8月11日 トラブルの芽と共に旅立ち

 

 

 大洗フェリー・ターミナル

 

 会社をでて雑踏にまぎれこむと、今年の北海道ツーリングがついにはじまった。今夜の23時59分発のフェリーで北の大地にむかうのだ。わきたつ心を持てあましつつ、自宅に急いだ。

 家に帰って準備をはじめるが、まずバイクの点検をしなければならない。気になっていることがふたつあるのだ。ひとつはリヤ・タイヤの位置を決める、チェーン引きのアジャスターが狂っているのではないかという疑いと、もうひとつはタイヤの空気圧である。ふたつの問題は自分でタイヤ交換をしたことによって生じたトラブルだ。タイヤを換えて乗ってみると操縦感がおかしいので、前後タイヤのセンターがでていないと感じたのだが、果たして左右のアジャスターの位置が1コマずれていた。

 暑いなかでタイヤ交換をしたせいか、今回はミスばかりで、自分ながらどうかしていると思いつつ、車載工具のほかにツーリングに持参するメガネレンチでボルトをゆるめ、調整した。これで一方の問題は解決したが、のこるひとつが難物なのだ。ベテラン・ライダーとして恥ずかしいことなのだが、新しいタイヤを組み込むときに、タイヤがなかなかリムにおさまらなくて、力ずくで入れようとして、タイヤレバーでタイヤの耳をいためてしまったのだ。タイヤの耳がつぶれたようになって、ささくれたところが2・3ヶ所できてしまった。

 それでもなんとかタイヤを組んで、正規の空気圧の2sまでエアーをいれると、いためた部分のタイヤの耳が、リムからもりあがってしまった。ショップで見てもらうと、このまま使えたらラッキーですね、という返事で、使用してみないとどうなるのかわからない、とのこと。空気圧を1.5sにするとタイヤはもりあがらずにおさまっている。北海道ツーリングのあいだだけもってくれればよいと考えてそのままとしたが、ツーリングで荷物を満載するのに、1.5sではいかにも空気圧がひくい。北海道では高速走行をすることも多々あるので、あまり空気圧がひくいと、タイヤが加熱してバーストすることも考えられる。そこで泥縄式ではあるがタイヤの耳がわずかにリムから浮き上がる、1.7sまでエアーをいれて点検を終えた。

 メガネレンチをつかったり、タイヤにエアーをいれたりして汗をかき、さらに荷物を積むのに大汗をかいて、ついに出立した。まず何キロ走行するとリザーブになるのかたしかめていくと、380キロで予備タンとなった。ツーリングにでる直前までエンジンとミッションのオーバー・ホールをしていたので、燃費が変化し、リザーブになる距離がわからなくなっていたのだ(興味のある方は『ミッションの変調』をどうぞ)。リザーブになっても5g弱のガスは残るので、380キロ+100キロの合計480キロの連続走行が可能である。メモ魔の私は常にメーターの距離を見ながら走るので、これはきちんとおさえておきたかった。また、オーバー・ホールしたばかりのエンジンはすこぶる調子がよかった。

 今年も高速をつかわずに大洗にむかう。会社の関係各位のご理解とご協力により、早い時間に職場を離れたのだ。そうでなければ高速を利用せざるをえなかったので、その分の金が浮いて上機嫌である。渋滞する都内と埼玉県をぬけ、茨城県に近づくと車はながれだす。国道4号線で茨城と栃木の境を北上し、国道50号線にはいって大洗にむかった。

 結城をぬけて下館にいたると帰宅ラッシュで渋滞していた。車の横をすりぬけていくと、上州屋があったので釣りエサのブドウ虫を499円で買う。今回もチャンスがあれば釣りをやりたいと思っているのだが、毎年北海道でエサを入手しようとすると苦労するので、できれば大洗までに手に入れたいと考えていた。

