9月8日(土) 本州へ 雨の夜の激走と迷走

 

 ムーミン・日高にて

 

 5時に眼がさめた。明るくなると起きてしまう。キャンプ生活の習性が染みついているのだ。小雨が降っているし、睡眠も足りないのでそのまま横になっていると、CB1300君が起きだしたので私も起床した。

 昨夜のうちに荷作りは済ませておいたので準備は早い。荷物をDRに積みだすと、スクーター君以外の全員が起きてきた。皆はDRを取り囲んで見ている。DRがこんなに人気を集めたのは初めてのことだが、そのうちTDM君が呟いた。
「これ、キックなんですか?」
「そう。キックオンリーなんだ」
「ええっ、650のシングルでキックオンリー? よくこんなのに乗ってますね」
「私じゃないと、始動できないんだよ」
「そりゃ、そうでしょう」

 やがて準備はととのった。CB1300君はノンビリやっているからまだ時間がかかりそうだ。出発の前に皆で記念撮影をして、DRのキックを踏み抜くと、いつものように2発目でかかった。そのとたん、
「おお」
「凄い」
「バイクらしい」
「カッコイイ」
 などの声が飛ぶ。照れ臭いぜ。

 5時40分、準備が終わらないCB1300君をのこして先発する。CB1300君はカッパは着ているがブーツカバーは持っていない。若いライダーでこういう人は多いが、靴が濡れてしまうとものすごく不快なので、ツーリングにブーツカバーは必携だ。そのCB1300君に、どうせ途中で抜かれるでしょうけど、お先に、と声をかけ、皆に手をあげて走りだす。CB1300君は出発するのに10分はかかりそうだから、口ではああ言ったが、抜かれるわけがないと思っていた。雨は強まったり弱まったりを繰り返す。早朝で道は空いていて走っているのはトラックばかりだ。前をいく大型トラックは水煙を猛烈にあげていて、追いついては次々に抜いていく。90キロで走行する。雨でも夜でなければ視界は確保されているから、トラックなどは邪魔なだけだ。昨夜の意趣返しの心境で、先行するトラックを追い越していくから、これではCB1300君は到底追いつけまいと思われた。

 明日までに帰らなければならないから、今日は行けるだけすすむつもりだ。函館まで気合をいれて走れば5・6時間ですよ、とRHのヘルパー君が言っていたので、昼12時のフェリーに乗るつもりだった。

 トラックの群れを抜き去ると、前後に車のいない単独走行となる。日高らしい牧場を左右に見ながらすすみ、鄙びた集落をスピード違反の取り締まりに注意しながら通過していく。40キロ制限のところは特に警戒するのは北海道での癖になっている。取り締まりはほとんど40キロ制限になった直後におこなわれているのだ。門別には6時20分につき、R237は海岸線のR235に丁字に接続し、この交差点を苫小牧方向に右折する。ここの信号待ちでCB1300君が追いついてきたから、予想外のことで驚いてしまった。私は90キロ平均で走ってきたから、いったい何キロで追いかけてきたのか。しかしCB1300君は遠慮しているのか、臆しているのか、並んでこないし、抜きもしない。信号で止まっても数メートルの距離をあけて停止している。振り返って眼があえば会釈を送ってくるが、そのままで、走りだすとついてくるばかりだから、案外気が弱いのね。

 苫小牧までの20キロをCB1300君と縦につらなって走る。速度は90−100キロである。信号待ちでも近づいてこないというのは、話したくない、避けたいという気持ちなのだろう。年が一回り以上もちがえば当然かもしれない。ならば私も気にしないことにした。

 苫小牧市街にはいると片側3車線の広い道路となった。私はいちばん右の追い越し車線を、CB1300君は左端の走行車線を走る。やがてフェリー・ターミナルの入口が見えてきたのでミラーをのぞくと、CB1300君はいつの間にかいなくなっていた。フェリー内で食べるものなどを買うために、コンビにでも入ったのだろう。挨拶もなしに別れてしまったが、こんなにシャイなライダーもはじめてだ。昨夜はよく喋っていたのにね。7時20分だった。

