仮面と欲望 中村真一郎 中央公論社 1992年 1262円+税

 愛人関係にある男女の往復書簡の形をとった小説である。

 70の男性と60の女性の手紙のやりとりでストーリーは綴られていく。この年齢とは思えないほどふたりは情熱的で、じっさいのデートも青年のように精力的である。

 ふたりの関係もさばけていて、エロティックで、日本人ばなれしているが、それもそのはず女性はスウェーデン人と日本人のハーフで、男性は国際的に活躍するコンサルタントという設定である。少女マンガのような設定だが、浮薄にならずにアカデミックな香りにみちているのは、作者の特質のせいだろう。

 ふたりは大戦中に結核療養所で出会い、すぐに離ればなれになるが、男性が50のときにパリで再会し、現在にいたっている。というのも安っぽいテレビドラマのようだが、さらに女性の母親は王立劇場の女優で、父親は外務省の官僚であり、男性の父は徳川幕臣だったが新政府に参加した高官だというから、嫌らしい権威主義を感じさせる。男はご落胤なのだそうだ。

 文体は独特だ。ベテランの芸術系小説家らしい、読点で長い文章をつないでいくもので、その過程で思考し、疑問を投げかけ、推測し、欲望を語る。論理的だが、技巧を凝らした、アクロバティックな文体である。手紙という形で、話しことばで書いているから、文体と言葉遣い、文末のむすび方が興味深く、作者の力量に眼をみはりつつ読んだ。しかし男女間のことばかり、エロティックにつづけられるといささか退屈でもあった。

 設定が安易だし、ふたりは老人とは思えないほど精力的な肉体関係をたもつから、この作品は大人のファンタジーなのだろう。エロティックな描写、エピソードも多く、男女間だけではなく、男同士、女同士の愛情も語られるのは、平安時代以降に盛んに書かれた、日本の色好みの物語に詳しく、『王朝物語』という本を書いて、それぞれのエロティックな物語の内容と味わいをあらわした著者らしい筆の行く先であろう。

 そして男性は戦前に非国民とされて弾圧されたのだが、日本中が国粋主義で染まっていたのに、敗戦によって一夜にして日本中が民主主義に変わってしまったことを語る。これが本書のテーマである。元々民主主義者であった男性は、昨日まで非国民であったのに、今日は先生と人々に呼ばれる現実をどう受け入れたらよいのか苦悶する。そしてこの日本の、日本人の救いようのない節操のなさに恐怖を感じるのだ。たしかに日本人の主体性のなさには暗澹とさせられ、その傾向は今も続いていると思われる。その点において、今後の日本の変化に著者は危惧を感じているのだろう。

 本書は『四重奏』の第一楽章とされている。次作が書かれているのか現時点では残念ながら不明である。あるのならば読んでみたい。

 装丁は加山又造の裸婦像である。

 

 

 

                      文学の旅・トップ