9月7日(金) カムイワッカとタイヤ・トラブル

 

 国設羅臼温泉野営場の朝

 

 5時30分に起床した。ガスがでていて明るくならず、目覚めるのが遅くなったようだ。霧が濃いので天候はわからない。冷え込んでいた。変人と私大生君は起きてこない。特に私大生君は盛大に鼾をかいている。正油ラーメンを作って朝食とし、テントの撤収にかかった。まわりのキャンパーもほとんど起きていて、朝霧のなか挨拶をかわしあい、朝食の準備をしている。そのなかに私大生君の鼾がひびく。太鼓の青年はテントの前に座りキャンプ場をながめている。酔っぱらいがやってきて、釣れたか、と聞いた。入れ食いだったけど小さいのばかりと答えるが、酔っぱらいは酒にやられている。昨夜の強引さ、眼のすわりはなくなっていたが、まだ酒の残っている崩れた表情をしているから、これではアル中の一歩手前だろう。

 口のきけない若者が発泡スチロールのトロ箱をかかえて帰ってきた。漁港で買ってきたのかイカが詰まっている。それを老人が周囲に配りだした。
「これどうぞ。差し上げます。どうぞ食べてください」
 酔っぱらいにもやっているが、悪びれるどころか如才なく受けとっているから、なんだもらった物で飲んでいるんじゃないか、と思う。隣りのテントの夫が老人のイカのさばき役らしく、水場でイカの処理をはじめた。老人はイカをやった人に正油を持っているのか聞いている。なければこれを差し上げます、と正油の小瓶まで手にしていた。
「○○さん、気をつかいすぎるから、胃が痛くなるんですよ」と相手が言う。
「いや、今日は薬を飲んだから大丈夫です。痛みません。それより正油はよろしいですか?」
 そんなに気を配ることもないのに、なんだか痛ましくなってきた。そこへ変人が釣りから帰ってきて、寝ているものとばかり思っていたから驚いた。変人は、5匹釣れた、と言って小さなオショロコマをコンビニ袋に入れて持っている。私がリリースした10−15センチの稚魚たちだから、こちらはほんとうに痛ましい。
「昨日は入れ食いだったんだけど」と言うと、
「そんなことないよ。なかなか当たらなくてさ、どうしてだろう」
「それは仕掛けと腕の差でしょう」
「そんなに違うかな」
 ラインに0.2号を使ったことは言わずに、
「渓流釣り歴10年だから」と答えると、
「ふーん、ま、これをソテーして食べよう」

 口のきけない若者がやってきた。昨日は釣れたか?、と聞いてくる。小さいのだけ、と答えると、昨日どうしてもわからなかったことを伝えようとする。手の平に文字を書いて、ジェスチャーをしてあらわそうとしていることをじっくりと見ていると、今度はわかった。エサに川虫を使えと言いたかったのだ。キヂやブドウ虫では大型はかからない、と。それでは首都圏と同じだが、奥多摩や丹沢、秩父では川虫でなければチビさえかからないから、入れ食いとなるここはやはりすごいところだ。

「エサ余ってない?」変人が近づいてきて言う。
「アオイソメでやったんだけど、海のエサなのが悪かったのかな。ミミズをわけてくれない?」
「いや、余ってないよ」と今度はきっぱりと断った。もう変人のペースにさせるつもりはないし、関わりあうこともご免だった。
「そうか、それじゃ仕方がないな」と呟いてエサ箱を覗き込む。「あ、でも、思ったよりもいっぱい残ってたよ。これなら大丈夫だ」
 ミミズが欲しいのではなく、エサが無くなったのではないか、と思う。まったく自分のことしか考えていない人間だと感じ、もう返事もしなかった。 

 荷物を駐車場にはこんでバイクに積み込む。昨日は気づかなかったが、駐車場の車の中で泊まっている人もたくさんいる。Pキャンの人たちはミニバンやライトバンに生活道具を満載していて生活感いっぱいだ。こちらも長期間旅行者たちだが、男性の単独者ばかりで、ここにも人間関係がいろいろありそうだった。

 7時に出発した。濃霧の中を知床峠にのぼっていく。視界は20メートルほどでスピードはだせない。白い世界を1台だけで、先をさぐるようにしてすすんでいく。霧のたちこめる山は幻想的でも神秘的でもない。見通しがきかず、緊張しているからストレスがたまる。深い谷をわたる橋にかかると、道路の左右には何もないことが感じられて、頼りない心地がする。空の上をすすんでいるような浮揚感にとらわれて、どこか別の世界にいってしまって帰れなくなるような気持ちになった。この急カーブしてのぼっていく霧のむこうには、トワイライトゾーンがあったりして、と。

 標高が上がると霧が晴れだした。雲の上にでたのだ。とたんに太陽の光がふりそそぐ快晴となる。視界が広がると重かった心も晴れやかに軽くなった。左右の風景をながめながら走っているとバイクが1台追いついてきた。大型のオンロード・バイクだ。先にいくかと思ったらついてくるので、2台で編隊を組んだ。

 

 雲海の先に国後島

 

 知床峠へ高度をあげていくと、眼下の雲海の先に国後島らしき山が見えた。その情景がすばらしく、バイクをとめて写真をとる。雲のなかに浮かんでいるのは国後島の羅臼岳だろうか。国後にかぎらず北方領土を見るのは初めてのことだ。しばらくながめた後で走りだすと、すぐに知床峠に到着した。さっきまでいっしょだったバイクもとまっている。ライダーは20くらいの若者で関西ナンバーだ。彼に羅臼岳をバックにしてカメラのシャッターを押してもらった。
「次はカムイワッカの湯ですか?」と彼は聞いてくる。そうだ、と答えると彼もこれからいくそうだ。
 知床峠からの景色はさっき国後島を遠望したところにかなわない。思ったほどではないなと感じていると、またカムイワッカでいっしょになりますね、と言って彼が先に出発した。

