新編 みなかみ紀行 若山牧水 岩波文庫 2002年 600円+税

 大正時代の旅行記である。旅をするのは歌人の若山牧水。旅と酒の歌人なのだそうだ。

 幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆくーー牧水の代表歌

 牧水は群馬県や栃木県、長野県などの山や渓谷を訪ね歩いていて、泊まるのは温泉である。当時の日本は現在とはまるで別の世界である。鉄道もあまり整備されておらず、道もまともなものではない。泥の山道を行くのである。汽車をおりると人力車か馬車、それもなければ自ら歩くほかない。徒歩が旅の手段であった。

 服装は羽織袴にルックサックを背負い、コウモリを手に足拵えは草履である。そのいでたちで山道を登り、凍った峠を行き、霜柱が溶けてぬかるんだ泥濘の国境を越えていく。現在は国道や高速道路が通り、一瞬で駆け抜けられるようなところを、何日もかけて徒歩でいくのである。

 そして旅先には和歌の雑誌の同人ーー読者であり弟子でもあり友人でもあるーーが待っていて、その地で酒を飲み、歌会を開くのである。この時代の山里に、これほど和歌を作る人がいたことに驚くが、あらためて日本の国の人々の、歌を愛好する心を確認できて、嬉しく思われたりした。

 牧水は旅先で朝から酒を飲んでいる。日中でも、店があれば酒を酌むという具合だ。友と飲んで語らい、興が乗れば芸者をあげて楽しむ。芸者を総揚げしたりもする。なんとも天衣無縫というのか、それとも寂しがり屋なのか。その振る舞いを読んでいると、かなりの費用がかかったと思ってしまったのは、下衆のかんぐりだった。

 川の源流を好み、それを求めて、国境の山に入ることがしばしである。そして本人が、寂しい、という旅をつづけていく。雄大な山や渓谷、紅葉や山上湖を見ては和歌を吟じている。紀行文の合間に歌があると、情景がつづられているからどういう感興でその歌ができたのかわかって面白い。主に風景描写をしているが、そこに旅先の寂しさと、心許なさが織り込まれているのである。

 路かよふ崖のさなかをわが行きてはろけき空を見ればかなしと

 旅は友との楽しいときばかりではない。厳しい自然のなかで行き暮れることも多い。牧水は別のところで語っていると、解説の池内紀が紹介している。−−つくづく寂しく、苦しく、厭わしく思うときがある。何の因果でこんなところまでてくてく出懸けてきたのだろうと、われながら恨めしく思わるる時がある。それでもやはり旅は忘れられない。これも一つの病気かもしれないーー。

 そして前述の池内紀は、書を読まないと、また旅をしないと人間が卑しくなる、とも書いている。作者の言葉ではないが、感銘を受けた。以下は牧水が片品の丸沼を詠んだと思われる詩の一節である。

 噴火口のあとともいふべき、山のいただきの、さまで大きからぬ湖。
 あたり囲む鬱蒼たる森。
 森と湖との間はほぼ一町あまり…‥
 …‥その砂地に一人用の天幕を立てて暫く暮らしたい。
 ペンとノートと、
 愛好する書籍。
 堅牢なる釣洋燈(つりランプ)…‥

 漂泊者、牧水、寂しい旅の愛好家、歌人の紀行文である。

 

 

 

 

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