9月6日 雨の開陽台へ

 

 carrotさんが作ってくださった朝食 松茸ご飯とキノコ汁

 

 5時30分に眼がさめた。雨がパラパラと降っている。喉が渇いたのでスクリーン・テントに置いておいたミネラル・ウォーターをとりにいき、がぶ飲みしてまたウツラウツラとしていると、macさんとcarrotさんの話し声が聞こえてくる。おふたりもテントのなかにいるのだろうと油断していると、6時20分にキャンプ場料金徴収の老人がやってきて、テント越しに、おはようございます、と声をかけてきて代金を請求された。朝早すぎて非常識だが、こうしないと利用料を払わずにいってしまうキャンパーがいるのだろうと、好意的に考えてやった。しかし中には怒り出す人間もいるだろう。使用料500円を支払ってテントをでてみると、おふたりはもう起きられていて、朝食の用意をしてくださっていた。

 料金をとりにきた老人に今日の天気を聞くと、雨とは言っていないのだが、とのこと。台風の影響で天候は不安定になっているようだ。スクリーン・テントにいくと朝食はできあがっていた。昨夜のキノコ汁と松茸ご飯である。キノコ汁は一晩おいたので熟成され、味がふかくまろやかになっていてとても美味しかった。松茸ご飯は今朝炊いてくださったものである。美味しいものをいただいて恐縮するやら、感謝にたえないやらの気持ちだった。

 カメラはまた不動になってしまった。昨夜からいよいよ言うことを聞かなくなっていたが、誤魔化しながら使えばなんとかなると考えていた私も、ついに買い換えを決意する。とりあえず携帯のカメラで記録しておきたい情景は撮影しておいた。

 

 バイクのオイルを補給する

 

 食事を終えると雨があがったので撤収を開始する。おふたりは息のあった作業にはいったが、私はまずバイクにオイルを補給した。昨年のツーリングではオイルが減り、ホクレンで買って補充したので、今回はいつも使っているワコーズのオイルを持参したのだ。オイル量を点検してみると、まだLOWレベルまで減っていなかったが、用意のオイルを0.5リットル給油する。このキャンプ場は500円の料金がかかるがゴミを捨てられるので、日程と走行距離を考えて、あらかじめここでオイルを補充し、オイル缶を捨てようと思っていた。オイル缶は簡単に捨てられるものではないのでそう考えたのだが、こんなものまで持っているから荷が重くなるのだ。

 オイルを入れているとエゾリスが姿をあらわした。エゾリスは林から芝生にでてくるが、警戒心が強くすぐに身を隠してしまう。テントの撤収にかかるがおふたりはテントのほかにスクリーン・テントや大量の食器に調理器具、調味料などの装備がある。これはお手伝いしないとと思い、スクリーン・テントの撤収を補助するが、ものすごいスピードで荷物がまとめられていく。さすがに歴戦のキャンパー、筋金入りのアウトドアご夫婦である。たがいにこなす役割が決まっていて、息もぴったりで、みるみるうちに撤収がされていく。Pキャンやキャンピングカーで旅する夫婦は多いが、キャンパーの夫婦は少ないと思う。そのなかでも年間のテント泊数や夏だけでなく真冬にも野営すること、これまでの幾多の経験は群をぬいていているから、おふたりは日本でも有数のキャンパー夫婦だと思う。私はこれほどのアウトドア夫婦をおふたりのほかには知らない。

 私の撤収はおふたりに遅れてしまい、carrotさんにテントをたたむのを手伝っていただいた。荷物をまとめていくが、私はすべての物をビニール袋に入れ、それらをまとめてさらに大きなビニール袋につめ、二重防水にしているが、ライダーの人はこうするのね、とcarrotさんに珍しがられた。バイクだといつ雨に降られてもいいように、常に万全の雨対策をしていないといけませんから、と答えた私だった。

 エゾリスがまた林からでてきてそれをcarrotさんが見つけた。そして、私たち夫婦は、年をとってもこんなことをしているのかしら、と言う。それはきっとそうですよ、年をとってもおふたりで、ずっとキャンプをしていると思いますよ、ときっぱり答えた私だった。そして、私も年をとったら、ミニバンに200ccくらいの軽いオフロード・バイクを積んで放浪しているはずですから、とつづけた。そんな旅のスタイルで、好きなだけ日数をかけた放浪をいつかしてみたい。

