8月13日 大トラブル発生!
栗沢ふるさとの森キャンプ場 右が男性の、左が男女のグループのテント
4時40分に起床した。空は晴れている。昨夜眠るときには暑かったが、気温は下がり肌寒い。ここは谷筋で日陰だし、横を小川が流れているから冷えるようだ。それでもキャンプの朝の常食、インスタントラーメンを食し、撤収作業をはじめるとすぐに暑くなってきた。
作業をしながら男性だけのグループを見ると、全員がテントのなかで丸太のようにころがっていた。寝ている姿を見ただけでまだ酒がのこっているのがわかり、当分は起きられそうもないし、眼を覚ましたとしても二日酔いで辛そうだ。酔っぱらいはこんなものだなと思ってもう一方の男女のグループのテントを見ると、昨夜宴会をしていたスクリーン・テントのなかに、男性がひとりのこっていた。起きている人などいないと思い込んでいたので、びっくりしてしまう。男はまだ飲みつづけているのか、それとも椅子にすわって眠っていたのがたまたま眼覚めたのかわからないが、ひとり静かにたたずんでいた。
荷物をまとめてDRにつみこんでいく。このキャンプ場は狭くて立地がわるいのだが料金は無料である。たくさんのテントはたてられず、水道とトイレしかないシンプルな野営場なのだが、世間の評価はきわめて低いようだ。100点満点で20点としているHPもある。しかし私は人気がないぶん静かで(昨夜は少々うるさかったが)、ミーハーなキャンパーがいなくて好みである。なんとなればトイレと水道しかなくて空いているキャンプ場が、私の100点満点の野営場なのだから。
2001年にはあった、簡易トイレがなくなっているほかは変化のないキャンプ場を、DRをおして出発した。私は寝ている人の横で、バイクのエンジンをかけるほど無神経ではない。時間はまだ早く6時10分だ。スクリーン・テントのなかにすわっている男性を横目で見つつ先へいき、駐車している車のなかを何気なく見ると、ここでも男がひとり眠っていた。ということはテントのなかにいるのは男女のカップルだけのようだ。昨夜聞くともなしに伝わってきた会話では、この男女がふたりの男性よりも年上のようだったので、後輩の男たちは男女に遠慮しているのだった。
カップルのテントに後輩が入るわけにはいかないとは思うが、なんだか気の毒だなと感じつつ、DRをおして眠っている人を驚かさないですむほど離れると、エンジンをかけて走りだした。
国道234号線にもどって北上し、岩見沢の市街にはいったのは6時30分である。ここからEOCのひらかれる美流渡はちかい。2001年には美流渡の手前にある栗沢温泉を利用したのでこの地に縁を感じる。そのEOCは8月16日、3日後に開催されるのだ。
国道12号線にはいって岩見沢市街をぬけ、道道116号線に右折して桂沢湖にむかう。このルートは山越えして富良野にでる道である。高度をあげていくとトンボが眼につきだし、やがて大群と遭遇した。トンボは陽のあたっている空間で群舞している。日陰にはいないので、太陽の光で体温をあげないと活動できないようだ。太陽光のふりそそぐ空一面に、トンボの群れがひろがって、透明な翅に光が反射し、キラキラと淡くかがやいている。都会では見られない光景で、通りすぎる刹那に、ハッと打たれて眼に焼きついた。
日陰の谷筋にはトンボの姿はなく、ひらけた山肌にでると空に群れている。トンボの群れをさがして日向と日陰をすすみ、桂沢湖をすぎて国道452号線にはいった。R452の夕張国道をいくと、三芦トンネルでピークをこえてくだっていく。この先にはまえから気になっていた『三段の滝』がある。何度か前を通ったことはあるのだが、滝を見たことはなかったので立ち寄ることにした。
滝の横は『三段滝PA』となっていて広い駐車場である。そこへDRをすべりこませたのは6時50分だった。2001年にここを通過したときには『熊出没注意』の看板がでていたのだが、きょうは『車上狙い注意』とだされている。熊よりも車上狙いのほうが恐いし、こんなものが流行っているのは殺伐としているなと思ったが、この看板はこの先いたるところで眼にすることになったので、この犯罪が増えているようだ。去年までは見たことがなかったので嫌な風潮である。
早朝だが車は少ないながらも途切れることなく出入りしているので、車上狙いは活動できそうにない。バイクのシートの上に盗られても痛くもなんともないザックを放りだして、カメラを片手に滝を見にいった。PAの前は公園になっていて、その奥には川がながれている。下流に歩いていくと滝が見えてきた。広い岩盤状の河原が絞りこまれて、流れがまとまって滝となり、三段に落下している。いちばん下には大淵があり、滝はそこへ落ち込んでいた。小規模な滝なのでわざわざバイクをとめて見るほどのものでもなかったが、滝下の大淵には魚がひそんでいそうな気配がある。しかし大淵のまわりには『マムシ注意』の看板がでていたので、釣りをするのは考えものだった。
三段の滝から走りだして、すぐに道道135号線に右折して富良野にむかう。国道38号線にはいって富良野市街にいたり、国道237号線に左折して北上していった。中富良野のホクレンが店をあけていたので給油をする。23.31K/L。142円で1759円。ここで道北版のブルーフラッグとスタンプ帳を手に入れた。
中富良野にはファーム富田やかんのファームなどの花の名所があり、一昨年のこの時期には終わっていたラベンダーの花が咲いていて、写真をとろうかとも考えたが、はやく登山を開始したいと気持ちが急いているので通過する。しかしたまには花をバックに写真をとってみるのもよいかもしれないと考えていると、美瑛でぜるぶの丘の案内がでていたので立ち寄った。しかし花のある画像はやはり私らしくない。私に似合いそうなのは、深山幽谷や、雨の林道、荒々しい海岸線や人気のない原野、霧の深い岬などだろうか。念のために書くと、人柄はあたたかいのだ。
