だが、活気が感じられない、停滞しているような印象の街だった。

 会津若松をでて、国道沿いにあったホームセンタ−でキャンプ用のローソクの在庫をたずねると、品切れで法事用のものしかありません、とのこと。この先ローソクが手にはいるともかぎらないので、しかたなく仏事用のものを購入した。このローソクを使ったからといって、幽霊がでるという訳でもあるまいから。

 会津ラーメンと幟をたてている店が多い。喜多方に対抗しているようだ。その一軒に会津坂下ではいってみたが、味はいまひとつであった。

 只見川をこえ、福島と新潟の県境地帯をはしる。山はそれほど深くないが、人の気配のない、非常に辺鄙な地域で、時に荒涼としていた。

 釣りでパニック

 阿賀野川にぶつかり、車トンネルをぬけると、目的地の鹿瀬まではすぐである。時計をみるとまだ12時。釣りのポイントをもとめて、国道をはずれて阿賀野川沿いの県道をはしり、阿賀野川本流にそそぐ支流のようすをうかがいながら、鹿瀬まではしった。鹿瀬はJR東日本の中吊り広告の写真どおりの町である。川があり、山があって、学校がたち、役場がある。それだけである。しかしここには、人をひきつける豊かな自然があるのは確かなことだった。

 さて釣りである。晩のおかずであり、酒の肴である。ねらいは山女だ。山女は冷水を好む習性なので、寒冷地や標高のたかいところに生息する、渓流の女王ともよばれる、うつくしい魚である。春まだ浅い時期には下流部にいるが、8月ともなれば上流部にのぼってしまう。わたしのにらんだところでは、上流の実川が有望とみた。
 
 実川は阿賀野川にそそぐ支流で、横には林道がはしり、上流部は実川渓谷とよばれる景勝地らしい。その林道をのぼっていった。しかしどこまで行っても川に降りられるところがない。渓谷が深すぎるのだ。林道から川におちこんでいく山の斜度はきつく、どこかに傾斜のゆるい斜面か、もしくは釣り人の歩いた踏み跡がないかとさがすが、何も見つからない。途中で一台だけ他県ナンバーの釣り人のものらしい車がとまっていたが、その付近にも川に降りられそうな道はなかった。

 渓流は目のした遥かかなたにある。流れは急流で、岩を噛んだながれが白濁して、水量豊富にかけくだっている。その流れの果てには発電用のダムがあり、せきとめられた水が逆巻いて、恐いほどである。そのうち林道は行き止まりとなってしまう。途方にくれてしまった。川に降りられるのは阿賀野川に合流する最下流部か、他県ナンバーの車がとまっていたところだけである。あの険しくて、山肌をくだる斜面。身の危険をかんじる。しかし下流部は水温が高くて山女はいないかもしれない。さて、どうするか。

 考えた末、他県ナンバーのとまっていたポイントにはいることにした。山女が釣れなければ、ここまできた意味もなくなってしまう。なるべく釣れる確率の高いところにはいりたいのだ。

 ポイントまでもどり、あらためて険しいくだりを見た。川にいたるルートはまったくない。そもそも他県ナンバーの釣り人が、ここを降りていったと決まったわけでもないのだ。車だけここにデポして徒歩で林道をすすみ、安全なルートを下降したのかもしれないではないか。

 私にルートをさがしている時間はない。斜面を這っておりれば、川までいけるかもしれない、と考え、そう決めた。ならば急ごうとバイクのセル・ボタンをおすと、エンジンがかからない。セルが空回りするばかりである。……これは、天啓だろうか? しばし思案し、崖を這いおりるのはやめた。こういうことを気にするたちなのだ。

 林道をくだり、阿賀野川に合流する最下流部に入渓した。腰まである防水ズボンをはき、ディパックに道具をいれ、竿をふる。最初のポイントであたりはない。川の対岸にわたれば良さそうなポイントがあるのだが、雨で増水していてとてもいけそうにない。しかたなく川をわたらずに釣りのぼり、行き止まりにいたった。

 深い淵である。ポイントにふりこむ。するとすぐにあたりがあり、あわせると銀色にかがやく魚がつれた。25センチのハヤである。型はよいがハヤではだめだ。山女でなければ。ハヤを川にリリースする。下流すぎて山女はいないのかもしれないと思いつつ、またふりこむ。またすぐあたる。あわせると,釣れた。8センチの山女だった。