 苫小牧をすぎると雨は止んだ。予報が当たったらしい。しかしまだ雲は多いからカッパは着たままでいく。左手に見える海は荒れていて、波が高く持ち上がっては、くずれて砕け散っている。色は鉛色だ。その荒れた海でも釣人は多く、ゴツイ竿とリールで投げ釣り、ぶっ込み釣りをしている。狙っているのは秋鮭だろうか。しかし海がこんなに濁っていて、うねっていても、魚は釣れるものなのだと妙に感心してしまった。

 8時30分に室蘭のセブンイレブンで朝食にした。スパゲティ・ナポリタンをもとめて店の横で食べる。人目がまったく気にならない自分が恐い。ところでここまで150キロ走行したが、かかった時間を考えると12時のフェリーに乗るのは難しそうだ。高速をつかえば間にあうのだろうが、ファミリー企業をたくさん作って利益のつけかえをし、仲間内で通行料金と税金を食い物にしている道路公団には一銭も払いたくないから(この当時はそうだった)、あくまで一般道でいくことにした。

 国道は知らぬ間に36号線になっていた。標識にしたがって室蘭の中心部にむかうが、帰ってから地図をみると遠回りをしたようだ。市街地の道は高架の高速道路のような通りになり、遠くに見えていて有料道路だとばかり思っていた白鳥大橋をわたる。この橋は無料でその名のとおり白鳥のように純白で美しいのだが、ループ状に高い位置までのぼって橋にでる。これがまたやけに高く、下を見ると眼がまわりそうなのだった。

 いつの間にか国道は37号線となり伊達市に入る。ここは1981年に自転車で旅したときに野宿した地だ。夜空の下で、大学のサイクリング部の仲間と眠ったのである。その駅があれば訪ねて写真をとりたいと思っていたが、伊達駅とばかり思っていたら、正式には伊達紋別駅で、通りすぎてから記憶がよみがえったのだが、もどるのは面倒なのでそのまま通過した。

 日が差し始めて暑くなったので、虻田町の洞爺湖駅前でカッパを脱いだ。雨具といっしょにセーターもとって身軽になるが、洞爺湖駅は簡素なつくりで壁がなく、ホームにいる人たちと眼があう。ホームの観光客に見られているわけだがまったく気にならない。私も華やかな外出着の人々を観察しながら支度をする。来年は私も家族を連れて、あんな格好で旅行せずばなるまい。今は北海道フリークになりきっていて、来年もツーリングにきたいと思っているのだが、そんなことを言ったら家内は怒るだろうな。

 国道37号線を飛ばしていく。晴れてきたので町の中はレーダーを警戒してスピードをださず、郊外は速い車の後ろを車間距離を十分にとってついていく。すると予想通りネズミ捕りをやっていて、もちろん無事に通過する。このツーリングでレーダーの前を通るのは3回目だが、毎回まったく問題ない。雨では取り締まりはせず、晴れるとでてくる北海道警はわかりやすくて好きである。

 長万部で国道5号線に入りホクレンがあったので給油をする。GSの店員に、
「高速にのれば函館まで1時間でつくかな」と聞いてみた。できれば12時のフェリーに乗りたいので、にっくき道路公団に金を払うのも仕方がないかと、節をまげたのだ。しかし、
「高速は函館までいってませんよ、まだ工事中なんです」とアッサリ言われてしまった。「それより旗いりますか?」
 おお、はじめてフラッグをくれたぞ。さっそく荷物に差してみた。恥ずかしいけど嬉しい。24.91K/L。93円で1485円。

 

 また雨となり雨具をつける

 

 やはり道路公団とは相容れない定めのようだ。それともケチゆえに無駄な金はつかえない宿命なのか。いずれにしても一般道の国道5号線を南下していく。それでもうまくすると12時のフェリーに間にあうかもしれないと急いでいくと、森町をすぎたところでまた雨となってしまった。路肩にバイクをとめてまたカッパを着込むが、一度脱いだものをまたつけるというのは精神的に辛いものがあり、天気予報ははずれじゃないか、と毒づいたりした。

 そしてとどめは大沼公園の渋滞だった。考えてみれば今日は土曜日で、公園周辺は行楽の車がギッシリならんでいて、そこをすりぬけていくがスピードは大幅にダウンしてしまう。この時点で12時の船は無理だと悟った。そして混雑をぬけて函館に入っていくと晴れてしまい、蒸してきた。どうなっているのよ、と文句を言うと、道路は室蘭と同じく高架の高速道路のようになり、片側2車線の道である。そこを一気に走りぬけて函館駅にむかった。

