9月11日(木) 岬めぐり

 

 ゆのまえグリーンパレスの朝

 

 5時50分に起床した。昨夜の水のトラブルや女盗人のせいで遅くなったのだ。天候は曇りで肌寒い。またトイレにいって水をくみ、インスタントラーメンを作るが、水で苦労させられることがまことに腹立たしい。食事を終えるとまたまたトイレにいって食器を洗い、昨日は激しい雨のなかを走ったのでバイクのチェーンにオイルを注しておいた。

 荷物をまとめたところで地図をひらき、これからのことをじっくりと考えた。四国もそうだったが、九州も土地勘がないため距離感がつかめず、1日にどれだけ進めるのかわからないのだ。日数にはかぎりがあるから、たずねたいと思っているところをすべてまわっていると時間が足りなくなるので、いくつもある行きたいところから、九州最南端の佐多岬を最優先することにした。

 九州は思ったよりも広く、北海道のように郊外で100キロで走れないから、距離が稼げないのだ。その上山地が多く、山の道は狭いからペースがあがらない。そこでETC割引がきく朝晩は、半額になる100キロまでに限って高速を利用することにした。それにしても効率的にまわれていないし、気持ちのよいキャンプ場を選べていないから、ストレスを感じる。いつもの放浪よりも疲れていることを自覚した。

 キャンプ場の入口のチェーンを来たとき以上にきちんと張って7時35分に出発した。また時速40キロのノロノロ運転につきあわなければならないのかと、重い気持ちで国道219号線にでると、広域農道が人吉ICに通じていると案内がでている。30キロ、40キロの行進で苛々させられるのはご免なので、この広域農道をいくことにした。

 ほとんど車のいない広域農道に入っていくと、すぐに荷物を満載した都内ナンバーのライダーとすれちがう。こんなところでとびっくりしたが、彼も驚いたようすで、互いに会釈をかわした。彼は東へ私は西にむかう。広域農道から県道33号線とつないでいくが、70キロで走行できて快適だ。県道は市街地もぬけていくが、黄色い帽子をかぶった小学生が集団登校し、手をあげて交差点をわたっている。辻々にはかならず大人が立って、交通整理と子供の見守りをしているから、ここはしっかりとした地域だと思う。だから順法精神が高く、時速40キロの国なのだろうが、私には少々堅苦しい土地だと感じられた。

 県道33号線は球磨川に沿っていく。球磨川は四万十川のようなよい匂いこそしないが、ほとんど開発されていない自然の川だ。水色も良好だから鮎もたくさん住んでいそうで、球磨川という焼酎の看板もでているから、地元の人の誇りなのだろう。また荷台に木材をはさんで持ち上げる、巨大なカニバサミのようなユニックをつけたダンプカーが走っていて、こんなものも見たことがなかったから、ダンプの後ろについて無骨な機械をしげしげとながめたりした。

 DRのおだやかな乗り味が心地よい。マイルドなエンジン特性なのだが、最大トルクの発生回転数も低く、とても乗りやすい。ハンドリングもサスペンションもフレームも、どれも中庸をいく中途半端な性格づけだが、乗っていて疲れない、飽きのこないデュアルパーパスなのだ。

 球磨川沿いの交通量の少ない道をゆったりとした気分で走っていく。8時15分に人吉ICについて、九州自動車道に入り、90キロの速度で南下していく。高速は空いている。90キロで巡航していると追い上げてくる車に抜かれるが、急かされるようなことはなく、自分のペースで走ることができる。前述のとおり100キロにペースを上げると燃費が悪くなるし、キャブのせいかガス欠になったかのようにギクシャクすることがあるので、90キロで走りたいのである。

 えびのICを通過する。えびの高原と霧島神宮はここでおりよ、と看板がでていて、その両方ともたずねたいと思っているが、とにかく佐多岬が優先されるので先にすすむ。えびのJCTで宮崎自動車道に入って宮崎にむかうが、宮崎県の東国原知事はガソリンの暫定税率の廃止に反対したときに、宮崎県には高速道路が1本もない、と断言していたことを思い出す。それなのにここに高速道路はあるではないか。この立派な宮崎自動車道が宮崎市街と熊本をむすび、福岡から本州へとつながっているのだ。さらに宮崎市街から北の西都まで東九州道も伸びている。宮崎に高速道路は1本もないというのは嘘だ。知事の発言には「北の大分にむかう」という前段がテレビではカットされているのだろうか。それとも宮崎道は行政的には自動車専用道であって高速道路ではないという詭弁なのだろうか。いずれにしても道路を作りたがる政治家は大嫌いだし、騙された気分でもあり、宮崎県にマイナスの印象を持ってしまった。