 1週間はすぐね、とcarrotさんが言う。何年か前に、2週間の休暇がとれたとき、北海道をおなじようにまわったけど、あのときの旅は長かった、とつづける。朝起きて、今日はどこにいこうかしらと話をして、そこへでかけて…‥、こんな旅がいつまでつづくのかと思った、と。旅が長くなると、旅が日常になりますよね、それくらい長期間の旅行ができればいいんですけど、と私。

 おふたりはこれから千歳のキリンビールのビール工場のなかにあるレストランにいって、格安具だくさんの海鮮焼きそばを食されーーこれでもかと言うくらいエビやカニがはいっているそうだーー積丹方向にむかわれるが、どこまでいくのかは走ってみなければわからないとのこと。

 私は、開陽台でキャンプをしてみたいのでいってみます、と言うと、あそこは風が強いんだよね、とmacさん。風よりも無料キャンプ場ですから、若い人しかいなかったら嫌なんですが、と答えると、いまの時期そんなことはないと思う、とのこと。ただ風が強い、と。

 台風は太平洋方向にそれたそうだ。小樽・新潟航路のおふたりは、こっちはOKだ、とおっしゃるが、私はピンチである。しかし来るかどうかもわからないものを心配してもしかたがないので、いつものとおり出たとこ勝負でいくまでだ。 

 8時20分におふたりより先に出発した。もしも今夜雨でたいへんだったら、中標津のキャンプ場ーー正確な名前は失念してしまったーーのバンガローに泊まるのがよいと思う、とcarrotさんが教えてくださる。格安のバンガローだから、と。お礼を言って再会を約して走りだす。
「それでは、また!」
 上士幌航空公園から道道にでるアプローチをのぼり、道道にでると上士幌の町の方向にむかう。おふたりを見ると手を振ってくださっている。私も左手をあげ、たがいに見えなくなるまで手を降りあって別れた。

 足寄にむかう。足寄では大阪屋食堂でジンギスカンをたべたいが、時間が早すぎて無理だと思う。大阪屋食堂は移転したと聞いていたので、新しい場所だけでも見ていきたいと考えていた。

 空は晴れてきた。朝の雨はどこかに去ってくれたようだ。国道271号線と国道274号線の重複区間を順調に走行し、9時には足寄につく。以前大阪屋食堂のあった、道の駅『あしょろ銀河ホール』の前の土地は更地になっている。昨年の秋、福島でひらかれたEOCーー永久ライダーの北野さん主催のオフ・キャンプ会ーーでごいっしょした、まぁさんに、新しい大阪屋食堂の場所は、郵便局の裏で、いけばすぐにわかります、とお聞きしていたので注意してすすんでいくと、郵便局があった。ここか、とその横の道をはいってみると新築の大阪屋食堂がある。折りしも大阪屋食堂のライダー・ハウスに泊まった若いライダーたちが出発しようとしているところで、3人はたがいに写真をとりあっている。つかの間、彼らの青春のかがやきと新しい大阪屋食堂をながめて、阿寒湖にむかった。

 国道241号線を東にむかうとオンネトーの看板がでている。オンネトーはいったことがないので、バイクをとめてTMを見てみると、途中にラワンブキで有名な上螺湾があり、その先に5キロのダートがあってオンネトーにいたる。オンネトーだけでなくラワンブキと林道にも心惹かれて寄り道をしていくことにした。

 道道664号線にはいっていく。きれいに舗装された道がつづくが車はまったく走っていない。牧場と廃屋が点在するが、これまで走ってきた道道よりも一段とさみしいところだ。やがてラワンブキの看板がでていたので駐車場にバイクをいれると、車が1台だけとまっていた。ラワンブキの畑から3人の観光客が歩いてきて、彼らはダートのあるオンネトー方向に走り去った。

