猿の詩集 丸山健二 文芸春秋 2010年 上下とも2048円+税
丸山健二の作品としては近年稀にみるレベルの低い作品。
作者の小説は常に力作で、刺激的であり、そしてこれまでにない文体を駆使していて、語彙も豊かに展開し、内容の深さも眼を見張るほどのものばかりだ。作品を発表するにしたがってレベルが上がっていくので注目している。そこで今回も期待して読んだのだが、残念ながらそれは裏切られて、空疎な読後感がのこった。
第二次大戦中、南方に送られた二十二歳の主人公は、絶望的な状況の中で戦死する。魂となった主人公はいつの間にか故郷のもどっており、鳶の中に宿るのだが、直後に原爆が落とされ、鳶の中から吐き出されて、ピカドンで一瞬にして蒸発してしまった詩人の魂と一体となり、更に死にかけていた白猿の体の中に飛び込んで、猿として戦後の日本を生きることになるのである。この白猿が反戦の詩、人間本来の争いのない世界についてノートに綴っていくのが、タイトルになっている猿の詩集である。
誠に荒唐無稽な設定だ。しかしこの設定で作品を書き上げてしまう作者の力量には感服せざるを得ない。しかし内容が良くないのである。
文体はいつもの作者らしく、句読点で延々とつないでいく、修飾過多なもので、歯切れも良いのだが、今回はそれが生きていない。それは反戦を書いたからだ。これまで作者は反戦に触れることはあっても、それだけを主題にして作品を書いたことはなかった。作者は人間の中に潜む荒々しい衝動や情熱、そして何よりこの世は生きるに値するのかというテーマで作品を書いてきた。これらのテーマでは他に類を見ない深さと高みにまで作品を仕上げることができたが、反戦について語ると、陳腐な自虐史観の持ち主の知識人の話を聞かされているようで、説得力も何もないのだ。
戦前の日本人は強権国家にしたがって、自らそれが正しいことなのか考えもしないで戦争をした愚かな民族で、卑下する価値もない、と作者は激しい言葉で日本人を自虐的に罵倒する。政府に指示されたことを鵜呑みにせず、自分の頭で考えて、戦争に反対し、人間らしく生きるべきだったのだと。それができなかった日本人は愚民だと。しかし国家権力に反対して、反戦思想をかかげた国や民など世界に存在したのか。否である。どこに国の大衆も国家にしたがい、帝国主義の食うか食われるかの好戦的な時代をくぐりぬけてきたのである。
作者は誰にもできもしないことをやるべきだと説いて、それができず、戦後になると手のひらを返したように自由を尊重して、アメリカにしたがう日本人を非難するが、それは子供の理想論のようなものだ。大衆というのはもっと柔軟で、生きていくには融通無碍な行動をするものなのである。日本人に限らず、どこの国の人間であっても同じだ。それが正しい人間であって、間違っていると言うなら、敗戦時にみな自殺したらよかったのかと言いたくなる。作者は天下国家を巨視的に、戦略的に見る視点は持っていないし、大衆の求める平和や安定よりも、理念や理屈のほうが大事なようだ。その理屈は地べたから天下国家を語るもので、自分では正論と思っていても、ただ消えていく空論にすぎない。
作者はこの世は生きるに値するか、という観念的なテーマでは他の追随をゆるさない。しかし、天下国家や反戦や大衆のことを語るとなると、売文で生きてきた浮いた存在の作家では、実社会で生きてきた者の支持は得ることはできないだろう。それが作者の限界であろう。
ラストは特に陳腐だ。そして何から何まで作者が語ってしまい、語らずに深みをだすということもなく作品は終わる。力作だが空疎な読後感がのこる。期待がはずれて落胆した。