9月3日 雨の礼文でお天気祭り

 

 雨の礼文島 金田ノ岬付近 カモメといっしょに雨に打たれる

 

 4時30分に眼を覚ました。あいかわらず強風が吹きつのっている。トイレにいくとまた眠ってしまい、何度か眼をあけたが、その度に風の音が大きいので荒天だと思って起きず、6時10分になって起床した。テントのなかにいると風の音がバサバサ、ザーザーと実際以上に大袈裟に聞こえるが、外にでてみると活動できないような風ではないのだった。

 朝食のラーメンをつくって食す。ラジオでは天気は悪くなると言っている。全道的に雨だが、北の方向の雲はうすい。早く北上して島へ逃げれば、雨降りからのがれられるかもしれないと考えて撤収する。7時40分に出発したが、とたんに雨がパラパラと落ちてきた。上空は薄曇りなのでカッパはつけず、ただ寒いのでセーターを着込んで出立した。

 幸い雨はすぐにやんでくれた。走りだすとすぐに浜鬼志別である。強風の海沿いをいくのは嫌だし、海も霞んでいて景色も楽しめそうにないので、宗谷岬経由のルートはやめて、道道138号線に左折し、内陸をとおって稚内にむかうことにした。宗谷岬に足をむけないというのがベテランらしいなと、我ながら思うのだった。

 

 内陸の原野をぬけて稚内へ

 

 浜鬼志別にはホクレンがあり、フラッグあります、の看板をだしていたら給油をしていこうと思っていたがまだ開店していなかった。ガスは値段しだいでGSを決めるつもりだが、フラッグがあるのならホクレンを使ってもよいと思っていた。この先の道道138号線はほとんど交通量のない快走路で、森林帯や丘陵帯の原野がつづいていく。起伏が多くて開拓できないし、開発しても利用価値のない土地なのだろう。この原野をつらぬいていく道道を時速80キロで走りつづけるがじつに爽快だ。ここですれちがったバイクは2台だけ。そして時速100キロほどで走行するグロリアにぬかれただけで沼川についた。

 沼川のホクレンもまだ営業していなかった。市街地では道路工事をしている人たちの横をぬけていくが、今日は月曜日なのだ。休暇中とはいえ、平日に遊んでいるとなんだか罪悪感をおぼえてしまうから、私も相当な働きバチだ。こんなことをしていてよいのかな、と感じてしまうが、もちろんいいのだよ!

 道道121号線にはいって北上していく。ここまで来ると木はなくなり、背の低い潅木だけが地表をおおう宗谷丘陵が展開する。原野には『入林は熊に注意』の看板がふたつもたっているが、原野にはいって何か生産的なことがあるのだろうか。雨はまたパラパラと降ってくるが空は薄曇りのままで、やがてやんでくれた。稚内空港をかすめて海岸線の国道238号線にでると、レッドバロンのツーリング・ステーションがある。ここは格安で宿泊ができるようだ。

 R238を稚内にむかうとセイコマがあったので、ゴミ箱が設置されているのを確認してバイクをとめた。まずゴミを捨てさせてもらい、その上でヘッドランプ用の予備電池、さつま白波、水2リットル、ネギを2452円で買ったのは8時39分だった。ここでセーターを脱いだが気温は21℃に上昇していた。

 島にわたる前にガスを満タンにすべくGSを物色していく。モダ石油があればよいのだがなく、ホクレンもなくて、安売りの看板をだしている出光にはいった。23.3K/L。139円で2071円。しかしわずかな距離でならぶGSの価格に10円以上の差がありおどろいてしまう。139円は最安値だったが、すぐ近くには145円、147円の看板をだしている店があるのだ。私は139円より2円高かったら利用しないから、それらのGSの商売が成り立っているのだろうかと不思議でならない。首都圏では考えられないが、ここでは値段の高安とは別の価値観があるのだろうか。

 フェリー・ターミナルにむかうが酒と水を買い、ガスも満タンにしたバイクは重い。サイドスタンドでたてた車体をおこすときに持ち重りがするほどに。これでは林道走行が苦しいから、軽くするようにしなければと思うのだった。