 ウトロにむかって下っていくとこちら側には霧がない。快晴のなかを海岸線をめざして走っていく。海にぶつかってからカムイワッカへ右折するものと思い込んでいたので、本来すすむべき知床五湖への入口をすぎてしまい、ウトロの町までいって気づいてUターンしたが、5キロももどることになってしまった。

 ようやく知床五湖への道に入ると、知床峠で別れたオンロード君がカムイワッカ方向から引き返してくる。行くのをやめてしまったようなので、どうしたのだろうかと思っていると、道はすぐにジャリ道となった。それもひどい道で、ダートの上にジャリを均一に敷きつめた状態の浮きジャリダートとなっており、ハンドルをとられてしょうがない。ジャリを入れて工事車両でならしたばかりのようで、工事の車が何台もとまっていた。

 ジャリさえなければなんということもないダートなのだが、浮きジャリの上を走るから、直線でも絶えずハンドルをとられるし、コーナーでバイクをバンクさせることは不可能だ。振られるハンドルをおさえつけていくので、肩に力が入り、ガチガチになってしまう。この浮きジャリダートを走っていて、二度フロントをすくわれそうになったが、なんとか立て直した。フロントからコケそうになると、いつも反射的にでる右足路面キックで、転倒をまぬがれたのだ。オンロード君が嫌になってカムイワッカの湯を諦めてしまった気持ちがわかる。私もよほど帰ろうかと思ったほどだ。言葉にならない声をもらし、眼をつりあげて難所をこえたが、ただでさえ走りづらいのに、荷物を満載していて重心が高いから、非常に怖かった。

 恐いと言えば熊も怖ろしかった。いたるところに『熊注意』の看板がでている。『熊に接近・エサやり禁止』ともあり、こんなことは当り前だと思うが、じっさいに熊にエサを与える馬鹿者がいるらしい。そんなことをしたら人間の食べ物の味を覚えてしまい、誰かを襲うようになってしまうと思うが、そこまで頭がまわらないらしい。熊多数生息地帯、熊を見た方は知床観察センターに連絡してください、ともでている。この林道でも前後に車はなく、1台だけの走行だ。カーブをぬけた先に熊がいると嫌なので、ホーンを鳴らしながら走っていった。

 ジャリは林道の半分をすぎた地点からなくなった。こうなれば走りやすくなりペースも大幅にあがる。スピードアップしていくと8時にカムイワッカの滝に着いたが、意外にもたくさんの車とバイクがとまっていた。DRをとめて凝ってしまった肩をグルグルとまわす。帰りもまた浮きジャリダートを走らなければならないから気が重いが、とりあえず目的地に到着したのだ。

 水着とタオル、私大生君に聞いたとおり代えの靴下をザックに入れて滝をのぼっていく。なるほど草鞋を貸している。料金は500円だが、朝早いから誰も借りていない。草鞋貸しのおじさんが、借りていけ、と言うが当然借りない。しかしこれで商売になるのかなと疑問に感じるが、山も沢もわからない人が借りるのだろうか。

 カムイワッカの湯にのぼっていく。はじめはルートがわからず、林のなかに入っていく踏み跡をたどると、道はなくなってしまった。どうしたものかと思っているとカップルがのぼってきた。彼らは川のなかを歩いていて、沢をずっとのぼっていけばよいのだと気づく。カップルにならい、靴を脱いで靴下になって沢をのぼっていった。靴下だと岩の上を歩いても滑らないし、痛くもない。私大生君のアドバイスは大当たりだと思いつつ歩けば、渓流釣りで慣れているから沢登りは苦にならない。すぐにカップルに追いついて先行する。流れる水は徐々にあたたかくなってくる。靴下をとおして感じられる沢の流れは、間違いなく温泉の湯だった。

 カムイワッカの湯は思ったよりも遠い。すぐにあるものと考えていたのだが、トラロープのかけてある大岩を越えたりして意外に険しい道行だ。靴ひもを結んだ靴を首にかけて足早にいくと汗をかいてきた。

 約15分でカムイワッカの湯についた。大きな滝壺が天然の風呂となっている。広さは畳十枚ほどだろうか。滝壺には男性がひとり入っていて、同行の男が写真をとっている。カメラマンだと一目でわかり、取材ですか?、とカメラマンにたずねると、ええ、とうなずくがどこのとは言わない。私もどうでもよいから聞かないが、モデルは見たことのない、平凡な外見の青年で、アウトドア雑誌か山関係の匂いがした。モデルは全裸だった。

 

 カムイワッカの湯

 

 撮影が終わるのを待って滝湯にはいった。あとからカップルが来ることがわかっているから水着をつけて湯につかる。モデルが、入っていると暖かいが、でると寒いよ、と言う。たしかに湯温は低いがつかればちょうどよい感じだ。しかし刺激が強い湯だ。酸性が強いのか、湯にあたる肌がビリビリする。手ですくって顔を洗えば、眼をつぶっていても眼がビリビリ、体中ビリビリで長くは入っていられない。そして出れば寒く、言われたとおりだった。