ぜるぶの丘
北美瑛から旭岳ロープーウェイへとすすむのだが、北美瑛までいくとコンビニがなくて、登山中の食料を手に入れるために美英までもどった。北海道では早目に食料品店やGSにはいっておくことが効率的な旅をするポイントである。美瑛のセブンイレブンにはいり、サンドイッチやおにぎり、水2gを608円でもとめたのは8時42分であった。
セブンイレブンの入口の横では、関西ナンバーのドカの女の子が、地面にすわりこんでおにぎりをかじっていた。ピカピカの真紅のドカと、地べたに尻をつけた女の子とおにぎりの落差が大きい。食事代を節約しているのだろうし、ソロの女の子なので誰かに声をかけられたくなくて、わざと粗野にふるまってもいるのだろう。自分のまわりに張りつめた壁を築きあげているようだ。若い娘だからそうなってしまうのだろうが、中年の私は、もっと肩の力をぬいて楽しめばよいのにと感じてしまった。うるさい男が寄ってきたら、怒鳴りつけてやればよいのだ。しかし若いって生硬だ。
買ったものをザックにつめていると、ピカピカのハーレーFLHの青年が通りかかった。バイクもヘルメットも、シャツもグローブも新品のようだ。前を走っている車の子供が手をふるのにこたえている。35くらいの長身の彼にハーレーは似合っているが板についていない。新品のものばかり身につけている男は、信用できないと思ってしまうのは私だけだろうか。彼からは自己陶酔の臭気がつたわってくる。30をすぎると人間いやらしくもなるからね。
セブンイレブンをでて北美瑛にもどり、道道213号線にはいった。いよいよ旭岳が近い、登山だ、と気負ってすすみ、志比内から道道1160号線にはいった。山にのぼっていくと巨大なロックフィルダムが見えてくるが、忠別ダムである。大きなダムなので人気があるらしく、展望所がつくられていた。私も写真をとりたいと思ったが、やはり山登りの時間が気になるので通過する。やがて道は二股となり、右は羽衣の滝のある天人峡で、左の旭岳ロープーウェイにつづくルートにはいった。
土・日は登山者の車で渋滞、とツーリング・マップル、通称TMにでているので心配したが、交通量はほとんどない。峠道となりカーブがつづく。これまで前後新品タイヤでもあるし、リヤタイヤは空気圧を低めにしていることもあって、山道でもほとんどバイクをバンクさせずに走ってきた。しかしこれまで不具合はなかったのだし、そろそろタイヤのサイドの当たりをだしたほうがよかろうと、右カーブ、左カーブ、また右カーブと、90度にまがっていく連続カーブで、わざとバイクを深く倒しこみ、アクセルを開け気味にしてタイヤに負荷をかけ、ハードにコーナリングをした。
やはりバイクの醍醐味はコーナーを駆けぬけていく爽快感にある。気分もよくなって直線でアクセルをあけると、グニャリ、とした感触がリヤ・タイヤから伝わってきた。道がうねっているのだろうかと思って走りつづけると、リヤ・タイヤのフィーリングがあきらかにおかしくなる。あわててバイクをとめてみると、リヤ・タイヤの空気はぬけてしまっていて、パンクしてしまっていた。
空気のぬけたタイヤを見て、信じられないことがおこったと思った。マジかよ、と呟く。私はバイクに25年、四半世紀ものあいだ乗っているが、これまでパンクしたことなどないのだ。しかし起きてしまったことはどうしようもない。パンクしたものは修理しなければならないし、修理道具も予備のチューブも、こんなときのために持参している。さっそく荷物をおろして作業をはじめたが、このとき9時くらいだったと思う。
荷物をおろして修理中
DRにはセンター・スタンドはない。自宅でタイヤ交換をするときには、オフロード・バイク専用のスタンドを使用し、ジャッキ・アップして作業をしているのだが、ツーリング中にそんなものはない。バイクをガードレールにたてかけて、リヤ・タイヤが浮くようにしたのだが、その前にまずリヤ・ホイールのロック・ナットをゆるめ、手でまわるようにしてからバイクをたてかけた。
リヤ・タイヤを浮かせた状態でナットをはずし、シャフトをぬいた。チェーンとブレーキをはずしてホイールだけにしてみると、問題をおこした箇所がはっきりと見える。それは私がタイヤを組むときに傷めてしまったタイヤの耳だった。タイヤ・レバーで傷つけてしまった耳の部分のゴムがはぎとられてしまっていて、スチールの針金がむきだしになっている。この針金、スチール・コードがチューブを切ってしまったのだ。
このタイヤはもう使えないのはあきらかだった。ゴムが脱落して針金がむきだしになったタイヤは強度がなくなっているし、補修がきくはずもない。問題のあるタイヤでツーリングにでてしまって浅はかだったと後悔したが、もう遅い。こんなことになるなら、金を惜しまず新しいタイヤにしてくればよかったと、何度思っても詮無きことだ。しかもDRのリヤ・タイヤは17インチで、めったに在庫がないときている。都内のショップでもストックはなく、いつも取り寄せてもらっているのだ。この先どうしようかと思ったが、とにかくチューブをかえて走れるようにしようと、タイヤ・レバーをつかってタイヤのビートをおこし、チューブをとりだした。
ここまではスムーズにいったのだ。しかしリムからはずれたサイドとは別のサイドのビートは、タイヤがリムに固着してしまっていて、どうやっても落ちない(リムとタイヤがくっついて離れない)。通常タイヤは一方のビートが落ちれば、他方のビートも落ちて、リムのなかを自由に動くようになるものだ。それによってチューブ交換も容易にできるし、タイヤを組みつけるときもタイヤが伸縮して、リムにおさめることができる。それなのに一方のビートがまったく落ちない。タイヤの上にのって何度も踏んでみるがビクともしないのだ。組みこむときに無理にこじったので、こんなことになってしまったようだ。