 稚内駅前をとおりすぎ、北防波堤ドームの奥にすすみ、9時すぎにターミナルに到着した。周辺に人はいず、ターミナルにはいってもだれもいない。これはどうしたことかと時刻表を見ると、次の便は10時50分となっていて、チケット販売は1時間前からとのこと。これにはまいってしまった。しかし2時間も時間を無駄にするほど人間ができていないので、稚内森林公園にあるキャンプ場を見にいくことにする。明後日の19時10分に稚内にもどってくる予定なのだが、その日は森林公園キャンプ場を利用するつもりだ。ここははじめて使うので、道がわからないし、どんなようすなのかも知らない。当日の夜に、地図を見ながら暗くて知らない夜道を行くよりも、あらかじめ訪ねておけば、精神的に余裕をもってキャンプ場にむかうことができると考えたのだ。

 ところで北防波堤ドームにはテントを張っている年配のライダーが3・4人いた。BMWやホンダGLのサイドカーが見えるが、ライダーたちは閑そうに喋ったり、バイクを拭いたりしている。トイレも近くにあるから、稚内に帰ってきた晩が雨ならば、ここでのゲリラ・キャンプが楽かもしれないと思うが、できればキャンプ場できちんと野営をしたい。いくら観光地とはいえ、路上でのゲリラ・キャンプはマナー違反だし、地元の人も嫌がっているだろうと推察されるからである。

 森林公園にいくためにターミナルから走りだして、北防波堤ドームの横にでると、ドームにテントを張っている年配のライダーが手をふっている。それにこたえると、先方は手をふっているのではなく、手招きをしているのだった。なんだ? 呼んでいるのか? と思ったが、閑人につきあっている時間は持ちあわせていないので無視する。稚内にもどってきた夜に雨だったなら、ドームにテントを張るのが楽だと考えたばかりだが、あんなオヤジがいてはご免だと思う。だいたい人の都合も考えずに一方的に手招きをする神経がわからない。自分はもうリタイヤしていて時間を持て余しているから、ツーリングもせずにダラダラとすごしているのだろうが、こちらの時は貴重なのである。こんな奴に限って話してみても、どこから来たの?、どこに行くの? と意味のない会話をするばかりで、最終的には自分のことばかり喋りそうな気がするではないか。 

 少々嫌な気分になって森林公園にむかう。標識がでていてわかりやすい。公園はターミナルからすぐ近くで、稚内の街の西の丘の上にあり、いろいろな施設があるのだが、まずキャンプ場を見にいく。丘をのぼって墓地の横にでると若いキツネがいる。こいつはシャイな個体で眼があうとすぐに逃げていった。

 キャンプ場は公園の奥まった一画にあり、夜にはじめて来たとしたらわからづらいところだった。駐車場から階段をのぼった先に林間の野営場がひろがっている。ここは無料なのだが階段をのぼらなければならないことがネックだ。私の場合は3・4回も荷物をはこばなければならない。それでも無料なので文句は言わずに利用させてもらうつもりだ。

 

 稚内森林公園から稚内の街と港を見おろす

 

 キャンプ場の確認はすんだので、丘の上にそびえる稚内のシンボル、開基百年記念塔のさらに奥にある、利礼の丘にいってみることにした。丘の最高部にのぼっていくとすぐにすばらしい景色がひろがった。稚内の街と港、そしてなにより海が大きく展開するのだ。坂の途中でバイクをとめてその眺望をカメラで切りとり、記念塔の前をとおって利礼の丘にむかう。ここからは利尻と礼文が一望できるとのことだが、途中から道が狭いジャリ道となったので、持ち重りのするバイクで進入するのはためらわれ、かと言って歩くのも嫌で、残念ながらいくのはやめてしまった。

 

 利礼の丘の入口から開基百年記念塔を見る

 

 周辺は起伏の大きな丘陵帯となっているが、木はなくて背の低い潅木があるだけの荒涼とした地だ。そこにドーム型のレーダーがたちならび、場所柄軍事用のレーダーだと思われるから物々しい風情である。そして視界には海が大きくひろがって、ここは最果てである。利礼の丘にかわりに開基百年記念塔にのぼってみることにした。塔の入場料は惜しいと思うのだが、このようなタワーにのぼって失敗したことがないのも事実なので、思い切って400円の入場料を投資することにした。

 記念塔の1階は博物館になっているが、まずエレベーターで360度の風景がのぞめる展望室にむかう。塔の上の展望室にはすぐについたが、絶景がひろがっていた。塔の下では見えなかった利尻島と礼文島がのぞめ、利尻富士の迫力もすごい。そして樺太も見える。しかし惜しいかな霞んでいて、遠景の輪郭がぼやけているのが残念だ。それにしてもこの塔は高い。ふだん10階のオフィスにいる私が足元をみると恐くなるほどに。写真もとってみたが、ガラス越しに撮影するのでどうしてもガラスがうつりこんでしまい、保存しておきたいと思える画像はえられなかった。

