9月14日(日) 見よ 月が我を追う

  

 秋吉台家族旅行村のキャンプ場

 

 3時にアラームが鳴ったがとても起きることはできず、6時に起床した。高速が40%引きになるのをみすみすのがしてしまいまことに残念だが、私はケチなはずなのに、筋金入りではないことを自覚した。こんなに甘いことではいけないと自戒するが、つぎの機会があったとしてもたぶん飲みすぎてしまい、また起きられないだろうと自分で思う。

 昨夜も何もかけずに寝ていて寒くなり、夜半にシュラフをかぶったが、これがヒートアイランドではない本来の日本の姿なのだと思う。明るくなった家族旅行村には秋吉台特有の石灰岩が点在している。キャンプ場は秋吉台の手前にあるものと思っていたが、そのただなかにあるのだった。

 昨夜のうちにサンドイッチを食べてしまったので朝食はない。テントを撤収して出発の準備をしていると6時50分にゲートはオープンし、バイクをゲートの外に出しておいたことも無駄となり、早立ちするかもしれないと話しておいた管理人さんに見送られる形にもなって、なんとも格好がつかず、きまりの悪い思いをしてしまった。しかし予定通りに3時に起きだして、4時前に高速にのり割引を利用したとしたら、それはそれで少し恐い人間だと思われるから、これを読んでくれているあなたも、飲みすぎて起きられないくらいのほうが人間味があって、共感できるでしょう?

 昨日高速をおりた美祢ICではなく、ふたつ先の山口ICから中国道にのることにする。美祢にもどるのも山口にすすむのも時間はほとんど変わらないし、山口に行けば高速代が何百円か安くなるからである。

 県道から国道に入ろうとすると信号が半感知式というもので、赤信号でとまって待つがいつまでたっても青信号にならない。どうしてなのかとまわりを見てみると、横に2輪専用の押しボタンがあり、これを押さないと信号は変わらないのだ。感知式の信号ではバイクは認識されないが、半感知式では大丈夫なのかと思ってしまった。時間を無駄にされたから頭にきて信号を無視して走りだす。すぐ先にも半感知式があり、これも赤だが今度は頭から無視して通過したが、信号無視をしたのは初めてかもしれない。

 鄙びた山道の国道をいく。細い道の左右にはなだらかな山がつづき、沢がある。刈り取ったばかりの稲の切り株のようなものがならぶ畑があるが、田ではないから陸稲だろうか。ここは山と畑、農家と柿の木が印象に残る、日本の原風景のようなところだった。

 国道435号線で山口の街に入っていく。落ち着いた街だ。ここには詩人の中原中也記念館があって立ち寄って行きたいが、まだ時間が早くて開館していないから通過していく。山口ICにむかって国道9号線を走っていくと、国宝の五重塔のある瑠璃光寺の案内がでていた。ここから600メートルと。一度通りすぎたのだが、思い直して寄っていくことにする。600メートルと近いし、五重塔ならば朝早くて寺に入れなくとも塀越しに見ることができるだろうと思われたのと、なにより瑠璃光寺の五重塔は以前からガイドブックで見ていて、その美しい姿に惹かれていたからだ。

 

 瑠璃光寺の五重塔

 

 瑠璃光寺に近づいていくとすぐに五重塔が眼についた。広大な寺の敷地の木々の生い茂ったなかに、時代を重ねた荘厳な塔がたっている。その姿は完璧なまでに美しく、見ている私の心に荘厳と美が伝わって、震えるような心地になった。朝早い時間なのに瑠璃光寺の境内に入ることができた。五重塔の前には池が配されていて、池をはさんでながめるのがいちばん美しい。五重塔に近づくと全体の姿が見えなくなってしまうし、細部の痛んだ部分も眼に入ってしまうからよくない。また五重塔の全体が見える位置に移動して見つめるが、すばらしい国宝である。これを見るためだけに山口に来る価値があると思う。五重塔の近くには司馬遼太郎の言葉が刻んであった。長州はよい塔を持っている、と。それを見て、ここも長州なのかと思う。萩ばかりが長州だと思っていたので。瑠璃光寺の五重塔はこの旅のベスト5に入るものだった。