気温はあがり30℃くらいになっていたと思う。パンクしてしまったところで修理をしているので、日陰はなく、太陽の日差しをまともに浴びていて、ものすごく暑い。力をこめてレバーを使ったり、タイヤを踏んだりしているので汗だくだ。路上やタイヤに汗がしたたる。なんとかタイヤのビートを落とそうとして、体重をかけてタイヤを踏むが、どうにもならずに汗はながれ、山で飲むはずだったペットボトルの水をがぶ飲みするということを繰り返した。
汗をしたたらせてタイヤと格闘
はじめのうちは手早くチューブを交換し、スチール・コードがむきだしになってしまった部分にはガムテープをあてて補修して、7.8キロ先にあるロープーウェイ駅までいき、なんとか旭岳にのぼろうと考えていた。しかしどうやってもタイヤが思うようにならないし、たとえ走れるようになったとしても、この近くでいちばん大きな街の旭川に直行して、タイヤを交換するほかないと考えるようになった。しかし17インチのタイヤの在庫があるのかものすごく不安だ。都内でストックがないものが旭川にあるとは思えないので。
どうやっても片側のビートが落ちないので、このままチューブを交換することにした。自由にならない狭いタイヤの空間に予備チューブをおしこみ、タイヤ・レバーではずしたタイヤを、元どおりに組もうとする。しかし今度は、はずしたタイヤがおさまらなくなってしまった。片側のビートが固着しているために、タイヤが伸縮せず、どうやってもタイヤが入らない。汗はながれる。渾身の力をこめてなんとかしようとするも、どうにもならず、腕に力もはいらなくなってしまった。どうしようかと考えていると、
「大丈夫ですか?」と原付スクーターに乗った青年が心配してとまってくれた。彼は山頂から下ってきて通りすぎたのだが、Uターンして声をかけてくれたのだ。京都から来た林さんという方だった。
「自分で修理してはるんですか、すごいですね」と林さんは言うのだが、
「それが思うようにならなくて」と答える私だった。
林さんは親切にも手をかしてくださるというので、ホイールをおさえてもらって、タイヤをリムにはめようとしたが、やはりどうやってもダメだった。ふたりがかりで力をつくしてもどうにもならず、これはダメだ、と呟くと、林さんはバイク屋のリストがのっているツーリング・ガイドをとりだして、
「じつは前にもこんなことがあって、バイク屋に連絡して来てもらったことがあるんですよ。このリストのなかのバイク屋に電話して、むかえにきてもらったら、どうですか」と言う。
それしかないなと思う。自分ではもうどうすることもできず、タイヤの交換も必要なのだから。林さんのだしてくれたリストで美瑛、旭川のバイク屋を見るが、私はJAFの会員なのを思い出し、
「JAFを呼ぶという手もありますよね」と言うと、
「そのほうがお得かもしれません」と林さんも答える。
さっそく電話をしようとするとここは圏外だった。山のなかなのだから考えてみれば当り前である。どこまで山をくだれば電話をかけられるのかわからないぞと思っていると、林さんが、
「上のロープーウェイ駅では電話が通じましたから、私がいってきますよ」と言ってくれて、まことに有難いことに電話をかけにいってくださった。
JAFに来てもらうことにしたが、リヤ・ホイールがはずれたままではトラックに載せることができない。タイヤがリムからはずれているのは仕方がないが、ホイールだけは元どおりに取りつけることにした。しかしホイールが重くてどうしてもセットできないのだ。バイクはガードレールに斜めにたてかけてあるので、ホイールを斜めに持ち上げて、角度をたもったままシャフトを差し込まなくてはならない。ホイールはただでさえ重いのに、腕の力を使い果たしてしまっている。左手一本でホイールを斜めに保持し、右手でシャフトを入れようとするが、うまくいかず、なんとか途中まで入れることができたが、半分もいかないところで止まってしまい、あとはJAFの専門家にまかせようと思うのだった。バイクがジャッキ・アップされた状態で、直立していれば、ホイールを斜めに保持しなくてすむから取り付けられるのだが、今は不可能だった。
JAFのキャンペーンでもらったミニカー
思いかえしてみると、このタイヤを買いにいったときに、ショップの前でJAFがキャンペーンをやっていたのだ。2輪のサービスもはじめましたので、ぜひJAFをご利用ください、と話しかけられて、私が20年以上の継続会員だと答えると、それはそれは有難うございます、と言ってJAFのサービスカーのキーホルダーをくれたのだった。屋根の上の赤灯をおすとライトが光るミニカー。あのときからこうなる運命だったのだろうか。
林さんがもどってくるのに30分はかかったと思う。その間にタイヤ・レバーやメガネレンチなどの工具をしまい、荷物をまとめておいた。落ち着いてみるとシャツの袖が油で真黒だ。またバイクの修理をしていたところはカーブの途中で、車が私を大きくよけていて、交通の邪魔にもなっていた。これまでリム・プロテクターをあてて傷がつかないようにしてきたリムも、きょうの作業で傷だらけになってしまった。しかし暑い。ペットボトルの水をまたがぶ飲みだ。
やがて林さんがロープーウェイ駅から帰ってきた。JAFのサービスカーは旭川から来てくれるそうで40分ほどかかるとのこと。林さんは冷えたポカリスエットを買ってきてくれて、
「冷たいうちにどうぞ」と言ってくれる。親切が身にしみた。こんなによい人がいるなんて、私は困っている人がいても親身に手をさしのべたことはなかったので、我が身が恥ずかしくなった。
そして林さんは立ち去らず、JAFのサービスカーが来るまで、暑い日向でつきあってくれたのだ。林さんは5年間商売をやってきたそうだが、奥さんがひとりで店にいると物騒なことに胸をいため、仕事をやめたのだそうだ。これまでの5年間は盆も正月も休まずに働いたので、自分へのご褒美として1ヵ月の旅にでたとのこと。林さんは若く見えたが30をこえた方だった。