 霧島SAで休憩をとる。トイレにいこうとすると間違って女子トイレに入ってしまい、慌てて飛び出したが、誰にも見られずにすんだ。宮崎道はそれくらい空いているが、女子トイレに誤って入ったのは初めてのことであり、こんな失態は考えられないから、これも老化現象なのだろうかと考え込んでしまった。

 バイクのもとにもどると福岡ナンバーの新車のモトグッチ・カリフォルニアのとまっていた。皮製のパニアバックが装備してあり、ライダーはお金のありそうな初老の紳士で、地元の人間なので道路のことなどお教えしますよ、とフレンドリーだ。道のことで聞きたいことはないのだが、宮崎県知事は宮崎に高速道路は1本もないとテレビで言ってましたが、ありますよね、と言うと、もちろんありますよ、との答え。九州では東国原知事の発言シーンはテレビで流されていないのか、なぜそんなことを言うのかと、モトグッチ氏は怪訝そうだった。

 モトグッチ氏が出発した後で私も走りだす。ETCの割引は100キロ以内に限って半額なので、宮崎まで100キロ内で行けそうなのだが、オーバーすると通常料金になってしまうから、確実に半額にするためにひとつ手前の田野ICで高速をおりた。料金は半額の1050円である。

 100キロを走るのにかかった時間は1時間30分だった。高速は距離が稼げて便利だが、退屈で眠くなってしまうのが難だ。これから海岸線を南下していくつもりだが、地図を見ると田野から日南に県道28号線が通っていて、この道を使えば嘘つきの知事のいる宮崎市街に近づかずにすむから、ここをいくことにする。日南に南下していくと、風情のある城下町だという飫肥の案内がでているが、岬めぐりが優先されるから立ち寄らない。思ったよりも小さいが、ひととおりなんでもそろっている日南の町をぬけて、海岸線の国道220号線にはいり、まず都井岬をめざした。

 

 日南海岸 道の駅なんごう付近

 

 道路は日南フェニックスロードとなり、フェニックスがたくさん植えられた道となる。日本の山河にフェニックスは似合わないと思うが、宮崎と言えばこれなのだろう。フェニックスはともかく、道の駅なんごうの先はすばらしい海岸線がつづく。南国特有の青色をした海に小島が浮かび、ダイナミックな荒磯がつづいている。入り組んだ入江の先に見える岬、断崖の下で人の近づけぬ湾曲した白砂の海岸。道路のすぐ横にも美しい白砂の浜があらわれるが誰もいない。景色がよくて清らかな渚に誰もいないことが信じられないが、この付近は過疎なのかじつに人が少なかった。

 

 誰もいない砂浜

 

 男性的な荒々しい絶景と白砂青松のおだやかな海岸が入れ替わりながらつづくが、まったく人のいない日南フェニックスロードを南下していく。淡いブルーの海と緑の岬、磯に小島が限りなく連続し、美しさに麻痺してしまうほど絶勝がつづくのに、無人の地をいくと、恋ヶ浦にサーフィン・ビレッジがあり、ここにようやく10人ほどのサーファーがいた。

 都井岬の直前で10分間隔の交互通行になっているところにでた。道が崩れてしまい、臨時の迂回路をいくようになっているのだ。交通整理の人がいなければ赤信号でも止まらずに行ってしまうのだが、人がいるから停止せざるをえない。それでも何台か止まっている車の先頭にでてバイクをとめると、係員が、この先は急坂と急カーブでバイクの事故が多いから、注意してくれとわざわざ言いにきた。ここをはじめて通る人にはかならず言うことにしている、と。林道を走り慣れている私はどんな道でも驚くということはないがーー四国の大江健三郎の生家近くの急坂には肝を冷やされたがーー係員が注意しにくるほどの危険な道路がどんなものなのか興味津々でいくと、たしかに急坂・急カーブの狭い山道だが、まったく問題のないものだ。事故を起こすのは地元の老人ではないのか。バイクと車でもすれちがうことのできない狭い道なので、むしろ4輪の脱輪のほうを注意したほうがよいのではないのかと思われた。

 日南フェニックスロードから都井岬線に入った。料金所があり牧馬保護協力費をもとめられる。バイクは100円で車はいくらなのかわからないが、高い料金なのでよい商売をしているなと思いつつ、そろいのピンクのアロハのおばさんにお金をわたして、駒止の門をぬけた。 

 

 都井岬の野生馬

 