 

 函館駅

 

 函館駅は1983年にGSX400Fでツーリングにきた際に、道内で最初に野宿したところである。あの時は自宅を深夜0時に出発し、雨の東北道を眠らずに走りつづけて、ようやく夜になって北海道に上陸し、函館駅の人目につかない片隅で眠ったのだ(興味のある方は『1983年北海道ツーリング』をどうぞ)。その駅は当時と変わらない姿で眼の前にあった。札幌駅も開陽台も神威岬も、あんなに変わってしまったというのに、函館駅は昔のままだ。当時はスピーカーから北島三郎の『函館の人』がガンガンと流れていたが、今はそれはない。街は静かで上品になったが情が薄れたようにも感じられる。駅前にたたずんで懐かしい函館駅の写真をとり、フェリー・ターミナルにむかった。

 地図を見ずに勘だけで埠頭や倉庫のならぶ港を走るが、ターミナルがどこにあるのかわからない。セブンイレブンがあったので昼食を買ったついでにたずねてみると、地図までくれて丁寧に教えてくれた。気分よく出発しようとバイクにまたがり、そのままバックして方向展開しようとすると、バランスをくずしてしまった。コンビニの駐車場は上り坂になっていて、バイクを頭から突っ込んで止めてあった。そこをバイクにまたがったままバックし、さらにハンドルを切って方向を変えようとしたのである。いつもなら必ず押してバイクを移動させるのだが、ツーリングで連日DRに乗っていたから、油断してしまったのだ。

 DRが左に傾いてしまい、必死でささえようとするが、荷物を満載した重量に耐えることはできず、立ちゴケしてしまう。コンビニの入口なので格好悪いし恥ずかしいから、急いで横になったバイクを起こそうとするが、荷が重くて持ち上げられない。そうこうするうちにタンクからガソリンが漏れだしてしまった。慌てて荷物をおろしてDRを抱き起こす。被害はハンドルの少しの曲がりと、ガソリン・タンクが汚れたくらいで大したことはなかったのは幸いだった。

 せっかく荷物をおろしたのだからと、フェリー・ターミナルでやろうと考えていた荷の入れ替えをする。北海道の地図やガイドをしまい、東北のものをだす。フェリーで風呂に入るつもりなので、入浴セットもだしておいた。

 13時にフェリー・ターミナルについた。大間行きの船がすぐにでるので、よほど乗ってしまおうかと思う。しかし大間に渡ったら、今日は下北半島から南には行きつけないのは必定。ならば15時まで待って青森にいくほうが明日の走行が楽になるから、予定通りにすることにした。しかし青森につくのは18時30分ですぐに暮れてしまうから、それから山の中にあるキャンプ場にむかって、首尾よく野営地をみつけることができるのか、一抹の不安があった。

 コンビニで買ってきた昼食をとる。おにぎり2個とパン1個をRHで汲んできた水で流し込み、数分で終了だ。雨に濡れてしまった『わかば』を乾かしてあり、これに火をつけた。思ったとおりまずいが、雨にあたる前から美味くはなかったのだ。こんなものだろうと思い、それでもたてつづけに2本吸った。

 バイクの横に座っていると、私の倍ほどの荷物を積んだアフリカ・ツインがやってきた。テールボックスを装備しているが、ほかに2個小型のテールボックスを大荷物の上に縛りつけている。テーブルや椅子、新じゃがの箱まであり、ものすごい積載量で、私の長いバイク歴のなかで最大の過積載ライダーだった。

 25・6の彼は仕事をやめて北海道に来たそうだ。よくいるタイプ、昔からいた北海道浪人だが、1ヵ月いた北海道から一時帰宅して、次は日本の東西南の果てを目指してまたすぐに旅にでるのだと言う。彼はフェリー・ターミナルに来る前に山のなかの無料温泉に入ってきたと言うし、小ざっぱりとした服装をしていたが、ときおり異臭がただよう。長くキャンプ生活をしていると、どうしても臭いが染みついてしまうのだ。

