ひとり旅

 

 

 駅の前だった。駅は瓦屋根の古くて小さな建物で、雨のなかにひっそりとたっている。瓦は雨にぬれていても陽に焼けて白茶けているのがわかり、漆喰の壁もあちこち傷んでいた。入口の上には小さな庇があり、わずかな空間の雨をふせいでいて、その上にはまるい時計がかけてある。時刻は夜の7時だった。

 僕は雨のなかひとりで駅をみていた。駅の右にはバス停があり、左には街灯がたっていて小さな光を地面になげている。駅前広場とよべるものはなく、バスがやっと1台とめられるだけの場所があるだけだった。通りにいるのは僕だけで車もはしっていない。猫の姿も犬の声さえしなかった。

 雨は強くはないが、陰気に長い尾をひいて夕方から降りつづけていた。僕は高校二年生でひとり旅の途中だった。東京から自転車でこの日本海に面した寒村までやってきたのだった。

 駅前には三軒の商店があるのだがどの店ももう営業していなかった。通りに面したガラス戸をとざし、埃を吸った白いカーテンをひいている。きょう僕は日本アルプスの奥から走りだして、日本海にぶつかると西に進路をかえ、この町のはずれの海岸にテントをはった。東京からここまで360キロはなれていて、自宅をでてきょうで四日目だった。

 商家のカーテンの奥には明かりがついていて、ぼんやりとした光を漏らしているのだが、人の気配はなく、物音も聞こえなかった。まだ夜の7時だというのに、町全体が寝静まってしまったかのようだ。三軒の商店をのぞくとあとは民家ばかりで、交番も銀行も郵便局もない。あちらこちらの家の窓にも明かりが見え、テレビのちらちらする影がうつったりもするのだが、人声はなくて、あるのは雨の音だけだった。

 僕の住んでいる街ならいまごろ駅は人でごったがえす時間だった。サラリーマンや0L、塾帰りの子供、それに若者たちで駅頭は混雑し、まっすぐに歩くことさえままならない。駅前とそれにつづく繁華街も買い物客や夜を楽しもうとする人々が行きかい、コンビニやハンバーガー・ショップの前には小中学生も群れている。夜はまだこれからはじまる時刻だった。

 僕は駅前通りをはしからはしまで見渡した。しかし動くものは雨と窓にうつるテレビの影だけで、軒を接して、まるで連棟式のようにすき間なく建てた、平屋のおなじような家がずっとならんでいるだけだった。

 予定ではここで泊まるはずではなかった。これからめぐる、能登半島にできるだけ近づいておこうと考えていたから。しかし海をみると泳ぎたくてならなくなってしまった。朝からうだるような暑さだったし、はじめて眼にする日本海が僕をさそっていた。それでも数時間はその誘惑とたたかったのだ。しかしこの町のはずれの海岸を見たとき、反射的にブレーキ・レバーをにぎっていた。国道のガードレールのむこうに、清潔な砂浜と光を乱反射する海があったからだった。

 僕は海岸で水着に着替えると海に走っていった。水は湘南や千葉の海よりも冷たくかんじられて、日本海のイメージどおりで、僕は微笑した。日焼けした腕と太腿が海水にしみて痛んだが、それもすぐに慣れた。道路には海水浴場と看板がでていたのだが、浜にいるのは家族連れが一組と年老いた漁師だけで、信じられないほど贅沢にこの遠浅の海岸をつかうことができるのだった。

 小さな子供を波打ち際であそばせる一家とは50メートルは離れていて、上半身はだかで赤銅色に日焼けした逞しい体つきの漁師とは、それ以上の隔たりがあった。漁師は砂浜のとなりの堤防に胡坐をかいてすわり、眼もあげずに網の手入れをしていた。

 僕はクロールで一気に沖にでた。体がはずむように軽い。頭を海水にくぐらせながら進むと、朝からながれつづけた汗や、追い越していく車にあびせられた排気ガスや埃が流れさるのを感じて、僕はまた水のなかで笑った。力まかせに泳いでも疲れはやってこない。僕は自分の体の中にひそむ、荒々しい力を感じたのだった。

 50メートルほどすすむと水の上に仰向けに浮かんで手足をのばした。海のなかには僕しかいなくて、海を独占していることが愉快で大声で笑う。僕が笑うのは旅にでているときだけだ。ふだんは笑ったりしない。僕は手足をうごかして海面に浮かびつづけながら、この瞬間を記憶に書きとめておこうと思った。

 

 

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