 ラワンブキの圃場であると説明されている畑にいくが、ラワンブキは思ったよりも小さいし、なにより茶色くしなびている。盛りをすぎてしまったのだろうかと思ったら、今年は出来が悪いと案内がでていた。観光客が写真をとるために、立ち入り禁止の圃場内にはいることも作柄悪化の原因とのこと。おなじ観光客としてマナーを守れない馬鹿者がいることを苦々しく思った。

 オンネトーにむかうが、この先ジャリ道と何度もでている。急カーブがつづきます、と。TMにも、凸凹ダート、とコメントされているから、どんなにすごい林道なのかと思ったら、フラットな走りやすいダートだった。これなら車で何の問題もなく走れるし、大型オンロード・バイクでも走行可能だ。原生林のなかをいくので雰囲気もよいジャリダートだった。林道の写真をとりたいがやはりカメラは動かない。携帯で画像を記録しておくが、自らまねいたことながら、それがホトホト不満だった。

 

 オンネトー 静かな湖

 

 5キロの林道を一気に走りぬけるとオンネトーにでて、道は舗装路になった。駐車場があり案内板がたっていて、この奥にオンネトー湯の滝と湯だまりがあるとのこと。林道が森の奥につづいているが、バイクもはいれないようにゲートがつくられていて、歩くしかなくて億劫だし、車上狙い注意の看板もあって不穏でもあり、なにより滝の湯に興味がなくて通過した。

 オンネトーのほとりをいくが、阿寒湖側はアスファルトの道なので車がけっこう入ってきていた。オンネトーの写真を携帯でとるが、カメラはどこで買おうかと考える。ここからだと網走か北見だがどちらにいこうかと。オンネトーを走りぬけて国道241号線にもどり、足寄峠周辺の林道走行にむかう。足寄峠を中心に3本の林道が西のカネラン峠方向にのびていて、行ったり来たりしてすべて走行すれば、50キロ以上の林道走行が可能なのだ。TMに走りやすいダート、しまった林道とのコメントもあるので、いちばん南にある35線沢林道からいってみることにした。

 

 35線沢林道の入口 フカフカの土砂がいれてある

 

 オンネトーのある道道664号線から国道241号線にはいってすぐに、左へいく林道があった。TMには35線沢林道と記されているが、林道入口には『39』の看板がたっている。この道にちがいないだろうと判断して、TMのコメント、『沢沿いのしまったダート13キロ』という35線沢林道に進入した。しかしここは手入れをしたばかりのようで、路面に土砂が敷きつめられているのだ。ジャリではなく石の混ざった深さ3センチほどの乾いた土で、そこに車がーーたぶんトラックーー1台だけ通った轍がついている。その轍をいくのだが、いれたばかりの土砂はフカフカでハンドルをとられてしかたがない。ときに轍からはずれるとハンドルを強くとられ、轍にもどっても心地よく走れない。ピヤシリ越林道ほどではないのだが、走っていて楽しくないので、2キロほどいったところでこの林道をすすむのはやめてしまった。平行して走っている林道がほかにもあるのだから、Uターンして別の道に転進することにした。

 国道241号線にもどって足寄峠にすすむと39線沢林道の看板がある。この林道は途中から39線沢林道と上足寄林道にわかれるのだ。ここは土砂を入れてないので、こうでなくてはと喜んで進入した。走りやすいジャリダートをすすんでいくと、1キロほど先からまた土砂が入れてある。ここもかと、それを見た瞬間にやる気が消えて、この林道も走るのをやめてしまった。フカフカの土砂さえなければなんということもない林道だし、ここを走ることを楽しみにしていたので残念だった。しかしピヤシリ越林道の深ジャリといい、足寄林道の土砂といい、この時期は道路の手入れをするタイミングなのだろうか。

 北見か網走にカメラを買いにいこうと思うが、その前に阿寒湖によっていくことにする。阿寒湖はこの4年間通過しているだけだったので、久しぶりに立ち寄りたいと思っていた。オートバイ小説の『千マイルブルース』の舞台になったところなので、小説の主人公がさがしにきた『ニポポ人形』を私も見つけてみたいと考えていたのだ。

 

 アイヌコタンの入口

 

