東電OL殺人事件 佐野眞一 新潮社 2000年 1800円+税
1997年に渋谷でおこった東電OL殺人事件を追ったルポルタージュである。
この事件はセンセーショナルな事件だった。しかし内容が内容だけに、新聞だけでは詳細がよくわからず、そのうちに事件が風化してしまい、記憶から消えていってしまった。それがこの本に出会って、殺された女性のことがわかって、人の心の壊れかたに、思いをいたさずにはいられなくなってしまう内容である。
殺害されたのは東電につとめる39才の女性だった。彼女は月曜日から金曜日までの平日は、東電を退社した後で渋谷で売春をし、土・日・祝日はホテトル嬢として夕方まで勤務した後で、また終電まで渋谷で売春をしていた。その彼女が何者かに殺されて、容疑者としてネパール人の男性が逮捕されたのでが、事件の概要である。
本書は殺害された女性と、容疑者として逮捕起訴された男性を調査していく。その過程で作者は、容疑者の男性を無実と信じるようになり、ネパールにまで事件当時の容疑者のアリバイを調べに行ったりして、判決のでるまでの3年間の裁判も追跡している。
判決は無罪判決が出るので、作者は警察の捜査の甘さを痛烈に指弾している。しかし私が読んだ印象では、警察が容疑者を犯人だと信ずるに足る疑わしさが容疑者にはあり、また状況証拠もあると思う。証拠がなかったために裁判では無罪となったが、警察の判断を頭から非難するのはどうかと感じられた。
裁判よりも本書でポイントとなるのは、一流企業に勤めていながら売春をしていた彼女の内面である。彼女は慶応大学の経済学部を出ている。父親は東大卒でエリート家庭の出身なのである。そして彼女は東電の給料だけで1千万の年収を得ていたのだ。その彼女がウィークデーは東電の退社後に道玄坂の上のホテル街で大っぴらに通行人に声をかけて売春し、土・日・祝日は昼間はホテトル嬢として勤務し、夜はまたも路上で売春をもちかけるのである。その彼女は1日の売春で4人の客をとることを自らのノルマにしていて、人気のない駐車場の暗がりでも売春行為におよんでいたと言うのだ。2000円、3000円の少額でも体を売り、容疑者となった外人の客をとることも躊躇しなかったし、路上で立小便さえもしていたと言うのだ。
作者は女性の行為を坂口安吾の堕落論になぞらえて、−−命がけの堕落を世間に見せつけることで、この世の虚妄と欺瞞を丸ごと暴き、人間の最後の尊厳を自らの肉体をもって守ろうとしたーー、と考察しているが、そうではなく、女性は心を病んでいたのだと思う。
毎日休みなく売春し、手帳にその日の売春の結果を几帳面に美しい筆跡で書いていたという女性は、拒食症だったそうだ。そして帰宅しない女性を案じて捜索願いをだした母親は、娘が売春していることを知っていて、その旨を警察に話している。それらを知ると人間の心の闇が見えて、慄然とするほかない。売春せずにはいられない衝動が、女性にはあったのだと。家族にもそれは止められなかったのだと。
本書の文体は詳述を重ねていくスタイルで、細かすぎるし、繰り返しも多く、読んでいて苛々させられるところがある。特に後半の裁判の内容を取材した部分は、整理して短くしたほうが読みやすかったであろう。ただ、これが作者のスタイルなのだろうとは思うし、この作品が力作であることは間違いない。一部感情が先走って冷静さを欠くところもあるが、それだけこの作品に集中した結果なのだろうと感じられた。
作者の感性に疑問を感じるが、作者の行動力、取材力には感心する。他の作品も読んでみたい。