安曇野の白い庭 丸山健二 新潮社 2000年 1600円+税

 作者の庭造りと家の新築を記録したエッセー。

 作者は安曇野にある先祖伝来の、元はりんご畑だったという350坪の土地に住まい、そこで趣味の庭造りをしている。そこでの暮らしの歴史とこだわりを綴ったものである。

 作者らしく庭造りは金にまかせて職人にやらせるのではなく、すべて独力で作りあげている。たいへんな労力と情熱、エネルギーが注ぎ込まれていて、それは作者の小説と同じく、細部まで妥協を許さない、隅から隅まで手が入れてあるものだ。作者はそれを自讃し、人にやらせる庭造りを否定しているが、それは人の勝手だろう。

 作者は若くして芥川賞を受賞した後、都会での暮らしに馴染めなくて、地方の借家住まいをした後に、祖父の土地に家を建て、以来ずっとそこで暮らしている。その間のことはこれまでも何冊ものエッセーに書かれていて、私も何度も読んだ内容がでてくるが、土地が祖父のものであったことは初めて知ることで、ずっと家といっしょに買ったものだと理解していた。

 最初の家を建てたころのことから、これまでに熱中した趣味であるバイクや車、飼った犬などの話題をおりこみながら時間はすすみ、現在の庭造りにいたった経緯と、家の新築が語られる。庭造りのこだわりや苦労話はよくわかるのだが、その間にいつもの作者の持論が出てくると辟易させられる。それは田舎の人間の救いのなさ、視野の狭さを指摘することや、都会の空虚さ、日本の社会や人間の主体性のなさなどをあげつらうものである。そこには自分だけは正しくて、他者がすべて間違っているのだという思い上がった視点があり、そのおめでたい思考を見せられると、それならお前は何ほどなのかと聞きたくなってしまい、白けてしまうのである。

 作者の小説はすばらしい。近年特に深みを増していて、誰にも書けない作品を生み出している。しかしエッセーはダメである。小説のように抑制が効いていないから、作者のゆがみやあくの強さ、極端な視点があらわになってしまい、読み手は反発を覚えさせられる。作者の小説はよいがエッセーはもう読まないだろう。

 

 

 

 
                       文学の旅・トップ