 ところでこのすばらしい眺望の展望室にいるのは私ひとりなのだった。1階にも見物人はひとりしかいなくて、すぐにでていったから、この巨大な施設は私ひとりの貸し切りになっていて愉快だ。その1階の博物館にいって展示品を見てまわる。この付近に生息する動物や鳥の剥製、間宮林蔵の樺太探検、昔のアイヌや和人の暮し、北前船などの資料が展示されていた。また私がはじめて北海道にきた1981年の稚内港の写真があり、自分の過去が博物館の展示品となっているのを眼にしたが、たしかにセピア色をしたあの頃の車や人々の服装は、こんな風だったなと感慨を深くしたりもする。もっと時間をかけて見学したかったが、フェリーの時間が気になって駆け足で見てまわり、開基百年記念塔をあとにしたが、ここはお金をはらって入場する価値のある施設だった。

 ターミナルではチケット販売がはじまっていた。礼文島の香深港までの大人2等2200円、バイク750cc未満3640円の合計5840円のチケットを購入する。ここの受付の女性は珍しいほどフレンドリーな、営業スマイルの素敵な女の子だった。気持ちよく乗船券を買ったのだが、チャーミングな彼女に、JAFの割り引きはきかないの?、とたずねて、ダメなんですぅ、とニッコリ微笑んで言われた私だった。

 チケットはバイクのハンドルかミラーにつけておいてくれとのことでそうするが、雨がパラパラと降ってきて、チケットが濡れてしまってはいけないと、ザックのフックに軽く結んでおく。乗船、出港まではまだ時間があるので、ターミナル前のみやげもの店にいってみた。カニとメロンを送る予定だが、カニは根室の花咲港からにする腹積もりだ。メロンをさがすと2・3個で6千円の品があるが、稚内からメロンを発送するのも場違いな感じがして、富良野や夕張にいくつもりもないのだが、それでもほかにいくらでもあるだろうと考えてここから送るのをやめてしまったが、この後メロンで苦労することになるのだった。

 150円のお茶を買って飲み、閑なのでこんなときのために持参した、死蔵していたテレホンカードをつかって職場に電話をした。私がいなくとも仲間がカバーしてくれていて、業務はつつがなく流れており、よろしく、と言って公衆電話を切った。乗船時間になったら放送がはいりますとのことだったが、放送はないのに車がフェリーに乗り込みだしていることに気づく。徒歩の人たちも乗船口に歩きだしていて、なんだかアバウトな運営だなと思いつつ、私もバイクで乗船口にいくことにした。

 いつの間にか強い風が吹きだしていた。ターミナルをでてバイクの元につき、ザックに結んでおいたチケットをとろうとすると、チケットがない! なぜ? ? ! 風だ! 風で飛んでしまったのだ!

 これはたいへんだ。もう一度買いなおしになるのか? それともさっきのフレンドリーな女の子が私のことを覚えていてくれて、再発行してくれるのか、と一瞬のうちに考えつつ風下を見るが、チケットは見あたらない。風下はフェリーの徒歩乗船口の方向だ。

 とりあえず風下に走りだしてみると、はるか彼方にチケットらしき紙片が風に翻弄されて飛ばされているのが見える。あれか? あれなのか? おお、あれだ! 脱兎のごとく急加速して全速力でかける。乗船口に歩く人々をぬきさって走ると、前方にいる船会社の職員がこちらを見ているので、チケットを指差すと彼も追ってくれた。しかし自分のことで必死な私のほうが速力にまさり、一時は海に落ちるのではないかと思われたチケットを、ダイビング・キャッチすることができた。ダイブしてチケットをおさえ、勢いあまって前転である。乗船口にいた人たちがそれを見て笑っている。ひとりだけいた外人がとくに陽気に喜んで、ナイス・タッチダウンという仕草をするので、私も右手をあげてこたえたが、まいった。しかしこんな失態をしても年の功で、ちっとも恥ずかしくなんかないのだった。