 すぐ先にラーメン山岡屋があったので夕食にはいった。注文したのは正油ラーメンの中盛り、690円である。以前は『油多めの味濃いめ』を定番としていたのだが、最近は『ふつう』にしている。それでも十分油は多いのだ。山岡屋のラーメンは2年前に北海道ではじめて食べたときには美味しいと思ったのだが、利用するたびに私のなかでの評価はおちている。味は前と変わっていないのだが、油とトンコツのパンチのきいた、下品な美味さともいうべき持ち味が、好みにあわなくなってきたのだ。山岡屋のラーメンはパンチはきいているが洗練されていない。都内の有名ラーメン店で日常的に食事をしているので、それらとはくらべるべくもないから、このところ敬遠していたのだ。あらためて食べてみて、もう山岡屋には入らないなと思ってしまったが、これまで美味しいと書いてきただけに、誰かが食べて不満をもっているのではないかと心配してしまった。

 山岡屋をでてからは早かった。20時過ぎに水戸にはいり、大洗フェリー・ターミナル直前のセブンイレブンには20時30分について、水2gとサンドイッチ、おにぎりなどを688円で購入する。フェリー内での食事は今年もすべて持ち込みですませるつもりだった。

 セブンイレブンをでてフェリー・ターミナルにむかっていくと、後ろからZRX1200が追いついてきて先へいく。ZRXも大量の荷物を積んでいるので、キャンプ・ツーリングであることがわかり、私の頬もゆるむ。赤信号でならんで停止すると、ZRXの彼が会釈をおくってくるので私もかえした。ここはまだ大洗だが、ここまで来ればライダーも北海道にいるのとおなじ気分だ。2台でフェリー・ターミナルにむかい20時40分には到着した。となりでヘルメットをとったZRX君は若い。25くらいだろうか。たがいに笑顔だが、とくに話すこともなくそれぞれ乗船手続きにむかった。

 乗船用紙に必要事項を記入して、購入しておいたクーポンをいっしょに窓口にだせば手続きは終了する。車検証は不要だった。ZRX君は商船三井の窓口にいったり、東日本フェリーにむかったりと、妙な行動をとっている。慣れていないのかなと思ったが、乗船にそなえて船内に持ち込む荷物をまとめるために、バイクのもとにもどった。

 DRとZRXの横には都内ナンバーの3台のバイクがとまっていた。大型サイドカーとスクーター、それに250モタードという脈絡のない組み合わせの初老の3人組で、彼らとも会釈をかわす。ザックのなかにフェリーでつかうものを積めているとZRX君がもどってきた。ずいぶんと手間取ったなと思っていたら、彼はキャンセル待ちなのだそうだ。お盆のいちばん混む時期に、そんな無謀なことをする人がいるとは思いもよらず、驚いてしまった。

「ダメですかね?」と彼がきくので、
「この時期は、大間まで行かないと乗れないのでは?」と答えた。
「そうかぁ、…‥大間まで、4時間くらいですかね」と言うので、
「それは無理でしょう。倍の8時間でもつくかどうか」と私。
 彼のキャンセル待ち番号は12番だそうだ。 

 ZRX君がまた受付にむかうと、となりの3人組のひとりが話しかけてきた。
「すごい荷物だね。これならキャンプするより、ライダーハウスのほうがいいんじゃないの?」
 50台後半の人だ。荷物は林道走行を想定してしぼりこんできている。したがってキャンプ派としては少ないほうだと思うが、ホテル派のお父さんたちから見れば、莫大な量に感じられるようだ。なにしろお父さんたちは日帰りくらいの荷しか積んでいないから。
「ライダーハウスにいるのは、若い人ばかりなんですよ」と私は答えた。「私くらいの年になると、とてもその中にはいる気はしませんし、それにキャンプそのものが大好きで、キャンプすることも目的なんです」
「雨とか降ったらどうするの?」
「雨でもよほどのことがないかぎりキャンプしますが、台風などのどうしようもない時には、ホテルにでも泊まります。でも、ライダーハウスには行きません」
 お父さんは、そうかもね、と言っていたが、自分たちはホテルや旅館利用で、ライダーハウスになど宿泊したことはないものと思われた。
「林道も走るの?」とモタードのお父さんが聞く。
「ええ、それがいちばんの目的で」
「キャンプ場に荷物をおいて、空荷で走るんでしょう?」
「そのつもりですが、行きがかり上、荷を積んだまま林道にはいることもあります。ふつうの林道なら、荷物を積んでいても大丈夫なんですよ。よほどガレていないかぎり」
「釣りもするの?」 サイドカーのお父さんが、荷物の上にバンジーコードでとめてある釣竿を見てたずねた。
「良さそうな川があればやるつもりです」
「林道で?」
「いや、林道は熊が恐くてできません」
「熊は嫌だよね」
「まったく。ですから、林道ではエンジンを止めることもありませんし、釣りなんて、とても、とても」

