2016年トランポでゆく北海道ツーリング6日目

 

 

  

1 絶景めぐり 

 5時半に起床した。顔をあらいにゆくが蚊がすごい。とにかくたくさんいるので気をつかった。コーヒーをいれて飲み、昨夜スーパー・フクハラで半額で手に入れておいた五目いなりとなめこ汁で朝食とする。いなり寿司は3個もあり朝からたべすぎてしまった。ゴミはビニール袋を買えば捨てられるが、買物のときにコンビニで捨てられるから購入しなかった。

 7時にならないとゲートが開かないので場内を一周することにした。写真をとりながら歩くが、蚊がまとわりついてきてわずらわしい。常に5・6匹の蚊にとりまかれながらすすむ。ただここの蚊は大きくて無器用なので、腕などにとまるとすぐにわかるから、その度にたたきつぶしていった。

 場内は円をえがくように道があり、所々に駐車スペースがある。そこに車をとめてキャンプをするように作られていた。何台かのキャンピングカーがいたが、テントを張っている人はいなくて、すべて車中泊だった。

 

 バイクを車からおろす

 

 ゲートが開く時間にむけてバイクの用意をする。ハイエースからDRを慎重におろした。車からバイクを出すと周囲のキャンパーの態度が変わった。これまで誰も話しかけてこなかったし、近づいてもこなかったのだが、隣にいたステップ・ワゴンの男性がやってきて、キャンピングカーの老夫婦も、バイクすごいですね、と声をかけてくる。たぶんキャンピングカーよりも大幅に安いハイエースで貧乏旅行をしている、冴えないオヤジだと思われていたのだろう。それが単車でツーリングをするとわかって見る目がちがったのだ。

 ポップアップルーフのついたステップ・ワゴンは手作りの棚のある自作キャンピングカーだった。ステップ・ワゴン氏はラダーはしっかりしているけど1万円くらいするの?、と聞くから、とんでもない、これは4万円以上するんですよ、と答えた。年をくっているから、安全と安定を第一にえらんでいるんですよ、と。

 ステップ・ワゴン氏はリタイヤした方だったが、夫婦で30日の予定で北海道をまわっているそうだ。ラダーを車内に仕舞おうとすると手をかしてくれる。重いね、しっかりだ、と言っていたが、いずれは車にバイクを積みたいと思っているのかもしれない。

 

 車中泊をしているキャンピングカー

 

 車の人たちには声をかけられたが、ライダーにはまったく話しかけられなかった。逆の立場だったら私もそうしただろうから、トランポ派はバイクの仲間に入れない辛さがある。

 ゲートは7時前にいつの間にか開いていた。地図を見て7時10分に出発する。昨日の雨の降りかたでは林道走行は無理だと思う。1日くらいは待たなければ水は引かないだろう。そこで今日はダートを走れないときのために用意をしておいたコースをゆくことにする。目的地は開陽台や多和平などで、今日のご馳走は絶景だ。

 車は無料駐車場にうつさなかった。ほぼ連泊と思っていたからである。まず開陽台にむかう。今日もご馳走からたべるのだ。道道8号線を北上して中標津の町に入ってゆく。中標津から案内標識にしたがって開陽台にすすむ。気分がよい。北海道を思うままに走っているのだ。好きなところにゆき、たべたいもので食事をとる。夜は眠るまで酒を飲んでいるのだ。思うのまかせない日常を考えれば、夢のような時間である。

 

 北19号線 右前方の丘が開陽台

 

 道道150号線から左におれると長い直線にでた。すごい景色のところだと思ってバイクをとめると、ここは直線路で大人気の北19号線だ。中標津から開陽台にゆくのははじめてなので気がつかなかった。

 8時に開陽台についた。駐車場からすでに360度の眺望がひろがっているが、ここはやはり展望台から風景をながめたい。駐車場から階段をのぼってゆく。展望台に入ろうとすると、ちょうど下りてきた老夫婦が、羽蟻がすごいですよ、と教えてくれた。たしかに展望台の手前から蚊柱のように羽蟻が群舞している。それでも展望台にゆかずにはいられない。バンダナをマスクのように巻いて、鼻と口に虫が入らないようにして展望台にのぼってゆく。虫の大発生も、北海道らしいといえば、北海道らしいではないか。

 

 うっすらと国後が見える

 

 牧場が眼下にひろがっていた。知床連山もきれいに見えている。そして今日は国後がのぞめた。開陽台で国後島を目にしたのははじめてだ。展望台を羽蟻にとりまかれながら歩く。360度のどこを見ても目がはなせない。何週も、何回も展望台をまわる。虫など気にならない。裏にあるキャンプ場にキャンパーはいなかった。立ち止まってはカメラのシャッターを切ってゆく。いく度見ても飽きない。7・8周はまわっただろうか。

