2011年 北海道ツーリング 2日目 雨を避けて大移動 

 

 雨の道央道 砂川SA

 

 3時40分に放送が入り船は予定通り4時30分に小樽につくとのこと。それを聞いて起床した。雨かなとは思っていたがそうではないことを望んでいた。しかし雨降り。それもかなり強い降雨で、覚悟はしていたが落胆した。車が先に下船するのでミッキー君とお父さんを見送る。上士幌あたりで会えるかもと話して別れたが、正直自動車のおふたりがうらやましかった。

 バイクの下船まで時間があるのでテレビで天気予報を見ると、小樽・札幌は1日雨だが帯広・釧路は晴れると言っている。それを聞いてプランの変更を考えだした。今回はまず積丹半島を一周し、次は道北に移動して美深周辺の林道を走破、つづいて南下して十勝岳周辺の林道を走り、帯広、足寄、屈斜路湖、釧路、網走とすすむ計画だったが、その順番を変えたほうがよいのではないか。

 ロビーにもどるとRT氏がいる。携帯で天候をチェックしているので状況を聞いてみると、網走は晴れているからそこへゆくとのこと。網走かと思う。バイクの下船時刻となり船倉におりてゆく。RTが重くてバックできないのでバイクを引き出すのを手伝った。RT氏は手を上げて出発してゆく。カッパを着て準備をすると暑くて汗をかくが、走りだせば雨で冷えるのは確実だから、北海道用に持参したゴツイ革ジャンを着込んで船から走りでた。

 雨は小降りだった。フェリーをいっしょにおりたバイクはほとんど札幌方向にゆくが、数台だけ積丹方面にすすむ。私はプランの変更を考えていたが、とりあえず積丹にむかうものの、気迷いのせいで道を間違えてしまった。フェリー乗り場にもどると『なか卯』があったので、ここで朝食をとりながらこれからのことをよくよく考えることにした。

 昨晩ミッキー君のお父さんに、雨が降ったらどうするの、と聞かれた。そのときはビジネス・ホテルに泊まって飲み歩きます、と答えたのだが、今は朝の5時だ。これから札幌にいっても早すぎてホテルにチェック・インできないし、雨のなかで飲み屋が開店するまでの時間をどうして過ごしたらよいのかわからない。また予定通り積丹半島を一周するのも、この雨では楽しくないだろう。むしろ辛いであろう。

 台風は岡山に入ったところだ。このまま北上すれば北海道の日本海側は影響をうけるだろう。逆にオホーツク方面は今日も晴れるようだし、この先も台風の雨風を避けられるのではないか。予定のルートを逆回りにして、オホーツク沿いの予定をこなしていればその間に台風は去り、日本海側にまわったときには天候もよくなっているのではなかろうか。

 決めた。予定変更だ。オホーツク方向にゆくことにする。問題は帯広にゆくか網走にするかだが、帯広の目的地は美術館だから、万が一明日以降も雨になったときの避難コースとしてとっておくこととし、今日は網走にむかうことにした。

 札樽道に入り札幌で道央道につないで旭川に北上してゆく。雨が強くて視界がきかない。大都会の札幌の街もよく見えないままに通過した。気温は19℃、20℃と表示されている。雨降りで寒くて眠い。三重苦のなかを走ってゆくが、時に雨は激しく降り、笑うしかないほどひどい土砂降りになることもあった。しかし高速があってよかった。なかったらこんな大移動は不可能だったから。 

 走り疲れたので砂川SAに入るとRTと250忍者がとまっていた。SAのなかにRT氏はいないから、レストランで食事をしているようだ。体が冷えたのでホット・コーヒーを飲んでいると250忍者氏がもどってきた。忍者氏もおなじフェリーだったそうだ。忍者氏は地元の方なので天気のことを聞いてみると、道北やオホーツク側は晴れているとのこと。したがってもう少し頑張って走れば晴れます、と嬉しい情報をもたらしてくれた。

 忍者氏が出発した後で私も走りだす。先に行けば晴れていると思うと雨天走行も辛くない。心なしか空も明るくなったようだ。その期待通りに旭川で雨は止み、雲が切れて待ち望んでいた太陽があらわれた。輝かしいお日様が。晴れる、ということがこんなにも嬉しいということはライダーにしかわからないだろう。いや、バイク乗りに限らず、雨に打たれるアウト・ドア・マンにしかわからないであろう。