 道路は都井岬にむけて高度をあげていく。展望台にでると子馬が草を食んでいて、観光客の車が止まっていたので、私も子馬の写真をとった。子馬たちは野生馬だけあって毛並みが乱れており、人の手がつけられていない馬はこうなのだと知った。案内板があり、この馬は野生馬なので噛んだり蹴ったりするから近づくな、とある。たしかに馬たちはおだやかそうな顔ではなく、疳の強そうな顔つきだった。この先の馬の館という施設にも大人の馬が群れていたが、止まらずにすすむ。道路脇に馬糞が点在し、つぶれてしまった観光ホテルの横をいくと、都井岬に到着した。

 日差しが強くなって暑い。売店があったので500mlで110円と格安の水を買って、それを飲みながら灯台に歩く。灯台の入場料は200円だが観光客は私のほかに誰もいない。いるのは灯台の料金を受けとるふたりの女性だけだ。灯台にのぼり、淡いブルーの日向灘を、一瞬よりも少しだけ長いあいだ見つめて、岬を後にした。

 

 都井岬にて

  

 12時をすぎてお腹が空いてきた。このところ魚ばかり食べているので、カツ丼やハンバーグのような普通の食事がしたい。串間の町にいけばレストランがあるだろうと思っていくが、着いてみるとめぼしい店がない。古い大衆食堂やみすぼらしい料理店があるだけなので見送っていくと、小奇麗なファミリー・レストランのジョイフルという店がある。九州でチェーン展開しているファミリー・レストランのようでーー都内にも店があるとも聞くーーサラリーマンやOLが楽しそうに昼食をとっているが、大勢の人のなかに異質な存在の私がひとりで入っていくことに気後れを感じるし、軽くて明るいファミレスは私らしくもないと思ってしまい、ハンバーグやカレーが食べたいと思っていたというのに、通過してしまった。先にももう1件ジョイフルがあったのだが、やはり入る気になれなくて、店をえらんでいるとまた昼食の時間が遅くなってしまうから、魚料理でもよいからよさそうなところなら決めようと思っていると、志布志に構えの立派な割烹料理店があり、磯料理などの幟をたてている。魚は敬遠したいと思っていたが、ここならば観光客でおひとり様の私も入りやすいし、空いていそうなので、この『大黒本店』で昼食をとることにした。

 店に入るとゆったりとしたロビーになっていて、魚の泳ぐ大きな水槽がある。帳場の女将がむかえてくれて、年配の落ち着いた女性の接客係りに案内されて席につくと、店は広くて100坪はありそうだが、客は私のほかに3組いるだけだった。メニューを見ると刺身定食、焼き魚定食、焼き肉定食などがあり、それぞれが付け合せの小鉢の数によって、800円、1000円、1300円、1500円とランク分けされている。どれを見ても同じように感じられたので、女性を呼んで今日のランチを聞いてみると、アジ丼とアジの何か、それに小鯛の何か、とのこと。何か、とはよくわからない長い名前の料理だったのだ。どんなものかわからないが、アジは関アジを食べているから鯛にすることにした。

 

 小鯛の山椒油定食

 

 大黒本店は静かで落ち着けるし、接客も完璧なので好ましい店だ。地図を見たりメモをつけたりしていると、思っていた以上に豪華で手の込んだ料理が運ばれてきた。小鯛の刺身の料理なのかと思ったいたらさにあらず、鯛は丸ごと揚げてあり、南蛮漬けのように野菜餡がかけてある。食べてみると山椒の風味がきいていてとても美味しく、凝った料理だ。あらためて料理の名前を確認してみると、小鯛の山椒油定食というものだった。鯛が美味しいので一気に食べてしまったが、鹿児島名物のさつま揚げがついているのも嬉しい。これが今回のツーリングでいちばんだと思って完食するとコーヒーが運ばれてきた。コーヒーを飲むのも放浪にでて初めてにので、これまた頬がゆるむ。1575円の料金を払って大満足で店をでた。

 やはり食事は魚料理に限ると、さっきとはまったく違うことを臆面もなく考えて駐車場にでると、日差しが強くてものすごく暑い。食後のせいもあるが汗がふきだしてきて、たまらずにジャケットを脱ぎ、腕時計もはずしてしまう。このまま走ると危険なのだが暑さには勝てずにTシャツ1枚で出発した。

 志布志をでて内之浦のロケットセンターにむかう。ガスが心細くなったので給油したいのだが、田舎道となってGSがない。大丈夫だろうかと不安な気持ちですすむと、日本はどんなところにもGSのある国で、東串良町で給油をすることができた。21.83K/L。田舎だけに177円と高く、2692円。

