9月8日 霧の国から

 

 薄明の筑紫恋キャンプ場

 

 休暇の1週間はあっという間にすぎてしまう。今日はもう北海道をはなれる日なのだ。

 5時に起床した。4時にも眼が覚めたのだが、風がビュービューと音をたてて吹いていたのでまた眠ってしまったのだ。5時には雲が切れて晴れてきたので活動を開始し、インスタントラーメンをつくって朝食とする。昨夜は3時にもトイレに起きたのだが、キャンプ場内に鹿が1頭いて草をたべていた。鹿は台風の夜でも食事をするのかと思ったが、にぶい動物だから行動に整合性がないと思う。また昨夜はときに風がうなりをあげて雨もはげしく降ったが、全体的には大したことはなく、これなら十分にキャンプができたと思うが、それは後になってわかることで、バンガローに泊まったことは妥当な判断だと思うのだった。

 ラジオをつけると台風は秋田付近で日本海にでて、函館に上陸し、今は苫小牧近くにいるらしい。方向からいってこちらにむかってきているはずだが、空はあきらかに好転のきざしを見せ、雲が強風にながされて青空がひろがりだしていた。

 

 雲は北に吹き払われて日差しがでてきた

 

 テントの撤収がないのに荷物をまとめるのに時間がかかり、6時30分に出発した。昨夜のうちに管理人さんに、天候が回復したら早立ちすると伝えてある。国道にでて厚岸の町を通過していくと、雲が北へ吹き払われていく。バックミラーにうつる後方の空は晴れていて、これからすすむ釧路方向は雲が多い。路面は濡れているがやがて空は明るくなり、日差しがでて自分の影が右の路上にあらわれると、頬がゆるんだ。自分の影をしたがえて丘にのぼり、左にある海が見えるようになると、荒れ狂う海原と緑の岬のコントラストが眼を強くうつ。しかし尾幌から内陸にはいっていくと霧がわきだして、風景は見えなくなってしまった。

 

 別保原野でブーツカバーをつける

 

 霧はしだいに濃くなっていく。シールドもひっきりなしにぬぐわなければ水滴で前が見えなくなってしまう。路面も濡れていて、前輪が巻き上げる水で膝から下も湿ってきた。霧だからとタカをくくっていたのだが、だんだんとひどくなるので、たまらずにブーツカバーを装着するが、カッパはつけない。道路脇にあった駐車場で作業をしたが、この霧の原野は『別保原野』と案内がでていた。

 釧路市街にはいっても霧は深いままだった。シールドにつく水滴は雨のように大粒で、水溜まりに雨が落ちていないことをたしかめて、やはりこれは霧による水滴なのだと確認したほどだ。なんだか全身が湿っぽくなるが、釧路の街をすすんでいくとしだいに霧は晴れてきた。

 釧路市街を通過していくが、標識にしたがってすすんでいくと、なんだか遠回りをさせられているような感じがする。不案内な者は混雑回避のため街の外周を走らされているのではないかと疑いつつ、モダ石油をさがす。大きな街だから必ずあるだろうと考えていくと、街外れにあった。22.09K/L。132円と安く、1754円。時刻は7時46分だった。

 

 道の駅『しらぬか恋問』の泥色の海

 

 釧路の街をはなれていくとまた左手に海がひろがるが、ものすごく荒れている。台風の影響で泥色の海が白波をたててうねりにうねっていた。8時すぎに道の駅『しらぬか恋問』にはいる。海をバックに写真をとるが、ゴムが焦げるような臭いがする。なんだろうかと点検してみると、チェーンとチェーン・プロテクターのゴムが接触して臭いをはなっているようだ。嫌な感じだが、どうしようもないのでそのままとしたが、焦げ臭かったのはこのときだけで、その後はなんともなくなってしまった。

 道の駅にはキャンピングカーが5台とPキャンの車も5・6台とまっていたが、まだ眠っている人のほうが多いようだ。海の色はここも泥色である。はげしく底荒れして砂を巻き上げるのだろう、川の濁流のような泥色の海だった。