 朝食をとりたくて店をさがしながら走ると松屋があった。しかし松屋は贔屓にしていないので、ほかに店があるだろうと思って先へいくとなくて、IC直前のセブンイレブンでサンドイッチを420円で買った。それをバックにおさめて中国自動車道に入ったのは8時すぎで東にむかう。中国自動車道はいつものようにガラガラに空いているから、高燃費維持上限速度の90キロで走行する。雨が降ったようで路面が濡れており雲も多いが、幸いにも降雨にはあわなかった。中国自動車道に入ってすぐの鹿野SAでサンドイッチを食べる。今日は長距離走行をするので、チェーンを点検してみると少し伸びている。これはこの先何百キロか走って、眠くなったときにでも調整しようと思った。

 広島160キロ、大阪450キロと表示されている。今日は日本海沿いの安来にいって、日本画と日本庭園で有名な足立美術館に行き、その後はひたすら走って、ETCの深夜割引の40%引きとなるように、東京ICを0時から4時のあいだに出るつもりだ。旅の終わりの長い1日になると思う。 

 中国道を東進していく。100キロ近く走行したので、朝のETC通勤割引を確定させるために吉和ICで高速をでた。料金は半額の1050円。ここで地図をひらき、安来には中国道から米子自動車道と経由していくから、その分岐がどこにあるのか確認した。それは岡山県の落合JCTで、まだ広島に入ったばかりだから先は長い。Uターンして中国道にもどったのは9時40分だった。

 広島北JCTは広島自動車道で山陽道と連絡しているので、ここから少し車が増えた。ほんの少しだけだが。90キロのマイペースで走っているとBMWのバイクにぬかれる。新型のBMWで見ているこちらが気持ちよくなるほど伸びやかに加速していく。大排気量オンロード車もこんなときにはよいと思うが、林道を走れないから私にはあわない。林道のないツーリングは考えられないから。

 高速は速くて便利だが変化がないからどうしても退屈し、眠くなってしまう。どうにもならないほど眠くなったので七塚原SAで休むことにした。SAの2輪用の駐車スペースにいくと、さっきぬかれたBMWがとまっている。ナンバーは島根でライダーは気さくそうな同年くらいの方なのでーーどこに行っても同い年くらいの人ばかりだーー、ここから米子道までどのくらいですか?、と聞かせてもらった。すると、100キロくらいですよ、との答え。
「かなりありますね」と言うと、
「とごに行くんですか?」とたずねられた。
「安来の足立美術館です」
「そうですか。あそこは良いところですよね。僕も行ったことがあります。でも、安来でしょう?」
「ええ」
「それで高速?」
「それがいちばん速いと思ったんですが」
「うーん、まあ、それがわかりやすいかもしれませんね」と言ってBMW氏は笑った。

 BMW氏にお礼を述べてSAのトイレに歩きだしたが、BMW氏の安来ならば高速は使わないという口ぶりが気にかかる。私は単純に中国道から米子道とつないでいこうと考えていたのだが、高速を利用しないですむのならそれにこしたことはない。そこでSAでサービスでもらえる地図でたしかめてみた。すると中国道から米子道を利用した場合は、三角形の底辺をすすみ、右の斜線をのぼるようになり、引き返すような形になるから、かなり無駄に走ることになると知った。ならば手前で高速をおり、三角形の左の斜線をのぼるように一般道をいくのが時間も高速代もかからないのである。本の地図は一度に見られる地域が細切れになっているから大きな視点で見ることができなくて、この基本的なことに気づかなかった。しかしBMW氏と話をしてよかった。つぎの庄原ICでおりることにしたから、庄原ー落合ー米子東の高速代が浮くことになり、BMW氏との会話が大きな節約を生むことになったのだ。そのBMW氏はもういなくなっていた。いたら一般道でいくことにしたとお礼を言おうと思ったのだが。