林さんと
私も氏素性をあかし、家内と子供を家においてきたこと、北海道ツーリングが大好きで、毎年来たいと思っていることなどを話した。ところで私も勤め人がむいていないと考えた時期があって、林さんのやっていた事業について真剣に研究し、検討した上で、断念したことがある。利益をのこすことがむずかしいと結論をだした結果なのだが、それを言うと、林さんは儲かっていたがひとえに奥さんが心配だったとのこと。愛妻家なのである。
商売をやめてこれからどうするのですか、と聞くと、いま話題になっている新事業の岩盤浴の店をやろうと考えているとのこと。かなり資本が必要なのでは? と言うと、投資額としては250万から400万と小額ですむそうで、自分で1店か2店運営してノウハウを蓄積したら、その後はおなじ事業をやりたい人のコンサルティングも手がけたいと言うから、林さんは根っからの事業家だ。しかしバイクの旅人とニュー・ビジネスのビジネス・モデルについて話し合おうとは思いもよらなかった。
一方で林さんは下調べをせずに北海道に来ていて、出会った旅人から見所、美味しい店などを聞いてはノートにメモしていた。そこで私も、旭岳は山頂の往復だけでなく、間宮岳、中岳温泉と周遊できること。熊の湯、鹿の湯、ヌプントムラウシ温泉などの秘湯やナイタイ高原などを紹介した。
そして私がHPをもっていて、林さんとうつした写真をのせてもよいですかと聞くと(顔がわからないように加工しました)、林さんの奥さんがHP作成のプロで、おふたりのHPもあるのだそうだ。林さんもこの旅の記録を載せる予定だそうで、
「私の放浪のページもご覧ください」と言われて1本とられてしまった。
11時にJAFのサービスカーがやってきた。4輪が専門でバイクの修理はできないため、バイク屋かタイヤ屋にレッカー移動すると言うが、リヤ・ホイールがきちんとおさまって、ロック・ナットで固定されていないと、恐くてトラックには載せられないとのこと。まったくもっともな話だ。サービス氏はプロだと思うのでまかせていると、シャフトを押しこもうと力をこめるばかりで、途中で止まってしまったシャフトは、押しても引いてもビクともしない。
サービス氏がバイクに慣れていないことがわかったので私がやってみると、シャフトをぬくことができたが、勢いあまってガードレールにおしつけられていた左ミラーが、重さにたえかねて折れてしまった。サービス氏が、
「ほんとうに押せば入るんですか?」と聞くので、
「ジャッキ・アップしてバイクを直立させれば入ります」と答えると、サービス氏は車用のジャッキをとりだして、DRのエンジンの下にセットしてジャッキ・アップした。路肩で作業をしているのでバイクが不安定に揺れる。DRがたおれないように林さんとサービス氏がささえるなか、私がホイールをセットしてシャフトを差し込み、ロック・ナットをしめた。日向の暑いなかの作業なのでまた汗だくである。私だけでなく林さんとサービス氏も。
「暑い、あつい、北海道って、こんなに暑かったっけ」とサービス氏は呟いていた。
JAFのサービスカーにようやく載せた
DRをサービス氏とふたりで押してトラックの荷台に載せた。林さんは荷物をはこんでくださる。バイクをロープで固定してすべての荷をつみこみ、林さんに何度もお礼を言ってサービスカーの助手席にのりこんだ。
ほんとうにお世話になり、有難うございました。林さんはその後たのしい旅をつづけられたとのこと。事業のご成功を祈念しております。
林さんは岩盤浴のお店を開かれたとのこと。
〒616−816 京都市右京区太秦多藪町19−9 シャルマン太秦1F
ラドン岩盤浴 このは 太秦店
рO75−861−3955
お近くの方は是非。親切な林さんに会えます。
旭川まで行かないと修理できないということで走りだすが、サービス氏は2輪のことはよくわからない。まずトラブルの内容を説明するが、自分でタイヤ交換をしたときにタイヤの耳を傷つけてしまったことから話し始め、そこのゴムが脱落してスチール・コードがむきだしになり、チューブを切ってしまい、タイヤを交換しなければならないということをわかってもらうのに時間がかかる。サービス氏はタイヤの耳を、ズック、と呼んでいた。ズックが切れたのね、と。そしてタイヤサイズが特殊で、都内でも注文しなければならないほどで、なかなかないと思うが、代用品でもよいから、とにかく走れるようにしてもらいたい、ということを伝えるのにも大分かかった。
山のなかは圏外である。しかし忠別ダムの近くは携帯がつながるとのことで、そこへ移動してサービス氏は電話をかけだした。まず旭川のバイク、バイク部品の問屋に電話をいれるが、
「17インチのタイヤ? そんなものないよ、在庫しているところもないんじゃないのかな」と予想通りの答えがかえってきた。しかもお盆だし、旭川のバイク屋は日曜日は休むところが多いそうなので、タイヤが手に入るのかまたまた非常に不安になった。
サービス氏はつきあいのあるバイク屋につぎつぎに電話をしていくが、17インチのタイヤはない、の連発。バイクはいったい何なの? と逆に聞かれ、スズキDR650、と答えると、なんだそれ、そんなバイク見たことないぞ、とプロの方がおっしゃる始末だった。
電話の内容を聞いていると個人経営の店が多いようなので、さっき林さんがだしてくれたバイク店一覧に出ていた、レッドバロンはどうですか? と言うと、サービス氏はレッドバロンを知らないのだった。日本一のバイク・チェーンですよ、と言うと、NTTの番号案内で電話番号をしらべて問い合わせてくれたが、レッドバロンにも在庫はなかった。
「さて、どうするか」とサービス氏は呟く。
サービス氏はJAFの旭川支部に電話をして、17インチのタイヤをさがしてくれ、代用品でもかまわないから使用できるタイヤをもっているバイク屋をみつけてくれ、と要請してトラックをスタートさせた。