 カメラマンとモデルは沢を下っていった。湯からあがって体をふいているとカップルがやってくる。どうでしたか?、と聞くので、入るとビリビリ、出ると寒い、と答えた。ふたりは用意よく服の下に水着をつけていて、すぐに滝壺へ。すると、うわっ、ビリビリだ、と叫んでいる。ところで凄い道でしたね、と彼が言う。前をいくあなたのバイクが見えましたけど、車で走るのも恐いジャリ道を、よくバイクで走れますね、と。いや、私も恐かったんですよ、2度転びそうになったし、どうなることかと思いましたよ、と答えた私だった。

 川を下っていく。しばらくいくとカメラマンとモデルがいて、また写真をとっていた。邪魔をしては悪いから撮影が終わるのを待つが、岩場に倒れこんで空を見上げている大仰なポーズの、モデルの顔のアップをとっている。雑誌の撮影はこんなにもわざとらしいものなのかと思っているとモデルが私を気にして立ち上がり、先にいってください、と道をゆずる。その横を通りすぎながら、集中できませんか、と声をかけたらモデルは返事をしなかった。

 9時20分にバイクの元にもどった。まわりを見てみるとオンロード・バイクもやってきていて、よくやるなと感心する。そのうちの1台、アメリカン・バイクの青年にようすを聞かれたので、草鞋は不要で靴下でのぼれること、約15分でつくことを教えると、彼は沢をのぼっていった。

 これで旅の予定はすべて終了した。ツーリングにでる前や、でた後でも倶知安にいるころまでは、知床まで行きつけないかもしれないと思っていたのだが、こうしてたどり着くことができたのだ。あとは明後日までに自宅に帰ればよいだけだ。月曜からはまた日常が、仕事が待っている。

 明後日までに自宅にもどるのは、通常ならば問題はない。高速は使わなくとも、フェリーも函館ー青森間を利用しても十分に着くのだが、タイヤの不安がある。あらためてリヤ・タイヤを点検してみると、不思議なことにここ2・3日はまったく減らなくなっていて、スリップ・サイン(タイヤ交換の目安になる磨耗ポイント)まで1ミリの残量となっているが、これから2000キロはとてももつまいと思われる。タイヤを換えなければならないが、先日思い出した北見のショップに行こうかと考え、近くにある大きな街は網走と北見なので、その両方にいってみることにした。

 網走、北見といくとなればまた北海道の中央部を走ることになる。帰りは襟裳岬を通る海岸線を走りたかったのだが、諦めるほかない。まず網走にいき、タイヤが入手できなかったら順次、北見、旭川、札幌とすすむことにした。しかしタイヤがあるのかどうかひどく不安だ。前にも書いたが、17インチのリヤ・タイヤは都内のショップでもまず在庫がなくて、交換のたびに取り寄せなのだから。もしもタイヤがなければそのまま走りつづけて、タイヤの表面のゴムがなくなって内部のカーカスが見えるようになるまで磨耗してしまっても、だましだまし走れば2000キロ行き着けるだろうか。しかし途中でタイヤがバーストしたら、バイクは置いていかねばならないだろうし、事故をおこすかもしれない。それはリスクが大きすぎるから、よい年をした男がやることとは思えない。どうしようもなければ苫小牧から大洗までフェリーに乗る手段もあるが、その場合は時間の関係で、月曜の朝までに帰り着けないかも知れず、そのときには休暇を1日伸ばすという、ベテラン職員らしからぬ恥ずかしいドタバタを演じなければならず、できればそうしたくない。それより何よりバイクで走りつづけて帰りたい、などといろいろと考えてしまうのだった。

 目的地がなくなるとタイヤの不安だけがのこった。焦る気持ちで出発する。浮きジャリダートに入っていくが、帰りは慣れてしまって楽に走ることができた。来るときにはずっと2速で走ったのだが、帰りは3速で走行する。それだけ速度が上がっているわけだが、コーナーも軽快にまわっていく。調子にのると痛い目にあうぞと自制しながらも、アクセルをあけた。ダートは来るときの半分の15分で走り抜けてしまったから、慣れるということは大きいことだ。 

 

 最果ての知床

 

 岩尾別温泉の入口にサケマス孵化場があり、気持ちに余裕があれば見学したいところだが通過する。舗装路にもどると、来るときには気づかなかったすばらしい景色が眼についた。道路の左右にあるのは、木のはえていない高原状の草原の広がりで、潅木がはえて大岩が点在し、最果てのムードである。バイクをとめて写真をとるが、車の観光客も前後に停車してさかんにシャッターを切っていた。

 9時40分にウトロに着いた。海岸線の国道をバイク屋めざして飛ばしていく。オシンコシンの滝があって観光バスが集まり、賑わっているので見ていきたかったが、ここも通過した。オシンコシンの滝は見学したことがないと思っていたのたが、帰ってから調べてみると1983年のツーリングで滝の前で写真をとっていた。完全に忘れていたのたが、昔は滝の周囲に駐車場やトイレなどは整備されていなかったから見違えてしまったのだ。

 R334をひた走る。斜里についた段階で、網走にいくとロスする距離が長すぎると判断し、網走は捨てて北見にむかうことにした。雑誌にでていた北見のバイク・ショップは規模も大きく、タイヤの在庫も豊富にそろっているだろうと思われる。もしも北見になくとも、その160キロ先にある旭川ならあるだろうとも予想したのだ。

 R334は海岸線をはなれて内陸にはいっていく。畑と牧草地、丘陵地帯をぬっていくが、遅いトラックがいると追い抜いて先を急いだ。小清水町をぬけて美幌につくと、美幌バイパスが無料とでていたのでそれにのる。この道は北見までいっているものと思ったが、たったの1区間しかなくて、入ったらすぐに終点という感じだった。