 庄原ICで中国自動車道を捨て、料金は2200円で、国道183号線で日本海をめざして北上していく。雲はながれて晴れてきた。時刻は11時である。庄原には『出家とその弟子』を書いた倉田百三の文学館がある。『出家とその弟子』は作者が病に侵されて、死を覚悟したときに書かれた、哲学的で慈愛に満ちた作品だったと記憶する。その後幸いなことに作者の病気は癒えたはずだ。その文学館にも寄っていきたいが、ここも次の機会を待つことにして安来にむかった。

 日差しは強くなり暑くなった。庄原から安来まで96キロと表示されているから2時間くらいかと思う。山道がつづくが紅葉マークの軽が多く、ノロノロと走っているから強引に走行する。自分のペースで先へ先へとすすんでいくと、マス・ツーリングのグループに追いついた。男女の大人数のグループだが、マス・ツーリングの常ですりぬけていかないしペースも遅いため、信号待ちのときに一気にぬかせてもらった。

 秋吉台のあった山口県もそうだったが、ここも赤茶色の瓦屋根の家が多い。オレンジがかった赤茶で、この地域の独特の好みなのだと思う。赤茶のほかには渋い焦茶の瓦の家も一定の数がある。赤茶と焦茶の屋根の家並みが山間に点在する山道だ。またここも陸稲が多い。それらが山口と島根が同じ文化を持つひとつの地域なのだと感じさせた。

 標識にしたがって県道9号線に入る。この道は狭い国道185号線よりもさらに細い道だったが、安来への快走路だった。交通量は少ないが、車に追いつけば強引な走行で先を急いでいく。気温は27℃、30℃、28℃と表示されている。朝からの走行距離が伸びてきて、ガスの残量が気になるが、GSがないからどうしようもなくてすすんでいく。やがて安来市に入ると清水寺の案内がたくさんあり、ここは山陰屈指の天台密教の霊場で、宗教美術も多数あると地図にコメントされているから、立ち寄っていきたいが、ここも次の機会にすることにした。

 安来の中心部についたのは12時50分で、思ったとおり庄原から2時間ほどだった。足立美術館に入ったら、何時間いることになるのかわからないから、その前に昼食をとりたいのだが、店がない。ガスも入れたいのだがGSがないのだった。そのうち足立美術館の案内があらわれて、美術館は市のはずれにあるようで、郊外に誘導され、ますます飲食店のありそうな気配はなくなり、そうこうするうちに足立美術館についてしまった。

 30℃と表示されている美術館の前には広い駐車場があり、たくさんの車がとまっていた。観光バスも多く来ていて、みやげもの店には人があふれ、蕎麦屋があるが行列をしている。列の並びたくはないし、蕎麦のような上品で淡白なものではなく、もっと猥雑なものが食べたいので、2キロ先に道の駅があるとでているからそこへいくことにした。

 

 道の駅のカツ丼

 

 道の駅『広瀬・富田城』にはすぐについた。レストランにいくとここも満席だが、なんとか相席ですわることができた。相席をお願いしたのは礼儀正しい大学生と思える青年で、メニューを見てカツ丼を注文する。でてきたカツ丼はとても美味しく、最近でいちばんのカツ丼であり、道の駅のレストランだからあまり期待していなかったのだが、ここは他の料理の水準も高かった。カツ丼を口に運びつつ、けっきょくこんなものがいちばんなんだよね、と思う私だった。

 足立美術館にもどり、入館料2200円のところを、JAFの会員証を提示して1割引の1980円にて入館した。美術館は螺鈿細工のほどこされた文箱や彫刻された箪笥などの工芸品の展示からはじまる。日本画だけの美術館だと思っていたから意外だったが、なかなか見ることのできない名品がならんでいた。