「タイヤのサイズは、120−90−17、車名はスズキDR650、オフロード・タイプ、めったにないバイクだそうだ。そう、使えるタイヤならなんでもよい。要は走れればよいということだ。金は、かかってもかまわない。17インチのタイヤをさがしてくれ」
トラックのなかではじめはふたりで黙っていたのだが、私が北海道が大好きで3年連続で来ていると話すと、車内の空気はゆるんできた。そこへ家内からメールがきて、順調?、と聞いてきたので、レッカー移動中と電話をすると、聞いていたサービス氏は、奥さんはわたしをおいていくからと言ってたんじゃないですか? と話したので更に打ち解けた。
北海道ツーリングは年に1度のことで、この旅をたのしみにして1年間仕事をしているので、許してもらっているんですよ、と話していると東川町にはいり、JAFの旭川支部から連絡がきた。代用タイヤをもつ店がみつかったとのこと。オンロード・タイヤの中古品があるのだそうだ。サービス氏は、どうします? と聞いてくるが、これ以上望めないことは、17インチ・タイヤのオーナーである私がいちばんよくわかっている。
「そこへお願いします」と即答した。
サービスカーは旭川市街にむかう。車内では旭川のJAFはわずか8人で運営されていることや、北海道の人は車が故障してもJAFをよばず、修理工場に連絡する傾向があり、しかも工場は無料でレッカー移動する話などを聞いた。レッカー移動は修理代金のサービスという感覚なのだそうだ。これは首都圏では考えられないことで、首都圏の人間は車が壊れたらまずJAFに電話をすると思うし、修理工場にきてもらうにしても、工場までのレッカー移動代はかならず請求されるはずだ。
また旭川は特別な産業がなくて活気がなかったが、いまは旭山動物園が話題となって、旭川の誇りになっているとも聞いた。私は知床や大雪山、道北の自然探訪ばかりで、旭山動物園にはいったことがないと言うと、せっかくだから是非見ていってくれとすすめられた。一度は見学する価値のある施設だ、と。リピーターがたくさんいるから本物だ、と。でもきょうはお盆で大混雑しているかもしれないが、とも。
「旭山動物園の人気のおかげか知りませんけど、そこに見えるラーメン村もできたんですよ」とサービス氏。
ラーメン村は行列ができていて人気である。また旭川市民は千円で旭山動物園の年間フリー・チケットが入手できるのだそうだ。サービス氏は元々気さくで話好きな方だった。そこでこれまでに、こんな救援はありえない、という出動要請はありますか? とたずねてみると、
「すごいのがあります。冬のことなんですが、車が雪道でスタックして困っているということで駆けつけると、スキー場の入口にドライバーの方がたっていて、車はこの奥にあると言うんです」と語りだした。
奥っていったい、どこにあるんですか、と聞くとドライバーは、スキー場のゲレンデの中、ここから5キロほど先でスタックしている、と答えたのだそうだ。サービス氏は絶句したが、どうやってそんなところへ、とたずねると、車は4WDのジープで、ためしに雪原にはいってみると走れたので、調子にのって先へいき、走りまわっているうちにスタックして動けなくなってしまった、とのこと。JAFのサービスカーではとてもそんなところまでいけないが、お客を納得させるために、車がスタックしているところまでふたりで歩いて見にいったと言うから、サービス氏もたいへんだ。5キロ雪上を歩いてじっさいに車を見て、これはとても無理です、と断ったそうだ。
「こうなるとスノーモービルか雪上車をよばなければダメです」と。
「スノーモービルで車は動くものなんですか」とたずねると、
「スタックしてるタイヤを掘りだして、車の腹が雪についていない状態にすれば、スノーモービルで引けます」とのこと。「だって車は、人が押しても動くじゃないですか」
たしかに。
「雪上車はあるものなんですか?」と聞くと、
「けっこうありますよ。狩猟をする人は持ってますから」だそうだ。北海道の人はすごい。
旭川の街の外周をはしる道道90号線をいき、国道40号線にぶつかると左折して国道にはいった。ほどなく目指すバイク屋が見えてくる。『ワークス』というバイク・ショップだ。車をとめると55くらいの主人が待っていて、すでに中古の17インチのオンロード・タイヤも用意されていた。主人は、
「ウチとしては、このタイヤを取り付けることしかできないが、それでいいですね」と言う。
「もちろん、タイヤがついて走れればそれでいいんです」と応じるが、ほかに選択肢がないことはわかっている。このやりとりを聞いてはじめてJAFのサービス氏は、DRをサービスカーからおろす作業をはじめた。私はトラックの荷台につんできた荷をおろしていく。そしてサービス氏といっしょにロープをほどき、DRをおしてショップのピットにいれた。
「タイヤが細くなって、ちょっと情けなくなるが、これで走れますよ」と主人。
私はうなずいて、
「これは元々何のタイヤなんですか?」と聞いた。すると若いメカニックが、
「たぶん250オンロードの、フロント・タイヤです」と答えた。
サービス氏は料金を計算している。そして、
「レッカー移動、20キロなんですが、15キロにしておきました」とのこと。代金は6000円だった。
「20年以上JAFに入ってますけが、こんなことははじめてです。しかし、ほんとうにJAFにはいっていてよかった」と言うと、
「そう言ってもらえると、私もうれしいです」
と答えてサービス氏は去っていった。受けとった伝票には到着時刻10時59分、完了時刻14時13分となっていた。
ワークスでタイヤ交換中 手前にあるのが代用タイヤ 左にドカ900SS