 晴れると視界が一気にひろがる。今まで水滴のついたシールド越しに雨で閉ざされた世界を見ていたのが、視野がクリアになり、何倍にも拡大したのだ。これまで見えなかった大きな空があらわれ、周囲には広大な畑がひろがった。眼にしたかった北海道の風景だ。太陽は力を増して気温も上昇する。気分も高揚してきた。思わず、ヤッター、キター!、と叫んでしまった。

 気温は上昇して24℃となった。比布で旭川紋別自動車道に入って東にすすむ。道北の空は晴れているが、これからむかうオホーツク方面は雲が多い。台風から離れていくほうが天候がよいはずなのにと思って走るが、前方の雲の色が濃くなっていくのが嫌な感じだった。

 降ってくれるな、ふらないでくれ、と願っていたが白滝でまた雨になってしまった。一度晴れて喜んだ後だけにショックは大きい。空は明るいから止んでくれるのではないかと思っていると、高速の終点の丸瀬布についた。旭川紋別自動車道はすばらしい道路なのに無料だったが、建設費を考えたら少しでも料金をとるべきではないかと感じてしまった。

 丸瀬布で給油をすると19K/Lと燃費が悪い。高速をずっと80キロで走ってきたと言うのにこれまでにないひどさだ。砂川SAを出発するときもエンジンのかかりが悪かったから調子がよくない。これは持病のオイル不足だろうかと考えた。DRはオイル上がりをおこしていて、ガソリンといっしょにオイルが燃焼してしまっているのである。若い人は知らないだろうが、このをオイルを食う、と表現する。オイル量が少なくなると調子が悪くなるので残量のチェックをしなければと思うが、雨で億劫なのでそのまま出発した。

 

 雨のコスモス祭り えんがる太陽の丘公園

 

 雨で気温は20℃に下がった。遠軽にむかう。今の時期は太陽の丘えんがる公園に1000万本のコスモスが咲いていると新聞で読んだのだ。1000万本のコスモス、見てみたいではないか。その公園についても雨降りで気分は盛り上がらない。しかも花を見にきているのは家族連ればかりだから男ひとりの私は場違いのように感じる。よほど公園に入るのはやめようかと思ったが、せっかく来たのだからと200円の料金を払って入場した。

 傘をさして園内に入ってゆくとよつ葉牛乳を配っている。ありがたく頂戴して飲むと美味しいが寒い。そして肝心のコスモスは四分咲きだ。雨天で四分咲きだから寒々としている。花祭りをやっていてお店もたくさんでているし、ステージでは自衛隊のブラスバンドがマルマルモリモリを演奏しているが、人出は少なく寂しいコスモス公園だった。

 コスモスを見に丘にのぼるが花をながめているのは私だけだ。雨に打たれているコスモスを眼にしても楽しくないから花祭りの会場にもどる。出店を見てまわるとさまざまな食べものを売っていた。昼食時なのでここで食事をとれば効率的だと思い、おにぎりふたつで300円と鳥の唐揚げのザンキ300円を買って昼食とした。

 えんがる公園をでてオホーツクにむかう。進めば晴れるのではないかと思うが雨は止みそうでやまない。逆に雲の色は濃くなり本降りになってしまった。私は晴れ男なのだが(macさんもミッキー君もだ)これではそうと言えなくなる。しかし国道333号線で朝日峠をこえてゆくと栄で突然晴れた。前兆がなかったから驚いたが、やはり私は晴れ男のようだ。

 晴れるとまたまわりがよく見えるようになり、視野が三倍にも拡大したように感じる。そして晴れるということがこんなにも嬉しいということは、雨に打たれているアウト・ドア・マンにしかわからないと、また思うのだ。

 

  能取湖のサンゴ草群生地

 

 能取湖のサンゴ草群生地にゆく。群生地が見えてくると湖の浅場が赤く染まっている。これはすごいと思って近づくと、サンゴ草はまばらだし色もぼやけている。こんなものかと思ったら看板があり、サンゴ草の色を濃くしようとして対策をとったら逆に数が減ってしまった、とのこと。よかれと思ってしたことが裏目に出るのはよくあることだが、それを正直に表示するのは率直にすぎると感じる。私の日常ではありえないことなので。ただこういう人は大好きである。

 カッパを脱いでグローブも晴天用のものに換えた。乾いた革のグローブの感触が心地よい。ただこれだけのことに晴れたありがたさをまた感じるのだった。能取岬にむかう。能取岬にいくのは1983年以来だ。当時の能取岬はなにもなくて、ただ泥の広場があるだけの荒涼としたところだった。物欲しげなキツネが一匹だけいたっけ。岬への道は砂利道だった。

