9月23日 1000キロの彼方へ

 

 石見海浜公園キャンプ場の朝 テントは外人さんたちのもの

 

 4時30分に眼が覚めた。まだ明けきらず外は暗い。きた寝ようかと思ったが、今日は渋滞が予想される中、長い距離を走って自宅まで帰りつかねばならないから、5時に活動を開始した。

 ラーメンの朝食を済ませて荷物をまとめだす。公園内はバイクの進入は禁止のはずなのにスクーターが走ってくる。不良かと思っていると、やって来たのよい年をしたオヤジで、釣りに行くところなのだった。

 荷を駐車場に運んでゆく。またしても荷物が重く歩くのに骨が折れる。駐車場につくと昨夜Pキャンをしようとしていたキャラバンの青年がもう起きていて、出発の準備をしている。昨夜は3台だったPキャンの車は夜のうちに6台に増えていた。

 また3往復して荷物を運んだのだが、外人さんの息子と娘がトイレに行くところに会い、朝の挨拶をかわした。軽く会釈を送ったのだが、彼らは深いお辞儀をかえしてきた。夜明けは遅く5時45分くらいだった。このキャンプ場は駐車場から歩かなければならないのが難だが、とても居心地のよいところなので、1泊だけでなく連泊したいところだった。だからまたここを利用しようと思う。

 公園から国道にでると山陰自動車道の案内がでている。前にも書いたが私の地図にはこの道路はのっていない。しかし『中国道・広島方向』とでているので、表示にしたがって浜田東ICにむかう。5分ほどでICに到着し、ここから長い高速走行が始まった。

 山陰道は浜田で終わり、浜田JCTから浜田自動車道に入るが、ここは対面通行でほとんど通行量のない道だ。そこを90キロから100キロの速度で巡航してゆく。雨・走行注意、の電工掲示がでていて路面は濡れているが、雨は落ちてはこなかった。

 山間地を走りぬけてゆくが、山には霧のような、薄雲のようなものがかかっている。その白い靄の中をすすむのでまるで雲の合間をゆくようだ。大気は冷えていて肌寒い。Tシャツの上にライディング・ジャケットを着ているだけなので、もう1枚シャツを重ねたいが、先が急がれるので止まらずに走行する。気温は19℃、17℃と表示されていた。

 90キロから100キロで走っていると後方から近づいてくる車がいる。1車線の高速なので背後につかれると圧迫感をおぼえて嫌だなと思うが、車は後ろにつくことなく途中のICでおりてゆく。浜田からずっと1台で走ってきたが、中国道に近づくと車は増え、やがて自動車の集団にのみこまれてしまった。

 千代田JCTで中国自動車道に入ると吹田まで348キロと表示されていた。大阪から東京まで500キロはあるだろうから、あと850キロかと思う。遠いなと。しかし距離は時間が解決してくれるが、不安なのは渋滞である。この先で大渋滞にまきこまれて、ツーリングの最後に山場が来るのはご免だった。

 中国道をひたすら東へ走り、島根県から広島県をぬけて岡山県の大佐SAで休憩をとった。寒いのをこらえて走ってきたのですっかり冷えてしまった。中国道は山間地を貫いていて、雲の中をすすむようだったが、標高の高いところは600メートルもあり、これでは寒いはずだった。ここからカッパの上衣を着て走ったがそれでもまだ寒かったほどだ。

 大佐SAでは給油もした。ガスには余裕があったが、休むたびに補給をしてゆくことにする。18.38K/Lと燃費は悪い。129円で1434円。時刻は8時41分だった。ところでDRが焦げ臭い。エンジン・オイルがなくなったのだろうかと点検してみるが、オイルはまだある。チェーンとゴム製のプロテクターが接触して臭いがでることがあるから、それだろうかと見てみるも、わからない。どうしようもないので様子を見ながら行くことにしたが、古い車体ではこういうことはよくあることなので、気にしないことにしている。大佐SAでは岡山名物のきび団子を買ってみた。滅多に売ってないから求めたのだが、帰ってから食べてみると求肥のような味と食感で、美味しいものではなかった。

 岡山県を東にすすむと山から下ってゆき、平地を走行するようになった。靄のような霧のようなものもなくなり晴れてくる。そして兵庫県に入ると暑くなってきた。兵庫県に入ったときからそろそろ混みだすだろうと身構えていたのだが、西宮で一気に通行量が増えて混雑しだした。昨年は宝塚で渋滞していたので、ここを不安視していたのだが、今年は大丈夫だった。混んではいるが渋滞していない西宮・宝塚・大阪を通過してゆく。中国道に入ったときに吹田まで348キロと表示されていたが、その吹田につくと東京512キロとでていた。

 京都を通過してゆくがこの先の渋滞情報がでていないので、関ヶ原も名古屋も混雑はしていないようだ。11時30分に草津PAに入り食事をすることにする。レストランに行ってみると大混雑していて、満席で座れない人が席が空くのを待っている状態だ。コンビに弁当にしようかと迷うが、人のたくさん往来しているPAで、ひとりで弁当を食べるというのはわびしくて嫌だから、待つことにする。すると思ったよりも回転が速くてすぐに座ることができた。カツ丼を注文するが540円と高速のレストランとしては良心的な価格だ。しかも大盛りサービスとのことなので貧乏性ゆえそうしてもらうが、いざ箸をつけてみると量が多くて完食するのに苦労してしまったから、欲張ってはダメだ。

 大佐SAではDRが焦げ臭かったが、草津ではにおわない。それでも念のためにオイルを点検してみると、LOWレベルを切るまで減っていた。そこでGSで給油をしてオイルも1リットル足すことにした。