 展望台からおりてゆくと展示コーナーがあった。そこに古い展望台の写真がある。1983年にはじめてここに来たときの建物だ。そうだった、こうだったと思いながら画像をみつめた。当時はここに何人ものライダーが連泊していて、野宿ライダーかサイクリスト、カニ族くらいしかいなかったのだ。駐車場はずっと小さくて、アプローチの道路とともに未舗装だった。

 開陽台は1981年か1982年にバイク雑誌ーーたしかMr,Bikeーーの北海道ツーリングの特集記事にとりあげられて、大人気になった。ライダーの聖地ともよばれて、ここだけに泊まりつづけるバイク乗りもあらわれ、私が来たときにもそんなツーリング・ライダーたちがいた。貧乏性の私は1ヵ所に停滞しつづける気持ちがわからなかったし、当日は霧で景色が見えず、写真もとらずに立ち去ったのだ。

 

 昔日の展望台

 

 展望台から出ようとすると、売店の女性が「キャー!」と悲鳴をあげている。どうする?、なにかではさんでつかまえて!、とふたりの女性店員が大騒ぎをしている。どうしたのかと思ったら、小さなカエルがいるのだった。カエルはたくさんいる羽蟻を食べにきたのだ。女性たちがパニックになったように叫んでいるので、カエルをつかまえて植え込みにはなしてやった。「えー!」「素手でー?」と彼女たちはまた大声をだしていたが、大したことではないでしょ。

 女性は掃除機で売店の入口にいる羽蟻を吸いはじめた。虫はいつもこうなんですか?、と聞くと、そうなんです、毎年雨が降ってじめじめすると大発生するんです、役場に言ってもなにもしてくれないんですよ、薬をまいてくれればいいのに、そうだ、役所に苦情を言ってもらえませんか、観光客の方が困っていると言えば、役人も動くと思うんです、と言う。いやぁ、自然のままがいいんじゃないんですか、と答えると立ち去る私だった。殺虫剤をまくなんて嫌だよね。

 階段をおりて駐車場にむかうとホンダCB1100RとVF750Fがやってきた。珍しいモデルだなと思ったがちょっとちがう。よく見たら2台ともVF750Fだ。1台はCB1100R風のカウリングを装着しているのだった。VF750Fは長いこと目にしていない。オーナーズ・クラブの人なのかなと思う。彼らは私のバイクの近くに停車したので、自然と会話をする成り行きとなった。

 

 CB1100R風のカウリングをつけたVF

 

 CB1100R風のオーナーはリタイヤした人だったが若く見えた。60代が50台のように。VFは新車で買って33年のっているそうだ。私もDRに23年乗り続けているが、これはかなわない。VF750はセイバーというヨーロピアン・タイプと、マグナという名のアメリカン・モデルが発売されたが、まるで人気がでなかった。VFのエンジンはホンダが野心をこめておくりだしたV型4気筒だったが、当時は並列4気筒が大人気だったのだ。並列よりもホンダのV型のほうがパワーがあったが売れなかった。ホンダは挽回しようとして、よりレーシーなモデル、VF750Fを追加販売したが、これも不発だった。それで今ではほとんど見られなくなってしまったのだが、長年不人気車に乗り続けているのは、新車で買ったというのが大きいのかなと思う。新潟港にいたCB750FCの方もそんな感じだったが、新車で手に入れたバイクは大事にするし、思い入れもひときわなのではなかろうか。ナナハンは当時の最高級品、フラッグ・シップだったのだから。

 CB1100R風のVFはカウリングを換えただけで20年間ノーマルでのったそうだ。その後改造するようになり、ホイール、タイヤ、ステップ、マフラーを変更している。ホイールはサイズ・アップしたが、スイング・アームをいじることなく装着することができたそうだ。VFは元々オーバー・スペックと言われているそうだが、大きなサイズのホイールもそのまま適合したとのこと。

 マフラーはVF250のものをつかっているが、どうやってつなごうかと考えていて、トイレに入ったときも思案をつづけていたら、横にある水道のパイプが目について、これをつなげればよいのだと思いついたそう。その水道パイプとマフラーを知り合いに溶接してもらって完成したそうだ。

 車検はどうするのかたずねると、ユーザー車検で自分で持ち込むが、このまま通るそうだ。33年も前のバイクは細かいことは言われないとのこと。

 

 ブルーのVF

 