 

  足立美術館の日本庭園

 

 その先にこの美術館の売り物である日本庭園が大きくひろがっていた。とにかく広くて5万坪もあるそうだが、平明で単純である。ジャーナル・オブ・ジャパン・ガーデン社というところが日本一の庭園としているとのことだが、私はそうは思わない。精神性や凝縮度、深みやわび・さびがないからである。外人にはわかりやすいのだろうが、日本文化はもっと奥深くて襞が細かく、簡単に底が見えるようなものではないはずだ。

 手入れは行き届いているが好きになれない日本庭園の先へ、目的の日本画を見にいく。通路の壁には童画がたくさん展示してあるが、これも興味がないので通過する。日本画のコーナーでは『横山大観と院展の同人たち』という企画展が開催されていた。大観のほかに菱田春草、橋本関雪、下村観山などの名画がならぶ。日本画のコレクションはすばらしい。一度見て先へいっても、またもどって二度、三度と見直した作品が何点もあった。呼び物の大観コレクションの展示室では、美術館の学芸員が作品の解説をしていて、大勢の人がそれを聞いているから、人ごみを避けるようにして大観の絵を鑑賞し、最後に北大路魯山人などの焼き物がならぶコーナーを見て美術館をでた。

 本来ならばもっと時間をかけて、少なくとも二巡はしたいところなのだが、これからの高速走行が気になって駆け足になってしまった。中にいた時間は1時間10分ほどだったからいかにも短い。時期によって展示作品は変わるのだろうからーーコレクションは1300点だそうだ!−−また行きたいが、入館料の1980円は高い。私は庭に価値観を見いだせないからなおさらそう思う。それに日本画と日本庭園の二本柱があると、美術館本来の絵に集中できていない憾みを感じてしまった。

 ところで創設者の足立全康氏は裸一貫で商売をはじめ、成功と失敗を繰り返した半生の後に、大阪で格安のバッタ品を仕入れ、それを山陰の広い地域で売りさばくことによって財をなしたのだそうだ。独力で金を稼ぎ、名画を集めて、美術館まで建ててしまった足立全康氏を私は尊敬する。

 美術館の外にでると暑い。すぐに汗がふきだしてくるが、これから高速にのるので我慢してジャケットを着た。米子東ICにむかう。安来道路という高速道路があるが、米子自動車道につながっていないので一般道でいく。ここでようやくGSがあり給油をすることができた。21.69K/L。164円で2739円。

 国道をいくと無料の高速道路に誘導された。これが将来安来道路になるのだろう。15時15分に米子東ICにいたり、米子自動車道に入って中国自動車道にむかう。左手には大山が見える。大山に雲がかかっている姿をながめ、あらためて遠くまで来ているなと思う。ここは遠い鳥取県だが、もっとはるかに遠い九州の果てまで行ってきたのだ。その旅もまもなく終わる。

 高速に入ったばかりだというのに疲れを感じてしまった。朝早くから活動しているからだろうが先は長いのである。中国道との合流点、岡山県の落合JCTまで60キロくらいだろうか。その先の東京までは何百キロあるのかわからない。米子道は片道一斜線の対面通行が多く、60キロでながれている区間の長いノンビリとした道だ。そこを90キロで走っていくが、中国自動車道に入ると巡航速度を100キロにあげた。

 バイクは調子がでてきたようでエンジンは軽やかにまわっている。100キロ以上だすと熊本であったように、キャブが咳き込んだようになってギクシャクし、タコメーターの針もビンビーンとダンスをはじめる不安があるのだが、その兆候もあらわれなかった。それにしても中国道は空いている。山口県はガラガラで、広島で山陽道と接続するとわずかに車は増え、岡山でまた少しだけ増加するもやはり空いていて、交通量が増大するのは兵庫県に入ってからだ。山口から岡山までは人も少なくて車もでていない印象だが、これは経済の厚味も同様なのではなかろうか。