 手前で見かけたGSは169円だったので失敗した。熊本でも同じことをしているから学習効果がないと思う。安い店があったら小まめに給油しなければならないのだ。こんなことではケチとは言えないから、もっとガス代に執着していこうと気持ちを入れ替える私だった。ところでGSの人が、昨夜の雷雨は大丈夫でしたか、と聞く。昨晩はこの付近でもものすごい夕立で、電話が不通になってしまったそうだ。そのころはちょうど九州自動車道を走ってましたよ、と答えると、ああ、それはたいへんだ、と言う。熊本から人吉まで土砂降りで、と続けると、この雨のなかを走っている人はいないよなと考えていました、と言うその口ぶりは、GSの方がライダーだとわかるものだった。

 佐多岬まで2時間かかると聞いて走りだす。今14時だから16時になってしまうので、またなかなか距離が稼げないなと思う。今日の希望としては佐多岬を見て、錦江湾をぐるりと一周し、鹿児島市街には着きたいと思っていたのだが、これではとてもではないがそこまで行き着けない。ここには頼みの高速道路もないから、夕方のETC割引利用の100キロ高速移動もできないのだ。そしてそろそろ気になってきた、今夜はどこに泊まるのかということはまだ考えないことにして、佐多岬にむかった。

 小さな町をぬけていくとスポーツ用品店がある。ウインドーにバットを構えた野球選手のポスターがあり、誰だろうと思ったらソフトバンクの川崎で、ここは九州だなと実感する。都内でプロ野球選手のポスターといえばどうしたってジャイアンツで、池袋や西武線沿線でライオンズのポスターがあるくらいなので。

 ロケットセンターにすすんでいくと前方にバイクが見えだした。ゆっくりと走っているのですぐに追いついたが、先行するバイクを抜いたのはこのツーリングではじめてである。バイクはジェベルで若い男性が乗っていた。ロケットや人工衛星がオブジェのように国道脇においてある道をいき、内之浦ロケットセンターの入口についた。受付にはゲートがあって厳重に閉ざされているが、案内を読むと中を見学できるとある。ロケットセンターを見る機会は滅多にないから、これは見せてもらわない手はないと思い、さっそく受付にいって住所と氏名を記帳し、施設内に入れてもらった。

 

 巨大パラボラアンテナ

 

 バイクでロケットセンター内を見てまわってよいとのことで、急坂をのぼっていく。ここは広い山のなかに施設が点在しているから、急坂ばかりで、車かバイクでないと見学できない。丘の上に見えている巨大パラパラアンテナを見にいくが、施設はどれもとても古い。建設から3・40年はたっていると思われ、戦後に作られた設備がそのまま使われているようだ。コントロールタワーや発射台を見てまわるが、発射台の路面はデコボコだし、組立室も古くてチープで、これで大丈夫なのかと思ってしまった。日本の国力と経済力を持ってすれば、もっとすばらしい施設が作れると思うが、それは種子島などの別のところにあって、そこは公開されていないのではなかろうか。ここは古くてどうでもよいから見学自由なのだと感じられた。

 

 ロケットと記念撮影

 

 それでも内之浦ロケットセンターは宇宙航空研究開発機構、内之浦宇宙空間観測所というすごい名称の施設で、ウチノウラ・スペース・センターという略称もついており、現在も衛星が打ち上げられているそうだ。またここは日本初の人工衛星『おおすみ』を打ち上げたところなのだそうで、その実物大の模型も展示してあるし、使用済みのロケットもおいてある。このロケットと記念撮影したが、やはり安っぽく見えて、どうにも感情移入できなかった。

 ロケットセンターの木陰でジャケットとグローブをつけて佐多岬にむかう。大隈半島を一周したいと思っていたのだが、国道は半島の西側を走っていて、東側は細い県道があるだけだ。この東側の県道は『狭路が続き想像以上に時間がかかる』とTMにあるから、思うようにすすめていないこともあり、大隈半島一周は諦めて、西側の国道で佐多岬にむかうことにした。 

 ロケットセンターから快走路がつづく。国道448号線で大隈半島を横断して西海岸にでて、国道269号線の佐多街道に入って南下していく。海岸線を快調に飛ばしていくと国道から県道に入り、もう少しで佐多岬の入口というところで工事中となり、通行止めとなっていた。

 さっき抜いたジェベルがロケットセンターを見学しているうちに先行していたようで、引き返してくる。佐多岬までどう行けばよいのか、地図を見るよりも工事現場の人に聞いたほうが早いだろうと思ってそうすると、ここでいちばん道に詳しいというダンプカーの運転手さんが、親身になって教えてくれた。運転手さんはいかつい顔をした初老の方だが、話をすると人好きのする笑顔になる方で、地面に石で地図を書いて、地元の人しか知らない迂回路を丁寧に伝えてくれた。