ピットでジャッキ・アップされたDRから素早くリヤ・ホイールがはずされた。主人がタイヤを見て、「ああ、これはもう、使えないな」と呟く。そして、どうしてこんなになっちゃったんですか、と聞くので、またタイヤを自分で交換して失敗したことを語った。するとチューブは大丈夫なんですね、と主人。予備チューブに代えましたからそのはずです、と私。
どうやってもビートが落ちなかったタイヤは、タイヤ・チェンジャーであっけなくはずされ中古のオンロード・タイヤが組み込まれていく。店の裏にいって旭岳でたべるはずだったサンドイッチやおにぎりの昼食をとった。気温は北海道とは思えないほど上昇し、ひどく暑い。30℃を軽くオーバーしていた。
ワークスの主人は昔気質の職人のような方だった。その主人の下に弟子のような若いメカニックがついている。食事を終えて作業を見にいくと、DRのとなりにはドカが作業台にのっていることに気づいた。懐かしの900SSだ。マイク・ヘイルウッド・レプリカの前の型だから、1970年代のバイクか。
「これは懐かしいバイクですね、しかもピカピカだ」と言うと、
「お客さんが大事にしていてね」と主人。
DRのリヤ・ホイールの組みつけにかかり、チェーン引きのアジャスターを調整し、ナットを仮締めすると、チェーンとスプロケットにウエスを噛ませ、一気にナットをしめる。なぜウエスを噛ませるのかたずねると、こうしないと、ナットを締めこむ力で、微妙にタイヤの位置がずれるからだそうだ。
「バンバンにチェーンを張るときには、こうしないとね」と言うが、こんなのははじめて見た。主人は完ぺき主義者だ。そして作業が終わると、
「はい、モタード一丁あがり!」と江戸っ子のように歯切れよく言う。
「はからずも」と合いの手をいれると、
「なんなら、フロントもかえとく?」ときた。
「これで林道も走れますよね」と私は念のためにたずねた。行けると思うがプロのことばで確認がしたくて。
「もちろん行けますよ」と主人はこともなげに答える。「舗装路はベタベタ寝るよ」
料金は5000円だったので格安だ。タイヤの入れ替えだけでもけっこうかかるものだし、チェーンにオイルをさしたり、ブレーキのパッドを見たり、細かく作業をしてくれた。「ワークス」という名に恥じない技術の店だが、タイヤも18インチのオフロード・タイヤなら20本以上在庫しているそうなので、旭川周辺でトラブルがあったら力になってくれそうなプロ・ショップだ。私の後にもカワサキの400に乗ったツーリング・ライダーやSR400が飛び込んできていた。
15時くらいにワークスをでた。きょうは日曜日だが13日なので営業していたそうだ。明日の14日からはお盆休みだそうなので、私はまだタイミングがよかった。考えてみれば自宅から大洗までのあいだでパンクをしていたら、フェリーに乗れなかったかもしれないし、また舗装路から30キロもはいった林道でトラブルをおこしたら、山道を何10キロも歩いて救援をよびに行かねばならなかったので、まだ幸運だったのかもしれない。しかし一時はどうなるかと思ったが、とにかくまた走りだすことができて、ほんとうによかった。
リヤ・タイヤがオンロード・タイヤになってしまったので、きびしい林道は走る気がなくなってしまった。それでもおだやかな林道ならばいけるだろうと思う。しかしこれで旅の予定も変わってしまうなと考えたが、旭岳には登りたい。きょうはもう無理だが明日は登頂しようと思う。そして私はいつものせっかちな旅人にもどり、旭岳にのぼったあとで見物しようと思っていた天人峡を、きょうのうちに見ておくことにする。家内が心配しているだろうから電話をしなければと思うのだが、予定が狂ってしまって気が急くので、後回しとした。
40号線をもどり道道90号線にはいる。信号待ちで直射日光をあびていると汗がふきだしてくるが、こんなに暑い旭川もはじめてだ。旭川市街をはなれると暑気はゆるむ。『写真の町、東川』と看板のでている東川町をぬけ、道道1160号線にはいってふたたび旭岳方向にのぼっていくと、前方から林さんが来るではないか。大きく手をふるが、林さんはピースサインをだして行ってしまった。私だとわからないのだ。いそいでUターンしてアクセル全開で林さんを追いかける。林さんの前にでてバイクをとめ、おかげさまでこのとおり、修理ができました、ありがとうございました、と言うと林さんも喜んでくれた。
林さんと別れて山をのぼっていき、また二股にいたった。左は午前中にパンクした旭岳への道で、いまは右の天人峡へのルートをとる。すすんでいくと頭上には雲がひろがりだし、路面はぬれて、雨の気配が濃厚になってきた。カッパを着ずに走っていくと、200メートルほど前方で雨がふっているのが見える。ここはまだ雨粒は落ちてないのに山の天気は不思議だ。バイクをとめて雨具をつけていると激しい雨がやってきた。
完全防水して、交換したタイヤの具合をさぐりつつコーナリングをしていくが、いつもとちがってものすごくよく曲がる。リヤ・タイヤが勝手にアウト・サイドに押しだされていって、バイクの方向をインにむけるような感覚だ。オンロードのフロント・タイヤだからだろうか、舵角がついているかのような旋回性能の高さである。コーナーの出口を見るだけでバイクは向きをかえ、ワークスの主人が言ったようにベタベタねる。バイクの挙動がいつもとあまりにちがうので、慣れるのに時間がかかった。
雨はふっている。しかし空は晴れてきた。不安定な天候だが、基本的には夕立、通り雨なのだ。しばらく走ると雨はやみ『森の神様』への入口についた。『森の神様』は林野庁の選定する森の巨人たち100選にえらばれた、樹齢900年のカツラの巨木である。『森の神様』というネーミングがよいし、北海道だけでなく、日本を代表する巨樹なのでぜひ見たいと思っていた。しかも『森の神様』にいく道は林道で、リヤ・タイヤのようすを見るのに好都合なのだった。
森の神様