 お父さんたちは飛行機で渡道する家族と明日合流して、北海道ツーリングを楽しむのだそうだ。それならサイドカーも活躍するだろう。しかし都内でサイドカーの運転は苦しいでしょう? とたずねると、たいへんだよ、とのこと。押しだしはきいて注目はあつまるのだろうが、苦労は察してあまりある。それでも目立ちたいから乗っているのだろうが。

 ZRX君が受付から帰ってきた。彼は人懐こいタイプの若者で、3人組のお父さんたちともすぐに打ち解けて話しだす。私もそれに加わった。彼は商船三井と東日本フェリーの両方にキャンセル待ちをかけているのだそうだ。数年前はこれで乗れたから、と。この時期は予約しなければ乗船できないと考えていたので、そんな世界が展開されていようとは思いもよらなかった。しかし彼にむかってお父さんたちも私も、無理だろう、と言うのだった。今日にかぎっては、と。本人の感触もおなじらしく、
「どこまで行ったら乗れますかね」とまた言う。
「大間じゃないの」と私。
「青森のほうが便数はあるよ」とサイドカーのお父さん。
「でも乗れる確率は、大間のほうが高いな」とスクーターのお父さん。
「東北道は青森まで行っていないから、青森にむかうより、より確実に乗れそうな大間に行ったほうが、効率がいいよね」とモタードのお父さん。
「うーん、前に秋田まで走ってフェリーに乗ったことがあったけど、あれは辛いよー」とZRX君。「岩手までが遠くてさ、その先がまた、長いんだ」
 言葉遣いがぞんざいになるが、彼の笑顔と人柄で不快にはならず、私たち4人は笑ってしまう。
「大間もキツイなー」とZRX君。するとモタードのお父さんが、
「ダメなら東北をツーリングしてきなよ」と突き放す。
「大間からは、函館にしか行かないんだっけ」とZRX君。そのとおりだ、と私が答えると、「函館から苫小牧までも遠いな」と呟いた。
「でも、大間に行って北海道にわたるつもりなんで、北海道で俺を見かけたら声をかけてよ」と元気をとりもどすZRX君だった。「絶対に北海道にわたるつもりなんで」
 それを聞いて私たち4人はまた笑顔になった。

 10時に乗船開始の放送がはいり、DRを始動させてZRX君と別れたが、彼は北海道にわたれたのだろうか。わたってほしいものだと考えていたが、たぶん無事渡道できただろうと思ったのは後日のことだった。

 フェリーの乗船待ちのバイクの列にならび、待つほどのこともなく乗船開始となった。私のすぐ後ろはお父さんたち3人組だ。フェリーの鋼鉄製のハッチの上を走行し、船倉におりていく。地下のバイク専用のスペースにDRをとめ、客室にいくためにエレベーターにのった。エレベーターの中には船会社の職員がいて、
「命がけですが、よろしいですか?」と2度も言う。エレベーターに乗るのになにが命がけなのかと思ったら、
「このエレベーター、シンドラー製なんです」と笑う。
「これだけ年季のはいった設備なら、もう心配なんて、いらないでしょう」と言うと、
「点検はシンドラーが煩雑にやってきて、バッチリやっています」
 とまた笑う。サービスのつもりのブラック・ジョークだ。 

 寝台にいくと指定されていたのは2段ベッドの上だった。下がよかったので、まいったなと思いつつ荷物をおいてすぐに風呂へいく。フェリーに乗り慣れている人が多くて浴場はこんでおり、体を洗うのが順番待ちだ。手早く汗をながして風呂からあがり、第3のビールのロング缶、230円をもとめてがぶ飲みしつつ船内を探索する。カップめんをつくるためのお湯がある給湯室をさがしたのだが、見当をつけて船内後部に歩くとすぐにみつかった。給湯室にはテレビとソファがおいてあったので、ここでくつろいでビールを飲み干してから寝台にもどる。持ち込んだ日本酒の2合ビンをザックからとりだすと、デッキにでてコイツをやった。

