日本奥地紀行 イザベラ・バード 平凡社 東洋文庫 昭和48年 価格不明 

 明治11年、維新のわずか11年後に英国女性が東北、北海道を旅した記録である。

 本書の存在は以前から知っていた。興味をもっていたのだが、じっさいの本を眼にすることがなくて読めないでいたのだが、図書館に蔵書があることを知り、ようやく通読することができた。本屋などで見かけることはないので、絶版なのだろうか(平凡社から再販されているようだ)。

 本作は作者の妹や親しい友人にあてた旅行中の私信で、それらをまとめた手記となっている。作中に明治11年の日本の現実がえがかれているが、英国女性をとおして客観的に書かれているので、まことに興味深い内容であった。

 横浜や東京はそれなりに近代化、都市化されているが、そこを一歩はなれると素顔の日本があらわれる。作者は東京で19歳の通訳を雇い、人力車で北にむかう。人力車の通れない道は駄馬の背に揺られ、これまで白人を見たことがない、物見高い群集に取り巻かれたりして行く旅である。

 まず作者は日光について東照宮の建物などに驚嘆する。装飾の芸術性と独自性、そしてそれらを作りあげる技術に。作者が日光で宿泊したのは、雅楽の指揮者で村長の金谷氏宅である。ここは後の金谷ホテルになるのだろうか。ところで雅楽を作者は『不協和音』と表現している。たしかにそのとおりだが、日本人としては反発したくなる言葉遣いである。

 日光をでて現在の会津西街道を北上して田島にむかうが、ここからが日本奥地紀行のはじまりである。道は山道のような悪路で、そこを苦労してすすんでいく。文中から読み取れるのは、この地域が手つかずの自然のままであることだ。鬼怒川の美しい姿などが描写されている。

 登山道のような道をいって山の中の人々の生活に触れる。そこにいたのはみすぼらしい家に住み、一枚の着物をずっと着て、風呂にもほとんどはいらず、皮膚病や眼病のおおい住民たちである。宿に入っても蚊とノミが多く、苦労している。食べる物もほとんど白米と卵だけで、きゅうりがあるくらいである。そんな旅のなかで日本の自然が美しいのと、日本人が礼儀正しく、金銭に執着しないことが救いである。

 会津田島からは会津坂下にでて、その先は阿賀野川を船で新潟にくだる。新潟の町もみすぼらしいとのことだが、県庁や新しい公立病院(後の新潟大学医学部だろうか)の建物は堂々としている。そしてここには御用外国人も滞在していた。

 この先は日本海沿いにすすみ山形にむかう。県都をはなれると道は悪くなり、やがてひどい悪路になる。山間部にかかると人々の暮らしも貧しさを増す。ある村では男も女も着るものも着ずに働き、子供はほとんど裸で、しらくも頭や疥癬などの皮膚病が多いとの記述もある。

 作者は山形、秋田とすすんでいく。県都に近づくと道は立派になり、人々の暮らしもマシになる。それでも街並みはみすぼらしいとのことだが、乞食がひとりもいないことが作者のおどろきである。

 作者は知的好奇心の非常に強い人で、葬式や結婚式、学校や病院、警察に工場なども視察し、詳細な所感を書いている。これが北海道ではアイヌにむけられることになるのだ。

 秋田では祭りに遭遇し、その美しさに魅了されるが(ねぶたや竿灯だろうか?)、何万人もの人出を25人の警官が見ているだけで秩序が維持されているのに驚いている。日本人は昔から度がすぎるほど従順なのだろう。

 作者の旅はつづく。青森から汽船に乗って北海道にわたるのだ。函館の街も家屋は低くてみすぼらしい。あたかも大火から復興中の街のようだと書かれているから、どんな様子なのか想像がつく。その先は人家も稀な未開の地となり、大沼の湖沼地帯をぬけて森にで、また汽船に乗って室蘭にわたる。

 ここから作者はアイヌの人々の生活を視察するために奥地にすすんでいくが、その様子は学者のようである。アイヌの人々の身長から頭のサイズまではかり、家や服装、宗教や世界観なども細かく調査している。さらにはアイヌのことばの収集までしているから、民俗学者のようだ。これまでにも通りすがりの病人に簡単な処置をしたり、植物などに眼を配っているから、かなりの教養のある人物であることがわかる。この日本奥地紀行のほかにも世界各地の紀行書も書いているようだ。

 幌別から白老までは寂しい道で人家は4・5件しかない。白老にあるのは日本人の家が11戸、アイヌの家が51戸である。苫小牧は広くてさびしいところで、ここから道は札幌にむかい、海岸線は通行人も稀なところとなる。作者は平取のアイヌの大集落におもむき(現在の二風谷アイヌ文化博物館のあたりだろうか)数日を過ごす。

 その後は白老にもどり、道無き山にわけいって火山の調査をしている。火山から噴出された軽石などの地層に眼を配り、周辺の植生を観察している。まことにアカデミックである。このあたりは旅行というよりも冒険のようであり、知的好奇心のおもむくままに行動する、学術的な調査旅行のようだ。 

 作者の旅はふたたび函館にもどって汽船に乗り、東京にもどって終わる。世界の舞台に登場したばかりの日本がバードの興味を引いたのは幸運だったが、それだけの引力が日本にもあったのだろう。本書は当時の日本人の現実を知るだけでなく、北海道の開拓前の姿やアイヌの現実などもとらえていて、まことに有意義な内容である。しかし訳があまりにもひどい。意味の通じない、あきらかな誤訳が散見されるし、文章のつながりが悪く、日本語のセンスがないようだ。それが残念である。現在も出版されているなら、改善されているのかもしれないが。

 明治11年の日本の地方の風俗と、北海道の姿、アイヌの現実がわかる本である。

 

 

 

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