 タイヤのことが不安で焦ってしまい、ひたすら急ぎ、走りづめに走った。しかし北見まで19キロの地点であえて休憩をとった。時刻は11時45分でカムイワッカからここまでずいぶんと時間がかかった気がしたが、2時間しかたっていない。しかし気持ちは乱れていて、冷静さを失いそうなので休んだのだ。

 バイクをとめたのは街道沿いの潰れてしまったドライブインの駐車場だった。タイヤを確認してみると、当り前だが先ほどとおなじ状態だ。タイヤの在庫があるのかどうかも不安だが、なかったときに利用する、フェリー乗り場までの距離と、船の航行にかかる時間も気がかりだった。苫小牧から大洗までフェリーを利用する場合は、明日の朝の便に乗らなければならないが、果たしてそれに間にあうのか。また次善の策として、室蘭から八戸にいくフェリーもある。こちらも走る距離はかなり短くなるが、タイヤがダメになって走行できなくなってしまったら、たとえば八戸で走行不能となったとしたら、どこかにバイクを預けて帰り−−バイク屋に修理を依頼するなどしてーー後日引取りに来なければならない。八戸でなくて北海道でタイヤがバーストすることだってありうる。北見、旭川、札幌とまわってもタイヤはなくて、しかもそこに行くのに時間がかかってしまったら、月曜日には出勤できなくなってしまう。仕事は無理に休んだのだし、今週も厳しい状況だから休暇を延ばすことは避けたい。考えれば考えるほど不安はつのり、走っていてもそのことばかりを考えてしまうので、バイクをとめたのだ。

 タバコに火をつけて地図をにらむ。納得がいくまで見る。北見まで19キロ、北見ー旭川が160キロ、旭川ー札幌が253キロ、札幌ー函館が295キロ。かなり距離があり状況はきびしい。しかし案ずるよりも生むが易しだ。これは私が困ったときに頼りにする言葉で、昔からのピンチの友だ。じっさいどうしたらよいのかわからないような深刻なときも、いつも生むが易しだったのだ。だから今日もそうなると、自分に自己暗示をかけようとするが、そんなに簡単にはいかない。しかしどうにかなる。いや、なるようになるとも言える。たとえバイクを置いて帰ることになったとしても、そのときはどうにかなると考えたが、なんだか腹が痛くなってきてしまった。

 美幌からR39で山越えして北見にはいった。市街地にむけてアクセルをあけるが、雑誌にでていたバイク・ショップがどこにあるのかわからない。適当な店にはいって在庫を聞き、なければありそうなところをたずねればみつかるだろうと考えていた。

 北見は大きな街で、道路も片側二車線の広い道だった。前方を集中して見つめ、バイク・ショップがないか探していると、ホンダのショップがあったので飛び込んだ。店頭にはオフロード・バイクが何台もあって、部品やタイヤの在庫もありそうな感じだった。入店すると奥さんがいたので17インチのリヤ・タイヤがあるのかどうか聞いた。女性ではわからないだろうと思ったが、知識は店主と同等だった。

「17インチ? 17インチのタイヤ? そんなのないよ。ちょっと待って」
 奥の整備工場にいたご主人を呼んでくれる。
「ねえ、17インチのタイヤなんてないよね」
「そんなのないよ」とご主人がでてきた。「どんなバイクに乗っているの」と表にとめてあるDRを見にいって、
「おお、すげえ珍しいバイクだ」 

 おふたりはタイヤ屋に在庫の問い合わせをしてくれた。しかし、ない。北見にこのサイズのタイヤはないと言うのだ。
「北見全体でないんですか?」
「ない」とご主人。
「旭川は?」
「ない」
「え、ほんとうに?」
「ない」
「どこを通って帰るの?」と奥さん。
「どこでもいいんですが、どうして?」
「あるとすれば札幌しかないから、今から手配して、通過するショップに送ってもらうしか方法はないのよ」
「そんな」
「あるとすれば札幌だけで、もしかしたら札幌にもないかもしれない」
 絶句である。するとご主人が、
「タイヤはまったくないの?」と聞いてきた。
「あと1mmくらいでスリップ・サインがでるんです」と答えると、
「見てみよう」とDRを点検してくれた。すると、
「なんだ?」と言っている。どうしたのかと思い、
「これです」とスリップ・サインを示すと、
「これはスリップ・サインじゃない。ただタイヤの山がなくなるだけ。スリップ・サインはその奥の、これだよ」とほんとうのスリップ・サインを指差す。あれ? おお! こっちだったのか、だとしたらまだ、まだ…‥。あまりのことに言葉がでない。
「これなら東京まで走れる。2000キロくらいだろう」
「はい」
「大丈夫、いける」
「どうもすいません、お騒がせしました」

 店にもどっていくご主人の背に深々と頭を垂れる私だった。しかしスリップ・サインを見誤って、しなくてもよい心配をしていたとは。入れ替えたばかりのタイヤが2000キロでダメになるのはおかしいと思ったのだが、こんな結末になるとは。正に案ずるよりも生むが易しとなったが、自分が情けなくなってくる。しかしこれで陸路を走って帰ることができるのだ。走れさえすれば日曜の夜までに自宅に帰りつけるだろうから、勤めにも支障はでない。残念なのは襟裳岬などの海岸線を走れないことだが、それは自ら招いたことなのだから何も言える立場ではなかった。

 

 北見駅 

 