 阿寒湖にむかっていくとBMWのR100GSが追いついてきた。彼は100キロで飛ばしているので、その後についていき、2台でアイヌコタンについた。アイヌコタンはコの字型に店がならび、中心部は駐車場になっていて、その入口にバイクをとめたのだが、車はまばらにとまっているだけだった。

 GS氏は私に会釈をしてアイヌコタンの入口の写真をとりにいった。私はアイヌコタンの駐車場の左右にならぶ民芸品店の品定めをする。どこに入ろうかと思っていると、アイヌコタンのある店の主人が、そこにも書いてあるけど、と私に話しかけてくる。バイクの駐車場は奥にあるから、だからそこに移動して、と。よく見るとたしかにバイクの駐車場は先にあると書かれているが、駐車場は空いていて、ここにバイクをとめても何の支障もないから、融通のきかない頭の硬いオヤジだなと思い、そうなの、と生返事をしておいた。GS氏はオヤジの話など聞いていないから、写真をとってくると私に、どうも、こんにちは、と言って、アイヌコタンの舞台のある、バイクの駐車場方向、坂をのぼった奥に歩いていってしまう。私も下らない指図は無視して、ヒグマの剥製を飾っている民芸品店にはいった。

 店の入口のヒグマには、熊の写真をとったら何か買ってね、と書いてあり、それはそうだなと思いつつ店内にはいると、所狭しとさまざまな民芸品がならんでいる。奥の木工室で木彫りをつくっていた主人が、どうも、いらっしゃい、と声をかけてくる。どうも、と答えてニポポ人形をさがすと、携帯のストラップにペアニポポというものがあり、人形がふたつついている。これがニポポ人形かと見ていると主人がやってきた。
「これがニポポ人形というものですか」とたずねると、
「ニポポは、木の人形という意味なので、これだけでなくたくさんあります」とのこと。
 ニは木、ポポは人形の意だそうで、木の人形がニポポなのだそうだ。したがって木彫りの人形は大きくても小さくともすべてニポポ人形ということになる。あまり大きいものは荷物になるので小さなニポポがほしい。主人のすすめる手彫りでいちばん小さなニポポ人形を1260円でもとめたが、帰ってからよく見てみると、ニポポの足の裏に『網走刑務所』の印が押してあって、なんだかだまされたような気になった。刑務所製だから嫌だというのではない。主人がなにしろ手作りだから、使うほどに味がでるんですよ、とセールス・トークをしていたので、主人が作ったものとばかり思い込んでいたのだ。ところで会計のときに、バイク小説にニポポ人形がでてくるんですが、とためしに話してみると、主人は何も知らないし興味もないようで、反応らしきものはかえってこなかった。

 カメラの問題にキリをつけるべく北見か網走にいくことにしてTMを見る。さっきバイクを移動してくれと言ったオヤジは店先で新聞を読んでいるが、眼があってももう何も言ってこない。北見のほうが近いが網走にはより多くのカメラ量販店があると思われる。網走にいったほうがより多くの種類のカメラがありそうだが、カメラに凝らない私としては北見で十分に用は足りるかもしれない。じつは2001年のツーリングでもバイクのタイヤに問題がおこって、どちらかの街にいこうと考えて知床から走りだし、けっきょく北見にいってトラブルを解決したことがあり、何かあれば北見だという思い込みがある。またこれからむかえばどちらの街でも昼時となるので、北見なら回転寿司のトリトンで、網走なら激安で量が多いと評判のホワイトハウスのステーキ+ウニ・イクラ丼1000円の昼食をとることになるだろう。さてどちらにするか。いろいろと考えたが、なにより近いこと、そしてトラブル解決は北見だという私のなかでの思い込みがあること、それにトリトンにいってみたくて北見にむかうことにした。

 国道241号線を足寄峠方向にもどり、国道240号線にはいって北上していく。すぐに釧北峠である。ここは思い出深いところで1981年にはじめて自転車で北海道にきたときと、1983年にバイクで再訪したときの2回とも、この峠の看板の下で写真をとっている。その1983年以来の釧北峠を一気に通過して、大学生のころの自分のことをチラリと考え、美幌方向にくだっていった。

