2014 福島ツーリング 1日目の1

猪苗代湖

 午前5時。バイクに荷物を積み、自宅から離れたところまで愛車を押していってキックでエンジンをかけた。福島ツーリングのはじまりだ。東北道の羽生ICにかう。ほんとうは宇都宮付近まで一般道を利用して、高速代を節約しようと思っていたのだが、福島でつかえる時間が増えたほうがよいから、羽生を高速の基点とした。

 すき家で納豆朝食302円をとり羽生ICに到着した。天候は薄曇りで肌寒い。予報では今日はくもり、明日は曇り時々雨となっている。梅雨時なので、多少降られるのは覚悟の上でのツーリングだった。

 高速を100キロから110キロで巡航し、那須SAで休憩にする。ペットボトルにお茶をつめてきたのでそれで水分を補給し、トイレにいってメモをつけた。

 白河ICで高速をおりるつもりだったのだが、気がつくと次は白河中央ETC専用ICとでている。白河ICはまだのはずだと思って通過すると、次は矢吹ICだった。知らぬ間に白河を通りすぎてしまったのだ。これはいけないと矢吹で東北道をおりた。

 国道294号線で猪苗代湖にむかう。やがて峠越えの山道となり、車が詰まりだしたので、前を走る自動車の後についてゆく。しばらくすると、追いついてきた日産ノートが私をぬいて前に割り込んできた。センターラインは白線だから、前の車をガンガンとぬいてゆくのかと思ったら、そのまま走り続けている。何これ? こっちのことを原付だとでも思っているのだろうか。地方に来ると信じられない運転をする人がいるものだ。しかもカーブが深くなると前の車に遅れだす始末。ノートを抜きかえしてゆくが、もちろん私にはついてこられないのだった。

 峠をくだってゆくと猪苗代湖との分岐にでた。ここから国道をはなれて狭い湖沿いの道をゆくことにする。猪苗代湖岸にはキャンプ場が多数存在するので、今後の参考のために見てゆきたいと思っていたのだ。

 猪苗代湖畔のキャンプ場

 湖沿いにすすむと湖水浴客用の駐車場があらわれた。公園がありここでキャンプができるようだ。公園に入ってみると敷地はせまい。芝生が少しありここにテントをたてるようだ。湖のすぐ横でロケーションはよいが、昭和の野営場のように設備が少ないところだった。何もないキャンプ場はむしろ好みだがピンとこない。私のたずねた6月の後半はだれもいなかったが、ハイシーズンは混雑するらしい。トイレは順番待ちになるそうだ。

 湖岸をすすむ。キャンプ場はいくつもあるようなのでそれらを見てゆきたい。一車線の細い道をゆく。入り江をまわりこみ、湿地を横切って、頭上を木々におおわれた緑のトンネルをぬけてゆく。湖岸の道路にはだれもいない。湖の水がきれいなのか気になって見てみると、透き通っている。岸から水底が見えるのは5メートルほどだが、そこは20〜30センチの浅瀬になっていて、一面に小石がならんでいた。路上にはだれもいないが、湖上にはバス・ボートが3艘浮かび、バス・フィッシングをしている。船は波打ち際から20〜30メートルのところにいるが、その付近まで沖にでれば水深はあるのだろう。

 なるべく湖岸を走りたいが道がそのようになっていない。方向をえらんで湖に近い方へとむかうが、道路のつくりと接続が悪くて分岐を次々に折れてゆくことになる。思うように水辺を走れないし、時間もかかるので、キャンプ場の視察は断念することにした。

 猪苗代湖岸から国道にでるとリザーブになった。走行距離は313キロ。通常は満タンで350キロは走行することができるのだが、高速を100キロ以上で巡航すると燃費はおちるのである。周辺は田園地帯でGSがあるようには見えないが、会津若松まで20キロほどなので、予備タンでゆきつけるはずだと思っていると、農協のGSがあった。さっそく給油をするがリッター169円と高い。地元よりも10円割高だから福島はガスの高い土地柄だ。

 会津若松の手前で白くて大きな観音様がみえてきた。高崎の白衣観音のような感じである。お寺なのかと思ってゆくと会津村という施設だった。レジャー施設のようで観音様のお顔も慈悲にあふれているというよりも、はなやかなものだった。

 城下町、観光地の会津若松に入るがここに用はない。となりの湯川町にある勝常寺(しょうじょうじ)にむかう。勝常寺には国宝の仏様が三体と重文の仏像がたくさんあるのである。このようなお寺は畿内のほかにはまずない。それが東北の福島にあると知ってやってきたのである。

 

 勝常寺 講堂

 勝常寺の前は駐車禁止だった。近くに専用の駐車場があるが、バイクならよかろうとDRを塀によせてとめた。古くていたんでいる山門の前で合掌し頭を下げる。仁王門をくぐると手水舎があったので手と口をきよめた。正面にたつ講堂ーー薬師堂ーーにすすむ。本堂のように見えるがそうではないのだなと思ったが、本堂は道をはさんだ向い側にあると後で知った。

 薬師堂に賽銭をおさめておまいりをする。薬師堂は室町時代の建物で重文だった。お堂の中をのぞいてみるが仏様はみえない。収蔵庫があるのでそこに国宝の仏像は安置されているのだろうと思ってゆく。収蔵庫の拝観料は500円だ。私がついたときには先客が4人いて、お坊さんの案内で仏様を見せていただくところだった。そこに私もくわわって、まず薬師堂を案内していただくことになった。

              