 不安が消えた反動で喜びがわきあがり、なんだか虚脱感にもつつまれて、そして何より恥ずかしいのをこらえて出発する。しかしよかった。進んでいくと北見駅があった。ここは1981年に自転車できたときに野宿したところだ。懐かしくてバイクをとめて写真をとるが、駅は昔と同じ三角屋根のデザインで、建て替えていないのだろうか。一方で街はずいぶんと変わった。大きく立派になったのだ。感慨がわきあがるが先を急ぐ身、すぐに出発した。

 気持ちが楽になると空腹に気づいた。我ながら単純である。北見の街の食堂を物色していくが、どこも高そうだ。そのうち街をでてしまった。先にすすむと2人組のカブ君がいる。片手をあげて追い越すと、ミラーのなかで彼らも手を振っていた。

 相内にJAコープがあったので天丼を399円でもとめ、店の横で食す。人が通るのが気になるが、その気持ちを押し殺していたから、半分くらいは旅人になっていただろうか。しかしまったく気にならないという境地にはなかなか達することはできないものだ。

 昼食を終えるとJAコープにまた入り、弁当ガラを捨てさせてもらった。自動販売機でタバコを買って出発しようとすると『わかば』がある。珍しいし安いので初めて買ってみた。1箱160円である。さっそく火をつけて吸ってみると、まずい! ひどく不味く、こんなタバコもはじめてだった。

 走りだすとすぐ先のセブンイレブンでカブ君ふたりが食事中だった。いつの間にか抜かれていたようで、また手を振って通過した。留辺蕊をぬけて石北峠をのぼっていくと空模様があやしくなってきた。峠道にはトラックが多く、そのなかでも伐採した木材を積んだトラックは遅くて、強引に追い越していく。抜いてもすぐ先にトラックがいることはわかっているのだが、やめられなかった。

 ついに雨が振りだした。降雨の強さと空のようすを見てカッパを着ることにするが、駐車場にバイクをとめて雨具をつけていると、これまでに抜いたトラックがどんどん通過していくので、これまでの努力はなんだったんだ、と恨めしくなった。ところで駐車場は川に接していた。見にいってみると浅いザラ瀬の沢だが、釣人がはいった跡がたくさんある。ここならば熊もでそうにないから、次回は、あるかどうかわからない次の機会では、ここで竿をだそうと考えた。

 雨足の強まるなか、大人しく車の列に入って石北峠をこえた。標高は1050メートル。下っていくと眼もくらむほど落差のある谷にかけてある橋をわたる。高いところは苦手なので、バイクの高い視点から谷底を見ると眼がまわりそうだ。しかしこの高所をいく道路を作るために、いったいいくらかかったのだろうかとまた考えてしまった。

 原生林になかを走り大雪湖につくと国道273号線に左折した。南下していくルートだが、左に曲がったのは私だけで、まわりの車はすべて層雲峡・旭川方向にいってしまい、人気のない雨の山道を1台だけですすんでいく。やがて湖畔をはなれて登り坂となり、道内の国道でいちばん高い三国トンネル、三国峠をこえた。標高は1139メートル。トンネルをぬけると雨が激しかった。たたきつけるように降っている。カッパにブーツカバーをつけ、グローブも雨用のものにしているので濡れることはないが、雨粒にたたかれるのに耐えてすすむのみだった。

 すばらしい原生林を貫くR273を下っていく。晴れていればさぞかし美しい景色だろうが、視界はきかない。前方を見据え、アクセル開度を一定に保ち、ほとんど同じ姿勢のまま坦々と距離をかせいでいく。前後に車はなく、すれちがうことも稀である。見るもの、感じるものは激しく降る雨のみだ。楽しい休暇中なのだから、雨でも辛いはずなんてない、と思ってみるが、やはり辛かった。

 道路脇にエゾ鹿が4・5頭たたずんでいた。木の葉の繁りの下に集まって、雨宿りをしているようだ。ところでこの三国峠をこえていく道は昔はなかったと思う(ダートの道があったようだ)。この道路ができて便利になったのだろうが、また建設費はいくらかかったのだろうかと考えてしまう。原生林を貫いて、深い谷に何本もの橋をかけ、何十キロにもわたって伸びる道路は、今はほとんど交通量はないが、すぐ東に道道があるのに新設する必要があったのだろうか。そして冬は通行止めになってしまうのではなかろうか。地元の人は便利になったのかもしれないが、費用と利用状況を考えたら、とんでもない無駄使いではないのかと感じられた。

 ガスがリザーブとなり心細くなった直後に糠平湖についた。GSがあったので給油をする。25.07K/L。1660円。
「バイクはたいへんですね」とGSの主人が言う。
「天気予報はなんと言ってますか?」と聞くと、
「明日の午前中まで雨だそうですよ」とのこと。
「そうですか」と言って深く息をつくと、
「私が言っているんじゃなくて、天気予報がそう言っているんです」だって。よほど落胆したように見えたようだ。
「雨はあなたのせいではないですよ。どうも」と言ってGSをでた。

 R273をそのまま南下したほうが早いのだが、味気ない国道よりも然別湖を見て行きたくて、道道85号線をいく。道は狭くなり、カーブもきつく、頭上を木々が生い茂った暗い山道となった。幌鹿峠をこえていく道で、ここもすれちがう車も稀である。雨は弱くなったが降りつづけていた。

 峠をこえていくとやがて然別湖が見えてきた。雨の湖は寒々しく、景色も暗く沈んでいて美しくない。周囲の森の緑の色調もかげっている。眼を惹かれるもののない雨の森をすすみ、湖畔にでて、ホテルとみやげもの店のある展望台があったのでバイクをとめた。真っ白なお洒落なみやげもの店に観光客の姿はない。いるのは従業員ばかりで時刻は15時30分だった。

