9月7日 台風接近! 雨の知床・根室をいく

 

 開陽台の軒先を借りる

 

 4時25分に起床した。展望台の軒先を借りてのキャンプなので、落ち着いて眠っていられず、12時、2時、3時と眼を覚まし、とにかく人の来ないうちに痕跡をのこさずに立ち去りたいと思うから、4時25分には白々と明けだしたので活動を開始した。

 雨は降っていなかった。かわりにmacさんのおっしゃっていたとおりに風が吹き荒れている。風は昨夜から強かったのだが、テントのペグが打てないので、フライシートがあばれてインナーテントをたたいた。そのインナーテントに背をつけて寝ていたので、フライシートが背を打ち、バサバサと音をたてるのを聞きながら眠っていた。

 早くここを出たいと思うから朝食はとらない。台風は小田原に上陸して現在は多摩付近にいるというから自宅が心配だ。とりあえずゲリラ・キャンプの記念の写真をとって撤収を開始した。昨夜の雨でまだ濡れている物は風にあてて乾かしつつバイクに運んでいく。また往復3回の荷運びとなり、霧のでている薄明の開陽台の風景を十分に堪能するが、階段の上り下りで息が切れる。それでも荷を持つのは下りなので、昨夜よりはだいぶ楽だった。

 ワーゲンはいつの間にかいなくなっていたが、かわりにPキャンのミニバンが3台来ていた。車の人たちはまだ眠っている。フロント・ガラス越しに寝ている人が見えるが、私も昨夜気づかぬうちにテントを観察されていたかもしれない。カッパも乾いたのでたたんでしまったが、荷物を積み終えると、それを待っていたかのように雨が降り出して、また雨具をつけることになった。

 パラパラと落ちてきた雨はザーッと音をたてはじめる。すぐに出発するつもりで急いでいたが、雨のなかを走りだすと余裕がなくなり、じっくりと考えられなくなってしまうから、支度を急激にスピード・ダウンして、雨の装備を入念のととのえ、地図も見てこれからの予定を時間をかけて検討した。

 荷物運びで汗をかき、その上でカッパを着たので暑い。背中がしっとりとしてしまう。今日は知床をまわり、根室半島にいってみやげのカニを発送し、その後は霧多布や釧路方向にすすむつもりだが、この雨では景色は楽しめそうにない。しかし台風が近づいていても、先のことは行ってみなければわからないから、貧乏性で欲張りな私はいつもおなじ結論をだす。雨だとしても予定変更はない、と。荒天で1日雨に降られるだけだと思っても、劇的に天候が回復したことは何度もあるし、たとえ天気がよくならなくとも、記憶にのこる出会いや情景、とびっきりのエピソードが待っているかもしれないのだ。停滞していても何も起きないが、すすめば局面は変わる。だから旅は精力的にいかねばもったいないと思うのだ。

 6時に開陽台を出発した。丘をくだって北19号線にむかい、まっすぐな道を北に走り、右に曲がってまた直線をすすみ、左にターンしてやはりまっすぐな道道975号線をいって国道244号線にでる。この間の20キロほどに交通量はまったくない。雨の早朝に走っているのは私だけで、たぶん周囲何キロにもわたって、私以外に道路を走行しているものはいなかっただろう。

 国道244号線の野付国道を斜里にむかっていく。走っていると背中の汗が冷えてきた。じつは国道244号線にはいったときに、知床にいくのはやめて反対方向の根室にむかおうかと迷ったのだ。雨の知床もどうかと思ったので。それでもいつもの結論をだして予定通りにいく私だった。

 川北の湯につづく笹の沢林道がある。雨でなければ寄っていきたいところだが、昨日走れなかった虹別林道ともどもつぎの機会にとっておくことにする。しかし開陽台でかいた汗が冷えて寒い。背中がスースーするが根北峠をのぼっていくと気温はさらに下がり、手がかじかむほどになってきた。朝食をとっていないことも寒さのこたえる理由だろう。考えてみると昨夜も刺身と柿ピーと焼酎だけで、まともに食べていない。腹を空かせてブルブルと震えながら走っていて、セーターを着たいと思うのだが、屋根のあるところがないのでしかたなくすすんでいく。それでも峠をこえて山を下っていくと気温は上昇していった。

 雨は根北峠の手前から弱くなった。バックミラーにうつる羅臼、根室方向の空は晴れているので、天候は回復してくれるかもしれないと思う。ただこれからむかう知床方向は厚い雲がひろがっているのが気がかりだった。朝食をとりたいが店はまったくない。店舗どころか車もほとんど走っていないのだ。斜里までいけば全国チェーンの24時間営業の牛丼店でもあって、食事にありつけるかと思っていたが、斜里の中心部を迂回するウトロへのショート・カット・ルートに入ってしまい、斜里の市街地にいくことなく知床にすすんでしまうと、食堂は1軒もないのだった。