 能取湖畔をいく道道76号線を北上してゆく。交通量が少ない走りやすい道だ。左手に見える能取湖は美しく、湖畔は湿地帯になっている。その風景は広々としておおらかなもので、日本離れしたものだった。

 

 能取岬

 

 13時30分に能取岬についた。昔は泥の広場しかなかったところが牧場となり、広い駐車場やトイレが整備されて、灯台の周辺も草地となってずいぶんと変わっている。テレビや映画、果ては中国ドラマの舞台にもなったそうでその案内がでている。昔は訪れる人も少なかった能取岬の変わりように驚いたが、30年もたてば無理もないだろう。

 晴れて暑くなった。さっきまでの陰鬱な雨空が嘘のようだ。気温が上がったので革ジャンを脱いで灯台や岬を散策した。観光バスでおばさまたちが大勢やってきた。おばさまと言っても私よりも少し上の方たちだからお姉さまだ。お姉さまたちは、バイクでどこから来たのか、どこへ行くのか、雨はどうしていたのかと聞いてくる。お婆さまたち、いやお姉さまたちは旭川の人だった。

 出発の前にエンジン・オイルの点検をすると、ロー・ゲージにとどかないほど減っていて、どこかで補給しなければならない状態だった。道道76号線をまわりこんで網走の街へゆく。網走も1983年以来だ。そのときに野宿した網走駅を見に行くと昔のままの駅舎がたっていた。懐かしくて駅のまわりを歩きまわるが、昔とくらべて駅も街もずいぶんと寂れた。人も少なくて、これなら北見のほうが活気がある。それでも街をでようとすると商店街でイベントをやっていて、そこは大勢の人でにぎわっていた。

 今夜の宿泊地は屈斜路湖の和琴湖畔キャンプ場(民営)と決めて南下してゆく。呼人浦キャンプ場の横を行くが網走湖もうつくしい。そして湖の反対側に広がる畑が広大で、見ていて気持ちがよいのだ。美瑛や十勝の畑地とおなじような雄大さなので眼をひきつけられて走っていると、朝日ヶ丘展望台の看板がでている。国道から2・3キロとのことなので立ち寄っていくことにした。

 

 

 網走湖の横に広がる畑地

 

 朝日ヶ丘展望台には小規模なひまわり畑と展望台があった。眼下には網走湖とひろやかな畑が見えるが、惜しいことにいちばんよいところに電線がかかってしまっている。それがなかったら人気がでそうなのだが、電線が致命的だった。展望台の景色よりもその手前にある直線路や畑の風景のほうがうつくしいと思うが、そう感じるのは私だけではないようで、畑の中には立ち入らないで下さいと看板がでている。部外者が入ると作物が病気になってしまうそうだ。都会の人間はそんなことは知らないから、悪気はなく足を踏み入れているのだろうが、立ち入りは厳禁だ。

 美幌の町を通過して美幌峠にのぼってゆく。屈斜路湖を見下ろす絶景がのぞめる峠なので期待していくと、上空に雲がわきだした。まさかまた雨? それだけは勘弁してほしいと思ったが、美幌峠まで10キロの地点で降りだしてしまった。空は明るいので止むのではないか、先にゆけば雨から逃げられるのではないかと粘るが、降雨は強まりカッパを着るほかなくなった。しかしたまたま新宮林道があったので、そこに入って木の下で雨宿りをすることにした。

 雨は一定の強さで降りつづく。カブの旅人がひとり峠にのぼっていった。メモをつけていると10分ほどで雨は止んでくれた。路面は濡れているのでカッパのズボンとブーツ・カバーをつけて走りだす。峠にのぼってゆくと霧がわきだして視界がきかなくなる。霧はしだいに濃くなり、美幌峠についたときにはほとんど眺望はきかなくなっていたので、展望台に立ち寄ることなく通過した。しかし峠から100メートルほど下ると霧が切れ、屈斜路湖が見えたのでバイクをとめた。

 

 霧の屈斜路湖

 

 霧の切れ間に屈斜路湖と中島が見える。写真をとっていると霧がながれてきて視界をさえぎったり、霧が切れて湖がスッキリと見えたりする。峠の展望台にはずっと霧がとどまっているから、そこにいる大勢の人たちは絶景を眼にすることはできないのだった。

 屈斜路湖にむかって下ってゆく。屈斜路湖畔林道を走っていこうかと考えていたが、また雨が降りだしたのでやめておいた。野営地の和琴半島に急ぐが雨足は強まってしまう。しかし和琴はすぐそこなので濡れていくことにした。