 

 雨の然別湖

 

 雨のそぼ降る然別湖の公衆電話から職場に電話をした。するとまた要領の悪い同僚がでたので、相手には何も言わせずに一方的に喋って切ってしまう。連絡をしたという事実がのこれば用件はすんだも同然だし、何かあれば携帯にかけてくるからそうしたのだが、このときばかりは旅人の心は消え去り、完全にふだんの私にもどってしまっていた。

 金曜日なので職場に電話をかけるのもこれが最後で、旅の終末を意識する。ただ今夜どこに泊まるのかまだ決まっていない放浪の空の下だ。雨に打たれるバイクを見ながら、カッパ姿で、公衆トイレの軒下をかりて今夜の宿泊地について思案する。

 時間が遅くなっているのでここで結論をださねばならない。キャンプをするならば日高にある沙流川キャンプ場が距離的に適当と思われるが、雨は強く、気温は低い。降雨は明日の午前中まで続くということなので、キャンプは避けたい。抵抗はあるがライダーハウス(RH)に泊まることに決めた。

 RHは若者ばかりがいるイメージがあって、これまで利用しようとは思わなかった。若者と話があうわけがないからである。若い人たちのなかで孤立したくはないし、かと言って若者に迎合して無理にあわせるつもりもない。RHで一晩の時間がたつのをただ待つというのも気乗りがしないし、なにより気楽で自由なソロ・キャンプが大好きなのだ。しかしこの雨と寒さでは野営したくはないし、かと言って民宿やホテルに泊まるとなると5・6000円の金はかかり、RHならば安く宿泊できるから、背に腹はかえられぬと思ったのだ。

 こんなときのために『ツーリングGOGO!』の北海道0円マップ掲載号を持参していた。これから走れる距離を考えると、やはり日高町周辺と思われるので、この付近にしぼってRHをさがし、そのなかでも宿泊料金がいちばん高い『ライダーハウス・ムーミン日高』に狙いをつけた。料金が少しでも高いほうが宿泊者の年齢と質が高まると考えたのだが、それでも料金は1泊1000円と申し訳ないほど安い。さっそくみやげもの店の公衆電話からムーミンに連絡すると、おばあちゃんがでて、今夜泊まりたいと言うとあっさり、いいですよ、との答え。この時間でも大丈夫ですか?、と重ねてたずねると、どんなに混んだって、いっぱいになることなんてないんだから、とのこと。RHは無料や100円と低額のところも多いから、1000円は大きな金額なのかもしれない。それならば私の思惑通りだった。

 泊まる場所は決まった。安んじた心地で雨のなかを走りだす。宿泊地の当てもなく雨の夕刻にバイクを走らせるのは辛いものだが、決まってしまえば気持ちも安定する。鹿追には16時40分、十勝清水には17時に到着した。9月5日に通った道をまたトレースする。同じルートを行くことは不本意なのだが、タイヤの失態があったから仕方がない。日高まであと60キロだが、そんなにあるとは思わずにすすんでいった。

 R274を日勝峠にのぼっていく。雨は激しく降り、冷え込んでいる。日も暮れて視界がきかなくなってきた。それなのにまわりの車のペースは速い。雨の夜の車の視界と、ゴーグルにつく雨粒をぬぐいながら前方を見るバイクの視界とでは雲泥の差がある。前がよく見えない山道を必死で走ることになった。

 前をいく大型トレーラーは90キロで走行していた。この流れについていけずに、後続の車に抜かれながら走るのは恐くて嫌だったので、無理矢理ついていくことにする。絶えずゴーグルに雨粒がつき、グローブでぬぐいながら走るが、暗いせいもあってよく見えない。しかも対向車が来ると、ヘッドライトでゴーグルの水滴が乱反射して、ほとんど見えなくなる。そんなときは視点を変えて、ガードレールやセンターラインを頼りにするが、それすらままならずに勘で走ることもしばしばだった。コーナーや対向車が来るとアクセルを全閉にしてさぐるようにすすみ、障害がなくなるとアクセルを全開にして、開いてしまったトレーラーとの車間距離をつめるということを繰り返した。

 アクセルをワイドオープンすると速度は110キロに達する。雨の暗い峠道なので神経をつかう。ただ後続のセダンにせっつかれないのが救いだった。セダンは100キロではもちろん、トレーラーの巡航している90キロでも離れ気味になる。対向車のライトに眼がくらんでアクセルを閉じたときだけ追いついてくるが、それ以外は十分に車間距離があって、気持ちにゆとりが持てていた。

 雨の夜間走行で、視界がきかず、しかも寒いという三重苦に耐えながら標高1020メートルの日勝峠をこえた。今日はいったいいくつの峠をこえたのだろうか。数えようとするが、思考能力が落ちていて思い出せない。帰ってから数えてみると、知床峠からはじまって、石北峠、三国峠、日勝峠と大きなものだけで4つだ。小さなものまで入れたら数えきれない今日の峠越えだった。

 寒い。体感的には10℃くらいで震えながら走る。日勝峠をこえればすぐに日高だと思い込んでいたので、その先がひどく長く感じられた。樹海ラインという森林限界をこえた潅木地帯や原生林をぬけていくのだが、雄大であるはずの景色は見えず、標高がたかくて寒さだけが身にしみる。日勝峠から日高までは40キロ近くもあり、道を間違えたのだろうか、いや一本道だからそんなはずはないと、自問自答を繰り返してようやく到着した。