 運転手さんと工事現場の方にお礼を述べて走りだす。TMには白線で示されている、狭いウネウネ道をすすみ、東海岸の古里にでた。ここから県道68号線で佐多岬にむかい、県道をはずれて岬の先端部に入っていくとサルがいる。2匹のサルが道路脇で毛づくろいをしていたが、私が通りかかっても動じるようすはなく、こちらの存在を無視しているのが気に食わない。人間を怖がらない野生動物がいるというのは間違っているし、動物を増長させるとよくないからである。

 岬にむかっていくと小さな集落がある。初老の男性が家の隣にある畑に腰をおろしていて、私が通りかかると顔をあげ、一瞬だけ眼があった。男性の伏目がちな表情がかげっているように見えて、その残像が心にのこる。夕方になると毎日ここですごす習慣なのだろうか。毎日の夕涼みの時間なのか。そして、ここでずっと暮らしてきたのだろうかと考えたりした。

 16時5分に佐多岬の駐車場についた。この先は歩かなければならない。トンネルがありその入口で入場料の300円を払う。係りのおばさんに岬までどのくらいかかるのかたずねると、15分はかかります、とのこと。夕方近くになって涼しくなってきたので、油断してジャケットを着たままでいくと、この先は岬にのぼっていくハイキングコースのような坂道で、また汗をかいてしまい、ジャケットも着ていられずに手で持つことになった。

 展望がひらけるところがあると足をとめて写真をとっていく。あざやかなブルーの海と晴天の空、小さな島や磯がアクセントになっている風景が眼下に見える。佐多岬に来たのは初めてだが、ここはサイクリングをはじめた中学生のころからの憧れの地だ。九州最南端の地、本土最南端の地、沖縄が返還されるまでは文字通りここが最南端だったのだ。ここは北海道の宗谷岬とともに、遠い遠い、異国のようにはるか遠くに感じられる、憧憬の地だった。そこに今来ているのだ。サイクリングやバイクの雑誌で何度も見てきた佐多岬の看板がある。この看板は何十年も同じ姿なのではなかろうか。看板とその先にある海にしばらく見入ってしまった。

 

 ついに佐多岬にやってきた

 

 岬の展望台につくと1階は無料だが2階は有料とのこと。当然1階だけ見学して引き返した。ところで佐多岬は最北端の宗谷岬などとともに、日本本土の東西南北の端ということで名を連ねていると説明がある。しかし日本の南端は沖縄だから違和感をおぼえる。沖縄は本土ではないという解釈なのだろうが、それで沖縄からクレームがこないのだろうかと考えてしまった。

 ハイキングコースのような道を下って駐車場にもどると、ジェベルが到着したところだった。彼は県道を大きく迂回してきたから時間がかかったのだろう。先着している私を見て意外そうな顔をしていたが、大学生のように見える彼は私に会釈をして佐多岬に歩いていった。

 トイレにいって用を足し、手を洗うときに鏡にうつった自分の顔を見てみると、長旅の疲れがにじんでいる。表情だけでなく、気持ちも旅に倦んでいることを自覚した。これまで放浪が長すぎると感じたことはなかったのだが、キャンプ地がスムーズに見つかるかどうか、そこが快適な幕営地なのかが気になってストレスとなり、旅への推進力を減じている。その幕営地を決めなければならない時間となって、気が重い。野営地につけば心も落ち着くのだが、なにしろ毎日多難なキャンプがつづいているからーー自ら招いたことだがーーややもするとここで旅を打ち切って、高速にのり、一気に帰ってしまおうかと思ったりした。

 旅に倦んだ心を押し殺し、暑いので500mlで130円のミネラルウォーターを買って、がぶ飲みしつつ地図をひらき、今夜の野営地を検討した。じっくりと考えて、錦江湾に沿って北上した地にある神川キャンプ場に泊まることにする。ここは7・8月は1泊600円だが、それ以外は無料だし、近くに風呂があるのも決め手となった。それにしても九州は思った以上に広くて距離を稼げない。旅には飽いているのだが、これでは放浪の予定を削らなければならないなと思うのだった。

