8月12日 霧雨のナイトラン

 

 

 フェリーにて

 

 6時30分に眼が覚めたがまた瞳をとじた。フェリーはかなり揺れていて海はうねっているようだ。私は船がすすんでさえいれば、どんなに揺れても酔わない性質だ。ただし海上にとまった船舶が波で上下する状況にはまるで無力なのは、沖釣りをしてよくわかっている。それで船釣りはやめてしまったのだ。少々胃がムカムカするがこれは船酔いではなく、昨夜の酒のせいだ。船の動揺を背中で感じていると、また眠りにひきこまれていった。

 8時に起床しておにぎりとサンドイッチの朝食をとった。フェリーは横揺れをしていて、これでは揺れに弱い人は辛い思いをしているだろうなと考えていると、「〇〇ちゃん、酔い止めは飲んだの?」という母親の声が遠くからきこえてきた。  

 デッキにでてみると霧でなにも見えない。風に吹かれていると寒くもなってきたので朝風呂にいく。湯船に体をしずめてサウナにもはいるが、のぼせると気持ちが悪くなってきた。まだ酒が体の芯にのこっているようだ。風呂からあがって寝台で横になるが、暑くて汗がにじんでくる。またデッキにでて風に身をさらすと気分もよくなり、酒も完全にぬけたようだった。

 ラウンジにいってみるとテレビでは高校野球がうつされていて、ちょうど地元の帝京と如水館の試合中だった。ふだんプロ野球は見ないのだが、高校野球は好きである。数年前まで草野球もやっていたので、元々野球好きなのだ。さっそく観戦すると、高校生のけれんみのない素晴らしいプレーと高い技術に魅了されるが、思いかえせば野球をやめてから体力が落ちたなと思う。野球をやっていたころは、まがりなりにもランニングなどのトレーニングを欠かさなかったのだが、それもやめてしまった。今回旭岳にのぼる予定なのでそれが気がかりであった。

 帝京が勝ったのを見とどけて、気分よくカップめんとパンの昼食をとり、寝台で横になってくつろぐ。地図を見たり、今夜泊まることにしている岩見沢市の『栗沢ふるさとの森キャンプ場』への行き方がむずかしいので、再確認したりしてすごした。

 寝台で横になっていることに飽きてデッキにいくと、みずちさんがいて、しばし歓談するが風にあたっていると寒くてならなくなり、船内に退散して私はまた風呂へいく。風呂上りは長袖シャツを用意してデッキで涼めば快適だった。

 デッキですごすのは心地よかったのだが、小雨がふってきたのでイートインにうつり、メモをつけたり、地図を見たりしてすごす。ベッドにもどって昼寝をした後で、16時30分からは西東京代表の早実×大阪桐蔭の好カードがあるので、ラウンジにテレビを見にいった。

 大会屈指の好投手という早実の斉藤投手のピッチングをはじめて見たが、超高校級のストレートのスピードとコントロール、スライダーやフォークの切れに眼をみはってしまった。高校生がこんな球を投げるとは、と。つい自分たちがやっていた草野球とくらべてしまうが、それは無茶というものである。しかしこの球を打つのはむずかしかろうと思っていると、やはり大阪桐蔭は打ちあぐね、逆に早実は自力を発揮して加点していく。高校野球では地元のほかに北海道の駒大苫小牧を応援しているが、駒苫は3連覇がかかっている。3年連続はむずかしいだろうが、できれば達成してもらいたいと思っていた。18時過ぎまで観戦したが、早実の優位は揺るがないので、デッキに夕陽を見にいった。

 

 曇天の夕暮れ

 

 昨年は船上で美しい夕陽に接したので期待していたのだが、曇天のため景色はたのしめなかった。それでもカメラで空と海の変化を切りとっていくが、満足のいく画像はえられない。不満ながらも撮影をつづけていると、昨夜フェリー・ターミナルでいっしょになったお父さんたち3人組もいて、そのなかのモタード氏と会話をした。

 彼らは苫小牧、宗谷、北見で宿泊し、道内3日で16日には帰京するとのこと。あわただしい日程だが、それでも北海道を走りたい気持ちはよくわかる。毎年北海道と九州に3人で出かけているそうなので、よい仲間のようだ。私も旭岳にのぼる計画や走行予定の林道の話と、帝京と早実の東京勢が勝ったことなどを話した。