 日高は何もない小さな町で拍子抜けしてしまった。もっと大きな町だと思っていたのだが、町の中心部に数件の飲食店と商店があるにすぎない。そこに道の駅『樹海ロード日高』があったので、寒さと心理的な疲労のため−−肉体的にも疲れていたがーー反射的にここに滑り込んだ。バイクからよろけながら降り、雨のあたらない建物の軒下に入って時計を見ると18時だった。

 タバコを吸おうとしてザックに入れておいたわかばを取り出すと、雨に濡れてしまっていた。地図やガイドブックも同様だ。然別湖まではなんともなかったのでそのままとしたのだが、その後雨足が強まったのに防水することに気づかないほど余裕を失って走っていたのだ。濡れてしまったザックを足元において、雨のあたらない革ジャンのポケットに入れておいたラークマイルドに火をつけた。

 十勝清水から1時間しかたっていないことが意外だった。雨で見通しのきかない山道を必死で走るという濃密な時間を過ごしたために、もっと時間がかかったものと感じていたのだ。考えてみると雨の夜の峠道を時速60キロで走ったことになる。しかも然別湖を15時30分にでてから走り詰めだった。

 RHまでもうすぐだ。しかしなかなか出発する気になれない。寒さと視界のきかない雨の国道にもどる踏ん切りがつかないのだ。かと言って道の駅で濡れたカッパを着て立っているのもみじめなもので、しばらく躊躇った後に、覚悟を決めて雨の下にもどっていった。

 走りだすと思ったとおり視界はきかないし寒い。ムーミンの看板がでているからそれに従えばよいとおばあちゃんに聞いていたので、見落とさないようにゆっくりと走ると、トラックやダンプに次々にぬかれる。これは誠に恐ろしく、お前ら、雨のなかで飛ばしすぎだぞ!、危ないじゃないか!、と何度も叫んでしまった。

 道の駅からムーミンは近く、10分かからずに到着した。CB750FBやゼファー1100、TDM850などが並ぶ横にDRをとめて一息つく。ムーミンは思ったよりも洒落た建物である。平屋だが新しく、白い壁がらしくない。これまで見てきたRHは、食堂を兼ねたものや倉庫のようなところばかりだったのでなおさらだった。

 荷物を玄関に運び込み、中をのぞくと板の間に同宿の人たちが集まっていた。これから夕食になるらしく、若い男女が料理や食器をはこんでいる。電話で予約した者だが、と案内を請うと、連絡はまったくなかったらしい。おばあちゃんはオーナーらしいがいい加減だ。それでもおばあちゃんの言ったとおり空いていて、問題なく泊まることができたのだから、これでいいのかもしれない。

 夕食は別料金だが食べますか、と聞かれた。食事のことなどまったく忘れていたので、渡りに船とお願いする。しかしふだんは夕食を失念することなどないから、よほど余裕をなくしていたようだ。料理はマーボ豆腐とイカと野菜の中華炒め、ご飯とキノコの味噌汁は食べ放題とのことでしっかりいただいた。

 私が最後に着いた客だった。同宿者は7人。東北から来た同年輩のCB750とゼファー1100のふたり。首都圏からで連泊している27・8のCB1300君。そして東海地方のTDM850君も27・8。ホーネット250に乗る関西の大学生君も連泊で、今日は雨が降らないうちに旭川にラーメンを食べに行ってきたと言う。せっかく進んだのにまたもどってくるというのも、同じ場所に連泊するということも、貧乏性の私には理解できない。ふたりとも私のようにせかせかしないで、気持ちがゆったりしているのだろう。そして話題の中心になっていたのは、首都圏からやってきた23才の原付スクーター君。スクーター君はTシャツ1枚で苫小牧から寒さに耐えて走ってきたと言う。グローブは軍手でセーターはなく、安物のシュラフとテントはあるがマットはない。カッパとスノボのジャケットはあるが、北海道をなめていると皆にからかわれていた。

 スクーター君は大洗のフェリー乗り場にむかっているときから寒かったと言う。でもこれは一時的なもので、明日になれば暑くなるだろうし、北海道の気候のことなど考えもしなかったそうだ。CB1300君が言う。
「日高には何もないから、明日富良野にいって、防寒具を買うしかないね」
「家に帰ればあるものを買うのは癪だし、いいのがあるかなぁ」
「あるわけないじゃん。作業用品店で土木作業のヤツでも買うしかないよ」
「スーパーくらいはあるから、そっちにしたら?」と大学生君。「防寒具にセーターだね」
「それにさ、キャンプ用の銀マットもいるよ」とTDM君。
「なんで?」
「だって寒いんだよ」とTDM君。
「寒い? どうして?」
「マットがないと、土の上に直接寝るのと同じになっちゃう。土は冷えているんだよ。銀マットで遮断しないと、とてもではないが寒くて眠れない。快適に眠ろうと思ったら、銀マットが2枚いるくらいだよ」と私。
「でも、俺のシュラフはスリーシーズン用なんだ」とスクーター君。
「いくらで買ったの?」と私。
「2000円」
「それじゃダメだよ」
「ええー、ほんとう?」
「毛布を買えばなんとかなるよ」
「毛布も買うの? でもスクーターにそんなに積めないよ」
「じゃあ耐えるしかないな」とCB1300君。
 東北のふたりは口が重い。
「ここはまだそうでもないけど、宗谷方向にいくほど冷えるよ。覚悟して行ったほうがいい」とCB1300君はさらに脅かすが、そのとおりである。