 海岸線の国道38号線を走りだす。左手の海の波は高くまた霧がわきだした。景色は見えないかもしれないが、この先にある昆布刈石の林道にいってみようと思う。昨年は霧で何も見えず、一昨年は通行止めだったので、一度晴れた昆布刈石林道を走ってみたいのだ。この天候では霧で何も見えない可能性のほうが大きいが、それでも行ってみなければわからないではないか。

 前を走る乗用車につづいて80キロで走行していると、ものすごい高速走行音とともにランサー・エボリューションにぬかれた。右を走り抜けていった車の音におどろいたときには、ランエボは5・6台先の自動車の横までいっていたから、どれほどのスピードをだしていたのか。ランエボは一気に7・8台の車をぬいて左車線にもどり、また無謀運転で前の車を追い越して消えた。やっている本人は平気なのだろうが、見ているほうが恐くなるほどの高速走行で、若くなければできない運転だ。センター・ラインが白線で前の遅い車をぬけるのは合理的だし、北海道の良き交通文化だが、マナーが悪いから重大事故も起こりがちだし、事故死も全国一なのだと思う。しばらく行くと片側通行になり、工事かと思ったらパトカーがとまっていて事故だった。トレーラーが転覆していて、2・3台の乗用車のフロント部がはげしくつぶれている。ドライバーは運び出されていてすでにいない。さっきのランエボだろうかと思ったがちがうようだ。悲惨な事故だったがドライバーは大丈夫だっただろうか。

 昆布刈石につづく直別の道道1038号線との分岐につくと、年配の夫婦が道路情報の案内板の文字をいれかえている最中だった。これから先の道道と昆布刈石林道の状況をたずねてみると、厚内まで行けるが林道は通行止めとのこと。それを聞いて道道をいくのはやめて、国道38号線で帯広方向にいくことにした。

 浦幌をぬけて帯広に北上していく。ここで本日はじめてのライダーとすれちがったが、バイクはビックスクーターだ。ここまで来たら有名な『じんぎすかん白樺』で食事をしたい。また夕方出港のフェリーは予定通りでると思うが、念のため問い合わせもしておこうと考えるのだった。

 R38を北にいくが帯広の手前に大きな『はるにれの木』があったことを思い出す。見ていきたいと思っていたのでバイクをとめてTMをとりだすと、横に『はるにれの木はこちら』と看板がでていた。嘘のような偶然に微笑してしまう。すると家内からメールが来た。
「昨夜はどうしたの?」
 そうだ、筑紫恋は圏外だったのでまだ連絡をしていなかったのだ。すぐに電話をすると、天気を問い合わせてきたからメールを送ったのに、その後は不通になってしまったから、台風の夜にどうしたのかと思った、と言う家内に、早い時間から圏外のキャンプ場のバンガローに避難していた、と伝えたのだった。

 

 はるにれの木 奥の大きい木

 

 R38から十勝川の河川敷にはいり、はるにれの木にむかう。案内板がでているので迷うことはなく、すぐにはるにれの木を見おろす土手の上についた。土手の下の十勝川の河川敷に2本の大きなはるにれの木がたっている。土手には休憩所があり、白いハッチバックが1台とまっていて、その車に乗ってきたらしい50くらいの夫婦がはるにれの木からもどってくるところだった。

 土手をおりると、撮影ポイントはこの先です、と案内があり、草地のなかに道がつづいている。はるにれの木は2本とも大きい。土手で見るよりも近づくとその大きさがよくわかる。昨夜来の雨でぬかるみがちな道をすすみ、手前のはるにれの木の正面にたってながめた。木は大きくて存在感がある。ずいぶん前からここに立っているようで、TMによると樹齢130年とのこと。手前の木を見ただけで十分に満足したのだが、せっかくここまで来ているのだからと奥の木までいくと、こちらの木のほうが大きくて、奥の木が主役だった。

 草地の道をもどっていくと土手の上にとめたバイクを見上げるようになる。その構図が気に入って写真をとろうとするが、新しく買ったカメラにズーム機能がないことに気づく。安かったから単機能なのだと思ってそのまま使用したが、帰宅してから家内にそう告げると、携帯にもズームがついている時代なのに、カメラにないわけがないでしょう、と言われ、カメラを手にした息子に、これですよ、とすぐに小さなボタンを示されて愕然としてしまった。いやぁ、技術の進歩も良し悪しだ。ボタンが小さくてわからなかったよ。