 ウトロにむかっていくと本日はじめてライダーとすれちがった。雨のなかをツーリングするライダーはじつに少ない。皆さん停滞しているのだろうか。雨は弱まっていたが、知床の海岸線にでるとまた強くなり、激しく降りだした。ここが今回のツーリングでいちばん強い雨の区間だった。その降雨にたえて走るが知床は寒いし、しかもカッパが不良で膝と股のあたりから浸水して濡れてきてしまう。これはじつに嫌な感じであり、雨具と前途に不安をおぼえる。そして台風が接近している今日はどんな結末が待っているのだろうかと思う。昨夜はゲリラ・キャンプで心苦しかったが、野営自体は快適で、なかなか公言できないが、得難い経験ができたのだ。そして今夜はどうなるのだろうか。

 しかし走っていて正直辛い。強い雨に打たれていて寒いし、股の濡れている部分が少しずつ拡大しているようでもあり、空腹でもある。でも辛いからといってこんなに早い時間から今日のツーリングを投げ出すことはできないし、もとよりその気もないから先にいくほかない。せめてどこかに温泉でもあれば暖まっていこうと考えるのみだ。激しい雨降りのなか、寒々しく波立つ海を見てすすみ、7時10分にオシンコシンの滝についた。

 

 オシンコシンの滝にて

 

 オシンコシンの滝にはトイレがあった。ようやく屋根のあるところがみつかって、中にはいりシャツをもう1枚重ねて、さらにセーターも着込む。股や膝の濡れ具合もたしかめてみるがそれほどひどくはない。しかしこのカッパはもうダメだ。水がしみてくるようでは使えない。ここでは手と顔をあらってメモをつけ、十分に休憩して体勢をたてなおした。

 せっかくなのでオシンコシンの滝を見ていくことにする。傘をさして階段をのぼり、滝をながめて写真もとるが、ここも私の貸し切りである。大型観光バスが何台もとまり、観光客であふれる観光名所も9月の雨の早朝には誰もいないのだ。8月中であったなら、たとえ雨の朝でもいくばくかの人がいただろうが。ふと気がつくと足元にバイクのキイが落ちている。水たまりのなかにしずんでいて、知らぬうちに落としていたのだ。こんなこともはじめてのことで、雨のツーリングはこたえていたのだと思う。

 国道334号線の知床国道をいく。ウトロの町にはいるが開店している店はなくて、ここでも朝食をとれずに先へいく。ウトロの道の駅や海岸の駐車場にはPキャンの車がたくさんいて、旅行者か鮭釣りなのかわからないが、台風が接近しているのに車中泊しているのは、地元の人ではなくて観光客なのだろう。ウトロの道の駅にはバイクも3台とまっていたが、ライダーは建物のなかにいるようで姿は見えなかった。

 しかし腹が空いた。また痩せたようでGパンのウエストがブカブカになってしまった。開陽台からここまで食堂はほとんどなく、ウトロに数件あったが開店前で、コンビニも1軒もないのは、北海道の辺境らしくて、こんなに何もないところが好きなのだが、さすがにこのときはこたえた。ガスだけが十分に入っていたことが幸いだった。

 ウトロの町を一気に走りぬけて知床峠にむかう。カムイワッカの湯へは9月20日まで一般車は進入禁止とでている。以前は8月31日までだったので、シャトル・バスを利用しなければならない期間をのばして、金儲けをしようとしていると感じてしまった。

 岩尾別温泉の無料露天風呂にもいってみたいが、寄り道するのが億劫でーー雨の日はこうなりがちだーー通過する。熊笹のしげる丘陵帯のような景色のなかを知床峠にのぼっていく。海抜ゼロメートルから740メートルの頂上に駆け上がっていくと、急速に冷えてきて、さっきセーターを着込んだのに寒い。メスの鹿が1頭路肩で草を食べているが、眼があっても逃げようとはせず、また物憂げな表情で口をうごかしだした。7時50分に知床峠についたが、雨と霧で眺望はえられず、そして寒いのだった。

 

 雨と霧の知床峠 羅臼岳も霞んでいる

 

 バイクをとめて写真をとっていると、霧がながされて羅臼岳がうっすらと姿をあらわす。今だと思ってカメラをかまえるとまた霧がかかってしまう。霧がうすれるのを待って羅臼岳とDRの写真をとり、知床峠を後にする。峠にはライトバンが1台だけとまっていたが、観光客ではなく営業マン風の男性がひとり休憩をしているのみだった。