 もう1台のブルーのVFもリタイヤ氏のもので、乗っているのは息子さんなのだそうだ。これは元々部品取り用として入手した、5年間動いていなかった個体で、ブレーキとキャブをオーバー・ホールして車検をとり、その後バラバラにして再塗装し、改造して組みなおしたそうだ。ブルーは珍しいと思ったが、これもリタイヤ氏の手によるもので、純正品のようなクオリティーの高さだ。そしてもう1台部品取り車を所有していると言うから、熱の入れようがわかろうというもの。もしかしたら日本一のVFマニアかもしれない。

 しかし息子さんとツーリングとはうらやましい話だ。人生は多難だから、ただ楽しく、晴れやかな旅ではないだろう。それでも理想的な父子関係だと思う。

 リタイヤ氏の最初の北海道ツーリングは40年前だと言う。私は1981年に自転車で旅したから35年前だ。こういう人にはまず会えない。話はあうしとても愉快だ。以前からの知り合いのように語り合った。

 ふたりは荷物を満載しているが、これから川北の湯にゆくと言う。川北の湯へは笹の沢林道を通らなければならない。私も明日ゆくつもりだから、林道はゆっくり走れば大丈夫でしょうと助言すると、リタイヤ氏は以前も行ったことがあるそうで、それならば私がアドバイスをすることなど何もなかった。リタイヤ氏はローかセコでゆっくり走るつもりだと語っていた。

 お互いにシャッターを押しあい、ふたりは展望台へ、私はバイクで走りだす。北19号線にもどり、写真をとってメモをつける。ご馳走から食べることにして開陽台に来たら、よい出会いもあった。北海道ツーリング、こんなに面白い遊びを私は他に知らない。人生のすべての要素が満たされている人はいないだろうが、何かが欠けていても、北海道をツーリングしている間は忘れてすごせる。やがてVFのふたりがやってきて川北の湯の方向に走ってゆく。彼らとは手をあげあった。

 次は多和平にゆくことにする。北19号線から開陽台方向にもどり、道道150号線で弟子屈方向にすすむ。牧場がひろがる真っ直ぐな道をゆくが、1983年にここに来たときには、交通量がほとんどない直線道路でスピードをださないと損なような気がして、アクセルを全開にしたことを思い出した。途中で馬鹿らしくなってやめたのだが。

 国道243号線に入るとすぐに左折して多和平にゆくはずが、ここを見落として弟子屈近くまでいってしまった。まちがえたことに気づいてもどったが10キロのロスとなった。

 あらためて道道1040号線に入ろうとするとバリケードが設置されている。しかし道を完全に封鎖しているのではなく、通りぬけられるようにしてあるから、多和平まではゆけるだろうと考えてすすむと、行き着くことができた。

 

 多和平の展望台と福祉施設の店

 

 多和平には観光客の車が2台いて、その人たちは駐車場からの景色を見ただけで帰ってしまったが、私は芝生の丘をのぼって展望台にいった。日差しは強くなり暑い。多和平のながめは大牧場のひろがりだ。開陽台のように山や国後、畑といった変化はないが、雄大な風景の見られるところである。またここはキャンプ場でもあるがテントはひとつもなかった。

 

 展望台からのながめ

 

 展望台のとなりには福祉施設の売店があった。店の前にとめてあるバンには赤い羽根募金のマークが入っている。毎年赤い羽根の募金をしているが、じっさいに役に立っているのをはじめて見た。

 この店では施設の人たちが作った品が売られているが、味がある。そこで400円のどんぶりと、毛糸で編んだ300円のペットボトル・ケース、800円の木馬を買った。これもトランポの旅だからできたことで、バイク・ツーリングだったら荷物になるから、何も購入しなかったはずである。

 お店の人に道のことをたずねると、バリケードはあるが、道道1040号線は南の国道391号線にぬけられるとのこと。店をでて丘を下ってゆくと牧場の作業をしている人がいる。その中にハンデのある方がいたから、多和平は福祉に力を入れている事業所なのだ。これで多和平がより好きになった。

 駐車場の前にある観光売店にも立ち寄ってゆく。ここにはレストランもあり、家内とPキャンの旅をしたときに食事をしたところだ。メニューはビーフ・シチューだった。店内を見ていると、旗はいりますか?、とスタッフの女性に声をかけられた。多和平の名前の入った標茶町の交通安全のフラッグとウエット・ティッシュを、名前と住所を書けばもらえるとのこと。これもご縁なので必要事項を記入してフラッグをうけとり、お礼にみやげの星空のビーフ・シチュー1285円をもとめた。

 

 いただいたフラッグなど

 

 バイクに交通安全の旗をつけて走りだす。道道1040号線を南下し、国道391号線とつないで釧路湿原にむかう。標茶をすぎた地点で道道243号線にはいり、コッタロ湿原展望台にゆこうと思っていたが、分岐をみつけられずに通過してしまった。シラルトロ湖の看板がでていたので代わりに寄り道することにした。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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