「もうやめて帰っちゃおうかな」とスクーター君。「でも、地元の友達に宗谷岬まで行ってくるって言ってきたから、すぐに帰ったんじゃ行かなかったことがバレちゃう。1週間くらい連泊して帰ろうかな。それとも宗谷は次にして、札幌をまわって帰ればいいかな。ああ、そうしちゃいそうな、意志の弱い自分が恐い」
「自分で自分に言い訳したりするんだよね」とCB1300君。「今回は仕方がない。俺のせいじゃないんだって。じつは俺も同じタイプなんだ(そうなの?、と私はびっくり)。でも運がよかったよ。北海道の初日にここに来てさ。いろいろとノウハウがわかったじゃない。必要なものもわかったしさ」
「そうか、明日富良野で買物すればOKかな」
「予備タンもいるよ」とTDM君。「100キロくらいGSのないところもあるから、用意しとかないとね」
「そうなのかーー」
 スクーター君はフリーターのようで勤め人の匂いのまったくしない自由人だった。 

 CB1300君は明日の午前11時発の苫小牧ー大洗のフェリーで帰ると言う。大洗につくのは日曜日の夜9時だそうで、それから自宅に帰り、翌日の月曜日は出勤とのこと。私も月曜から仕事なのは同じだが、ずっと自走していくと答える。函館ー青森間はフェリーだが、その後は高速も使わずに国道4号線だと。よくそんなに走れますね、とCB1300君が言うが、そのほうが金がかからないから、とは口にしなかった。

 寛いだ晩となった。少し前までは雨のなかで寒さに震え、神経を張り詰めて走っていたことが嘘のようだ。年齢差はあるが、誰とも自然に話せるし、RHも偏見を持っていたようなところでもない。連泊のふたりは少し大きな顔をしていたが、それも会話をしているうちに年相応の発言力に収斂されていく。

 あのまま走りつづけていたら、今夜のうちにもっと先まで行けただろうかと自問する。明日の走行を少しでも楽にするために、ほんとうはもっと欲張ったことを考えていたのだ。苫小牧にいけば夜の12時にでるフェリーがあった。大洗行きである。無理をすれば乗れたかもしれず、そうであったなら日曜の昼に大洗につく。またさらに先の室蘭までいけば、深夜2時にでる青森行きのフェリーがあった。航行時間は7時間で、寝ているあいだに本州につくから、効率的なのだ。しかし日高に到着したときにはヘトヘトに疲れていたから、安全を考えればここが限界だった。視界のきかない夜間走行も、寒さももう我慢できなかったから、ムーミンに泊まることにしたのは正解だった。

 風呂に入り自宅に電話してから居間にもどると、CB1300君がビールを飲んでいた。発泡酒だと1本200円とのことでそれを2本飲む。夕食代は600円で宿泊が1000円だから合計2000円だ。ほんとうはさらにチューハイはないの?、と聞きたかったのだが、ビールを2本飲んでいるのも私だけなので自粛しておいた。

 飲むとCB750、ゼファーの両氏の口も軽くなってきた。CB750氏は最近のバイクのことはわからないと言いながら、RMXも所有していると語る。タンデム・ステップなどのないレーサー仕様らしいが、オフはいいよ、と呟く。すると皆が、北海道はオフがいいよね、と言いだした。でも250は小さいし、アフリカでは大きすぎるから、ちょうど中間の650くらいのオフロード・バイクがベストだね、などという結論になったからびっくりしてしまった。
「それ、正に私のバイクのことだ」と言うと、
「ええ!」と一同驚く。それはそうだ。そんなの滅多に走っていないから話題になったのだから。
「何に乗っているんです?」とTDM君。
「スズキのDR650なんだ。自分のバイク以外に、同じバイクを見たことがないよ」
 そそ、それは渋い、通のバイクだ、と皆さんの反応が凄い。DRがこんなに賞賛されるのは、ここが北海道だからだろう。

 バイクの話になるとスクーター君はついてこれないし、ビールも飲まないので宴会モードに溶け込めず、早々に寝てしまった。TDM君がキャンプの話をはじめた。
「これまで最低だったのは、キャンプ場全体でテント4張りというのがあったよ」
「熊がでたらアウトだね」とCB1300君。
「ほんとうだ、考えもしなかった。しかし4張りは少なすぎるでしょう?」
 北海道の初日に泊まった上磯ダムキャンプ場はテント2張りだった。しかもあのときいっしょになったカップルは、テントではなく休憩室にちゃっかり宿泊したから、テントで寝たのは私だけだ。栗沢町のキャンプ場もテント3張りだったが、そんなことを自慢してもはじまらないので黙っておいた。

「キャンプ場にジープ(クライスラー製)のおじさんがいてさ」とTDM君が話をつづける。「北海道の林道を攻めに来たって言ってたよ」
「それは凄い。格好良すぎる」とCB1300君。「でも、車で来ている人って、基本的に金持ちですよね」と私に振ってくる。
 そんなことはないでしょう、車なんて誰だって持っているんじゃないの、と言いそうになってやめた。CB1300君とは年齢差がある。私に当たり前のことが、彼にとってはそうではないかもしれないから、彼の意見を否定するのはやめて、黙って微笑んでおいた。 

 CB1300君が明日の朝5時に起きると言うので、23時にお開きになった。10畳ほどの部屋に3人で横になる。しかしずっとソロ・キャンプをしてきたから隣りに人がいると気になるし、酒も足りなくて眠れない。疲れているというのに。転々と寝返りを打ち、悶々として時間をすごして、ほとんど眠ることはできなかった。

                                       460.7キロ  4219円