 フェリーは予定通り19時45分に苫小牧につくと放送があった。19時過ぎにはモタード氏とわかれて上陸の準備をはじめる。船は接岸してからも船体を固定したりして、じっさいに下船するまでには時間がかかるものだ。それなのにフェリーが港につくとロビーは人であふれ、皆立って待っているが、順番はトラックからで、つぎは乗用車、最後がバイクである。時間がかかるので私はソファにすわって案内されるのを待った。

 ようやくバイクの順番がきて船底に階段でおりていく。DRのもとにいって荷物を積みかえるが、みずちさんのDRは私の後ろの3人組のつぎにあった。こんなに近くにいて気づかなかったのだと思いつつみずちさんのDRを見ると、キャンプの予定なので莫大な荷物を積んでいる。私よりもかなり多い。ちょうどみずちさんが来たので、
「荷物が多いですね」と言うと、
「ローホーさんは少ないですね」とのこと。
 みずちさんは苫小牧のホテル泊だ。私はこれからキャンプする。これからたいへんですね、とみずちさんに言われるが、それが好きなもので、と答えたのだった。

 3人組のお父さんのひとりが、DRにはってある永久ライダーのステッカーをみつけ、このHPを見たことがある、と言いだす。キャンプにこだわったツーリングのHPだよね、と。
「そうです」と答えると、
「それじゃあ、相当やるんだ」と言われて困ってしまい、
「まあまあです」と返事をしておいた。
 お父さんは、うーん、とうなっていたが、こんな年配のお父さんも北野さんのHPを見ているのだなと驚いてしまった。

 下船の準備はすぐにととのったのたが、ひとつ懸念材料があった。なんだか心配の種ばかりかかえていて、これからの旅を暗示しているようだが、我がDRはオーバー・ホールしてから、始動時に大量の白煙を吐くようになったのだ。ピストン・リングとシリンダーのクリアランスがわずかに大きいようで、朝の始動時だけ白煙をだすが、エンジンが暖まると部品が熱膨張してクリアランスがせばまるのか、煙はおさまる。冷間時だけ白煙がでるので、せまい船倉でもしもそうなったら迷惑だろうなと危惧していたのだ。

 いよいよ係員が走りだす合図をだす。まわりのバイクはいっせいにエンジンを始動するが、私はギリギリまで待った。やがて順番が近づいたのでキックでエンジンをかけると、こんなときにかぎって大量の白煙が発生! これはまずいとエンジンをすぐに切ったが、おどろいたみずちさんやお父さんたち3人もかけつけてくれた。故障ではありませんと説明し、先に行ってもらうが、後ろのバイクが少なくなったところで再始動し、またまた大量の煙をまきちらしつつ、皆さんに迷惑をかけてフェリーをおりた。オイル上がりのように白煙をだしているから、じっさいにオイルを消費しているのだろう。

 下船したライダーは苫小牧泊まりが多いのか、フェリー・ターミナルでたくさんたむろしている。しかしみずちさんもお父さんたちもすでにいなくなっていた。DRを暖機運転しつつゆっくりとフェリー・ターミナルをでて、国道234号線に右折して岩見沢をめざす。明日は旭岳にのぼる予定なのでなるべく近づいておきたいのだ。旭岳に登頂するだけなら2時間の行程なのだが、その先に間宮岳、中岳温泉と周遊できるコースがあり、こちらもまわるとなると5・6時間はかかるとのこと。せっかくなら大雪山を堪能するためにも周遊コースを歩きたいではないか。ならばできるだけ早い時間に登山をはじめたいから、今夜のうちにすすんでおきたいのだ。『栗沢ふるさとの森キャンプ場』がいっぱいで泊まれなければすぐ先にある、『北村ふれあいキャンプ場』へ。ここもダメなら最終的には『中富良野森林公園キャンプ場』まで走ってもよいと考えていたが、すべては出たとこ勝負で、じっさいのキャンプ場の状況を見て決めようと思っていた。

 キャンプに絶対必要な水と爪切りがほしくて、ツルハドラッグの沼の端店にはいった。希望の品を411円で手に入れて走りだしたのは20時24分である。内陸にはいっていくと雨の匂いがしだしたが、やがて霧雨がふりだした。これからキャンプをするというのに雨は嫌である。しかし大した降りではないのでカッパを着ずに走りつづける。動物飛び出し注意の看板があり、集中力をたかめていくが、道の横に緑の瞳をひからせた動物がいただけで、あれはキツネだっただろうか。