 羅臼にくだっていくと空は明るくなり、やがて雨はあがった。よかったと思いつついくと熊の湯があるが、ここには不快な思い出があるので2度と入りたくないから通過する。2001年にここのキャンプ場に泊まり、熊の湯にもはいったのだが、地元の半端者が湯をわざと熱くして観光客に悪意をぶつけていた。同じようなことをよく聞くので、嫌な思いをした人間は私以外にも多いのではなかろうか。どこにでも馬鹿者はいて羅臼が悪いわけではないが、チンピラの行為を長く放置していた町もどうかしていると思う。

 羅臼の町にはいって営業している店はないかとさがしていくが、やはりない。コンビニもないのだった。海岸線の335号線にでて左手に海を見ながらすすんでいく。羅臼では海産物を豪快に料理する店で食事がしたいと思っていたが、その食堂も開店前だった。

 根室にむかって海岸線をいくがまた雨が降りだした。スズキのGSX750Eとすれちがって、またDRよりも古いバイクなので嬉しくなるが、これはなんだかマイナスの思考だなと自分でおもう。コンビニはあったがけっきょく入らなかった。食べ物を買っても軒先でたったまま口にしなければならないから、それはあまりにもみじめに感じられるし、私の流儀に反するのだ。そんな無作法なことをするくらいなら空腹でいたほうがマシだった。

 標津あたりから雨が強まってきた。ザーッと一定の強さで降りつづけるが、カッパの水漏れは拡大していない。知床であったような激しい降雨でないと浸水はしないようだった。野付半島の入口をすぎると風が強くなった。左の海から突風が吹いてきて、対向車線に飛ばされそうになる。風に抗ってバイクを斜めにして走るが、危険なので70キロ以上だせない。力ずくでハンドルをおさえつけ、風にながされるのを防ぐが、ときに気をぬいていると風にあおられてセンターラインを越えてしまった。

 晴れていれば野付半島のトドワラも見ていきたいのだが、この荒天では行く気になれない。また強風と雨の情景の写真もとりたかったが、雨に濡らして買ったばかりのカメラを壊したくなかったのでやめておいた。傘をさして写真がとれればそうするが、傘はひろげた瞬間にこわれてしまうような突風だった。左手にある海は荒れに荒れ、波が暴力的にドカンドカンと岸にぶつかり、烈風の吹き荒れる野付国道だった。

 国道244号線は風蓮湖の手前で海岸線をはずれて内陸にむかう。すると風はとたんに弱まって走るのが楽になった。雨はあいかわらず強いが、強風との二重苦からは解放されて、すかさず速度を80キロにあげた。別海の新酪農村展望台が見えるがーー思ったよりも小さな展望台だーー雨なので立ち寄らない。ただ登ったつもりになって、NHK・BSで放送された北海道ツーリングのドキュメントで、ライダー役の清水國明がしたようにーーあなたはあの番組を見ただろうかーー、ヤッホー!、とヘルメットのなかで叫んでみた。すると細くて情けない声がでたので、これはいけないと大声をはりあげる。2度、3度と。しかし、喉が痛くなって咳がでたのでやめておいた。

 しかしDRは雨のなかをこれだけハードに走っても泰然としているのだから、信頼性はたいへんなものである。たまに機嫌をそこねるとキック50発でも始動しないということもおこるが、1990年型なのに長時間雨天走行をしても、エンジンの不調やリークのきざしもまったくなく、じつに頼もしい相棒だった。

 国道243号線にはいって南下をつづけていくと、雨のなかランニングをしている女性がいる。雨の国道を危ないなと思っていると、先にはふたり走っていた。3人とも同じデザインの帽子にウインド・ブレーカー、ランニング・ショーツなので、どこかのチームの合宿なのだとわかった。この先にも何人もの女性選手が走っていたが、皆すごい体つきとランニング・フォームで、いずれ名のある実業団の人たちなのだろうと思われた。しかしランナーは雨でもトレーニングを欠かさないのだなと驚いてしまった。

 

 別海で雨はあがった 広大な牧場の前にて

 

 根室地方雷注意報発表中ーー発令中ではなかったーーと電光掲示板にでているが、別海をぬけていくと雨はあがった。広大な牧場の横、まっすぐな道をバックにして写真をとる。かなり寒いが雨がやんでくれればこんなによいことはない。しかしメモをつけようとすると手がかじかんで文字が書けないから、相当冷え込んでいた。

 ガスがリザーブになったのでどこかで給油をしようと思うが、できれば根室までいって安いGSをさがしたい。しかしガスの残量がギリギリになるまでねばるのは精神的によくないので、適当なところで妥協しようとも思う。根室までの距離を考えるとガスはもちそうだったが、安全にいくことにして厚床の国道44号線との交差点にあったモービルで給油をした。23.1K/L。133円と安く2435円。あまりに寒いのですぐに走りだす気になれず、GSにはいって缶コーヒーを飲む。暖かいコーヒーが冷えた手と空っぽの胃にしみる。しみる。GSの前には木賃宿があって、ホンダCB400の若者が出発の準備をしていたが、どうやら雨がおさまるのを待っていたようだ。メモをつけてCB400のライダーよりも先に走りだしたのは10時すぎだった。

