観音経のこころ 松原泰道 祥伝社 平成3年 2427円+税

 本書は観音経の解説、それよりも短い十句観音経の話、そして西国三十三ヶ所の観音札所のご詠歌の解説という構成になっているが、前半の観音経と十句観音経の章が読み応えのある部分である。

 観音経は、人々が観世音菩薩の名前をとなえると、観世音菩薩が苦難をすくってくれたり、願望をかなえてくれると、あからさまな現世利益をうたっている。しかしそれだけでなく、更に高次のさとりに導くように書かれてあると作者は説きはじめる。

 観音菩薩は火災や水難、風災や剣難から守ってくれると観音経はとくが、それは言葉通りの単純なことではなく、私たちの心にある、怒りや嫉妬、愛欲などを含んでいると解説する。その他に、わがまま、怠け、愚痴、むさぼりなども。

 観音菩薩とは、我々の心の中にもある、純粋な人間性ーー仏性ーーのことにほかならないと作者は指摘している。したがって観音菩薩の名前をとなえるのは、自分の中のもうひとりの自分を呼び起こして、自己を高めてゆくことになるのだと。すなわち、自分の中に、もうひとりの自分である観音菩薩がいることを信じて、苦しみ悩むときに、南無観世音菩薩と、もうひとりの自分の名を呼べば、もうひとりの自分である観世音菩薩が支えてくれるから、安らかになれるのだと言うのである。

 この時に苦しみがなくなるのではないと作者は指摘する。苦悩は消滅しないが、その感情が整理され、苦悩は自分の力ではどうしようもないと気づく。自分の限界をさとると謙虚になれると作者は説くのだ。それは大きな目覚めであると。

 延命十句観音経について作者は、十句観音経をとなえていると観音様の心が溶け込み、観音様を念じる自分と念じられる観音様が一体となるとする。そうすると、悲しいときは悲しいままに落ち着きの場があたえられ、苦しいときには苦しみのさなかに安らぎがえられる。悲しみや苦しみのぎりぎりのところから、新しい考え方や受けとめ方が芽生えてくるのであり、それが念ずる力のたまものだとするのである。

 観音菩薩は私たちのすべてがもつ、仏心ーーほとけのいのちーーの象徴だと作者は語る。それは純粋な人間性で、もうひとりの私たちである。観音菩薩は私たちの心にあり、内面から私たちを見守り、リードし、支えてくれている。ゆえに観音とは汝自身なり、とも言えるのである。これは誠に力づけられる説明であろう。

 仏の心理は宇宙いっぱいに満ちいてるから、我々もその心理にひたっている。したがって人はみな、観音なのだと。

 関連して作者は、人間はいつか必ず死ななければならないと真理を説きはじめる。人は何かの原因で死ぬのだと言う真理に目覚めれば、他人を責めたり自分の不幸を嘆くこともなくなる。死ぬときがきたら、その縁にしたがって身をまかせればよく、その境地に達すれば、さとったとも言えるとしている。たしかにいつか必ず死ぬのだから些細なことにこだわることもなかろうという心境になるが、なかなかその心が続かないのが人の常である。でも、生きてゆく支えになることばである。 

 作者のあたたかい心が感じられ、生きてゆくヒントを示唆してくれる良書である。

 

 

 

 

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