仲蔵狂乱 松井今朝子 講談社 1998年 1500円+税

 中村仲蔵という歌舞伎役者の一代記。

 歌舞伎の専門家である作者がつづる、江戸歌舞伎役者の物語である。仲蔵は実在の人物なのだろう。歌舞伎の知識がないのでわからないが、起伏に富んだ人生を歩んでいるから、歌舞伎の世界では大人気の人物なのかもしれない。仲蔵は三才で親と死別して歌舞伎の世界に入り、波乱の人生を送っていくのだ。

 歌舞伎の知識がなくとも楽しめるように、解説を加えながら物語はすすむが、説明が多いとは感じられないから、そこに作者の筆力があらわれている。ストーリーは自然にながれていくのだ。

 役者は年に千両の給金をもらう看板役者から、年七両の下積みまで階層化している。主人公は七両からはじめて、苦労しながら頭角をあらわし、努力と実力でのし上がっていく。

 時代は田沼意次が活躍したころである。江戸時代で最高の好景気にむかっていた時期で、人々は金に酔いしれて、馬鹿げた散在をする、元禄バブルにさしかかっていた。その時代背景も書かれているが、どうしても歌舞伎の記述に重きがおかれていて、時代の筆は深まらないから、それができたなら作品の陰影が極まっただろうと感じられて残念に思った。しかし時代や社会、経済などは作者の得意とするところではないのだろう。

 作者の真骨頂はやはり専門の歌舞伎だ。仲蔵は人気者となり出世していくが、その間に歌舞伎の出し物や役柄、衣装などについての記述が重ねられる。これも知識がなくとも読んでいけるようになっている。何十人もの集団で運営され、演じられる歌舞伎の世界は人間関係が愛憎入り乱れている。格の上下、役の取り合い、金銭欲など。いろいろなトラブルが絶えずおこるがそれが本書の読みどころともなっている。

 中村勘三郎、市川団十郎、幸四郎、海老蔵、染五郎など、現代もつづいている役者たちの中で、名門の家の坊ちゃんと孤児だった主人公の視点があざやかに描写されている。そこに作者の人生の機微をつかんだまなざしがあって、作品をいっそう好ましいものにしている。救いのない人間も出てくるが、男気のある、筋をとおす人物も効果的に登場して物語をたかめるが、それも作者らしい小説作法だと感じられた。

 好景気は盛りをすぎてかげっていく。つけ火による大火が頻発するようになり、世情も騒然となっていくのにしたがって、主人公の身辺も多難な晩年を迎えていくのである。

 歌舞伎という特殊でわかりにくい世界を、わかりやすく興味深く読むことのできる本である。この作品を読んで歌舞伎を見てみようかと思ったから、作者の術中にはまったようだ。

 

 

 

 

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