 国道44号線で根室にむかう。ここまで来たら花咲港で花咲ガニが食べたい。永久ライダーの北野さんのレポートを参考にして店も決めてある。花咲でようやく食事ができるぞと考えて東にすすんだ。

 

 春国岱 風連湖の果て 寂寥感がつよい

 

 国道は風連湖にでてそれに沿ってすすんでいく。やがて湖の果てにつくと、小さな入り江と砂丘があり、漁船もたくさん浮かんでいて、その情景が気に入ったので寄り道をした。湖と海のあいだに砂州がひろがっていて、春国岱と呼ばれているところだ。国道から折れていくと橋をわたって砂州にいけるが、観光客はひとりもいなくて、風が強く、天候のせいか湖と海の色がくすんでいて寂寥感がつよい。最果ての物悲しい風情がただよっていて、なんだか長居できないところだった。

 国道44号線から道道780号線にはいって花咲港にむかう。目的地は大八商店というカニ直売店である。花咲港についたが考えてみるとここも1983年以来だ。漁船がたくさん係留されているが、船は古いし人がいなくてさびれた印象だ。昔の記憶はのこっていないがもっと活気があったと思う。なにしろ漁港を歩いているのは、いかにも漁師という服装の年配の男性ひとりきりなのだ。人はいないし魚の臭いや気配もない。すすんでいくとカニ直売店がならんでいて、ようやく人がいるようになった。そこを、大八、大八、とさがしていくと、あった、みつけた。店のむかいの路肩にバイクをとめようとすると、店先にいたお父さんが手招きをする。路上ではなくて、店の横の駐車場にバイクをとめろと手でしめすが、朴訥な人柄がにじんでいる。お父さんの指示どおりにバイクを店の横に移動した。

 

 大八かに店 花咲港にある

 

 店頭にいくと接客のお母さんが、はい、味をみて、と花咲ガニの試食品をくれる。たべてみるとじつに美味しい。おいしい、と言うと、食べてく? と聞くのでうなずくと、どれがいい? と聞く。店頭には大小さまざまなカニがならんでいる。花咲ガニはキロ3千円とのこと。1キロのカニはかなり大きく、ひとりでは食べ切れそうにないので、700グラムのメスのカニにする。2100円のところをサービスで2000円にしてくれた。

 えらんだカニをだしてもらい店内のカウンターにすわった。カニの鉄砲汁とサンマがサービスとのこと。サンマは塩焼きか刺身のどちらかをえらべるとのことなので刺身にしてもらったが、接客のお母さんの包丁さばきが見事だ。料理人のような繊細なものではなく、実用第一の包丁の使いかたは豪快なもので、これが漁師町の包丁の使いかたかと、接客のお母さんの手元をじっと見てしまった。ズバッと大胆に切って、捨ててしまうところは大きくザックリと切り捨てるのである。たがらものすごく手早い。

 

 花咲ガニとサンマの刺身

 

 さっそくカニを食べてみる。まず足を根元からすべて折り、ハサミをつかってたいらげていく。じつに美味しい。つぎに甲羅をはずしてメイン・ディッシュの味噌をあじわい、外子も完食した。のこった胴体は半分に折って片方ずつやっつけていく。私はカニはズワイがいちばんだと思っている。上品で繊細なところ、しっとりとした食感が好みなのだが、濃厚な花咲も気に入った。

 カニは美味しいが食べるのに時間がかかる。完食するのに40分くらいかかったのではなかろうか。店のテレビでは古い大岡越前、たぶん30年位前のものがながれていた。天気予報にもなって、それによると台風は現在仙台の南にあり、明日の朝9時に苫小牧に上陸する予想となっている。明日の夕方のフェリーに乗る予定なので、これならばフェリーが欠航することはないから、心配の種がひとつ減った。あとはこれから明朝にかけてどのくらいの雨風に降られるかである。

 ところで大八商店は75才以上と思われる人たちで運営されていて、話を聞くともなしに聞いていると微笑ましいが、ここにカニの発送をたのんで大丈夫かなと、いささか不安にもなるのだった。お父さんの奥さんは体調が悪いようで、接客のお母さんとマネージャー役のお母さんが手伝いに来ていたが、マネージャー役のお母さんがお父さんの軽トラのキイに大きな札をつけていて、そこにお父さんの軽トラの鍵、と大きく書き、これで何の鍵かわからなくなることはないでしょう、と言っている。そして、「札幌の○○さん、青森の□□さんにカニを1万円送る、仕事関係の人。それと△△の☆☆さんにサンマを送る」と忘れないようにするために、呪文のように何度も何回も繰り返し言っているのだ。

