悲劇週間 矢作俊彦 文藝春秋 2005年 1905円+税

 作者の上手さと実力をみせつける書。

 主人公はフランスの詩を多数翻訳した、詩人の堀口大學である。私もたしか何冊か所有していたと思って、蔵書のランボーの詩集をみてみると、はたして大學の訳だった。訳詩は読んだことがあるのだが、大學本人の詩に触れたことはなく、どんな人物なのか知識もなかった。矢作はよくこの題材をみつけたものだと、その着眼力に舌をまいていると、3月12日のNHK・BSの週刊ブックレビューに作者が出演し、この最新作について話していた。それによると、17年前にある編集者から、メキシコ革命の最中に、大學がメキシコに滞在していたことを教えられ、以来このテーマをあたためていたとのこと。ランボーやボードレールの訳者としてはもちろん、少年向きのアルセーヌ・ルパンの訳にも親しんでいて、大學には深い印象をもっていたようだ。

 物語は大學が20才のとき、明治45年にはじまる。しかしまず、大學の祖父母の時代、明治維新の混乱から語りはじめ、父の代となり、大學本人の成長をたどっていく。大學の父は日本初の職業外交官であり、この父親もたいへんな人物だが、ほかにも大物が多数登場する。詩にとりつかれていく大學の師となったのは与謝野鉄幹、晶子夫妻で、友となったのは佐藤春夫である。石川啄木も姿をあらわし、彼らの歌が物語に編みこまれ、明治という時代も背景でうまく響いている。

 大學が20才のとき、父親はメキシコ公使となり、大學に仏語を勉強させるためにメキシコによびよせる。メキシコでは革命と内戦がおこるのだが、大學はここでコーヒー色の肌をもつ、蠱惑的な女性と知りあい、恋をするのだ。

 女性は非常に魅力的にえがかれている。ただし、これまで女性とつきあったことのない、明治の20の男が、こんなにスマート且つ積極的に外国女性をエスコートできたのかという素朴な疑問をかんじてしまうのは、野暮というものだろうか。この作品は恋愛ファンタジーの側面もあるが、作者の弁では、少女マンガのような恋愛物を書こうとしたとのこと。そうなりきらず、深みが厚く盛りこまれているところが矢作のよいところだが、ヒロインが登場するときに蝶が舞ったりもする。これも少女マンガを意識したところだそうだ。

 さりげなく強い言葉で書きだして、不自然さ、ぎこちなさはまったくなくはじまり、一気に物語の世界に引き込まれてしまう。大學が老人となって、昔のことを孫にでも語っているような場面を想定して、大學の一人称の語り口をえらんだと作者は言っていたが、余裕をかんじさせる、懐のふかい文体である。浮薄にながれない、正統派の日本語であることも好ましい。

 詩人が主人公なので、詩がおりこまれているためか、改行がおおく、詩的な空間処理をかんじさせる。どこにも力のはいっていない、ながれるような文章で、ときおり、ハッとするような技巧が用意されている。すばらしい腕前、美意識、老練の技術に脱帽である。

 ところで悲劇週間とは、大學本人が書いたエッセイのタイトルからとったそうだ。物語の後半におこる内戦の期間をさすのかと思ったがちがっていた。本書にもでてくるが、大學はパリ・コンミューンの内戦、血の一週間を意識して悲劇週間とタイトルをつけたのではないかと、作者は考えていた。

 メキシコ革命は想像もつかないたたかいだ。昼は殺し合いをするが、兵士たちは妻や恋人を戦場に帯同していて、背中にはギターを背負い、夜は毎晩宴会をするのだ。夜襲は決してしない。ファンタスティックな彼の地で展開される、革命と、恋愛と、内戦、青春と死。

 作者は今、脂がのりきっている印象。

 

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