 ひたすら走り続けることになったので、1時間に何キロ走行できるのかはかってみることにした。結果は90キロで、これならばあと何時間で東京に着くのだろうかと考えてみるも、大阪くらいまで行かないことには、まったく時間は読めないのだった。その大阪は限りなく遠い。

 

 社PAにてオイルを補給

 

 2時間連続走行するとチェーンの伸びが気になってきたので、休憩をかねて兵庫県の社PAで点検をすることにした。PAの2輪用駐車スペースにバイクをとめ、チェーンを見てみると、少しだけ伸びているが調整をするほどでもない。今のところ調子よく走っているから、あえてホイールのボルトを緩めることもあるまいと考えて、そのままにしておくことにした。チェーンにはオイルを注しておくが、ついでにエンジン・オイルを見てみると、なんとエンジン・オイルはまったくなくなっていた。オイルの点検窓にオイルがまるで見えない状態で、これには驚いてしまう。昨日の熊本あたりで確認したときには、オイルはまだまだ十分にあったから油断していた。しかしこれもいつものことで、ツーリング中にこうなると予想してワコーズのオイルを持参しているから、さっそく補給しようとするが、オイル缶から直接エンジンに注ぎ込もうとすると、あふれてしまってうまく入らない。ジョウゴのようなものはないかと考えて、2リットルの水のペットボトルを切って、ロウトのような形に整え、これでオイルを入れることができた。

 携帯はバッテリー切れとなっているが、今からコードをつないで充電するのは面倒なので、公衆電話から家内に連絡をした。今から走り続けて深夜から早朝にかけて帰宅する、と。日差しが強いから電話ボックスのなかはサウナのようだ。また走りだしたのは17時55分で、米子から195キロ走行していた。

 社PAから大阪まで65キロとでている。その大阪をめざしていくと左から舞鶴自動車道が合流し、神戸JCTが近づくと渋滞がはじまった。神戸JCTで山陽自動車道が合流するから混むのだが、それ以前に車の数が爆発的に増えている。さっきまでガラガラだったことが嘘のような車の増えかたで、これまでずっと空いた道路を走ってきたから、渋滞のことなど頭になくて、あふれかえる車を見て、夢から覚めたような、現実にもどったような、妙な感覚をおぼえた。

 宝塚まで16キロの渋滞、60分と表示がでている。渋滞ではバイクの機動力を生かしたいが、それぞれの地で走りかたがあるだろうと思う。首都圏ならば間違いなくすりぬけ、路肩走行だが、まわりにいるバイクはそうしないから、私も大人しく渋滞の列にしたがってようすを見る。しかし渋滞につきあうのは我慢がならないし、パトカーがいても追いつけないと思われ、ナンバーも確認できないだろうから、強引な走行を開始するとまわりのバイクもついてくる。4台のグループの先頭の風を切り、15分で渋滞をぬけてついに大阪を通過した。

 名神高速を東進していく。京都は混んでいるが渋滞はしていない。その京都を通過しながら、行きに林さんを訪ねて正解だったと思う。帰りは疲れてしまっていて、気力がわかないから、伺えなかったかもしれないので。

 ガスが不安になってきたので100キロの巡航速度を90キロに落として、GSを求めてすすんでいく。行きにも休んだ草津PAにGSがあるのでここで給油をした。20.34K/Lと燃費は悪い。やはり高速走行ではよくないのだ。ガスは177円と高くて2627円。19時39分となっていた。

 150円のお茶を買って休憩する。チェーンの伸びは一定のままだ。エンジン・オイルはもちろん入っている。2003年のPキャンの旅で草津PAに車中泊したときに、トイレでタバコを吸うことができて驚いたものだ。首都圏ではそのころから高速のトイレは禁煙だったから。これが関西スタンダードかと思ったものだが、今はさすがに禁煙となっていた。ところで関西の人たちはすれちがうときに大人も子供もぶつかつてくる。まわりを見ていないのか、それとも相手がよけると思っているのか。関東では人ごみは自然と左側通行になって、互いにすれちがうときにはよけあうが、関西の人は道いっぱいに広がってきて、こちらが立ち止まっていてもぶつかるまで歩いてくるから不思議だ。まわりのことが眼にはいらないほど、かけあい漫才のようなおしゃべりに夢中なのだろうか。そしてぶつかっても険悪なムードにならないのも関西ならではだ。