 カニを食べ終えると、接客のお母さんが店の外のホースから水をだして手をあらわせてくれた。おしぼりもどんどん使ってと言ってくれる。カニは美味しかったしとても親身なので、ここからカニを送ることにした。カニを送りたいと言うと、手伝いのお母さんたちがすごく喜んでくれる。そして、どれを送る? 何件送る? と聞く。そこで花咲ガニを3バイ3キロ9千円と、1パイ1500円の毛ガニを2ハイで3千円を送ってもらうことにした。それを聞くとお母さんたちはまた喜んでくれて、とくに接客のお母さんは、カニを3キロ9千円、3キロ9千円、と何度も言う。あまり何回も言うので、となりの店の若い男もでてきて、いっしょに3キロ9千円、と言いだすのは景気づけなのか、それとも悪乗りか。いずれにしてもそんなに喜んでくれると、私も送った甲斐があろうというものだった。

 不安だった発送作業も、私に何度も確認しながらその場で仕上げてしまう。こっちが3バイ、こちらは2ハイ、と指差し確認しつつ梱包し、宛名の張りつけも私にこっちがこれと示させて、そのまま張るので安心した。お母さんたちは自分たちのことがよくわかっているから、まちがえないようにこう処理する習慣になっているのだろう。カニが9千円と3千円、それと箱代と送料で15500円である。花咲ガニはじっさいには3キロを超えていたし、箱代もおまけをしてくれたようだ。そしてお金を払おうとすると、ここで食べたカニ代2千円を忘れているので、それを申告して17500円を支払った。

 お母さんたちの飾り気のない喜びようが新鮮である。ここでカニを買ってよかったと思いつつ、お父さんに車石への道順をおしえてもらい、マネージャー役のお母さんに見送られて、12時に店をでた。カニはもう十分というほど食べたが、お腹はいっぱいになったような、ならないような微妙な具合だ。やはりカニは腹にはたまらないようなので、あとで根室のエスカロップでもためしてみようかと思ったりした。

 車石は大八商店のすぐ近くだった。大八商店の裏の丘の先にある。駐車場にバイクをとめるとここにも車上狙い発生の看板があり、どこもかしこもこの犯罪の注意が眼について、気分が悪くなる。沖に浮かぶ島をながめつつ車石に歩くが、この歩行時間を有効につかうために職場に電話をして、仕事が無事にまわっているのか聞いてみた。業務はなんの問題もなくすすんでいたが、今朝台風が通過した首都圏は鉄道が大混雑しているようで、電話にでた同僚は通勤にいつもの3倍、3時間もかかったとぼやいていた。北海道はどうなの? と聞かれて、朝から雨だったが今はやんでいる、根室にいる、寒い、と答えると、日本は広いね、ということばがかえってきた。根室は寒いが都内は台風一過で暑いそうだ。

 駐車場から磯におりて車石の前にいく。もっと大きい岩という記憶があったのだが、24年ぶりの車石は小さく見えた。自動シャッターで記念撮影をするが、たわむれに24年前と同じポーズをとってみる。かえってから画像を見てみると、オレンジのカッパを着た中年男が万歳をしている姿は、気恥ずかしいものだった。

 

 車石の沖にあるユルリ島 野生馬が住む

 

 車石よりも沖の島のほうが気になるが、TMによると無人島で、野生の馬がいるが上陸はできないとのこと。荒れた海の色が最果てを感じさせるが不思議に惹きつけられる島だ。馬はどういう経緯で住みついたのだろうか。−−帰ってから新聞に野性馬の研究者の文章が載り、この島も触れられていた。それによるとこの島の馬は付近の漁師たちの共有財産で、必要なときに漁労や農業の使役馬として利用されるそうだ。近親繁殖の害を避けるための最低限の管理もされているそうである。

 ここも貸し切りだった車石から駐車場にもどると、地元ナンバーの車が1台とまっている。乗っているのは55くらいの男だ。地元の人間が天気の悪い日に海や車石を見にくるとは思えないから、こいつが車上狙いかと疑って、眼をするどくとがらせて車のナンバーを暗記し、男の顔を見ると、男は車をまわして走り去った。なんだか嫌な後味ののこる出会いだったので、彼奴は車上狙いにちがいないと感じたのだった。