 アフリカ・ツインは新車で買って旅にでたそうだが、もちろんそうは見えず貫禄がついている。彼は私よりも背が低いのでーー私は170だーーよくこれに乗ってますね、と言うと、走りだしてしまえば楽なものですよ、乗ってみますか?、と答える。
「DRを買うときにまたがってみて、こりゃダメだと思ったんですよ。だから乗るまでもない」
「そうですか。でも、DRは珍しいですよね。はじめて見ました」
「500,650のバイク自体が少ないからね。それでもドミネーター(ホンダの650オフロード・バイク)はたまにいるけど、コイツは見ないよね。ところでこの荷物で林道を走るの?」
「走ります。ゆっくり、ゆっくりと、絶対に無理しないようにして。そうすれば別になんともないんですよ」

 彼はよい顔をしていた。語る言葉に迷いもない。旅に魅了されていて、今の境遇が最高の時間と信じているのだろう。しかしそれもいつまでも続けられるものでもない。夢はいつか覚めるのだ。私もツーリング中は放浪の魅力にとりつかれている。心底幸福な時間だと思う。できれば旅をつづけたいが、それはできないことなので、来年もまた来たいなどと無茶なことを考えている。しかし仕事を辞めることはできない。何事もない平凡な日常が私の生きる場所だからだ。私だけではなく、誰だって同じはずで、これを読んでくれている、放浪が好きでたまらない、ロマンチストのあなたもそう思うでしょう? 何もない日常を捨てて旅を日常にすれば、そのときは楽しいだろう。しかし失うものが多すぎる。

 彼は高速や有料道路は使わずに、フェリーに乗るときにも最短距離しか乗船しないことにしているそうだ。それを、自分に縛りをいれている、と表現していた。輝く眼をしていて率直だった。彼は大間行きのフェリーで去っていったが、今夜もどこかでキャンプをするそうだ。

 大間行きのフェリーがでるとバイク置き場はガランとしてしまった。残ったのは荷物を満載したホンダXL250と、どこかで見たようなホンダCBR400。よく見ると荷物に見覚えがある。来るときもフェリーでいっしょだった若い女の子のバイクだ。たしか外車の彼といっしょだったはずだがと思っていると、その彼が派手なマシーンで登場した。今日は土曜日だから月曜日から仕事ならばこのフェリーに乗るのが都合がよく、カップルと同じ船になったのだろう。必然的な偶然である。やがて14時20分に乗船開始となった。船に乗り込むのはバイクからで、外車、CBR、DR、XLの順にフェリー内にすすむ。バイクは4台だけで船も来るときよりも小型のものだ。バイクをとめたのは船の左舷で、サイドスタンドでDRをとめると、車体が大きく傾く。これはたいへんだと思っていると、
「そのバイク、大丈夫か?」と船員に声をかけられた。怒鳴りつけるような話しかたである。心配していたことを指摘されたので、そのときには何も感じなかった。そのままとめるとバイクの傾きが大きくなるので、皆とは逆に向けてとめなおす。これならば車体が傾きすぎず安定する。
「荷物を下ろしたほうがいいぞ!」 別の船員がまた叫ぶように言うが、この物言いには頭にきた。客にこんな言葉遣いをする人間には会ったことがない。フェリー会社は粗暴な船員をもっときちんと教育するべきだし、直せないなら首にすべきだ。船員が海の男を気どり、ほかの仕事とは違うなどと考えているとしたら、とんでもない思い上がりである。昔、1983年に青函連絡船に乗ろうとして断られーー車は乗れるがバイクはダメだったのだーーそのときの国鉄のひどい対応に腹をたてたものだ。昔の国鉄はそれはひどい営業姿勢だった。そして東日本フェリーを利用して、これがまともな会社の接客だと思ったものだが、それが最大のライバルの青函連絡船がなくなって、自分が昔日の国鉄のようなこの航路の第一人者になると、これほど慢心してしまうものなのだろうか。昔の国鉄をまた見た気分になって飽きれてしまった。昔のいきさつから東日本フェリーが好きだったのだが、これで大嫌いになってしまった。

 腹をたてて船室に入るとCBRの女の子が膝をかかえて顔を伏せていた。この娘は来るときもこんな感じだった。彼はどこにいったのかいない。女の子は22・3だろうか。その姿は自己嫌悪に陥ってしまった思春期の少女のようで、そばにいるだけで居心地が悪い。それにもうそんな年ではなかろうにと思う。そのうち図々しくてうるさい家族4人が女の子の隣りにやってきて、数を頼りにやりたい放題騒ぐので、船室を移った。フェリーで一度決めた席を移動したのはこれが最初で最後だが、この家族は耐え難くうるさかった。隣りの船室にいくと外車君が漫画を読んでいて、あれ?、あの女の子とカップルじゃなかったんだ、と気づく。そうだとしたら3人がそろったのはたいへんな偶然だったのだ。