締まった走りやすい林道を400メートルいけば『森の神様』はたっていた。林道はフラットでオンロード・タイヤでの走行になんの問題もない。しかし雨の林道には誰もいないので、熊がでてきはしないかと不安だ。周囲の森は深いし、林道の左右には丈の高い草がはえていて、熊がひそんでいてもわからない。北海道の林道での熊の恐怖も、何日か走っていると慣れて薄れていくのだが、旅のはじまりのころは神経質になってしまう。DRのエンジンをかけたままにしてカツラの巨木をあおぎ見て、写真をとり、足早に出発した。また400メートル林道をもどり、道道213号線にかえるが、このタイヤでも林道を走れるとたしかめられたことが収穫だった。
道道を先へいくと虹がでていた。虹を見たのは何年ぶりだろうか。そういえば16才になる息子は、いまだに虹を見たことがないと言っていたが、いま彼がここにいて虹を眼にしたらなんと言うだろうかと考えた(帰宅してから息子にたずねてみると、この夏に静岡に合宿に行った際に虹を見たとのことだった)。細かい雨がふりだすが、虹はカーブをまがった先に、また先にとあらわれる。虹を追って走っていくと雨はまたはげしくなり、土砂降りとなった。トンネルの出口で雨がやむのをまっているツーリング・ライダーがいる。オフロード・バイクに荷物を満載している彼は、カッパを持っていないようだ。その横をすりぬけて、DRを驟雨のなかにすすめた。
またトンネルをぬけると女性の誘導員がいて、道路脇の駐車場にバイクをとめるように言われた。羽衣の滝は? とたずねると、ここから歩いて800メートルです、と言う。800メートル? と大きな声をだすと、うなずいている。35くらいの女性ふたりだ。皆さん、ここから歩くんですよね? と念のためたしかめると、そうです、とのこと。ここから先はホテルの宿泊者しか車ではいれないのだ。どうしようかと迷ったが、せっかくなので800メートルの『長距離』を歩いて、羽衣の滝を見にいくことにした。
こんなときのために、ダッフルバッグの上にビニール傘がバンジー・コードでとめてある。それを手にして、傘を持ってきた甲斐があったよ、と呟いて歩きだす。カッパもブーツカバーもつけたままだから歩きづらいし、暑い。駐車場をでて坂道をのぼりだすと、誘導員のふたりがこちらを見ていたので会釈をすると、ふたりも頭をさげた。
のぼっていくとすぐに『涙壁』がある。雨がふると岩壁を水の滴がながれ、涙のように見えるからこの名があるそうだが、今まさに涙がこぼれているようだ。そして涙壁の上には煙雨がかかり、ここにも虹がでていた。
羽衣の滝
風景は美しいが急坂で息がきれる。アスファルトの道はやがて土の山道となり、登り坂とカッパを着ているせいで、汗だくだ。汗にまみれるのはきょう何度目だろうか。すすんでいくとこの雨のなかでも観光客がいるが、皆強い雨で足元ばかりを見ていて無言だ。水たまりやぬかるみの多い山道をいき、駐車場から15分も歩いただろうか、ようやく羽衣の滝が見えてきた。雨で増水しているようで迫力がある。白く泡だった水が岩肌を落下し、何段もの滝となっている。落差は大きい。TMによれば270メートルを7段にわたって落ちている、とある。しかしこの滝を羽衣の滝とよぶのは優美にすぎるようだ。じっさいの滝の姿は猛々しいので。減水すると滝はその名にふさわしく、たおやかになるのだろうか。いずれにしても大町佳月が命名したというこの名前は、その姿を正しくあらわしているかどうかは別にして、観光的には成功したのだろう。
この先をさらに600メートル、20分歩くと敷島の滝があるとのことだが、川の増水時は行けないとあるし、もう歩くのはご免なのでここから引き返した。しかしこんなことで山登りができるのだろうかと少々不安だ。山道から舗装路にもどると大量の雨水が急坂をながれている。そしてここは登山口にもなっていて、折りしも雨のなかを下山してきたハイカーの一団が森のなかからあらわれ、色とりどりのカッパやザックカバーの色彩が、雨模様のなかであざやかなのだった。
DRのもとにもどり、ふたりの女性誘導員に会釈して出発した。明日の登山のために旭岳ロープーウェイ駅を見にいくつもりだ。ロープーウェイ駅のちかくには旭岳青少年野営場があるので、水と明日の昼食にするおにぎりやパンなどが入手できれば、ここに泊まるのがいちばん便利だ。そうなればテントをたてたあとで勇駒別川で釣りをしてもよいし、風呂は旭岳温泉があるので、その湯船できょうの汗をながそうと考えた。
天人峡からくだっていくとすぐに雲は切れ、雨はあがって、晴れてしまった。どうやら雨雲は天人峡の上にだけかかっていたようだ。二股までもどり、朝につづいてふたたび旭岳にのぼっていく。コーナーをぬけて午前中にパンクしたところまでもどってきたが、ここからレッカー移動で旭川にくだったのは数時間前のことなのだ。また、ここからロープーウェイ駅まで10キロほどの距離があったが、林さんはここを往復してくれたのだと思い、あらためてありがたく感じた。
ロープーウェイ駅についたのは17時20分だった。さっそく運行時間を確認すると、6時から19時となっていて、ハイシーズンのいまは15分おきの運行だ。これで朝早くからロープーウェイに乗れることはわかったが、ここには食料がない。観光みやげのお菓子しかないので、下山することにしてキャンプ場ガイドを見ると、近くに『ひがしかぐら森林公園キャンプ場』があり、料金は200円とのことなのでここに泊まることにした。
山をくだっていくとまた雨がふりだした。ついさっき脱いだばかりのカッパをまたつけるが、どうもきょうは流れが悪いようだ。渋滞の日なのだ。こんなときには注意しないと事故にも会いかねないと、慎重に走行した。