 すすんでいくと雨の気配は濃くなり、路面もぬれてくる。前輪が水をまきあげて靴をぬらす。それでも雨具をつけずにねばっていたのだが、雨はだんだんと強くなり、20時50分についに諦めて、カッパの上着とブーツカバーだけをつけた。革のグローブははずして素手にする。最低限の装備でのりきろうという横着な考えだが、その足元を見透かしたように雨足は強まり、すぐに雨具のズボンをはくことを余儀なくされた。はじめからキチンとしておけば手間も時間もかからないのに、どうも気が短くていけない。いつもの悪い癖だ。オレンジの街灯の下に2度もとまってカッパをつけたが、オレンジの光を下から見あげると、霧雨がオレンジの夜の中で渦をまき、むせかえるように舞っていた。

 ホクレンのGSがあれば給油をして、道南版のフラッグを手に入れたいと思っていたが、ない。ホクレンにかぎらず、この時間に営業しているスタンドはないのだった。苫小牧から岩見沢まで近いと思っていたが、じっさいに走ってみると予想以上の時間がかかった。R234を北上していくと、栗山、栗岡、栗沢と鉄道の駅がつづく。この栗沢にキャンプ場はあるのだが、21時30分に栗沢町について、用意してあった詳細図をとりだして野営場への進入路をたしかめた。 

 『栗沢ふるさとの森キャンプ場』は2001年のツーリングでも利用したのだが、そのときもキャンプ場にいくのに苦労したので、今回は夜道でも迷わずにすむように下調べをしておいた。国道234号線から右折して、1キロほどいくと右手の公園にはいっていく道がある。ここをいくのだが、この先は狭い舗装路で心細くなるようなたどりである。これを1キロほどすすむと、谷間にある小さなキャンプ場にでるのだ。すべては国道から右折するところにかかっていて、正しい道にはいればたやすく見つかるのだが、それらしい道路が何本もあるのでまちがいやすい。利用する方は少ないと思うが、念のために書くと、栗沢中前の信号の先、岩見沢よりの道にはいるのである。 

 キャンプ場につくと若者のグループが2組、宴会の最中だった。2組の若者たちは突然あらわれたバイクに驚き、こちらを注視している。時刻は21時40分だ。皆さんに見られていることを自覚しながらバイクの方向をかえ、薄暗いテントサイトをバイクのライトで照らして、様子をみた。このキャンプ場は小さな野営場である。間隔をつめてテントをたてても最大で設営できるのは7張りくらいだ。いまキャンプ場の上下の両端にふたつのテントがたち、真中があいていて、そこに私が幕営すれば、もう適量といえる広さである。この先別のキャンプ場にいってもスムーズに野営できるかわからないし、時間もおそいのでここでキャンプと決めた。

 雨はいつのまにかあがっていた。キャンプ場には外灯がひとつだけたっていたが、ふたつのグループはたがいに見られるのを嫌ってか、ライトをつけずに歓談している。一方は男女のグループで、他方は男性だけの団体だ。女性がいる方はなごやかな雰囲気でやわらいだ会話をしているが、男だけのグループは、ただただ酔いへと、直線的に、なかば暴力的に落ち込んでいっている。両方とも25くらいの若者たちだった。

 ふたつのグループの中間をバイクのライトで照らし、その光のなかにテントをたてた。つづいて荷物を運びこみ、マットとシュラフをひろげるが、これらにかかった時間は10分ほどである。ふたつのグループははじめのうちは私のことを見ていたが、すぐに飽きて自分たちの宴会に意識をもどしていった。男だけのグループは、テントの横のタープの下で飲んでいるが、男女のグループは虫の入ってこないスクリーン・テントをたて、そのなかで談笑していた。

 バイクのライトを消して路肩によせた。ヘッドライトをつけてテントにはいり、シュラフのうえに腹ばいになって焼酎の水割りをやりだす。ヘッドランプの光のなかでメモをつけるが、男性だけのグループは大声をだしてうるさい。「イエー!」とか、「それー!」などと叫んで酒をあおっている。このままつづくと困るなと思ったが、相当酩酊しているようなので、長くはつづくまいと考えていると、やがて大きな鼾がきこえだした。ひとり酔いつぶれたのだ。それを境に男たちは急速に荒ぶる身心を弛緩させ、泥酔の、眠りの底に落ち込んでいった。

 男女のグループはおだやかな会話をつづけている。テントのなかは蒸し暑く、両サイドをスクリーンにして風をいれ、ラジオをつける。22時14分には男たちは静かになったので、あっという間のことだった。携帯で家内に電話をしようとするがここは圏外である。北海道上陸の夜の、キャンプの感触もたしかめることもできずに、私も眠ってしまった。

 

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