 

 GSにてオイルを補給

 

 GSでガスを満タンとオイルを1リッター、と言うと、若いスタンドマンは、オイル交換ですか?、と聞く。ちがう、オイルを足すんだ、と答えるがそれがどういうことなのかわからないようだ。オイル交換をしたときにオイルを入れるのが足りなかったんですか、と聞いてくる。エンジンが古くなって、オイルを食っちゃうから、定期的に足すんだよ、と説明するが、わかったようなわからないような顔をしている。若い彼はオイルが減るような車やバイクに乗ったことがないからわからないのだろう。もしかしたら『オイル上がり』や『オイル下がり』という言葉は死語になっているのかもしれない。そしてオイルを持ってきてくれたベテランのスタンドマンにも、オイル交換ですか?、と聞かれてしまい、足すんです、とまたまた言わねばならなかった私だ。

 ところでこんなに古いバイクに乗っていると気になることがある。それは最近はやっているアイドリング・ストップだ。信号待ちのときにバスはアイドリング・ストップをしているし、自動でエンジンがストップする車まである時代だ。エコのためにエンジンを切るのが当たり前だと思われるようになると、キックしかないDRに乗っている私は困るのだ。そのうちアイドリング・ストップをしないと、エンジンを切れ、と言ってくる人間があらわれて、このバイクはセルがないから切れないんだと、押し問答をするようなことになりはしないかと、今から危惧している次第である。これは考えすぎだろうか。

 オイルは1リットルで1365円。燃費は21.05K/Lとよく、132円で1645円。12時10分だった。草津PAから新名神、東名阪道を行くことにする。四日市で事故とでているが、名神よりも新名神のほうが距離が短いから、こちらを利用することにしたのだ。カッパを脱いで身軽になり、新しいオイルと古いオイルをなじませるために、80キロから90キロでしばらく走り、エンジンの調子をたしかめてから、徐々に速度を上げていった。

 新名神はできたばかりなので道路が新しくてきれいだ。まだ道路脇の植栽をしているくらいだから、これから景色もどんどん変わってゆくのだろう。渋滞ポイントの亀山JCT、四日市JCTを順調に通過してゆく。GWまではこのふたつのJCTは『名古屋』、『名古屋』と表示されている方向にすすみ、その先の豊田JCTで『静岡・東名』方面を選んだのだが非常にわかりづらかった。それが今回は亀山JCTから『東名』と表示されている。『東名は伊勢湾自動車道へ』ともでているからとてもわかりやすくなった。

 その伊勢湾自動車道方向にすすむと長嶋スパーランドが見えてきた。名古屋港をわたる巨大な吊り橋も。この赤・白・青に塗られた世界でも最大級だという橋は、何度見てもすごいと思うが美しくはない。名古屋らしい質実剛健なデザインで無機的な姿をしている。この橋に角島大橋のような美意識がこめられていたなら、もっとすばらしいものになったと私は思うが、名古屋の文化はそんな遊び心に金を費やすことは認めないのかもしれない。

 この橋をわたるころから上空に雲があらわれだした。湾岸長嶋PAや刈谷PAも立ち寄りたい魅力的なところなのだが、空が気になるので通過すると、雨がパラパラと落ちてくる。雨雲の下を走りぬけてしまえばよいと思ってペースを上げるが、ザーッと降ってきて、路肩に安全に止まれるところがあったので、停止してカッパをつけた。しかし雨具をつけているそばから雨脚は弱まり、走りだすころにはほとんど止んでしまい、更には2・3キロすすむと路上に雨の降った後もないから、面白くなかった。

 豊田JCTで東名に入り東進をつづけてゆく。走り疲れて新城PAで休むが、ここには前から気になっていた『カレーの大様』があった。東名のPAに1軒だけあるので利用したいと思っていたのだが、草津PAでカツ丼の大盛りを食べてしまったから、とてもムリだ。残念に思ったが、帰ってから『カレーの大様』はあちこちにあると教えられてーー東海地方だけのお店だと思っていたーーわざわざ東名で試すことはないと知った。そしていつでも食べられるとわかってみると、その後は味をみにゆく熱意もなくしてしまったのだった。

 カレーの王様でうなぎパイ・デラックスを630円で買い、14時35分に新城PAを出発した。再び東名を東にすすんでゆく。富士川SAで最後の休憩と給油をおこなう。燃費は20.78K/L。129円で1913円。富士川SAには新しい物販施設ができていた。楽市楽座のような名前の施設で、入ってみると地元の名産品が売られており、鮮魚が眼について買ってゆきたいが、荷物のつみようがないので諦めた。

 富士川SAをでると秦野中井で渋滞8キロと表示されている。御殿場にむけて山をのぼってゆくと、秦野中井渋滞8キロは横浜で8キロに、そして6キロと変わってゆく。大して混んでいないようだと予想してゆくと、横浜の手前から渋滞していた。これは横浜ICで高速をおりる車の行列と、横浜ICの先で3車線が2車線になることによる渋滞で、5キロほどノロノロ走行となったが、止まってしまうような渋滞ではなかった。

 18時5分に東京ICに到着すると料金は2800円と表示されている。1000円+大阪650円+東京650円で2300円だから、山陰道と浜田道が500円のようだ。朝6時に浜田を出たから約12時間かかったことになる。走行距離は920.9キロであった。

                                                         920.9キロ

                                              総走行距離  2717.8キロ

  

 

 大角鼻キャンプ場から来島海峡大橋を見る

 

                                                                   

 

 

 

 

 

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