粗筋は書かない

 読書日記で小説の粗筋は書かないことにしている。ストーリーの展開を知ってしまって本を読むのは興醒めだからである。そうでない人もいるかもしれないが、少なくとも私はそうなので、粗筋に触れないようにしているのだ。やはり小説は先の予想がつかないなかで、どうなるのだろうかと、ハラハラドキドキしながら読みすすむことが醍醐味だとおもう。

 私の読書日記を読んで本をえらぶ人はすくないと思うが、なかには私がすばらしいと書いた本、またはひどい本だとした書に興味をもち、ためしてみる奇特な方がいるかもしれないので、このスタイルをまもっている。

 新聞などに載る書評も、たいていは本の粗筋に触れることなく本を紹介していて、ストーリーをあかさないように配慮している。しかし個人の運営する読書感想文のHPのおおくは、本の紹介はストーリーを書くものだとおもっているようで、違和感をおぼえてしまう。

 自分だけの記録ならばそれでもよかろう。しかし人に読んでもらうのであれば、粗筋に触れてはならないとおもうのだ。

 評論家や研究者を対象にしているならばそれでもよいのだろうが、私は本好きな方、読書人にむけて書いているつもりなので、これからも本を読む人の視点で、粗筋には触れずに本の価値をつたえるように努力したいとおもっている。

 もちろんこれは小説の話であって、歴史書や学術書などはふくまれない。なんとなれば、研究書などは内容をしめさなければ本の価値をつたえようがないからである。

 人には様々な知識と教養の階層が存在する。私の書く内容が物足りなくて、空疎だとおもう人もいるだろうし、難しくてわからぬという人もいるだろう。私は私とおなじレベルの人にしか語りかけられないのは、こうした文章だけでなく、日々の生活全般で、あらゆる場面で感じることでもある。

 私は自分と波長のあう人にむけて、その人がどれだけいるのかわからないのだが、これからもこのスタイルをまもって、勝手な感性と価値観、美意識で、読後感を書き連ねていくつもりである。

 私は小説の面白さに惑溺して生きているので、おなじような、読書家にむけて文章をおくる。

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