 16時50分に佐多岬をでて北上を開始した。手持ちの食料がもうないので買いたいと思っていたが、ここから神川キャンプ場まで町らしい町がないから、どんなに小さな店でも食料品店があったら入って、食材を手に入れようと思う。県道68号線の大隈路をすすみ、国道269号線に入る佐多の町につくと、小さな食料品店があった。すかさずここに入店し、店内を見てまわって、ひやむぎとさつま揚げ、袋ラーメンと水2リットル、それに懐中電灯の予備電池を753円で買った。近くに酒屋もあったので、いちばん安い芋焼酎『おやっとさあ』1.8リットルも1500円でもとめて用意は万全だと思ってすすむと、すぐ先にコープの大きなスーパーがあって、脱力してしまった。その先にもスーパーやコンビニはいくらでもあって、やはり日本はどんな田舎であっても食料が買えずに困るということのない国だと思う。数十年前の放浪を始めたころに、山のなかで店がなかった経験があるから、もしもの時のために備えてしまうのだが、時代は変わったのかもしれない。

 佐多の町から6キロの地点に1泊1000円のキャンプ場、さたでいランドがあると案内がでている。行ってみないとどんなところなのかわからない無料のキャンプ場よりも、TMに、高台にあってレストランもある、とコメントされているさたでいランドにしようかと迷うが、予定通り神川キャンプ場にむかうことにした。

 海岸線の国道を北上していくと日が暮れてきてまた切迫した気持ちになってきた。神川キャンプ場はどんなところだろうか。無料だからとんでもないところなのではあるまいな。ただの草っ原、広場のようなイメージが浮かぶ。また私ひとりきりだろうか。なにより今夜泊まれるのか。これから行っても宿泊することができなくて、別のキャンプ場を探すことになりはしないのか。それは嫌だし、昨夜のように水もでないようなところはご免だ。しかしもうそろそろだと思うがまだなのか。思わずとまって地図で確認するともうすぐそこだった。

 

 錦江湾に沈む夕陽

 

 左に広がる錦江湾に夕陽が沈んでいく。それがとてもきれいだ。夕陽があまりにも心に響くのでまたバイクをとめて写真をとった。おだやかな錦江湾の先にある開聞岳もよく見える。風景が夕陽の色に染まっている。海も、空も、開聞岳も、道路も。野営の不安を忘れて、鹿児島はよいところだと思った。

 走りだすとすぐに神川キャンプ場についた。場内にはフェニックスがたち、東屋があって、小さいが清潔な芝生の野営場だ。テントがひとつたっていて、MTBのサイクリストがひとりキャンプをしようとしているから、今夜は私ひとりではないとわかって肩の力がぬける。キャンプ場の前にはローソンがある。これでは何も買わなくてよかったが、いろいろ準備したり、考えたことが役に立ったことも何度もあるのである。キャンプ・ツーリングはもしもの備えが必要な、緻密な遊びなのだ。

 17時50分にキャンプ場に入って、テントをどこに張るのか決めるために場内を一周する。サイクリストはテントの前に座っていて、一眼レフのカメラで錦江湾に沈みゆく夕陽の写真をさかんにとっている。レーサーのようにぴったりとしたワンピースのウェアを着た彼は黒人だった。25才くらいだろうか。眼があったので、こんにちは、と挨拶をかわすが、外人とは思っていなかったのでびっくりした。彼のMTBにはトレーラーが連結されていて、荷物はすべてそこにのせるようになっている。外人でなければ少しは話をしたかもしれないが、日本語ができるのかわからないし、年も離れているから、これ以上会話しようとは思わなかった。

 キャンプ場の入口に近いベンチの前にテントをたてることにした。空いているので場内にバイクを乗り入れて、テントの前に横づけにする。荷物をおろしてテントを設営し、マットとシュラフをひろげると、今日も野営の準備は10分ほどで終了した。

 サイトには、犬の散歩は芝生の上を歩かせるな、とあり、犬はアスファルトの上を歩かされている。犬は土や草の上を歩きたがるものだから可哀想だと思うが、そうなってしまった理由があるのだろう。

 

 神川キャンプ場の夕陽

 

 夕陽が美しいのでまた写真をとった。ここはTMに、錦江湾に沈む夕陽に感動、とコメントされているが、じつに入日がすぱらしいところだ。キャンプ場に孫と夕涼みにきた老人に風呂の場所をたずねると、あれです、と北の丘の上にある施設を指差して教えてくれる。
「300円くらいで温泉に入れるとですよ」と。

 キャンプ場には若いサイクリストがもうひとりやってきた。ロードレーサー・タイプの自転車にリヤ・キャリアをつけ、パニアバックを装着した、昔ならアメリカン・スタイルと呼ばれた旅姿の10代の若者だ。彼も夕日をながめていたが、いつの間にか姿が見えなくなった。