 和琴半島湖畔キャンプ場に到着した。砂浜にバイクを乗り入れて管理棟にいくと管理人さんがいて、雨は降ったり止んだりだが、予報では悪いとは言っていないから、十分にキャンプできると思う、と言う。私もそう考えていたので1泊450円の料金を払って手続きをした。連泊するかもしれないと思っていたが、明日のことはまたそのときに決めるほうが旅の自由度は高まるから、2日分の申し込みはしなかった。

 空は明るいが雨は止まない。待てば晴れるだろうと思い、今日のメモをつけているとやがてあがってくれた。「さあ、今のうちだよ」と管理人さんが言う。キャンプは十分に可能と言ったのに降雨がやまないから気にしていてくれたようだ。管理人さんにうなずいてテントを設営した。

 摩周駅近くのスーパーに買いだしにゆく。何度も利用しているところだが、記憶よりも距離がありキャンプ場から15キロもあった。スーパー・フクハラで焼酎と刺身を買い、セイコー・マートにまわってビールと水、豚バラ串とポテサラを求め、ヘッドライト用の電池はないかとたずねると、あつかっていないがフクハラの隣りのホームセンターにはあるのではないかとアルバイト君が親切におしえてくれる。その親身な対応がうれしくて、すすめられた会員登録をしてカードをもらったが、このカードは割引が聞くから、後々の買物でとても役にたった。

 ホームセンターでヘッドランプ用の電池を手に入れた。最後にホクレンでガスを満タンにし、エンジン・オイルがほしいと店員に言う。すると、バイク用のオイルはおいてないんです、との答えが返ってきた。車のでいい、ふつうの4サイクル用で、と言うと、10W−30Wのオイルを1リッター入れてくれた。オイル代は840円だ。

 すっかり暮れた夜道をキャンプ場にもどってゆく。エンジン・オイルをなじませるためにゆっくりと走る。オイルを補充するとエンジンはなめらかに回転するようになった。キャンプ場につくと食事は後まわしにしてキャンプ場の先にある露天風呂にゆく。和琴半島には無料で入れる露天風呂があり、ここに入れば風呂代を節約できると考えていた。

 記憶をたよりに暗い砂浜を歩いてゆくと、人の話し声が聞こえてきた。露天風呂についたのだ。どうやら4・5人の男女がいるらしい。女性がいるから明かりはなく真っ暗だ。こんばんは、と声をかけて風呂に近づいてゆく。こんばんは、と返事がかえってきて、足元をたしかめながら風呂にすすみ、湯に足をつけると熱い。とても風呂に入れないほどだ。
「熱いですね」と隣りの人に声をかけると、
「熱くて入れませんよ。かけながすくらいですね」と若い男性。まさにその通りで私もタオルで体に湯をかけて汗をながした。

 4・5人の男女がいるのかと思ったら、中年以上の4・5人の男女と若いカップルがいるとわかる。私はカップルの隣りに入ったのだ。熱い湯を体にかけているとカップルの男女がいろいろと話しかけてくる。ふたりは旅にでて相当の期間がたっているようだ。登山に来たそうだが天気が悪ければ湯につかりながら停滞しているそうで、旅行の終わりは決まっていないらしい。私はバイクで来て、休暇は一週間しかないから、天気のよいところを求めて、今日小樽に着いたばかりだが、高速で一気に移動してきたと話した。

 旅の日程が決まっていないというのは学生か、そんな年ではないから無職なのか。いずれにしてもふだんなら会話もしないタイプの人間だ。彼らは自分たちのノンビリした、お目出度い旅行のことを一方的に話しだす。しかもため口だ。少し会話をすれば相手の年や反応がわかるものだが、ふたりはまったく気づかないようだ。中年のグループはそんな彼らを敬遠しているから、いきおい私にばかり話しかけるようになった。こういう人間は相手をしているとキリがないから、離れた場所で髪を洗うことにする。とてつもなく熱い湯をかぶって頭をシャンプーし、またそのお湯でながすという、きつい作業をした。もちろん思うようにならない。風呂代は節約できたがなんともサッパリしない入浴となった。

 

 和琴の夕食

 

 テントにもどると19時45分で買ってきたもので夕食をはじめる。テントの前で食事をしていると、雨がポツポツと落ちてきた。テントに入るほどではないので外で夕飯をすませる。その後は焼酎の水割りに切り替えて、テントに入ってメモをつけた。ラジオでは明日も天気が悪いと言っている。台風はどこにいるのか。まだノロノロとしていてあまり進んでいないのか。テントをたたく雨音を聞いていると気が滅入る。明日の天候を案じているうちに眠っていた。

                                         539.3キロ