 息を切らしたままフェリーに乗船した。いっしょに船にのったバイクはCB750K、ボルティ、カブ、の3台である。ところで船内でバイクのハンドル・ロックをしたときにパーキングにしてしまい、ロックしなおしたのだかーーハンドル・ロックのとなりの位置がパーキングだーー大洗で船にのったときにパーキングにしてしまったことに気づいた。パーキングだとテールランプがつきっぱなしになるから、バッテリーがあがってしまうのだが、我がDRはキック始動なので、今まで気づかなかったのだ。どうりで苫小牧でエンジンをかけようとしたときに、ニュートラル・ランプがついたり消えたりし、タコメーターの針が動かなかったりしたはずである。あのときは調子が悪いではないかと思ったのだが、キック3発で始動して、ここまで何事もなく走ってきたのだから、我が年代物のDRはすこぶる調子がよかったことになるのだと、今更ながら思いいたったのだが、我ながらどうかしていると、冷や汗しとどであった。

 船内は空いていた。2等室はガラガラで、10畳ほどのスペースにふたりしかいない状態だ。その船室でメモ魔の私はペンを走らせ、朝からの記録をつけていく。フェリーは10時50分発で12時45分に礼文島につく。上陸したら昼食の時間だが、漁協のやっているという店でホッケのチャンチャン焼きを食べるのか、それともDR650オーナークラブのカモちんさん推薦の元地にある佐藤商店でウニ丼にするのか迷う。佐藤商店までいっていたらまた昼食が14時になってしまいそうだが、ウニ丼に惹かれる。どうするのかは香深についてから決めることにして船内を歩いてみた。

 フェリーは小さな船だった。大洗と苫小牧を往復している大型船とはくらべるべくもない。小さなだけでなく古くて設備も年季がはいっていた。天気予報が見たくてテレビのあるロビーにいくとNHK・BSしかうつらない。株価ニュースが延々とつづくのを見て天気予報がはじまるのを待つが、東証1部の株価が終わったと思うとつづいて2部の値段がながれだす。NHKなので全銘柄を細かく放送していて、信じられないくらい時間がかかるのだ。ようやく株価ニュースがおわって天気予報になったが、やはりよくない見通しをつたえていた。

 

 フェリーから利尻富士をのぞむ

 

 利尻富士が大きく見えだしたので甲板にでて写真を何枚もとった。利尻富士を間近にして、ついに来たな、と思う。ついに礼文と利尻に。昔から礼文と利尻は北海道でも特別な場所だった。宗谷岬や知床、積丹なども北海道にわたりさえすればその地を踏むことはできる。しかし離島にいくのはスケジュールもお金も、そして何より行きたいという気持ちが必要で、なまなかにたずねることのできる辺境ではないのだ。私やこの文章を読んでくれているあなたは、飛行機で稚内空港に飛んできて、礼文・利尻を駆け足でまわっていくツアー客にはなりえない人間だ。ツアーのように俗っぽい旅行は好まないし、観光地の上っ面だけを片手間にながめていくような旅はしたくない。バイクで、ついに来たな、と感じて目的の地に到達したいのだ。

 私たちはーーそう私とあなたはーー観光客ではなくて、放浪者なのだ。放浪する心を持っている者は旅の行き先にロマンを感じている。1年で唯一の長期休暇をバイクにのってキャンプをしてすごそうという変わり者である私たちは、北海道にこだわっているし、離島にわたることにも相当の思い入れがある。北海道のあの林道、その岬、このキャンプ場を断念して、その果てに行くと決めた地に、ついに来たな、と思うのだった。なまなかにたずねることのできない、特別な場所に。

 フェリーは利尻島をとおりすぎて礼文に近づいていく。香深港が見えてくると大きな旗をふっている若者が3人いる。「おかえりなさーい」と叫んでいるから、彼らは有名なユース・ホステル(略してYH)桃岩荘の出迎えの人なのだろうとすぐわかったが、となりにいた若者たちは、何あれ?、と笑っていた。

 フェリーが着岸すると、後部甲板にいたライダーは勝手にチェーンをはずして階段をおり、船倉に歩いていく。船員も何も言わないからそれでよいようなので私もつづいたが、やはり船の運営はアバウトだ。

 定刻の12時45分に礼文島に上陸した。フェリー・ターミナルの前にはみやげもの店がならんでいて、カモちんさんが推薦するコンブ焼酎を売っているという松岡商店もある。コンブ焼酎は後まわしにして昼食にいくことにし、るるぶにのっている『ちどり』という店と漁協が経営する店舗をさがすと、『ちどり』は休業で漁協のやっている『海鮮処かふか』は盛業である。佐藤商店のウニ丼にも惹かれるが、時間がおそくなってしいるし空腹なので、『かふか』にはいることにした。