 別海から雨はあがっていたが空も明るくなってきた。これだから雨でもすすんでみなければわからないと思うのだ。雨はやんだが、またいつ降りだすともかぎらないからカッパは着たままで、根室半島の南の道道をつかって納沙布岬にむかう。この海岸線は牧場があるくらいで、ほかには何もない、丘のような原野がつづいていく。荒涼としているが、旅行者の私としてはこういう何もないところが好みなので、寂寥感を呼吸しながら走っていった。

 納沙布岬に近づくと、島はうばわれた、かえせ北方領土、の看板がでている。私がふだんは忘れていることがここでは日常なのだ。そして歯舞という集落があり、歯舞は北方領土の名前だとばかり思っていたので、その名がここにあることに北方領土の近さを感じたのだった。

 納沙布岬は風がつよかった。国旗が2枚風にたなびいている。うばわれた島はこの先にあるはずだが見えない。かえせ、ではなく、そのうち2倍も3倍も島をとってやるからな、と沖にむかって思う。歴史はくりかえすのだ。日本がロシアから領土をうばう日もまためぐってくるだろう。

 根室半島の北側の道道をつかって根室にもどっていく。風が強いので70キロで走行する。この道沿いも原野がつづき何もない。あるのは牧場と原生花園で、牧場にいる牛や馬の眼をみつめて走る道だ。規模は小さいが何もないところはオロロンラインと似ていた。

 原野から根室の街にはいっていくと、17℃、15.7℃、16℃と気温が表示されている。これでも午前中よりはあたたかいから、手のかじかんだ別海や雨の知床は何度だったのだろうか。ところで根室ではたずねてみたいところがあった。それは1983年のツーリングの際に盗難にあった現場である。1983年のレポートにも書いてあるのだが、根室支庁の前にあった、小屋のバス停で野宿をしていて、バイクに積んだままにしておいたテントと三脚をうばわれたのだ。深夜、物音に気づいて犯人を追いかけたのだが逃げられてしまった。そこを再訪してみたいと思っていた。

 根室警察や根室駅、市役所の前でバイクをとめてみたが、根室支庁は見あたらない。小さな街なので周辺を走りまわればすぐにみつかると思ったが、そこまでして寄っていくこともあるまいと、代わりに根室の街をながめて先にいくことにした。しかし根室もさびれたような気がするが、なにしろ24年ぶりで記憶がさだかではない。しかし帰りのフェリーで読んだ北海道新聞では、支庁の統廃合が検討されていて、根室は廃止されて網走に統合される方向だそうだ。

 国道44号線で霧多布にむかう。春国岱の手前に野付風連湖道立自然公園があり、トイレがあったので休憩をした。寒いのでトイレが近くなっているのだ。ついでに家内に電話をして台風の現在位置をたずねると、朝自宅付近を通過していくまでは注意していたが、いってしまえば関心をうしなったらしい。私が北海道にいるというのに。調べてもらうことにして電話を切ると、キャラバンのキャンピングカーがやってきて、62・3の方が会釈をしてトイレにいかれた。東海ナンバーのキャラバンは標準ルーフのシンプルなキャンピングカーで、『くるま旅』のステッカーがはってあり、男性は頭にバンダナを巻き、ウエストポーチをつけ、靴はバイク用のショート・ブーツのようだ。相性がよさそうなのは一目でわかったので、トイレから出て来たところを話しかけて、台風のことを聞いてみた。すると台風はまだ仙台あたりにいるようで、進路は苫小牧方向とのこと。バンダナ氏はバイクも好きで、昔は二輪でよく旅をしたそうだ。しかし年なのでバイクの旅行はやめたとのこと。車は楽だよ、どこでも寝られるし、とPキャンの旅であることを話す。私もミニバンを所有していて、数年前はPキャンで北海道をまわったと言うとさらに話がはずんだ。

 バンダナ氏はほんとうはもっと早く帰る予定だったそうだが、台風の接近で本州にわたるのを3日間おくらせているとのこと。本州にわたって自宅にむかうにしても、フェリーで青森にいって、高速はつかわずに一般道をのんびりといくそうだから、高速代は高いからなるべく利用しない主義の私はますますシンパシィを感じた。

 標準ルーフのキャラバンはひとり、ふたりの旅にはちょうどよい大きさとのこと。私もそう思う。4人になるとキャブオーバーの大型キャンピングカーがいるけど、とキャラバン氏が言うので、でもそれだと加速が悪くなってしまうんでしょう? と聞くと、そうなんだよ、だからこのくらいのサイズがベストなんだ、と笑うバンダナ氏だった。

 仕事を引退してお金と時間に余裕があるようで、うらやましい境遇だ。私も将来そうしたいところだが、貧乏性の私としては、もっと安い商用のキャラバンに自分でカーテンやベットを作りつけて、200ccくらいのオフロード・バイクをつんで旅をしたいが、バンにバイクをのせられるほど体力のあるうちに引退できるのかどうかはまったくの視界不良で、もしかしたらそんなことは言っていられずに、ずっと働きつづけなければならないかもしれない。