 はるにれの木にいく前にブーツカバーをはずしたので、それをしまってから走りだす。空に雲は多いが晴れている。台風の気配はなく気温もあがってきた。このままR38をすすむと帯広まで北上して、その後でR236に入りなおして南下しなければ『じんぎすかん白樺』にはいけない。そのルートは効率が悪いので、道道62号線にはいって帯広にはむかわずに西に移動することにした。

 道道62号線は交通量のほとんどない気持ちのよい道だ。まっすぐな道路がつづき、牧場や畑がひろがって、たまに農家があるだけの北海道らしい風景が連続する。ここを道道快適走行速度の70キロでいくと、こんなところでライダーとすれちがった。カブの男性とカワサキTR250の女性の若いふたりである。たがいに道道でライダーと会うとは思っていなかったし、ここで出会ったということは好みが北海道らしいローカルな道と共通なわけで、大喜びでピースサインをかわしあった。

 まっすぐな道や北海道らしいサイロのある農家をバックに写真をとっていく。帯広空港の案内があり、空港までいけばこの旅の最後の宿題、みやげのメロンが発送できるかもしれないと思いつつ五位についた。五位から一時南下し、糠内からまた道道62号線で西にいくのだが、念のためTMを見ようとしてバイクをとめると、エンジンがパタリッとストールした。これは嫌な感じのエンジン・ストップだと思いつつ地図を確認して、エンジンをかけようとすると、やはり始動しない。キックをしてもかかりそうな気配もない、頑固なエンジンになってしまった。

 こうなるとしかたがない。気合をいれてキックをするしかないのだ。息をととのえて足場をかため、キック、キック。仕切りなおして、キック、キック、キック。1拍休んで、キック、キック、キック! キック、キック、キック! 3・40回キックして、ヘトヘトになったころにエンジンは再始動したが、いったい何がどうしたと言うの? たのむよ、ほんとうに、とDRに話しかける私だった。

 メロンはフェリー・ターミナルにもあるだろうと思い、空港に寄るのはやめてしまった。苫小牧までいかなくとも、夕張かその手前の穂別あたりにはあるだろうとも思うのだ。もっともほんとうは穂別、夕張方向にはむかわずに、日高から平取に南下して、アイヌ文化博物館を見学したいと思っているのだが、それは日高までにメロンにめぐあえるかどうかで決まることだった。

 大正で国道236号線にでて南下していく。すぐにチェックしておいた、やはりジンギスカンが美味しいという『ラム亭』があるが、今日は『白樺』だと通過する。幸福駅があり、ここのみやげもの店にメロンがあるかもしれないと考えていってみるがなくて、止まることなく引き返してまた国道を南進していった。

 白樺のある道道55号線の入口には『筑紫ガーデン』の看板がたっているので、これを目印にして右折する。道道にはいっていくとすぐに広大な農地がひろがりだし、十勝平野のただなかをいく道となった。ここは昨年も通ったのだが、じつに気持ちよく平原がひらけたところで、胸のすくような雄大な耕作地がつづいていく。しばらくすすむと左右に白樺の植えられたところがあり、その先に『じんぎすかん白樺』はあるのだ。

 10時45分に白樺についたがまだ開店していなかった。店の周囲にも誰もおらず、入口のドアは開けてあるがモップがたてかけてある。窓もひらいているが人の気配や仕込をしているようすもない。何よりレストランは何時から営業とか、定休日はいつかなど、それくらいは表示すべきだと思うがそれもない。店にはいって何時からなのか聞こうかと思ったが、入口のドアにたてかけてあるモップが問い合わせを拒絶しているように見えて、店の構えが親身でない印象でもあるので、ここを利用するのはやめてしまった。この先の十勝清水にいけば、昨年利用して美味しくて接客も完璧だったレストラン、カントリーライフがある。そこへいって気持ちよく食事をしようと考えてバイクをスタートさせた。ーー帰ってから調べてみると白樺は11時からだ。

 

 広大な十勝平原 生活感のある耕作地が連続する

 