 バイクをとめると雨がパラパラと落ちてきた。食事が終わったら、まず近くにある緑ヶ丘公園キャンプ場にいってテントを張り、いつ雨が降りだしてもよいようにしてから礼文島を観光しようと思う。『かふか』は2階である。階段をのぼりつつメニューを見るとウニ丼はない。となるとホッケのチャンチャン焼きだと思いつつ入店すると、お客さん何か炙りますか、と聞かれる。ホッケのチャンチャン焼きにしたいのだが、と答えると、炭焼きで料理をつくる炉端席に案内された。

 

 ホッケのチャンチャン焼きと活ウニ

 

 威勢のよい大将にホッケのチャンチャン焼き定食1000円と活ウニ500円を注文した。炉端コーナーはコの時型にテーブルが配置されていて、15人はすわれそうな大きなスペースだ。テーブルに炭がおこっていて焼き網がのせてあり、眼の前で魚介類をあぶって食べさせてくれる。このときは空いていて、私のほかには60すぎの男性が生ビールを飲んでいるのと、25くらいの女性がホッケのチャンチャン焼き定食を食べているだけだった。

 炭がすぐ前のあるから暑いのが難だが、窓の外には香深港と、その先には利尻富士が見える。さっとさばいたウニがすぐにでてきたが、ウニはまだ生きていてトゲを伸ばしたり縮めたりしていた。生きているウニを口にするのははじめてのことだったが、この紫ウニをスプーンですくって食べてみると、海の潮の味がする。水槽からだしてそのまま供するからだろう、ウニの風味や旨味は感じられなくて、海水の味しかしないが、こんなものなのかなと思った。

 焼き場の大将がひとり旅の女性に、生ビールを飲めば最高だよ、と言っている。女性は、これからフェリーで稚内にいくので、船酔いするといけないから飲まない、と可愛いことを口にしていた。海は鏡のように凪いでいたのだ。船は揺れることなく稚内につくだろう。それはここから海を見てもわかることで、大将も今日の潮では港をでてしばらく揺れるが、その先はほとんど揺れないよ、と言ったが女性はビールをたのまなかった。

 ホッケのチャンチャン焼きは尻尾の肉のすくない部分から焼けると大将に教えられて、ここから箸をつけてみた。ネギをまぜてある特製味噌といっしょにホッケを口にいれると、すばらしく美味しい。ホッケがこんなに美味しいとは思いもよらず、おどろいてしまった。私がふだん食べているホッケは干した開きで、これは生のホッケなのだ。生のホッケは鮭にもまさると思われるが、品格ではヒメマスのチャンチャン焼きのほうが上だと感じられる(ヒメマスのチャンチャン焼きは屈斜路湖畔の和琴半島湖畔キャンプ場で申し込めば湖心荘で食べられる。2005年の北海道ツーリングをどうぞ)。いずれにしてもこれをえらんでよかったと思える一品で、さすがに名物だった。

 ホッケが美味しくてご飯をおかわりした。そして大将はホッケは皮が美味しいんだと言って、女性と私のホッケの皮を食べやすいようにカットして焼いてくれる。女性は美味しいと言ってすべての皮をたいらげていたが、口にいれてみると焦げ臭くてにがい。私の口にはあわなくて残したのだが、そうは言わず、腹がいっぱいで、としておいた。

 ご飯のおかわりはサービスだった。しかしここはホッキやツブ、イカやホッケを炙ってもらって生ビールをやるのに最高の店だ。窓の外には利尻富士が見えるし、大将は気がよいしで。バイクだから酒が飲めないことがひたすら残念だった。

 海鮮処かふかをでてカモちんさん推薦のコンブ焼酎を買うかどうか迷った。稚内でさつま白波を求めたばかりだし、荷物がいっぱいでバイクが重いので。過積載のバイクにこれ以上荷を増やしたくないのだが、せっかく礼文まで来ているのだから見るだけ見ていこうかとターミナル前の松岡商店にむかう。そしてコンブ焼酎をみつけると、けっきょく1140円で買ってしまい、ザックに無理矢理つめこんだのだった(これは推薦品とは別物とのこと。推薦の品はもっと高級なものだそうだ)。

 サイド・スタンドでたてたバイクを引きおこすのにかなりの力がいる。こんなに重いのは嫌なんだよと思いつつ、香深港から走りだした。すぐに海岸線にでるが、黄金道路や昆布刈石の道道よりももっと海に近い、海岸のすぐ横をいく道だ。海の間近を走っていくと、またついに礼文に来たな、と感じられて旅情が高まるのだった。