 老人に教えてもらったトロピカルガーデンという温泉にいく。キャンプ場のすぐ北の丘の上にあり、料金は300円だ。電気風呂という弱い電流がながれている風呂があり、体によいとのことだが、ピリピリと感電するのは気持ちが悪く、それでも珍しい体験をして汗をながした。10代のサイクリストも風呂にいて、先に湯からあがった彼はロビーのソファでメールを打っている(携帯に日記を書いている?)。その横で私がメモを書きだすと、ひとりでいたいようで温泉から出ていった。

 19時55分にメモを書き終えてトロピカルガーデンを後にする。佐多の集落でひやむぎを買ってきたが、ローソンがあるから惣菜を購入することにする。並んでいる品を見て手にとったのは、鳥の肉団子、玉子とコーンのサラダ、それにのどごし生500の785円だ。ところでローソンにはさっきもとめた芋焼酎の『おやっとさあ』もあったが、私が入手した金額よりも50円も安く売られていて、ショックを受けてしまった。

 ローソンをでるとこんな時間にやってきたサイクリストがいた。彼はよくこんな自転車で来たなと思える、小径のミニ・スポーツ・サイクルに乗っていて、いつも利用している自転車で旅にでたのだろう思える、本格派ではないサイクリストだった。四万十で会ったママチャリのサイクリストよりははるかに上の自転車だが、ギヤはリヤの5段だけで、ミニサイクルと呼ぶとチープすぎるから、サイクリストの世界で言うようにミニベロとすることにするが、白いポロシャツに白い長ズボンという行楽にでもいくようないでたちをしている。年は22・3だろうか。神川キャンプ場に泊まりに来たのだろうから、すぐそこにあると教えてやろうかと思ったが、そうするまでもないかと考えてやめておいた。

 

 ローソンの惣菜で夕食

  

 対岸の指宿の海岸線を走る車のライトが明るく見える。車がたくさん走っているので1本の線のように光がつながっていた。テントにもどってベンチに料理をならべ、対岸の車のヘッドライトのながれが見えるように座り、ラジオをつけてビールをあけた。今夜のラジオ番組はライオンズのナイターである。キャンプの夜のラジオは、内容はともかくいちばん感度のよいものを聞くことにしているが、試合内容も対戦相手もおぼえていない。対岸では光の帯がながれていくが、よく見ると1台1台の車を見分けることができた。

 黒人のサイクリストはテントのなかに入っているようで姿は見えない。ローソンの肉団子は美味しくない。コンビニの惣菜はこんなものかと思うが、それでもサラダやさつま揚げとともに口にはこんでいると、視線を感じた。振り返ると背後の国道上にミニベロ氏がとまっていてキャンプ場を見おろしている。その姿からは先にいこうとしていてたまたまここを見つけたことが見てとれて、ここを目指していたのではなかったのだと知った。ミニベロ氏はしばらくキャンプ場を見た後で場内に入ってきたが、私が酒を飲んでいる前を通りすぎて奥へいき、黒人のサイクリストのテントのすぐ近くの東屋で立ち止まったから、そこにテントを張るのかと思ったらもどってくる。そして私にたずねてきた。
「あの、ここは有料ですよね」
「いいえ、無料です」
「でも、料金が書いてありますが」
「有料なのは7・8月だけで、今は無料なんです」
 有料ならばここを出ていこうとしていた彼は、無料であることがわかると、また黒人のサイクリストのテントの横にある東屋にむかう。キャンプ場は空いているから、わざわざ人の近くにいくこともあるまいにと思うが、彼はそこが好みのようだ。彼は有料ならば出ていこうとしていたが、そのときは適当なゲリラ・キャンプ地が見つかるまで、夜の国道をあの頼りなく、走破性の低い自転車で走りつづけるつもりだったのだろうか。そのハングリーさは私にはとおの昔に失われているが、この時代に彼のような若者がいることが嬉しく思えて、微笑した。

 キャンプ場のずっと先、はずれに、風呂にいた10代のサイクリストがいる。いつの間にかもどっていたのだ。彼は芝生の上に胡座をかいて座り、暗い錦江湾と対岸を走る車のライトを見ている。10代のひとり旅の夜に見る景色は、彼に100万、200万の言葉を投げかけるだろう。頭のなかにわきだす感情や思索や想像が、奔流のように限りなく流れだして、それらにとらわれているのだろう。私は10代のころそうだった。彼はしばらく夜の海をながめた後でテントを張り、そのなかに消えた。

