奇跡の自転車 ロン・マクラーティ 新潮社 2006年 2600円+税

 43才で独身、身長172センチで127キロのダメでデブの主人公が、自転車で自分探しの旅をする物語。

 主人公は突然旅に出ることになる。その自転車の旅を軸として、精神を病んでいる姉の奇行とそれに振りまわされる家族、主人公の子供のころからの生い立ち、そして幼馴染との恋が、細切れにされて、少しずつ同時進行する構成となっている。

 姉の病気は救いがない内容だ。そこに精神科医の無能さと怠慢が織り込まれていて、現代アメリカ社会の矛盾が描写されているが、本書は折々の場面で今のアメリカの問題が内包され、問題提起するように書かれている。

 主人公は旅先で様々な人と出会い、いろいろな経験をする。アルコール中毒や麻薬、ホモセクシャルや警官の暴力などで、いわば典型的なアメリカの問題であり、登場する人物たちもステレオタイプのような人間たちである。したがって人物造形には物足りないものを感じるが、読者を先へ先へと引っぱっていく牽引力はあふれている。

 旅物語なのでロードムービーのような、紀行文を読んでいるような味わいがあるのもよいところだろう。しかし、訳者にはサイクリングやキャンプ、フライ・フィッシングなどの知識がまったくないようで、それが読んでいて不満ののこるところだった。

 酒とタバコ漬けだった主人公は、自転車の旅をしているうちにそれらをやめ、しだいにやせていく。そしていろいろと考えるようになり、自分探しをするようになっていくのだ。

 作者は1947年生まれだそうだ。ずっと小説や戯曲を書き続けてきたそうだが、ひとつとして物になったものはなく、文筆では食べていくことができなくて、俳優をしていたという異色の経歴の持ち主だ。テレビドラマや映画に渋い脇役として出演しているのだそうだ。本書もはじめは本にはならず、作者自らが朗読をするオーディオ・ブックとして世に出たそうで、それをスティーブン・キングが聞いて、コラムに取り上げて人気に火がついたのだという。

 本書は力強いが水準は高くはない。全体に冗長で、不用と思えるエピソードが多いから、それらをそぎ落とせば、物語が引き締まり、スピード感もでてきたと思う。全体のトーンが一定でないことも欠点だろう。そしてなにより気になるのは、前にも触れた訳なのだ。日本語として成立していないような文章、学生の英訳文のような文章がならんでいて、もっと自然な日本語にできないものかと誠に不満だった。本来の文章ではいろいろと作者が意図したこともあるのだろうに、平板で意味のとりづらい文体を眼にしては、辟易させられた。僕はパニックしなかった、や、タイヤをタイア、と表記していることなどごくごく一部のことである。また自転車で旅している主人公は、自分のことをホームレスと思われまいとして、僕は放浪者じゃない、家もちゃんとある、と話す場面があるが、放浪者、という言葉は適切ではないだろう。浮浪者、またはホームレスとすべきだろう。『放浪のページ』というHPを運営するものとして非常に気になることだった。

 奇跡の自転車、とは主人公が旅先で手に入れる、最新のサイクリング車を描写する言葉である。奇跡のように性能のよい自転車だと思うのである。そして原題は『ザ・メモリー・オブ・ランニング』。放浪の記憶、だろうか。

 訳は悪くて完成度は高くないがおすすめである。

 

 

 

 

 

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