『吾輩は猫である』殺人事件 奥泉光 新潮社 1996年 

『吾輩は猫である』の主人公の猫が語る、奇想天外なSFファンタジー。

 主人公は『吾輩は猫である』のラストで、ビールの酔いに足をとられ、水がめの底に溺死したはずの、猫である。水のなかであがくのをやめ、力をぬいて意識を失ったところで漱石の小説は終わるが、じつは猫は死んでおらず、上海にむかう船(愉快なことにこの船の名は虞美人丸である)のなかで眼を覚まし、欧米列強の思惑うずまく明治時代の上海に上陸するのだ。

 出だしから奇妙奇天烈な書きだしだが、文体は漱石のものを真似た旧漢字旧仮名混じりのもので、凝っているが、一般的には読みにくいものだろう。しかしこれだけ大部の本を手にとる読書人にとっては、ふつうの人が敬遠したくなる文体も、楽しみを倍加するエッセンスにしかならないのだ。

 殺人事件とタイトルにあるからには人殺しはおこるのだが、殺されるのは、なんと珍野苦沙弥先生その人、猫の主人である。しかも密室殺人であるという仕掛けの細かさだ。事件は日本の苦沙弥邸でおこるのだが、上海の日本語新聞を読んで知った猫と当地で知遇を得たユニークな猫たち、フランス猫の伯爵、ドイツ猫の将軍、地元中国猫の虎君、ロシア雌猫のマダム、そしてなんとイギリス猫のホームズとワトソンまでかかわって、殺人事件の推理競争をしてストーリーはすすんでいく。

 これだけでもたくさんの種と仕掛けがあるのがわかろうというものだが、人間で登場するのは『吾輩』にでてくる、迷亭、寒月、独仙、東風、多々良、甘木医師らがそのまま活躍するのだ。

 作品中で猫が夢を見るが、これは漱石の短編集『夢十夜』を下敷きにしている。『吾輩は』のストーリーとエピソードを巧妙に取り入れつつ、伏線を引き、じつに驚くべくラストにもっていく。作者の想像力と発想力、そして漱石に似せた文体で書ききってしまう文筆力には敬意を表するほかない。

 本書は作者のSFファンタジー3部作、『鳥類学者のファンタジア』『新・地底旅行』の一画をなすという。内容的にはいちばん娯楽性の高いものだ。私の好みでは、鳥類学者、新・地底旅行、吾輩の順である。本書は知的娯楽小説とでも呼べるものであろうか。

 漱石の知識がなくとも十分に楽しめると思う。