 海風にふかれながらベンチにすわり、日本酒をあおればよい気分である。今年の北海道ツーリングもいよいよはじまったのだ。職場と家庭、日常ははるか彼方にあり、私の前にあるのは9日間の休暇、自由な旅のひろがりである。思えば今回の旅行はさまざまな障害がおこって出発が危ぶまれたのだった。ひとつは前にも触れたバイクの故障、エンジンとキャブのフル・オーバー・ホールであり、もうひとつはひとり息子のインターハイ出場と北海道ツーリングの日程が重なってしまったことである。

 バイクの修理は出発の直前、8月3日までかかり、予定通り出立できるのか見通しがたたず、落ち着いて計画をたてることさえできなかった。一時はツーリングの延期も覚悟したが、さまざまな方の助けで、なんとか旅立つことができたのである。また息子の応援は家内と両親に託して、私はツーリングにださせてもらった。

 旅の目的地として選んだのは、北海道最高峰の旭岳にのぼること、昨年は台風の影響で走ることのできなかった道北・道東の林道を走破すること、襟裳岬を25年ぶりに訪ねること、開陽台でキャンプをすること、そして永久ライダーの北野さんが主催するEOC(永久ライダー・オフ・キャンプ)に参加することであった。

 ところでバイクの修理がなってすぐ試運転にでかけたのだが(『木曽まで日帰り540キロ・ツーリング』)、そのおりDRを手に入れてはじめて、13年目にしてクラッチ・ワイヤーが切れた。ツーリングには常にクラッチ、アクセル、デコンプのワイヤーを持参しているので、その場で交換して事なきを得たが、今回のツーリングにでるにあたって、予備のなくなったクラッチ・ワイヤーを買い足してきた。そのときクラッチ・レバーも買おうかと迷って、やめた。ここ10年以上転倒したことはないし、立ちゴケさえもないから、バイクを倒してクラッチ・レバーを折ることなど考えられなかったからである。   

 デッキのベンチで旅のはじまりの心地よい開放感と高揚感に包まれつつ、日本酒を飲み干した。寝台にもどって空になった日本酒のビンに焼酎の水割りをつくり、それを持ってデッキにもどるが、私がすわっていたベンチはふさがってしまっている。デッキへの出入り口のあるのとは反対側の、人の少ないほうにまわりこんでベンチをさがすと、どこかで見たことのある人がひとりでベンチにかけ、ビールを飲んでいるではないか。彼はDR650オーナー・クラブ、略してDOT−Nの重鎮、みずちさんだ。

 さっそく声をかけると、みずちさんもこの偶然の出会いに驚いていたが、ならんで飲みだし、にわか宴会となった。みずちさんは今回礼文島が目的地とのこと。道内4日の過密日程なので、ほぼ礼文ですごすそうだ。みずちさんは永久ライダーの北野さんのファンでもある。今回EOCが16日にあるので、よかったら参加されてみてはと誘ったが、残念ながら日程があわないし、また北野さんが恐くもあるようだ。北野さんは常に恐いわけではなく、ふだんはいたって良識的な方だ。理不尽なことがあれば怒るのであって、心配いらないと言ったが、やはり日程的に無理とのこと。しかし余裕があれば参加したいと表情にでていた。

 フェリーはいつのまにか出港していた。夜空に眼をやり、暗い海のざわめきを聞きながら、みずちさんといろいろなことを語りあった。仕事のことやプライベートのこと、そしてもちろんバイクのことやDOT−Nのことなど。おたがいバイクの大型免許をとったときの苦労話はもりあがった。今とはちがって試験場の一発試験しかなかった時代の話である。みずちさんは鮫洲で私は府中だった。

 現在D0T−Nの会長のカモちんさんも北海道に滞在している。オフ会をやりたいという話もあったが日程があいそうもないと話しあう。みずちさんはDOT−Nの画像掲示板に、私とフェリーで遭遇したとメールをおくっていた。そして私の携帯からも投稿ができるようにアドレスを打ちこんでくれた。

 時を忘れてすごしていたらかなり酔ってしまった。時間を見ると2時をすぎているのでお開きとする。みずちさんと別れて寝台にたおれこむ私だった。

 

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