影絵の世界 埴谷雄高 平凡社ライブラリー 1997年 900円+税
未完の大形而上学的小説『死霊』の作者による半生の回想記。
本書はきわめて難解な哲学小説『死霊』の作者の、戦前から戦中までをつづった、じつに起伏にとみ、かつ文学的好奇心、知的好奇心をみたしてくれる、刺激的な半生記である。
もともと本書は『ロシア・ソビエト文学全集』の月報に2年間にわたって連載されたもので、書きだしは作者のロシア文学への傾倒ぶりがかたられる。そして内容がロシア文学からそれていき、半生の回想記となっていくが、作者の文学的、政治的な変遷が興味深いものだし、この回想記自体の文学的な価値も高い。
台湾で生まれた少年期からはじまり、東京にうつってからの青年期、そして戦前は非合法だった共産党への入党とその活動、ついには検挙されて投獄された獄中生活がかたられる。波乱にみちた人生だ。出獄後は戦前、戦中の元左翼の、インテリゲンチャの、生活がつづられていく。
文体は作者らしい、凝縮度のたかい、徹底的に自己心理を分析し、それを明晰におりこんだ緊張感のみなぎったもので、その複雑な構文となっている文章に触れるだけで、読書好き、文学好きとしてはこたえられない、高度な日本語である。
作者は獄中でカントを読み『死霊』のアイデアを得たという。1995年ころに作者がNHKテレビのインタビュー番組に出演したものを見たことがあるが、作者は獄中ほど物を考えるのに適したところはないと語っていた。すなわち、ほかにすることがないので。作者は牢獄の壁とむかいあい、自己と対峙して、カントを読みふけり、『死霊』の着想をえて、じっさいにその本を書いたのだから、偉大としか言いようのない文学的巨人である。読者はその時々の作者の心情の移り変わりを、作者自身の筆によって追体験することができるのだ。
本書は『ロシア・ソビエト文学全集』の月報をまとめた表題作『影絵の世界』のほかに、おそろしく難解な小説と呼ばれる『死霊』の理解のために、3編のエッセイを収録している。何故書くのか、俺はー、俺だ、と決然と言い切れないものを感じる作者の根源的な不快感、カントの純粋理性批判、についてのエッセイである。
作者は1997年に永眠されている。それを新聞で知ったとき、呆然としてしまったことを覚えている。新聞の訃報を見て立ちつくしてしまった。
50年にわたって書き続けられた『死霊』を完成させることは、不可能だった。作者自身も認めているように、何人たりとも書きえぬ、深遠なテーマにいどんだ作品だからだ。それでも日本文学の巨星が逝ったことと、新たな文章に触れることがなくなってしまったことに衝撃をうけた。
前述のNHKの番組で、作者は日常の生活の力の巨大さについて話していた。日常のながれの前ではどんなに深遠な問題もおしながされてしまう、と語っていた。新聞の訃報のまえで立ちつくす私も、いつまでもそうしているわけにはいかない。仕事にでかけて、気がつけば巨星が消えたことも忘れて夢中で働いているのだ。作者の言葉をかみしめた、作者の訃報にふれた日だった。
これだけ哲学的、観念的な作家はもう現れないだろう。しかし『死霊』は作品としては未完とはいえ、残っている。
作品とは関係のないことまで書き連ねてしまった。