日蝕 平野啓一郎 新潮社 1998年 1300円+税

 作者の才能にただただ驚嘆する書。

 この作品を作者は大学在学中の22・3で書いたと言う。小説は老成された視点で書かれており、おどろくべき早熟さである。また本作は文芸誌の『新潮』に投稿され、巻頭に一挙掲載されて話題になったそうだ。文芸誌が投稿作品を巻頭に一挙掲載するのは異例中の異例であり、それだけの力がこの作品にはあると思う。作者はこれによって正に一夜にして彗星のようにあらわれたわけだが、自身でもこの作品の価値がわかったいたからこそ、新人賞などに応募せずに、直接投稿したのだろう。

 この作品はそのまま芥川賞を受賞したが、これほど水準の高い芥川賞作品もなかったと思われる。それが弱冠22・3の青年のつくりあげたものなのだからおどろきを禁じえないのである。

 内容がじつにむずかしい題材である。中世にパリ大学をでた修道士が、学問的な探究心にひかれて旅にでて、錬金術師と出会い、異端、魔女の問題にまきこまれていくのだが、中世の彼の地を舞台とし、キリスト教各会派の特徴をふまえ、歴史、文化、学問、建築などの考証をしつつ、哲学的な論旨を展開していく。この作品を書くにあたって作者は、彼の地に取材したのだろうか。それとも本でえた知識と想像力だけでえがいたのか。たとえ現地にたって書いたとしてもたいへんな構成力とリアリティーだが、もしも行かずに書いたとすれば、桁外れの文才だ。

 この作品で問題となるのは文体だろう。漢文の書き下し文のような、硬い、旧漢字を散りばめた、読みづらい文体なのだ。この文体だけで読者は限定されるだろう。この文章を読めない日本人のほうが多いと思われるから、もっとやわらかな読みやすい文体にすれば、読者の幅もひろくなると感じるが、作者をしてこの文体で書かしめるのだから、作者にはこの文体で書く必然性があるのだろう。もしかしたら文体で若さを鎧っているのかもしれないと感じるのは、考えすぎだろうか。しかし余人にはあやつれないこの文体はこれですばらしいと思う。

 ラストは冗長。手前でスパッと終わったほうがよかった。

 百年にひとりの天才だろうか。

 

 

 

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