 すすんでいくとチミケップ湖の案内標識がでていたので、バイクをとめてTMをひろげてみた。チミケップ湖もたずねたことはないし、周辺に林道があって心惹かれたが、カメラを買う時間のロスが気になって、寄っていくのはやめておいた。

 走りだすとリヤ・シートに積んであるダッフルバックが荷崩れをおこす。とまって積み直したのは11時40分で、道道27号線にはいって北見にむかう。この道は北見へのショート・カット・ルートのせいか交通量は多い。ペースもよくて、前を走る車にしたがい80キロから90キロで快走していった。

 北見の大きな街にはいり、道道27号線から国道39号線にはいって、家電量販店はないかとさがしていくとポスフールがあった。大きなスーパーである。ここにデジカメがあるのではないかとはいってみると5台のカメラがあり、ソニー製が1台だけあった。値段は19800円である。元々つかっていたカメラがソニーのサイバー・ショットなので、おなじメーカーのものならば操作法が似ていて、直感であつかえるのではないかと考え、買うならソニーと決めていた。念のため他のメーカーのカメラも見てみるが、やはり慣れた意匠の製品に安心感があり、この展示品1台しかないカメラを買うことにしてメモリーはどうかと聞くと、対応品は1ギガか2ギガの品とのこと。壊れてしまったカメラのメモリーは128MBと256MBであり、これでも400万画素の画像が何百枚もとれるのである。それが新しいカメラは700万画素で2ギガのメモリーとなり、進歩の速さにおどろくやら面食らうやらであった。

 丁寧な対応をするポスフールの女性店員から、ソニー製のデジカメ19800円とメモリー6780円を買ったのは12時30分だった。カメラをザックにいれて国道39号線をきた方向にもどり、回転寿司のトリトンにむかう。すすんでいくとベスト電器があり、この店のほうがよかったかと感じたが、北海道では何事も一期一会で、縁のあったものを確実に手に入れることがいちばん効率的だから、ポスフールに1台だけあったカメラを買ってよかったと思うのだった。

 すぐにトリトンについて、駐車場にバイクをとめて店内にはいろうとすると、ライダーの皆さんへ、と書かれたボックスのなかに、バイクのサイドスタンドの下に敷く、かまぼこ板大の木片が置いてあるのをみつけた。北海道のアスファルトは軟らかく、バイクをサイドスタンドでたてておくと、スタンドがアスファルトにめりこんでバイクが倒れてしまうと前にも書いた。この木片のサービスは助かると、さっそく1枚かりて使わせてもらった。トリトンは昼時で混雑しており、順番待ちとなっていたが、ひとりなのでカウンターのスペースにすぐに座ることができた。

 

 トリトンの寿司と三平汁

 

 トリトンには何種類もの値段のちがう色皿がある。無頓着に皿をとっていくと会計がはねあがるので、いちばん安い136円とつぎに安い189円の皿を中心にえらんでいくが、158円の三平汁が絶品だった。店で魚をさばいているからアラ汁が美味しいのだろう。しかし高くて美味しいのは当り前である。全国チェーンのかっぱ寿司はーー個人的な理由で応援しているーーネタの品質はおさえているが全品105円だ。1皿300円もだすのなら美味しいに決まっているし、回転寿司は安いほうがえらいと、お金にシビアな私は思っているので、どこか納得のいかないトリトンだった。会計は1648円。食べたいものを無造作にえらんでいたら料金は倍のはずで、ならば回転寿司にいく必要もないと思ってしまう。