 また雨がパラパラと落ちてくるが空は薄曇りである。キャンプ場にテントをたてて荷物をおろし、礼文林道にいこうと考えてすすむ。しかしすぐに2台のトラックに追いついて、この2台はやけに遅くて苛々させられる。島には『急ぐ』という概念がないのではないかと疑うが、狭い島の道で無理に追い越しをかけるのも大人気なく感じられて、トラックについていくと、道沿いにあるのは貧しい家並みである。古くて小さな家がほとんどで、人も老人ばかりで活気が感じられない。辺境の島だけあって生産性が低く、金がまわっていない印象だった。

 そんな観察をしつつ海の横ぎりぎりの道をいくとトラックは現場に到着して停止したが、すぐにつくはずだったキャンプ場はなくて、通り過ぎてしまったようだ。左に曲がるキャンプ場への道はなかったと思うのだが。こうなってはもどるのは嫌なので、雨は気になるが北にあるスコトン岬、澄海岬を見にいくことにした。

 久種湖があり、湖畔のキャンプ場にはテントやバンガロー、宿泊者の車やバイクが見える。こちらのキャンプ場のほうが設備がととのっていて人気があるようだが、朝7時までゲートが閉ざされてしまうので、ここを利用するつもりはなかった。せっかちで貧乏性の私は朝早くから礼文林道を走るかもしれないし、釣りをするかもしれない。何もしないかもしれないが、行動を制約されるのは嫌なのだ。

 久種湖での釣りも気になっていたのだが、岬を見るのが先だとすすむと、また海ぎりぎりをいく道となり、海はものすごくきれいなのだが、かたわらにある民家はやはり貧しくて、物悲しい気分になってしまう。なかにはすきま風がひどそうな、とても冬を越せそうもないあばら屋もある。若い人は少なくてとくに子供がいない島だ。車も軽トラばかりが走っていて、高級車は見あたらなかった。

 

 トド島展望台への道 離島の独特の風景

 

 トド島展望台の案内がでていたので狭い道にはいって丘にのぼっていった。丘は木のはえていない、潅木が地表をおおった丘陵帯で、のぼってきた道をふりかえれば、丘陵と海と荒々しい海岸線が見える。おおっ、と声をあげてしまう、北の離島の独特の風景だった。

 

 トド島展望台からトド島を見おろす 岬はスコトン岬

 

 トド島展望台につくと眼下にスコトン岬とトド島が見える。これもまたすばらしい奇勝で、ここまでやってきてほんとうによかったと思える景観だ。これまでにいろいろな絶景を眼にしてきたが、ほかでは見られない格別なものではなかろうか。それは木がない、潅木帯の丘陵の果てに、荒々しい海岸線と小島が浮かび、人工物がほとんどない、人の気配が希薄な土地のせいだと思われた。

 岬とトド島に興奮して写真を何枚もとった。そしてここにも私のほかには誰もいなくて、このすばらしい展望台とここから見える景色は私だけの貸し切りなのだ。こんなに愉快で贅沢なことがあるだろうか。風が強いから三脚が倒れそうになるなかで記念撮影をして、調子にのってトド島にむけて用を足していると、観光バスがやってきた! びっくりした! ちょうど済んだところだったのですばやくしまって知らぬふりをしたが、ばれていただろう。バイクに飛び乗って退散する私だった。

 すぐにスコトン岬についたが、ここが本日のピークだった。件の観光バスもつづいてやってきたのだが、年の功で面の皮の厚い私は、またしてもちっとも恥ずかしくないのである。そんなことよりも雨が落ちてきたので傘をさそうとすると、風が強くて使えないほどなので、男らしく帽子をかぶっただけでスコトン岬に歩くが、雨風に弱い観光客はすぐにバスに逃げ帰ったいったから、目撃者がいなくなってますます好都合であった。ところでここのみやげもの店にもコンブ焼酎が売られていたが、売価は1300円にあがっていた。

 

 スコトン岬からふりかえった風景 木のはえていない丘陵帯の島

 

 トド島をながめて駐車場にかえってくると雨がはげしくなった。もともと強かった風もさらに吹きつのる。フェリーでいっしょだったCB750Kがやってきたので会釈をかわすが、彼は雨が強まると岬も見ずにUターンして帰ってしまったが、宿にでももどったのだろう。