 場所をとりなおして風呂へいく。またいちばんで体を洗い、汗を流して湯船につかろうとすると、なんと熱湯である。熊の湯よりもずっと熱い。手も入れられぬ。これどうしたの? やる気あるの? 熱くしてしまったら水でうめないの? そのまま放置して客にやらせるつもりなの? 客をなめているなと思う。もう東日本フェリーは使わないことに決めたが、この会社は後日過剰投資で倒産した。現在は営業を再開しているが体質はあらたまっていないと思う。

 発泡酒を200円で買い、船室にもどってテレビを見ながら飲む。隣りの一画は団体客である。こちらは外車君と私だけ。そのうち年配の夫婦がやってきて、外車君は外にでていった。フェリーは函館をでて外洋にかかると少しだけ揺れだした。来るときよりも動揺しているが大したことはなく、台風の影響はまだ小さいようだ。津軽海峡をぬけて陸奥湾に入ると船はまた静かになった。

 年配の夫婦はリタイヤしてはじめて北海道に来たそうだ。マイカーで気ままにまわってきたと言うが、こちらからすればありきたりの観光地を見てきたにすぎず、感激したと話しているのにつきあっていたが、そうそうこちらもお人好しではない。タバコを吸いに席をはずす。喫煙コーナーに行くと外車君がおばさんと話し込んでいる。おばさんは団体客のひとりだが、どこか頼りなげで、息子のような外車君を放っておけない気持ちになったようだが、巻き込まれたくないので離れたところでタバコを吸っていると、外車君の言葉が聞こえてきた。
「僕の旅はほとんど逃避なんです」なんて言っている。なんだろうと思っていると、「現実逃避です」
「どういうこと?」とおばさん。
「僕、こう見えても30なんです」 25くらいに見える。22でも通るかもしれない。
「それなのに仕事もしてないし、学生でもないんです」
「それじゃ何もしてないの?」
「いえ、税理士になりたくて、勉強しているんですけど、なかなか受からなくて。親父も税理士なので、跡を継ぎたいと思っているんですけど」
 税理士を目指す人は資格がとれるまで、税理士事務所で働きながら勉強する人がほとんどだと思う。30をすぎて、40を越してから合格する人も多いようだが、それが親がかりで勉強だけしているのに合格できないということでは、もう受かる見込みはあるまい。早く別の道にすすむべきだと思う。しかしそれならあの派手な外車はーー200万くらいするーー親父に買ってもらったのだろうか。この北海道ツーリングも父親の金で楽しんだというのか。甘ったれてないで働け、と思い船室にもどった。

 フェリーは定刻の18時30分に青森駅についた。DRは進行方向の逆をむいているし、荷物を下ろしてあるので、早目に準備にいく。まず空荷のDRのスタンドをはねあげて、車体を斜めに倒し、キャリアをつかんで一気に引く。すると後輪がズバッ、ズバーッとすべって移動し、方向転換をする。その途中に外車君が通りかかり、斜めになったDRに手を添えてくれた。大丈夫、ありがとう、と心づかいに礼を言うが、良いところもあるじゃないか。

 バイクはフェリーをおりるのがいちばん最後で18時40分に下船した。とたんにXLは左方向に走り去った。どこにいったのだろうかと思っていたが、後で考えてみればフェリー・ターミナルで眠るつもりだったのだろうと推察された。外車、CBR、DRの順に走り、2台は東北道方向へ、私は青森駅方向に別れる。しかしふたりの後ろ姿を見ていると、カップルにしか見えないんだよね。お似合いの。

 日は暮れているが青森の夜は生暖かった。国道4号線に入って5キロほど走り、みちのく道路方向に右折する。有料道路を走るのは本意ではないが、この先に天間林森林公園キャンプ場という無料の野営場があるので、仕方なく630円払う。しかし料金所から走りだすと雨が降りだして、嫌な感じがしはじめた。