 道道55号線は広大な平原がつづくから大好きな道だ。個人的には美瑛の丘よりもよいと思う。きれいすぎる観光地よりも、生活感のある耕作地がうねってつづいていくほうが私は好きだ。昨年は美生から道道317号線にはいって北上し、国道38号線に合流したのだが、今年は道道55号線がつきる御影までいってみようとTMをとりだすと、美生の先の道道317号線近くに、書き込みがある。これは自分で気になった飲食店をTMに直接記入したものなのだが、『ニジマス料理 松久園』という店名と電話番号がしるされていた。おなじようなメモはTMにたくさん書き入れてあり−−利尻島でついにみつからなかったウニ丼店のようにーー、この店にどういう特色があるのか忘れてしまっていたが、気に入ったから電話番号まで記したはずなので、これも何かの縁とここに行ってみることにした。

 

 ニジマス料理 松久園

 

 美生から道道317号線にはいって北上するとすぐに看板があり、右にはいっていく。すすむと古くて大きな日本家屋があり、ここが『活魚専門料理 松久園』だった。ここも人の気配がないが、店の入口には営業中の札がかかっているので入ってみると、いらっしゃいませ、と静かに女性がむかえてくれた。

 まだ客はひとりもいない。どこでも好きな席にどうぞとのことで、日本庭園に面した大広間の窓辺のテーブルにつく。渓流釣りが好きでニジマスもたくさん食べてきたから、ほかには例のないニジマス専門店に惹かれたのだと思う。メニューを見るとコースは2000円からとなっていて、単品でたのむよりもお得である。食べたことのないニジマスの刺身をためしてみたいので2500円のコースにしたが、これには洗い、天ぷら、フライ、刺身、それにご飯と味噌汁か、ざるそばかかけそばがつくという。ざるそばをえらんで注文を終えた。

 女性がさがると『さんふらわあ』に電話をいれた。今夕のフェリーは予定通りでると思うが、念のために確認しておきたいのだ。電話にでた職員にたずねてみると、フェリーは定刻どおり出港するが、海にうねりがのこっているかもしれず、その場合は徐行していくとのこと。うねりは海にでてみないとどのくらいあるのかわからないので、場合によっては大洗到着が遅れることもありうるとの説明だった。大洗周辺の海に荒れはのこっていないので、すべては苫小牧近海しだいである。そして出港の60分前につけばよいかと聞くと、なるべく90分前に来てほしいと言われて電話を切った。フェリーは定刻にでることが確認できたので、これで心配事はすべてなくなり、あとはメロンをどこかで発送するだけである。

 

 ニジマス料理

 

 松久園の大広間にある床の間では女将が生花を活けていて、しきりに花のバランスをなおしていた。その所作に老舗の風情がにじんでいる。料理は待つほどのこともなく運ばれてきた。刺身と洗いはサーモンのようにきれいな色で、天ぷらとフライも美しく盛り付けられている。まず洗いをためしてみた。少し縮んでいるから、サッと湯通しして氷水でしめたのだろう。これを鯉の洗いで用いる酢味噌につけて食べるのである。口に入れてみるとコリコリとしていて、養殖とは思えない、天然物のような食感におどろくが、酢味噌をつけると繊細なニジマスの味がしなくなってしまって不満だった。つづいて刺身を食べてみると、これは美味しい。締まった食感の、サッパリとしたサーモンのような味である。サーモンよりもずっと淡白で、香りも少なく上品だ。養殖管理が行き届き、水もきれいだから美味しい刺身になるのだろう。刺身はかなり気に入った。天ぷらは格別なことはなく、フライは惜しいことにカレー味である。カレー風味にしてしまうと、やはりニジマスの繊細さはなくなってしまうから、正油味のほうが好みだが、塩焼きをたべるならフライは変わり味でもよいのかもしれない。いずれにしても川魚好きならばためす価値のある店だろう。とくに刺身はすばらしい。つぎに来ることがあったら刺身と塩焼きをえらびたいと思うが、バイクなので飲めないことが残念だ。料理には冷酒があうと思われ、ニジマスの刺身を肴にして、キリリと冷えた日本酒をやればさぞかし幸せな気分になれることだろう。