 ここにも山女はいたのだ。俄然やる気がでてくる。釣り師魂が頭をもたげ、山女を釣りたい、もっと大きいのを、もっとたくさん、と思う。8センチの山女はあまりに小さいので川にかえす。1尾釣れてみると、渡れないと思っていた対岸のポイントがたまらなく魅力的に見えてきた。あらためて川を見ると、さきほどよりも浅くかんじられる。もとより行き止まりで、すすむには川をわたるほかない。釣り欲にかられた私は渡河することに決めた。

 さいしょは楽々とすすんだ。しかし流れのもっとも強い流芯にかかると、水は思ったよりも重く,速い。深さは腰ほどである。これは危ない、注意しなければ、と思った瞬間、踏みだした右足が水圧でながされてしまった。足をつくことができずに、右に転んでしまう。起きあがろうとすると、流れにおされて反対側にまた倒れた。夢中でもがいていると、体が完全に浮きあがり、流されてしまった。

 このとき心はパニックである。10メートル以上流されて、どうしようか、と恐慌状態でいたときに、左目の視野の隅に、川のなかに沈んでいる大きな岩がうつった。反射的にこの岩にしがみつく。……なんとか流されるのを止めることができた。

 岩につかまりながら水流に逆らい、全力で立ちあがった。手は恐怖でふるえ、心臓は早鐘のように鳴っている。冷静になれ,と自分に言い聞かせ、すすむかもどるか状況をみた。

 川は上流から下流へ斜めにわたるのが基本である。水流に逆らわずに歩けるからで、このときもそうした。心情的にはもどりたかった。しかし無理にもどれは流れにおされて深場にはまってしまう状況だった。すすむことに決めた。対岸についてから仕切りなおすことにする。

 もう一度転んだが、辛くも対岸にたどりついた。手の震えはまだおさまらない。気がついてみると、左手で持っていた竿をはなさずにそのまま手にしていた。竿を捨てなかった自分に腹がたってくる。とりあえず気を取り直そうと煙草をだすと、びしょ濡れである。よくよく見れば、全身ぬれねずみ。ブルゾンの袖には水がたまっている。あらためて脱力してしまい、座りこんでしまった。

 休暇中の釣り人、川で溺死、なんて洒落にならない。しばらく腰をおろしていたが、このまま川をわたって逃げ帰るのも癪である。こちら側でも釣りをすることにした。

 ここぞというポイントにふりこむ。すぐにあたりがある。しかし体が強張っていてあわせられない。エサをとられた。もう一度ふりこむ。またあたる。今度は反応した。きた、かけた、18センチの山女だった。

 その後も釣りをつづけようとしたが、帰りの渡河を考えると落ち着かない。腹を決めて川をわたることにする。入念に川を観察し、ルートをえらび、わたりはじめた。それでも流芯のながれの強さは変わらない。絶えず足を持っていかれそうになる。両足でなく、片足になったときが危ない。二度足をすくわれたが、心構えができていたので、転びそうになると手をついて耐え、なんとかわたりきった。


 流されてしまった現場

 自然は恐いものである。容赦のない巨大な力である。自分を過信したり、無理などしてはならないのだ。ただただ反省するのみだった。

 釣り道具をパッキングし、山女も野絞めしてキャンプ場にむかう。キャンプ地は鹿瀬町のとなり、津川町の管理している麒麟山キャンプ場である。前日に町役場に電話して確認したところ、公園を開放しているだけなので、管理しているとか、運営しているというわけではなく、したがって料金も無料で、水道とトイレはありますから、自由に使っていただいて、後片付けをしていただければそれでけっこうです、とのこと。無料にひかれて決めたのだ。

 公園だけあってキャンプ場の標示もない。ただの川原で、到着したときには少年野球の練習中だった。さすがに不安になり犬の散歩にきている人にたずねてみると、ここですよ、とのこと。その人は親切にも町営浴場の場所なども教えてくれる。試みにJR東日本のキャンペーンの話をすると、隣町のせいか、何も知らないし、話題にもなっていない、との返事がかえってきた。

 テントをはって米を炊きあげた。魚が釣れなかったときのために用意してきた、牛肉の大和煮の缶詰も火にかける。山女は木の枝に刺して塩焼きにした。

 食事の終わるころから雨が降りだしたので、テントのなかで横になり、ウィスキーを飲んでいると、いつの間にか眠ってしまっていた。山女は美味であった。


ツーリング・トップへ            BACK              NEXT