 風が吹き荒れるなかカッパを着込んだ。ザックにもザックカバーをかけるがブーツ・カバーはつけない。空の雲は薄いのでそのうち晴れるだろうと思ったのだが、澄海岬にむけて走っていっても雨はやまず、逆に強くなってくる。薄かった雲も厚みを増して、黒々とした嫌な色になっていった。

 

 澄海岬

 

 靴がだんだんと濡れてきて、靴下まで湿ってしまうのは避けたいなと思っていると、そうなる前に澄海岬につくことができた。ここも強い雨風だったが、傘をさせないほどではないので、ビニール傘を手に岬の階段をのぼり、展望台にいくと、ここも絶景だ。荒々しい磯と岬の山肌、そして澄きとおった海−ーまさに澄海だーーの組み合わせである。晴れていればさらにすばらしいだろうと思われたが、雨でもその場に釘付けにされてしまうほどの絶勝だった。日本中にうつくしい海岸線はあまたあれど、人をよせつけない、きびしい表情で心を打つものはすくないだろう。人の手がはいっていなくて、気候風土がはげしいために、磯と山肌がギザギザにとがり、木もはえていない潅木だけの寒冷地の姿が、私を魅了するのだろうと思う。なにしろ礼文には島の東にしか道はなくて、今見ている西海岸は手つかずの状態なのだ。それにしても礼文はどこにいても絶景のただなかにいる印象である。絶景の島だ。

 駐車場には大型観光バスが入れ替わり立ち代わりやってくるが、観光客は駐車場に隣接するみやげもの店か、岬の入口の階段下まではくるが、展望台にはのぼってこない。雨は強いが、ここまでやってきて澄海岬を見たくないのだろうかと思うが、観光バスでやってくる人はパック旅行の老人が多いから、礼文島に思い入れもないのかもしれない。もしくは私の父と母のように足が痛くて、歩きたくともできないのかもしれない。いずれにしても澄海岬の展望台もここからの絶景も私ひとりの貸し切りだった。

 駐車場のトイレで雨をよけつつブーツカバーを装着して、つぎは金田ノ岬にむかう。船泊の町をぬけていくと雨がはげしくなり、久種湖畔のキャンプ場のバンガローに泊まろうかと弱気になる。ガイドブックに4人用のバンガローが2000円だと書いてあったのを思い出したりする。しかし雨くらいで野営をあきらめたりしないぞと思いなおすが、強い雨で走っているのが辛いほどだった。

 金田ノ岬にはレストランがあるとガイドブックにでていたが、それらしいものはなかった。ガイドブックが古いから店はなくなってしまったのかもしれないし、9月にはいって客が減ったから休業しているのかもしれない。ガイドブックは前にも書いたとおり2004年版のるるぶだが、持ってくると荷物になるので、気になる情報はTMに書き込んできたのだが、これがまたいろいろなことの原因となるのだった。

 

 はげしい雨の金田ノ岬付近

 

 雨の海岸線をいくが、走っている車は1台もない。強い雨のなかのツーリング風景はホームページに掲載したときにインパクトがあるだろうと考えて、波の高い金田ノ岬付近で写真をとった。2度、3度とバイクをとめて撮影していくが、デジカメが濡れてしまう。少々濡れても大丈夫だろうと安易に考えたが、これまた後に禍根をのこすことになるのだった。

 金田ノ岬をまわりこんで道道40号線にもどってきた。このまま桃岩を見にいこうか、それとも雨でも楽しめる釣りをしようかと欲張って考える。強い雨降りのなかをバイクで走るのは苦痛だが、カッパを着て釣りをするのは苦にならないのだ。しかしまずテントを張ってしまうことにしてキャンプ場にむかった。

 緑ヶ丘公園キャンプ場への道は、工場の脇をはいっていく目立たない道路だった。ここを通ったときには前に遅いトラックがいたから、その2台のテールをにらみつけていて、この通りを見落としてしまったのだ。ここだったのかと思ってその道にはいり、一時停止をするとエンジンがストールした。嫌な感じのエンジン・ストップである。果たしてキックを踏んでもかからない。5回、10回、20回とキックするもエンジンは始動せず、30回をこえてキックを踏み抜いているとようやくかかったが、息が切れる。ほんとうに勘弁してほしい。

 海岸線からキャンプ場まではすぐで、管理棟で宿泊の手続きをする。料金は600円と高い。とくに設備らしいものもないこの野営場にしては高すぎる料金設定だが、管理人さんが親切な方で、シーズン・オフだからサイトにバイクを乗り入れてもいいし、どこでも好きなところにテントを張ってもらってけっこう、とのこと。上でも下でも、と。上と下がよくわからないが、融通はきかせてくれたようなので感謝して、バイクでテント・サイトにはいっていった。