 松久園は古い日本家屋で趣があるが、床がブカブカしていたりもする。それもまた味のうちだろう。食事をしていると年配の夫婦が2組やってきた。彼らはコースにせずに単品で料理を注文している。つづいて35くらいの男性がふたりきたが、彼らはベンツに乗ってきていた。ここは固定客のついている老舗のようだ。

 松久園をでて道道317号線を北へいき、芽室の外車がならんでいる高級住宅街をぬけて国道38号線にでた。十勝清水で国道274号線にはいって日勝峠の登りにかかる。いつの間にか3台のバイクがついてきているが、私は自分のペースですすんでいく。峠の高速コーナーがはじまり90キロで走行すると、後方の3台のうち1台だけが追いすがってくる。バイクはV‐maxだ。前をいくトラックをぬきながら90キロで走りつづけると、V‐maxはついてこられずに離れていった。

 12時40分に日勝峠の展望所についた。バイクをドライブインの駐車場にとめて階段をのぼり、展望所から十勝平野を見おろす。霧がでて景色が煙っているのが残念だ。気温は19℃で日差しは強い。ドライブインにメロンがあるのではないかと考えて見にいくが、ここにもない。ヘルメットの内装を専用のウエット・ティッシュでぬぐってから走りだす。これは専用品だけあって内装の肌触りがサッパリし、よい香りがのこった。

 展望所の先は霧が濃くなった。深い霧のなかをさぐるようにすすみ、峠をこえると晴れてくるが、前を走る車がおそくて、大名行列のようにたくさんの4輪といっしょにつながっていく。白線があれば前の自動車をぬいていくが、横をながれる沙流川が気になるので、とあるところでバイクをとめて釣りをやってみることにした。

 川にはいってみると流れは浅いザラ瀬でポイントはない。上流にはいけないので下っていくと、川がカーブしているところに小淵があった。ポイントはここしかない。この小淵をさぐってみると、淵尻で1投目から当たる。バレてしまったが、ポイントから考えて小ヤマメだろうと思う。小ヤマメは2回かかったが2度ともバレてしまった。ヤマメは小さいようなので、ターゲットを岩魚に変えて、岩魚のいる流れのゆるやかな深場をさぐってみた。するとまたすぐに当たりがあり、岩魚は遅あわせが基本なのでよく食い込ませてからあわせると、今度はかけることができた。よせてみると17センチのオショロコマ(エゾ岩魚)である。型は小さいがじつに他愛なく釣れてしまった。

 

 オショロコマ ピンボケで失礼

 

 オショロコマはリリースしてさらに岩魚のポイントをさぐるが当たりはでない。そこでさっきの小ヤマメがかかった淵尻を攻めるとまたすぐに当たる。この魚はスレていなくて、3回当たるもバレつづけて、4回目にしてついに釣れた。小ヤマメだとばかり思い込んでいた魚は、これもオショロコマで、15センチの型だった。ヤマメは早合わせをしなけれぱ釣れないからそうしたのだが、ゆっくり食わせなければならない岩魚だったから、なかなかかからなかったのだ。この魚もすぐにリリースした。岩魚は大きい順に釣れる魚なので、このポイントでこれ以上の型はのぞめないと思い、竿をたたんだが、30分ほどの渓流釣りだった。

 ふたたび国道274号線をすすむと14時に道の駅『樹海ロード日高』について、道の駅の店にいくとメロンがあった。しかし五個で4300円という、小さくて品質ももうひとつの品だ。それでもほかに選択の余地はないので、このメロンを2箱都内に発送し、料金は送料込みで11560円であった。

 これですべての宿題は終了した。メロンがなかったなら、このまま石勝樹海ロードのR274をすすみ、穂別、夕張とメロンをもとめていかねばならなかったが、その必要がなくなった。これで国道237号線を南下して、平取にある『アイヌ文化博物館』にいくことができる。休憩をした後で平取の二風谷にむかった。

 日差しが強くなり暑くなってきた。北海道とは思えない強烈な暑気である。台風一過のお天気なのだろうが、耐えがたい暑さとなり、ゴミ箱のあるセイコマがあったので思わず逃げ込んだ。店内は冷房がきいていて心地よい。涼みつつ大自然焼酎2リットルと水を1126円で買ったのは14時38分で、ゴミを捨てさせてもらって出発し、15時にアイヌ文化博物館に到着した。