  12時58分にトリトンをでて、駐車場で新しいカメラのセットアップをする。26580円は痛かったが、やはり新しいものはよい。厚さが古いカメラの半分で、逆に液晶は大きくなっている。バッテリーのサイズも半分以下で充電器も小さい。さっそく充電をすることにして、このツーリングではじめてバッテリーに充電システムーーバッテリーから電気をとりだして、インバーターをつなぎ、家庭用のコンセントを使えるようにしてあるーーをつないでスイッチをいれると、電源がはいらない。新しいカメラを買ったというのに充電ができないというのはやめてくれよ、と呟きつつ、充電システムの接続、ヒューズなどを確認するがやはり通電しない。勘弁して、と心のなかで悲鳴をあげつつインバーターの接続をしなおすと、電源がはいったことを示す小さな赤いランプが、ピカリ、と光り、充電を開始することができた。その小さな赤いランプを見てホッとする。古いカメラは厳重に防水して、メモリーともどもダッフルバックのなかに押し込んでおいた。サイドスタンドの下に敷く板をもらいたいが、そんなわけにはまいらないので返却し、走りだしたのは13時28分だった。

 屈斜路湖畔林道を走りたいので美幌経由でむかう。美幌の町にモダ石油はないかとさがしていくとホクレンがあり、フラッグあります、の看板をだしていたのですかさず入店した。23.9K/L。144円と高く2045円。高いがフラッグ代だと思えば気にならない。道東版のグリーン・フラッグを手に入れた。

 国道243号線の美幌国道を美幌峠にむけてのぼっていく。峠にさしかかると雨がパラパラと降ってきて、上空を見ると黒い雲がかかり、その制空権からのがれようとアクセルをワイド・オープンするが、峠にある道の駅『ぐるっとパノラマ美幌峠』につくと強く降りだしてしまう。バイクをとめて傘をさし、展望台の見物をしているあいだに雨はあがってくれればよいのだがと考えて歩いていくと、すぱらしい景色がひろがった。

 

 屈斜路湖 中島が浮かぶ

 

 眼下に屈斜路湖とそれをとりまく樹海が見え、屈斜路湖畔にある和琴半島も、湖に浮かぶ中島も大きく展開している。こんな絶景もないと思うが、考えてみれば何度も来ている北海道でここに立ったのははじめてであり、近くにあってやはり絶景が名高い津別峠も、いきたいと思っていてたずねたことはないのだ。北海道はじつに広く、味わい深く、まわりつくすということのない土地である。

 新しいカメラの充電が終わらないのでまた携帯で写真をとる。近くには大阪のカップル・ライダーが散策をしていたが、彼らは恋人同士なのに漫才をやっているような、ボケ突っ込みの会話をしていた。大阪の人は生まれつきこんな話し方をするのだろうかとーーほかの大阪の人たちもたいていそうだからーーなんだか不思議な感じを持ちつつ道の駅にいくと、ここにもゴミ箱はないのだった。どこもかしこもゴミ持ち帰りと、馬鹿のひとつ覚えのように書いてあるが、客の都合を考えず自分たちの都合で商売をしている施設ではいっさい金をつかわないことにしているので、駐車場でカッパを着込んで立ち去る。一部の利用者が非常識なゴミを持ち込んだのかもしれないが、その1000倍も10000倍もマナーを守っている人間はいるのだ。

 雨はあがらずに逆に強くなった。前にトレーラーがつかえてしまいスピードのあがらない峠道を下っていく。遅いのでストレートもコーナーもストレスがたまる。途中で左に屈斜路湖畔林道の入口があるはずなのだが、トレーラーをにらみつけていたら通りすぎてしまい、津別峠の入口までいってしまってとってかえす。もどってみれはわかりやすい入口で、よほど激しくトレーラーのテールをにらんでいたようだ。

 

 屈斜路湖畔林道 走りやすく景色がよい

 

 屈斜路湖畔林道は湖沿いを走る林道で、『初心者でも楽しめる』とTMにあるとおり走りやすいフラットダートだ。乗用車はもちろんオンロード・バイクも十分に走れる。湖畔のすばらしい景観のなかをいくのでいよいよ写真がとりたい。充電はまだ完了していなかったが、切り上げて新しいカメラで撮影を開始する。幸い雨もあがってきた。

 交通量のまったくない屈斜路湖畔林道から根上峠林道に接続して、16時に道道102号線の林道出口についた。ダッフルバックがまたしても荷崩れをおこすので、バックのなかに加重が平均してかかるように荷物をいれなおす。ついでにメモをつけて、つぎは池の湯林道、さらに虹別林道にむかうことにした。