 しばらくたってからトイレにいくと、ミニベロ氏と黒人の青年が語り合っていた。黒人の青年はワンピースのレーシングスーツから、ダボダボのTシャツに短パンに着替えていて、日本のどこにでもいるような今時の若者の服装になっていたが、彼は日本語を話していて佐多岬で雨にあったことを語っている。佐多のサにアクセントを置いて、サッタ、と発音していた。その表情はソフトバンクの携帯のCMにでてくる黒人青年をもっとやわらかく、知的にした感じで、一方の白い行楽服のミニベロ氏も、何やらしきりに話していた。ふたりとも風呂に入るつもりはないようだ。入浴しないと蚊が集まってきてしまうが、彼らは蚊をはらいながら対話をしていた。

 今夜神川キャンプ場に泊まるのは4人だ。サイクリストが3人にモーター・サイクリストの私で、モーター派は分が悪い。四国・九州は全体にこんな感じで、長距離の旅をしているのは自転車の旅人のほうが多かった。そして旅人は若い。ここも10代がひとりに20代がふたり。3人とも学生だろうか。ひとりだけ飛びぬけて年齢の高い私は、彼らと話をすることもせず、かと言って孤高の旅人を演じているわけでもなく、いつものごとくひとりで酒を飲み、考え事にひたり、自足の夜だ。

 思うように距離を稼げていないから、予定していた鹿児島市街や知覧、開聞岳の周遊など、薩摩半島の観光は諦めようかと考える。そうしないともっと見たいところに行けなくなってしまいそうだから。しかし夕刻に通過した根占から対岸の山川にフェリーがでていたから、それで薩摩半島にわたる手もある。今いる大隈半島にいても、対岸の薩摩半島にわたっても、いずれにしても北上していくのはいっしょなのだ。ならばフェリーで対岸にわたり、鹿児島市街をぬけていきたいと思うが、船は1日に4・5便とTMにでているから、明日の朝一番で根占にいって、フェリーの時間を見てからどうするのか決めようと思う。

 昨夜のキャンプ場は明かりもつかず、水さえもでないひどいところで、しかも盗っ人らしき女まで出没するとんでもない夜だったから、今夜もどうなるのかと思っていた。それがとても快適に過ごせている。今宵がこの旅でいちばん落ち着いた野営ではなかろうか。これだから予定のない放浪の旅はわからない。昨夜と今夜の落差が放浪の醍醐味だが、明日はまたどうなるのかわからないからそれがストレスにもなる。

 四国・九州は北海道のようにキャンプ場ガイドがないからーー地元では売られているのかもしれないがーー野営地えらびが毎日出たとこ勝負になるのがシンドイ。亜璃西社の北海道キャンプ場ガイドのように詳細なガイドがあれば売れると思うのだが、需要はないのだろうか。もしも売られていないなら私が出版したいくらいだが、本業があるから無理である。

 テントに入ってさらに杯を重ねる。ラジオはNHKとなり、会津白虎隊の浪曲となった。浪曲に耳をかたむけて、聞いていて聞いておらず、物思いにとらわれて、またトイレにいくと、ミニベロ氏はテントを持っていなくて、オーストリッチ製の輪行袋ーー自転車を分解して電車に持ち込むための専用袋ーーをかぶって地面に寝ている。だから人が近くにいる、屋根のある東屋に泊まったのかと合点がいった。

 芝生のサイトを歩いてテントにもどっていく。この時間でも電灯がついているから、ここはよいキャンプ場だ。携帯を見るといつの間にか留守番電話が入っていて、関アジ関サバが届いたとのこと。テントにもぐりこんでまた酒を飲む。ふとこんなに長く休んでいて社会復帰できるだろうかと不安になる。大丈夫かな、と何度も思う。10日も放浪していつもとは別の人間になってしまった私は、職場に馴染めるのだろうかと、勤務先に毎日電話を入れているのに心配だ。仕事先にいけば20年以上つづけている仕事だから、一瞬でいつもの自分になれることはわかっているのだが、なんだか仕事にいくことが怖く感じられる。それは旅の時間が長くなって、私が完全な旅人になってきたからなのだろう。日常が遠くなり、放浪が日常になりつつあるからなのだろう。

 だいぶ酔ってきた。放浪の日々ではほとんど人と会話をしていない。ひとりきりの孤独な旅だが、話し相手は不要だ。相棒のバイクはすぐ横にいるし、さまざまな思いがわきあがって自問自答しているから。夜の海をながめていた10代のサイクリストが昔の自分に重なる。彼もずっとひとりでいて誰とも話をしていない。きっと自分と対話をしているのだろう。 

                                                         408.5キロ