 バンダナ氏は釧路方向に出発した。あとから私もおなじ方角に走りだす。国道44号線をいくが国道は味気ないので、道道953号線にはいって道道142号線とつなぎ海岸線にむかう。やがて北太平洋シーサイドラインと呼ばれる海沿いの道となるが、ここの景色はすばらしい。海岸線は崖となっているので道路は高い位置を走っているから、海や海岸線を遠くまで見おろすことができる。左手にある海は大荒れに荒れていて、猛々しい白波が岸におしよせてきている。海岸線は男性的でダイナミックな断崖が多く、起伏に富んでいて、オー! と思わず声をだしてしまうほどのメリハリのきいた景観だった。 

 

 北太平洋シーサイドライン

 

 北太平洋シーサイドラインとなぎさドライブウェーという名の道道142号線をとおって霧多布岬にいく。岬につくと風は強いが名物の霧はなくて、岬や周辺の海岸線を一望することができた。駐車場にバイクをとめて岬の先端に歩くがここも絶景だ。荒れた海と人をよせつけないきびしい海岸線があるだけだが、それがなにより好ましい。また寂寥感をすいこんで、バイクのもとにもどっていくとバンダナ氏がキャンピングカーでやってきた。氏は国道を来たようだからそのぶん遅かったようだ。私を見て、
「速いね!」と言っている。

 台風は勢力をおとしているそうで、熱帯低気圧となり、現在975ヘクトパスカルだが、私は知らなかったが、1000ヘクトパスカルになると低気圧ではなくなるそうで、そうなるのも時間の問題でしょう、とのこと。しかしこれから雨が降るのも確実だね、とも。バンダナ氏は、今日はどこまでいくの? と聞いてくるが、それは私にもわからないことで、行けるところまでいって夕方になったら決めるつもりなんです、と答えると、それは氏もおなじなのだった。

 

 霧多布岬より西方向をのぞむ

 

 バンダナ氏は霧多布岬を一瞥して去っていった。岬のすぐ近くにはきりたっぷ岬キャンプ場があり、ここはmacさんとcarrotさんご夫妻が泊まり、無料なのに親切だと教えてくださったところで、今の時間が夕刻ならば迷わずここに宿泊するのだが、まだ先にすすむ時間はあるし、明日苫小牧からフェリーに乗るので、少しでもそこへ近づいておきたい。いろいろと考えたが、昨年利用した晩成温泉キャンプ場のむかいに格安で宿泊できる施設があったことを思い出して、NTTの104番で電話番号をしらべて問い合わせてみた。しかし今夜はすでに満室とのこと。TMにも紹介されているからライダーが集まっているようだ。あてがはずれてしばし脱力する。しかし今日もなるようになるだろう。夕方になれば自然と泊まる場所はさだまるものなのだ。

 ポツポツと雨の降りだした霧多布から走りだして、海岸線の道道123号線を釧路方向にすすむ。雲は薄いので台風はこちらには来ないように思われる。そしてまた今夜はどこに泊まろうかと考えた。台風の進路と勢力にかかわらず、これから明朝にかけて風雨は強まるのだろう。釧路のビジネスホテルにでも投宿して、夜は居酒屋にでもいき、海産物を肴に美味しい酒でも飲もうかと思うが、それでは金がかかるし野営派の私らしくない。ワイルドなキャンプ派でありながら、お金に細かい私としては、利用したとしてもバンガローまでだと思うが、それにしても今夜の結末はどうなるのかとまた考える。昨夜の無人の開陽台から雨の知床、強風の野付とやってきて、これから台風の夜をむかえるのだ。今夜はどんな場所でどういう酒を飲むのか。心配や不安はない。これまでに数えきれないほどこうしたことを繰り返してきていて、いつもどうにかなってきたのだから。出たとこ勝負が醍醐味の放浪の旅なのだから。

 

 琵琶瀬展望台

 

 海岸線をすすむと琵琶瀬展望台についた。湿原をのぞめるとのことなので、傘をさしてのぼってみると、眼下に雄大な川と原野、湿原が見えるが、惜しいかな人家らしき建築物がわずかにあって、趣をそいでしまっている。それでも写真をとろうとすると強風にあおられて傘がおちょこになってしまい、一気に壊れてしまった。これから台風がやってくるというのに傘がないのは不便だが、どうしようもなくて捨てていく。厚岸にむかっていくが16時にはどこに泊まるのか決めようと思う。17時には暮れてきそうな天候だし、バンガローに宿泊するとしたら、キャンプ場の管理人のいる17時までには着かねばならないだろうと考えたからである。