 草津PAの手前に第2名神の看板がでていた。第2名神ができていたとは知らなかったが、東名箱根の右コース、左コースのようなものかなと思う。案内には名神は岐阜まで105キロ、第2名神は名古屋まで110キロとあるから、第2名神のほうが速いに決まっているので、第2名神をいくことにした。

 第2名神は軽い迂回路のようなものだろうと思っていたから、道路標識をたよりにすすんでいく。信楽、甲賀と馴染みのない土地をいく。日は暮れて、山の中では霧がわき、信楽では寒いほどだった。少し前まで暑くて汗をかいていたというのに、考えられない気温の変化だ。ふと気づくと右手後方の低い位置に月がでている。満月のような円い月だ。出発の日に見た月は三日月で、四国は半月だった。そして帰る日は望月なのだ。月は私の後ろをずっとついてくる。ずっと。私の好きな作家、丸山健二の作品に、見よ 月が我を追う、という一冊がある。バイクで走る主人公を月がずっとついていく設定の小説だ。それを思い出して口にしてみた。
「見よ 月が我を追う」

 亀山を通過していくと第2名神のはずなのに、いつの間にか東名阪自動車道という名になってしまった。この道で大丈夫なのかと不安になるが、名古屋、と進行方向にでているから間違いないのだろう。やがて四日市JCTの手前から渋滞がはじまり、また周囲のようすをうかがうと、大型スクーターの若者が強引な走行をしていくので、それについていく。2台で渋滞を一気に通過するが、四日市JCTから東名にすすむのがわかりづらい。これまではずっと名古屋にむかっていたのだが、ここから名古屋にいくのはまた別の名前の道路となり、東名は『静岡・東名』となっているのだ。たくさんでている看板をよくよく見て静岡方向に進路をとるが、スクーター君はどちらに行ったらよいのかわからないようで、JCT手前の路肩にとまり地図をひろげていた。

 湾岸地帯に入り大きな橋をわたっていく。突然巨大な遊園地があらわれて眼をうばわれる。白い観覧車とジェットコースターが印象的だが、場所からいってナガシマ・スパーランドかなと思う。するとそうで、すぐ先に湾岸長島PAがあり、ライトアップされたスパーランドがよく見えるようだが、混雑しているから立ち寄らなかった。

 名古屋港をすすんでいるのだとわかるが、また道路の名称が変わり、伊勢湾自動車道という名前になる。しかも、ここは高速道路ではありません、と表示があるから、またしてもこの道で大丈夫かと心配になるが、役人がここを自動車専用道路と言いたいようでーー宮崎県知事のようにーー利用者には意味のない区別を役人がつけたがっているのだと想像された。

 それにしても名古屋港は大きい。走りぬけた印象では京都よりも、大阪よりも大きな都市だ。その名古屋港をいくつもの巨大な吊り橋でわたっていく。走っていても、見ていても壮観な橋たちで、後でTMで見てみると、赤・白・青に塗られた世界最大規模の海上斜張橋がライトアップされている、とある。その未来的な、ライトアップされた巨大な吊り橋の群れを走りぬけていくと、刈谷ハイウェイオアシスあったので夕食をとるために入った。

 

 刈谷ハイウェイオアシスでの夕食

 

