落雷の旅路 丸山健二 文藝春秋 2006年 2000円+税

 読み応えのある短編集。特にタイトルにもなった『落雷の旅路』は傑作だろう。

 10数年ぶりの短編集だと巻末に紹介されている。どこの文芸誌に発表されたのだろうかと思ったら、書き下ろしとのこと。長編の執筆の合い間に書き溜めておいたものなのか、それともこの本のために一編一編作品を綴ったのだろうか。

 ひとつひとつの短編のテーマは、近年の長編にも使われているものだ。変化のない日常からつきぬけて、異界に突入せよと読者を挑発するものや、生きることの意義を問うもの、そして生きることを肯定するものなどがならぶ。

 一般的な作家は、ふだんは意識しないが、誰の心の中にもある、魔物に魅入られて道を踏み外しそうになる人生の、日常の裂け目をえがくが、決して一線を越えることなく、読者を冷やりとさせただけで筆をおく。主人公は社会性を踏みにじることはなく、反道徳的なことはもちろん、犯罪に手を染めることなどなく、何事もおこらない。しかし丸山の作品の主人公たちは、かならず一線を越えるのだ。越えたところからが丸山作品の真骨頂となるが、その先の人間は無様であり、生きることのむごたらしさを見せつけられるが、読後感はむしろ爽快である。人間はこういう愚かしい生き物だと同意でき、自分では踏み越えられない異界を体験できて、カタルシスを得ることができるから。

 ひとつひとつ救いのない短編を読んでいくと、テーマは重くなり、文体と思考は深みを増していく。ラストに配される『落雷の旅路』は社会に適合できず、何物にも束縛されたくなくて、何人にもかかわりたくなく、すべてを捨てた初老の放浪者が主人公だ。日常を離れて、つかの間放浪者になることを旨とする当HPの趣旨と趣向とはまったく正反対の、救いのない、世捨て人の放浪者の世界がえがかれる。放浪者の思考は哲学的で、厭世のなかでの自由の正当性や、社会的価値との論争が展開される。

 いつものように警句に満ちた文章、大仰なことばの羅列がつづく。しかしこの文体は、丸山にしかあやつれない、陳腐さに落ち込みかねない、紙一重の輝ける文体だ。作品のバランスもいささか狂っている。言いたいことを書くことに重きがおかれて、美的な仕上がりへの配慮を欠いている。しかしそれもこれも含めた全体で、有無を言わせぬ力に満ちている。

 ラストまで読むと魂を震撼させられる書。


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