 

 アイヌ文化博物館前にあるアイヌの人たちの家の復元

 

 日差しが強いのでバイクを日陰にとめて博物館にいく。料金は400円だが念のためJAFの割り引きがきくのかたずねてみると、ここは公共施設なのでダメだった。ところで博物館の近くでは老女が孫をつれて散歩をしていたが、この老女は日本人とは思えない彫りの深い顔立ちで、アイヌの末裔なのだと思われた。まるでスペイン人のような顔をしていたが、孫はごくふつうの顔をしていた。

 

 アイヌ文化博物館の展示風景

 

 館内にはアイヌの生活用品や木工品がならんでいるが、アイヌの人たちがどのような民族であったのか説明はない。このツーリングにでる前に、明治維新の直後に日本の東北・北海道を旅した英国人女性の紀行文を読んだのだが(興味のある方はイザベラ・バードの『日本奥地紀行』をどうぞ)、作者は人類学者のように平取のアイヌの人々を調査していて、アイヌに文字はなく、体形的な学問もなくて、ただ子供がそのまま大人になった未開人であると詳述している。差別的になるのを避けるためか博物館にそのような解説はない。ただ彼らの作った工芸品や生活用品を見ると、学問や教養はなかったのだろうが豊かな文化があったことは感ぜられた。

 熊を殺して食べる祭典、イヨマンテを記録したビデオを見始めたが、かなり時間がかかるようなので途中でやめて、期待していたのに30分ほどで博物館の見学を終えた。ここはたしかにアイヌ文化の博物館だが、上っ面だけのアイヌの紹介で不満がのこる。和人がアイヌの人を差別して人間としてあつかわなかったことや、迫害、搾取したことも含めて、もっと濃い内容にしてもらいたいが、アイヌの子孫が多く残る北海道ではむずかしいのだろうか(当時の和人のアイヌに対する意識・実情は池澤夏樹の『静かな大地』に詳述されている)。

 二風谷から南下して海岸線の門別にいたり、国道235号線にはいって苫小牧にむかう。給油のタイミングとなり、道南版のフラッグのあるホクレンか、もしくはモダ石油はないものかとすすんでいくと、鵡川でモダ石油を発見した。さっそく給油をすると26.37K/Lと好燃費だ。ここはセルフではなかったが132円と安く、1580円である。モダ石油の価格に満足し、これではホクレンに勝ち目はないなと思う。ところで安売り店ではモダ石油とそっくりなオカモト石油という店もあったが、ここもおなじようなシステムなのだろうか。

 R235はやがて片側2車線の広い道となった。後続のセダンが私をぬきたそうにしているので、左車線に移って道をゆずる。すると後ろのセダンのさらに後方にいた黒いセダンが急加速して、ものすごいスピードでぬいていった。全力加速をして150キロ以上だしているのではなかろうかという無謀さで、午前中のランエボよりも非常識な運転に唖然としていると、この黒いセダンは先で外車をつかまえていて覆面パトカーなのだった。

 いよいよフェリー・ターミナルに近づいた。ターミナルにいく前にセイコマに寄って、フェリー内でたべる食料を調達する。買ったのはセイコマに入るたびにたべたいと思っていたのだが、せっかく北海道にきているのだから、北海道らしいものを味あわなければと我慢していた、チキンカツカレーピラフ498円だ。このお子様ランチのようなB級グルメにとらわれていて、ほかにパンやおにぎりなどとともに1180円で購入した。

 

 チキンカツカレーピラフとビール 

 

 16時50分に船会社の受付にチェック・インする。バイクの乗船はもうはじまっているとのことで、みやげを手早く買ってすぐにフェリーに乗り込んだ。船倉にDRをすすめるとすでに多数のバイクが積み込まれている。台風の影響で船が遅れることが懸念されるため、早目の乗船開始となっているようだ。サイドスタンドの下に木片をはさんでバイクを固定してもらい、船室にいく。なにより先に風呂にいって汗をながし、チキンカツカレーピラフをたべようと思ったが、この船には電子レンジがない。しかたなく冷たいチキンカツカレーピラフをこれまた冷えた第3のビール500ml230円で流し込む夕食となった。

                                                            362.7キロ