 このハイウェイオアシスもできたばかりの施設のようだ。いろいろな店のほかに温泉まであって大混雑している。人ごみをかきわけてレストランにいくと、ラーメンが食べたいが行列しているから、好みのおかずを自分で選んでいくスタイルの定食屋「ザめしや」に入った。ここも混雑しているがラーメン屋ほどではない。まず名古屋名物の味噌カツをとったが、昼食がカツ丼だったことを思い出してメンチカツにかえ、チャーハンに冷奴、それにミニラーメンをつけたら980円にもなってしまった。このスタイルの店はどうしても料理をとりすぎてしまうのだが、食べてみるとちっとも美味しくない。味も大したことはないのに作りおきをしているから、冷えているのである。

 ラーメン屋の行列が長いことに納得してレストランを出ると、ここにも観覧車があってカップルが楽しそうに乗り込んでいる。トイレにいくと人工肛門の方の専用個室があって、この施設を見るのは初めてだったが、ドッグランのあるSAもあったから、時代はすすんでいるのだなと思うのだった。

 21時45分に刈谷ハイウェイオアシスを出立した。すぐに豊田JCTでここでようやく東名にもどって安心するが、静岡方向にいかなければならないのに、これまでの惰性で名古屋方向にすすみそうになってしまい、危うく間違えるところだった。

 明かりの少なくなった暗い東名をいく。月はまだ我を追っている。同じ右手後方にあるが、低い位置だったのが高いところに差し昇っていて、振り返るだけでは見えなくなっており、振り仰がなければ視野に入らなくなっていた。その月を時々見ながら走りつづける。

 90−100キロで坦々と巡航していく。静岡に着いたのは23時30分で、その先の富士川SAで最後の給油をする。20.49K/L。175円で2613円。売店でみやげをひとつ買い足していると午前0時をすぎて日付が変わった。バイクのもとにもどると都内ナンバーの若いライダーがふたりいて、携帯をのぞき、八王子で雨だってよ、と話しあっている。八王子で雨? 降られなければよいのだが。

 関東に近づいていくと雲が多くなった。もはや月は見えない。御殿場への登り坂がはじまり、100キロで走行しているとまたしてもキャブが咳き込みはじめ、タコメーターの針も、ビンビーンと跳ね上がりだす。ここで止まってしまってはたまらないので、速度を一気に落とし、じっくりと90キロまで上げて、DRと対話しながら走行を続ける。連続走行でヒートしたのかな? このスピードで走り続けるのに疲れたのか。ならばこのくらいならば如何? いずれにしてもあと少しだ頑張れDR!

 御殿場をすぎて秦野中井に下っていくと路面が濡れている。この先雨、と電光掲示板が光っている。ポツポツと雨が落ちてくるが、このツーリングは天候にめぐまれているから大丈夫だろうと楽観していると、厚木の手前で激しく降ってきた。たまらずにバス停に飛び込んでカッパをつける。時刻は1時20分だ。

 ブーツカバーと雨用グローブで完全防水して走りだす。雨は土砂降りのたたきつけるような烈しいもので前がよく見えない。前方どころか白線もガードレールさえも判然としないから、60キロでさぐるようにすすんでいく。まわりのトラックや車も状況は同じようで、東京ICまで車には1・2台しか抜かれなかった。

 土砂降りの東京ICに着いたのは1時50分で、通行料金はETCの深夜割引の40%引きで7300円と格安だった。深夜の東京ICを走りぬけた。

                                                          1117.9キロ 

                                             総走行距離 4560キロ

                                                                 了 

 

 

  

  

 長いツーリング・レポートにお付き合いくださり有難うございます。このレポートはこれまでのものと違い、大江健三郎の生家や、宮本武蔵の洞窟、福岡県立美術館や足立美術館など、バイクやキャンプに関係のない、私の好きな分野のことが書かれています。これらのことがお好きでない方もいらっしゃるはずです。それらを含んでお読みいただけたであろうと推察し、ここまで眼を通してくださっているあなたにお礼を申し上げます。一瞬よりも少しだけ長いあいだ、このレポートの世界をお楽しみいただけたのなら、それ以上のことはありません。有難うございました。