雨は強まり、夕立のようなはげしい降雨のなかを『ひがしかぐら森林公園キャンプ場』にむかう。雨のしぶきで路上はむせかえり、視界がわるい。しかし美瑛や旭川などの下界は晴れているから、山の天気は不思議だ。ようやく『ひがしかぐら森林公園キャンプ場』につくと、ここはサイクル・モノレールなどの遊具のある児童公園のようなところで、利用者もファミリーが主体のようだ。それよりなにより200円だと思っていた料金は、ほかに持ち込みテント料の1000円がかかるので合計1200円とのこと。キャンプ料金にそんな金額をはらう気はないので、すかさず晴れている下界に転進することにした。もうすこし先まで走ることになるが、隣町の『西神楽キャンプ場』が無料なのもガイドブックで見ていたのである。200円なら近いほうでよかったのだが、1200円ならば先へいくという、まことに正しい金銭感覚である。
はげしい雨のふる『ひがしかぐら森林公園キャンプ場』から走りだして、東神楽町の中心部につくと、またしても雨はあがってしまった。めまぐるしい天気だ。セブンイレブンがあったので六甲のおいしい水を買うが、手に入れたいものは確実に、反射的にもとめるようになってきた。ついでにここでしっかりゴミを捨てさせてもらった。
セブンイレブンのむかいにはホクレン・ショップがあったので、夕食の材料を買っていくことにする。店内をみて、カツオのたたきの半額品とタコの刺身、それにネギを522円で購入する。ここで『西神楽キャンプ場』への道順をたずねると、丁寧に図をかいておしえてくれた。
18時36分にキャンプ場にむけて走りだすが、夕暮れをむかえて薄暗くなってきた。こうなると早くテントをたてて落ち着きたいものである。ホクレン・ショップで道を聞いたので迷うことなく、10分ほどでキャンプ場に到着した。ここは設備の最小限の公園キャンプ場という印象だが、無料のためか混んでいる。設営場所をさがすのに苦労するほどテントがならんでいたが、奥の駐車場のすぐ近くにテントをたてた。混雑しているのでとなりのテントとは2メートルほどの距離しかない。そこにはライダーらしき男性がはいっていたので、
「ここにテントをたてさせてください」と声をかける。すると、
「ええ、どうぞ、ご丁寧に」と返事がかえってきた。ひげ面だが腰のひくい方だ。同年くらいだろうか。テントの前には焼酎のペットボトルとガスコンロがおいてある。長期間滞在者のようだ。テントをたてながら、風呂はありますか? とたずねると、国道237号線を旭川方向に7キロほどいったところにあると、丁寧におしえてくれた。
荷物をテントにいれてまず風呂にいく。パンク修理や天人峡でかいた汗をながしたい。走っていくとひげ面氏のおしえてくれたとおり銭湯はみつかった。温泉ではないのは残念だが、390円の料金をはらい、105円のシャンプーを買って風呂に身をしずめた。時間がおそいので早々にあがったが、じつにサッパリとした。パンク修理で手も爪も真っ黒だったのがきれいになって気持ちもゆったりとしてくる。しかし脱衣所で体をふきながら鏡を見ると、眼が充血し、頬がこけていた。疲れは感じていなかったが、タイヤ・トラブルはかなり負担となったようだ。それでも遊びにきて、自分のミスが原因で失態をまねき、憔悴しているようではザマァないな、と苦笑してしまった。
銭湯のとなりにあったAコープで第3のビールを163円で買い、キャンプ場にもどる。テントに帰るとひげ面氏が、風呂はすぐにわかりましたか、とテントのなかから聞く。おかげさまですぐにわかりました、どうも、と答えた私だった。
今宵のツマミ
ひげ面氏とは話があいそうなのでいっしょに飲みたいところだが、一日のメモをつける習慣がまだのこっている。テントにもぐりこんでシュラフの上に腹ばいになり、ヘッドランプの光のなかできょうの出来事を書きとめていった。きょうは書くことがたくさんある。ホクレン・ショップで買ってきた刺身をツマミにしてビールをやり、それを飲み干してしまうと焼酎の水割りに切りかえて、文字を書きつらねていった。
焼酎を飲んでいる器はいちばん小さなコッヘルである。これまではステンレス製のカップを持参していたのだが、代用がきくと息子におしえてもらってそうした。息子に物をおそわったのははじめてかもしれない。酒を飲むのに器はえらばないので,これで荷物がひとつ減って助かった。
キャンプ場のとなりはホタルの観察公園になっていて、親子連れがやってきては、
「いたいた!、ホタル、ここにいた!」
という子供の声がきこえてくる。メモを書きおえたら私も見にいこうと思っていたが、忘れてしまった。
メモを書きあげたのは21時35分だった。となりのひげ面氏のテントに明かりはなく、眠ってしまったようだ。刺身だけでは物足らないので、ざるうどんを食べることにして炊事場へいく。ここには電灯がともり、テーブルと椅子、水道と炉が設置されていたので、ここでうどんを煮て食すことにする。湯をわかしてうどんをゆで、薬味のネギをきざむが、2組の家族もここで食事中だった。うどんはすぐにゆであがり、冷水でしめてざるに盛れば、手軽で簡単、しかも野趣あふるるキャンプ・メニューのできあがりだ。濃縮めんつゆをコッヘルにそそいで豪快にうどんをすすりこみ、焼酎をやれば、こんなものでも馬鹿に美味く感じられるから、野営の食事はよいものだ。今回はうどんとそばを持参しているので、その日の気分でどちらにするのか決めるつもりだった。
ひとり息子をつれた若い夫婦がとなりでBBQをやっているのに眼がいく。両親が子供に肉を食べろ、野菜もたべて、と世話をやいている。私も息子が小さいときにはずいぶんとファミリー・キャンプをしたものだ。その息子も高校生になって親離れしたから私もひとりで遊べるのだが、それが嬉しいような、さみしいような、妙な気分で、それをうどんと焼酎といっしょに飲みこんで、腹におさめておいた。
ざるうどんをたいらげ、食器をあらってテントにもどる。ラジオをつけて本格的に飲みだすが、横になっていると早い時間に眠ってしまったようだ。
290.4キロ+レッカー移動20キロ