 道道123号線をすすんでいく。道は海岸線をはずれて林のなかをいくようになる。厚岸の町の手前で『筑紫恋キャンプ場』の看板がでていて行ってみよううかと考えたが、すぐ先にある道の駅『厚岸グルメパーク』でキャンプ場ガイドを見て、今夜のことを決めることにした。

 厚岸大橋をわたって厚岸の町にはいり、丘の上にある道の駅にバイクをとめた。ポツポツと雨が落ちてくるので、建物のなかでキャンプ場ガイドを見ようと考えたが、ここにはレストランとトイレしかない。しかたなく雨の降っているバイクの横でガイドブックをひろげ、周辺のキャンプ場を検索してみると、ついさっき看板のあった筑紫恋キャンプ場がいちばん近い。しかもバンガローが1泊2100円と書いてある。この格安バンガローに惹かれてキャンプ場に電話をしてみると、バンガローはあいているとのこと。そこで今夜の宿はここに決めた。

 まだ16時すぎなので時間がもったいないと感じたが、これも縁なのだろうと思って食材をポスフールに買いにいく。50%引きとなっているちゃんこ鍋とおなじく半額のハマチの刺身、そしてのどごし生500mlを569円で買ったのは16時17分だった。キャンプ場はすぐそこにあるはずなので看板をさがしていくと、なんと10キロも行きすぎてしまう。これはいくらなんでもおかしいと気づいてUターンしたが、霧多布方向から来ると看板はあるが、厚岸からだとないのだ。キャンプ場は厚岸大橋のすぐ近くだから、厚岸の町のすぐそばだった。

 筑紫恋キャンプ場は丘のふもとにあり、敷地を木の塀がぐるりと取り巻いていて、野営場らしくない外観だ。塀のあるキャンプ場ははじめてなので、野営場ではなくて別の公共施設なのかと思ったが、案内がでていたので塀のなかにはいっていくと管理事務所がある。キャンプ場は閑散としていた。車が1台とバイクが2台とまっていて、ライダーは炊事場の屋根の下にテントをたてている。キャンプなら210円なので私もおなじことをしようかと思ったが、彼らは20代の若者のようで、私はよい年をしているから、ぐっと我慢して10倍の料金のバンガローの手続きをとった。

 管理人さんにバンガローに案内してもらう。キャンプ場は空いていて、テントを張っているふたりのライダーのほかに、車のひとり旅の男性がバンガローにはいっているだけだ。コイン・シャワーが使えることを確認して、あとで利用する旨をつたえて荷を解いた。

 バンガローはロッジ風の新しい建物だが照明もない。明かりのつかないバンガローもはじめてだが、日の暮れないうちに荷物を運び込んで、いつものテント内とおなじ配置にならべ、シュラフとマットもひろげてしまう。ライダーふたりがテントをたてている炊事場に水をくみにいくと、芝生の上にフンがたくさんある。鹿か羊のもののように見えるから鹿のものだろうと思った。

 昨日も風呂にはいっていないのでコイン・シャワーをあびにいく。ストーブをたいている管理事務所にいって、コミュニティー・ハウスにあるシャワー室に案内してもらう。料金は310円である。十分に体をあらってサッパリし、バンガローにもどって食事をはじめた。まだ日は落ちていないのでバンガローのドアを開けはなってラジオをつけ、ちゃんこ鍋を火にかけてひとり鍋をつつき、ハマチの刺身で焼酎の杯をかたむける。杯はもちろん男らしくコッヘルだ。携帯をとりだしてみると家内と息子からメールがきている。息子は家内に言われたのだろう、北海道の天気予報をコピーして転送してくれていた。私はこんなことはできないから息子のメールに感心し、ふたりにお礼が言いたいがここは圏外なのだった。

 

 筑紫恋キャンプ場での夕食

 

 場内にあるフンはやはり鹿のものなのだそうだ。多いときには20頭もの鹿が山からおりてきて、キャンプ場内の草をたべるとのこと。だから塀があるのだろうかと考えるが、入口があいたままになっているから鹿の出入りは自由なので、別の意味があるようだ。しかしここまでたくさんのフンがあるとキャンプは無理ではなかろうか。フンだらけで少し歩くのも気をつかってしまうから、テントをたてる場所をさがすのもたいへんで、管理人さんもお手上げのようだ。

 19時から19時57分までメモをつける。料理はたべてしまったが、まだ小腹が空いているのでスパゲティー・アンチョビソースをつくった。徐々に風雨は強まってくるが、せっかくバンガローにいるのだから、もっともっと荒れてくれよと不謹慎にも考えてしまう。そうでないと損をしたような気がするので。風のうなる音を聞いているうちに眠ってしまった。

                                                            459.8キロ