                               勝常寺の薬師如来 湯川町のHPより

 薬師堂には国宝の薬師如来坐像がいらっしゃった。高い位置にあり、さらに蓮華座の上にすわっていらっしゃるのでじっさいよりも大きくみえる。高さは150センチとのこと。薬師如来は1200年前の作とのことだが保存状態は非常によい。お体は一木作りで光背は三枚の板をつないでいるそうだ。ふっくらとしたお体と重みのある表情が心にのこる。つづいて収蔵庫に移動した。

 

月光菩薩 湯川町のHPより

 収蔵庫の主役は国宝の月光、日光菩薩だ。ともにほぼ等身大でゆるやかに体をまげており女性的である。お顔は端正だが哀しみに耐えているような複雑な表情で、私は薬師如来よりも月光・日光菩薩のほうが心にひびいた。ほかに重文の仏様もたくさんあるが、3メートルはありそうな十一面観音にもひきつけられた。

 

 十一面観音 湯川町のHPより

 重文の広目天は上野の博物館に寄託されているそうだ。また来年の正月にはーー2015年ーー『東北の仏展』という企画があり、国宝の薬師如来も上野に出張されるとのこと。会津までゆけない人は上野でお会いすることができるのである。

 勝常寺を創建したのは、比叡山延暦寺をつくり天台宗をひらいた最澄と仏教論争をしたことで名高い徳一上人である。歴史上の人物がこの地にいたのかと思うととても新鮮な気分になった。当時の会津は相当山深かったとおもうが、文化度も深かったことになる。いずれにしても会津はたいへんな宝物をもっている。−−より詳しい訪問記は『放浪のページ 巡礼編』にあります。興味のある方はそちらもどうぞ。札所以外のお寺、のジャンルです。

 勝常寺をでて会津坂下町にある立木観音にむかう。立木観音はその名のとおり立木の大木に観音様を彫ったもので、評判が高いので期待していった。

 日差しが強まり暑くなってきた。これまで涼しかったのが嘘のような変わりようである。雨に降られるよりははるかにマシなのだが、太陽をよけるもののない立木観音の駐車場では、日向にいるのが辛いほどになり、バイクをとめると山門近くの木の下に逃げ込んだのだった。

 

 立木観音の観音堂 重文

 立木観音があるのは恵隆寺(えりゅうじ)というお寺だった。山門をくぐると茅葺屋根の観音堂がみえるが、修理中でブルーシートがかぶせてあった。観音堂におまいりをした後で中をのぞいてみると大きな幕がかけてあり、そこに観音様の絵がかいてあって、観音様の姿は見えないようになっていた。 

 

 立木観音 会津坂下町のHPより

 観音堂に入り入口で300円の拝観料を支払った。外から見たとおり中には天井から床まで斗帳(とちょう)とよばれる幕がはってある。これは観音様の日除けと湿度調整のためのものなのだそうだ。その斗帳の奥にゆくと驚くほど大きな観音様がたっていた。高さ8,5メートルの十一面千手観音だ。巨大な観音様のまわりには二十八部将が階段状に配置され、いちばん上には風神・雷神もいる。十一面千手観音はこのようにおまつりするのが正しいのだとの説明がながれていた。

 観音様の足に触れてもよいとあるのでさわらせていただく。足以外はダメである。また堂内には抱きつき柱というものがあり、この柱にだきつくと心願がかなうそうだ。立ち木観音は観音堂とともに重文である。会津には宝がたくさんある。立木観音は神々しくて眼がはなせないほどだった。

 立木観音はぴんぴんころりのご利益があるそうだ。その観音堂をでて駐車場にむかうと茶屋から呼び込みの声がかかる。私は近づかないが、割と多くの人が立ち寄ってお店の人とおしゃべりをしながらお茶を飲んでいるから、これも会津の文化のようだ。またここは演歌歌手の春日八郎の出身地でもある。別れの一本杉の歌碑もあって興味をひかれるが、なにしろ暑いから、日陰と風をもとめて、またバイクで走りだしたのだった。

 昼時となり食事をとりたくなった。会津坂下にはたくさんのレストランがあったが、立木観音は町のはずれにあり、次は西会津町の鳥追観音にゆくつもりなので、その方向にすすんでしまった。会津坂下にもどらなくとも食堂はいくらでもあると思ったのだが、この先は山の中をゆく道となった。

 勝常寺と立木観音を見たあとは柳津町にある圓藏寺(えんぞうじ)にゆくつもりだった。しかし時間があるので、会津三観音とよばれる鳥追観音にいってみることにしたのだ。因みに会津三観音は立木観音、鳥追観音と中田観音である。鳥追観音にむかってゆくが、中田観音にゆくかは決めていなかった。

 昼食は会津なのでソースカツ丼にしたいと思っていた。以前に友人たちと食べたソースカツ丼がやけに美味しかった思い出があるので。そのソースカツ丼をもとめて西会津にむかう山道を走るが、これだと感じるレストランがみつからない。そうこうしているうちに西会津町に入り、鳥追観音への分岐についてしまった。昼をすぎようとしているから西会津で食事をとってから鳥追観音にゆくことにして町の中心にむかう。店はたくさんあるだろうと思ったのだが、国道沿いには道の駅とコンビにしかない。正確には他にパチンコ屋が一軒だけ。そこで国道をはずれて町の中を探索してみた。

 見てまわると行列しているラーメン屋としていないラーメン店があり、やがて駅前にでた。人気のない駅だ。駅のまわりには『大山まつり』の幟がたくさんたっている。会津三観音のほかに会津六詣出という風習もあり、これは三観音と圓藏寺にくわえて、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)と須美山神社をまわるものだ。これからゆく鳥追観音の奥に大山祇神社があり、そのお祭りが大山まつりなのである。六詣出をするつもりはないのだが、近いなら大山祇神社に立ち寄ってもよいかなと考えたりしていた。