 弱い雨なので、キャンプ場までなんとかいけるかもしれないと淡い期待を持つが、それもすぐに砕けて、雨はしだいに強くなる。長いトンネルが連続するので、これを抜ければ雨はあがっているのではないかと思いながらすすんだが、そうはなってくれなくて、ついに諦めて今日3度目のカッパをつけた。キャンプ場につく前の夜の雨なので気持ちが沈む。しかも走りだすと雨粒がゴーグルについて視野をさえぎり、また前がよく見えない。交通量は少ないので、車が追いついてくると左によって道をゆずるということを繰り返すが、視界が悪いので、道路の端に近づくこともままならず、ガードーレールにぶつかってしまいそうで恐かった。

 ようやくダム湖が見えてきて、もう少しでキャンプ場だと思うが、暗くて看板がよく見えず、国道4号線までいってしまう。通りすぎてしまったのだ。しかしもどったとしても、車がものすごい速度で走っている真っ暗な路上で、キャンプ場の看板をさがしまわるということをしたくなくて、当てもなく先にいくことにした。

 ところでみちのく道路は国道4号線をショートカットする道だ。4号線は青森から浅虫、野辺地をまわりこんでいくが、みちのく道路は山のなかを直線的にいくから、通行料金を払っても時間を節約できるから、利用価値があるのはたしかだった。

 荒涼とした雰囲気の4号線を南下していく。七戸町に入ると道の駅があったので立ち寄ってみた。場内に泊まれるところはないかと見てまわるが、ない。七戸の観光用の大型看板があったので見てみると、近くに東八甲田家族旅行村という施設があり、キャンプ場もあるので、ここだと思い行ってみることにした。

 ツーリングの初日に泊まった岩手県の岩洞湖家族旅行村のようなところだろうと想像して、雨のなかの真っ暗な道を、標識をたよりに12キロすすむと入口についた。20時になっていた。さっそく中に入ってみると、ここは大規模な公園のようなところで、山の奥にキャンプ場があると表示されている。すすんでいくとバンガローがあらわれて、やがてキャンプ場にでた。キャンプ場は空いているが、管理がうるさそうで、明日の朝のなって勝手にキャンプをしたと注意をされるのはご免だと思う。雨も激しく降っていて、この状態でテントを設営しても、テント内はずぶ濡れになってしまうだろうから、走り続けたほうがよいように感じられる。ここに泊まることは断念して出口にむかうとゲートが閉められていた。施設内は一方通行なのだが、やむなく逆走して入口から外にでる。道の駅までもどると21時で1時間以上もロスしてしまった。

 再び当てもなくR4を南下していく。十和田市の手前の山中にはみすぼらしい宿があった。素泊まりで2700円、と行燈のような看板をだしている。心惹かれたが見ただけで止まらない。宿の前には客のものと思われる車が2台とまっていたが、古い木造の建物が不気味な感じがしたのだ。ここに入れば湿った薄暗い四畳半に通されそうな気がして、眠っていると幽霊がでてくる想像をしてしまい、とても利用する気になれなかった。

 十和田市の中心部は祭りで人出があった。田舎で遅い時間に人がでているのは珍しい。ただ祭りは終わった後で、路上にのこっていたのは不良たちだけだった。人数も数百人いたわけではなく、数十人が夏祭りの名残りを惜しんでいた。

 十和田市の中心部には旅館が2件あった。しかし素泊まり○○円という表示ではなく、貸部屋、空室、と案内がでていたから、古くて物音が筒抜けになりそうな日本家屋なのにラブホテルのようだ。ガラスの格子戸があり、開けると石の靴脱ぎがあって、畳にあがると受付があるようなタイプの旅館だった。

 宿があれば見ていたが、たとえ良さそうなものがあったとしても、金が惜しいから利用するつもりはなくしていた。これまでほとんど無料のキャンプ場に泊まってきたのだから、ここまで来て何千円も宿代に使いたくはない。旅は明日で終わるから、多少無理して走って眠ることができなくとも、なんとかなるだろうと思っていた。眠くてならなくなったら高速にのり、SAかPAのベンチで仮眠をとるのがいちばん金がかからず安全だろうと考えたりした。