 キャンプ場は芝生の林間サイトで、チャリダーのテントがひとつだけあり、中には人がいるようすである。テントの上にはドカシーがタープ代わりに張ってあり、自転車は雨に濡れているからここで停滞しているようだ。芝生のほかにデッキのテント床があり、これが『上』ということかと合点がいった。芝生の地面が『下』なのだ。これまで一般的に別料金が必要なデッキに設営したことはなかったし、芝生は雨で濡れそぼっていたので、デッキの『上』にテントをたてることにした。

 

 緑ヶ丘公園キャンプ場 デッキ床にテントを設営

 

 バイクを雨がよけられる木の下にとめて荷を解き、テントをたてていく。しかし降雨が強くてまたたく間にインナー・テントが濡れてしまう。なるべく急いでフライシートもかけたが、降ってきた雨とデッキの上にたまっていた雨水で、テントの床は濡れてしまった。さらにたっぷりと水分をふくんだ荷物を運び込んだので、テントの床はびしょびしょである。私自身もずぶ濡れのカッパを着ているので、このままテントに入るわけにはいかず、炊事場にいって雨具を脱いで干し、傘をさしてテントにもどった。濡れたテントの床に乾いたマットをひろげ、その上で着替える。テントのなかでマットの上だけが安住の地なのだが、悪条件のキャンプは慣れているから苦にならず、かわいた服を着て横になれば十二分に落ち着いた気分になった。

 

 テントのなかでマットの上だけが乾いている

 

 雨は強くふっている。外にでればまた濡れてしまうので、この上外出して何かをしようという気はなくなってしまった。ここにいたってようやく停滞を決意したが、もっと早くそうしろとの声あり。メモをつけることしかやることがなくて文字を書きだしたが、お腹はホッケのチャンチャン焼き定食のご飯おかわりでいっぱいだった。

 昔見た渓流釣りのテレビ番組で、雨で停滞を余儀なくされるシーンがあった。渓流釣りの世界では有名な瀬畑雄三という釣り師兼作家が、仲間と源流にむかったドキュメントなのだが、雨に降りこめられた、こんなときには『お天気祭り』と称して、朝から飲んでいた。上半身裸になった男がスルメをあぶり、手で裂いて、みんなで日本酒である。大型ブルーシートをタープ代わりに張り、その下の地面にもブルーシートを敷いた、上下2枚のブルーシートだけのテン場であった。そこに壮年の男が5人も6人も車座にすわって飲んでいたのだ。それを思い出して私もひとりで『お天気祭り』をはじめた。

 

 コンブ焼酎でお天気祭り

 

 買ったばかりのコンブ焼酎をとりだして、こだわりの柿ピーをツマミにしてメモをつづる。明後日には上士幌航空公園で野営仲間のmacさんとcarrotさんご夫妻にお会いするので、コンブ焼酎が美味しかったら持参しようと思ったのだが、それほどでもない(重ねて訂正。このコンブ焼酎はカモちんさん推薦の品ではない。カモちんさん推薦の品は平たいビンに入った、北緯43度にちなんだ、アルコール度数43度のコンブ焼酎で、ずっと高級な製品とのこと。美味しいのはそちらだそうです。)。さつま白波の前にコイツを成敗することにした。

 コンブ焼酎をゆったりとやりつつメモをつける。雨に降りこめられてテントのなかにいるのも悪くはない。びしょ濡れの荷物の横に寝転んで、文字を書きつつ昼間から酒を飲むのも、やってみるとオツなものだ。考えてみれば酒も文章を書くことも私の大好きなことなのだ。メモを書き終えてラジオをつけてみると、遠雷のざわめきがジジッとノイズとなってはいる。野営で雷ほど恐いものはないから近くにやってくるのは勘弁して欲しいと思う(月山ツーリングに野営で落雷のシーンがあります)。

 風が強くてフライ・シートがバサバサとあばれる。手早くテントをたてたのでテントの引き綱をひいていないのだ。フライ・シートが雨に濡れてインナーテントに張りついたりもするので、これは後でロープを張って解決しておいた。

 その後もお天気祭りをつづけ19時前には寝てしまった。したがって今夜の夕食はコンブ焼酎とこだわりの柿ピーだけである。20時前にmacさんに電話をいただいたが、気づかずに眠り込んでいた私だった。

                                                            137.5キロ