 八戸だけでなく、九戸、七戸、六戸、五戸、四戸、三戸、二戸、一戸があることをはじめて知った。その町々を通りすぎていくが、南部で雨があがったのは幸いだった。疲れで物憂い体調のまま90キロから100キロで走るトラックについていく。この辺りは北海道とおなじく皆飛ばす。特に仕事で真剣に走っている人たちは速い。眠くはなかったが、そうと感じていないだけで眠かったのかもしれないが、疲れで頭がボーッとしてしまう。集中がつづかずにいつの間にか前の車に離されてしまうのだ。取り残されると速いペースを維持できずに速度は60キロほどに落ち、次の車が追いついてくれば道をゆずって、またついていくということを繰り返した。

 南部町をすぎると道の駅『さんのへ』があった。23時になっていた。少し前まではよい場所があれば雨もあがったことだし、キャンプをしてもよいと考えていたのだが、もうその気力はなくなっていた。道の駅『さんのへ』には小山があり、頂上には東屋がある。そこで眠ろうかと考えて、ベンチに横になってみるが落ち着かず、すぐに起き上がってしまう。小山から下りれば道の駅では多くの人が車中泊をしていて、私もセレナで来ていればここで眠れたのにと、詮無きことを思ったりした。

 先にいくことにしてヘルメットを被ろうとするが、頭が入らない。どうしてなんだろうと不思議に思ってもう一度やってみるが、ダメである。どうしてなのかよくよく考えてみれば、ヘルメットを被るときは必ずゴーグルが頭にひっかかるので、ゴーグルの位置を直さないとならないのだ。いつも当たり前のこととして、無意識にゴーグルの場所を正していたことを忘れてしまい、ヘルメットが被れなかったのである。これは疲れていてほんとうに危ないと自覚したが、それでも走りだす私だった。

 盛岡までが遠かった。ふだんならなんでもない20キロ、30キロの距離を走るのに苦労する。そのわずかな区間を走行することにとてつもない集中力がいるのである。途中には大型の銭湯の健康ランドが何軒かあり、24時間営業ならば泊まれると考えて看板を見ると、どこも23時までとなっている。この辺りに24時間営業の健康ランドは存在しないようだった。

 盛岡の手前の滝沢村で岩洞湖家族旅行村の看板がでていた。40キロと。しかし時間はもう23時過ぎで、これからいっても24時をすぎるし、テントを張る気力もないからむかわない。永遠に遠く、たどり着けないように感じられた盛岡には23時30分についた。盛岡までいけば24時間営業の健康ランドがあるのではないかと思っていたのだが、ない。市街地を通りすぎようとするところに安いGSがあったので給油をする。25.55K/L。99円で1404円。

 GSの店員に24時間営業の健康ランドがあるか聞いてみたが、ないそうだ。0時になっていた。南下をつづけていく。頭はボーッとしているが眠くはない。しかし惰性で走っている感じだった。すすんでいくとツーリングの初日に休んだ道の駅『石鳥谷』があった。なんと読むのかわからず、案内を見て『せきちょうや』と確認したところである。迷わず休むことにして入っていくと、ここも車中泊をしている人がたくさんいる。その中に函館ナンバーのハーレー乗りがいた。FLHのストリップに乗るハーレー君はバイクの横に座り込んでいる。眼をつぶっていたが、DRを近くに留めると虚ろな瞳でこちらを見上げ、またすぐに眼を閉じてしまった。

 バイクからおりると体が重い。眠いし疲れてもいる。このときはまったく忘れていたが夕食もとっていなかったのだ。道の駅を見てまわると奥に駐車場がひろがっていて、その横に建物があった。南部鉄器の展示館のようだがそこは暗がりになっている。その建物は入口が入母屋作りになっていて、その庇の下に横になってみた。靴の泥を落とすマットが敷いてあり、マットはきれいで泥はついていない。そのマットの上に身を横たえると具合がよい。時間は12時30分で、眼をつぶり、眠れるだろうか、眠りたい、と思っているとすぐに意識を失った。

 1時に眼を覚ました。30分眠れただけだ。起き上がって周囲を見るとハーレー君がいなくなっている。ここでもう少し眠ることにしてDRを近くに持ってくることにする。DRのとめてある場所まで歩くと、ハーレー君が私と同じように暗がりで横になっているのが見えた。DRを南部鉄器の建物の前まで引いてくるとまたマットの上に横になる。カッパを着たままなので寒くはない。またすぐに眠りに入っていけた。

                                               610キロ 7945円