 またボツボツと雨が落ちてくるがすぐにあがった。道道102号線から国道391号線、道道52号線とつないで川湯を通過する。気温は20.2℃と表示されていた。また屈斜路湖畔にでて池の湯林道をさがす。手前に沼の湯林道という名前のよく似た林道看板があり、危うく入っていきそうになるが、TMでたしかめて事無きをえた。じっさいの池の湯林道の入口には看板はないので通りすぎてしまい、もどってみつけたが、いなせレジャーランドの北にある林道にはいっていくと、しばらくして池の湯林道の看板がたっているのである。16時38分にこの看板の横を通過すると、メスの鹿が2頭でてきて、鹿は私と眼があうと、トン、トーン、とジャンプして林に消えた。

 

 池の湯林道入口 鹿は左の林にジャンプして消えた すでに薄暗い

 

 池の湯林道は軌道跡だそうだ。アップダウンはあるが走りやすくオンロード・バイクも走れる林道をいく。林のなかなので薄暗くなるのが早い。すすんでいくとキンムトーの入口について、0.3キロで秘沼と呼ばれるキンムトーである。ここはこの先の道にバイクで進入した永久ライダーの北野さんが、帰りの泥の坂道をのぼれずに転倒し、足元がすべってバイクを起こすこともできなくなったところだ。北野さんのバイクは大型のオンロード・バイクであり、私はオフロードのDRだから、いけると思うが、わざわざ危険をおかしたくないから、バイクをおいてキンムトーまで歩いてみようかと考えていた。しかし薄暗くなってきた森の道をひとりでいくのは熊が恐いのでやめておく。ボッケ、という泥湯がわいているところも0.1キロとのことだが同様の理由でいかない。山歩きに慣れた人には笑われてしまうかもしれないが、ライダーの私は時速80キロで移動する有機体だと自己を拡大解釈しているから、バイクからおりるとひどく無力に感じられて、不安なのだ。原生林のなかで熊と会ったとしたら、バイクの駆動力だけが頼りだと思うから。そこでそのまま走りつづけて11キロの池の湯林道を走破し、国道391号線の出口に16時58分に到着した。

 つぎは虹別林道を走って開陽台でキャンプだと、目一杯に欲張って走りだす。夕暮れは18時30分くらいだろうから十分に可能と判断したのだが、国道391号線を南下していくとまたしても雨が降ってきた。しかもだんだん強くなる。日が暮れなければ雨の林道走行も問題はないのだが、とりあえず買えるときに買物しておこうと摩周のフクハラにはいり、刺身の盛り合わせ(小)398円と水2リットルを100円で手に入れたのは17時21分だった。

 フクハラでは型のよい花咲ガニが半額の千円ほどで特売されていた。よほど買おうかと思ったが、雨のキャンプになりそうなので手をださなかった。しかし近くに、たとえば和琴半島にでもキャンプをしていたら、毎晩の特売をねらってここで買物をすれば、お得で豪華な夕食がとれそうだ。そのうち再訪したらそんなことをするかもしれないと考えたが、私はそんなに落ち着いてはいられない人間だ。和琴に野営することがあっても、フクハラの特売にかようことなどせずに、きっといそがしく走りまわっていることだろう。

 フクハラを出発しようとすると、まだ17時30分だというのに暮れてきてしまった。雨も強まってきたので、虹別林道の走行は無理だとここでようやく諦めて、開陽台に直行することにした。虹別林道は明日走ればよいと思いつつ。

 開陽台でキャンプしたいと思うようになったのはいつのことだろうか。開陽台は私が大学生のときにバイク誌の記者に発見されーーたしかMr.Bikeの記者だったと思うーー注目され、人気となって、ライダーの聖地とまで呼ばれるようになり、私自身も3回たずねているがここで野営したことはないのだ。キャンプ派の私としては、ここで幕営しないと北海道の宿題をひとつのこしているような気がして、落ち着かない。他人にはどうでもよいことだろうが、北海道に何度も来ているのに利尻と礼文にわたったことがなく、キャンプ派なのに開陽台で野営したことがないのが心残りなのだ。その気持ちのひっかかりを解消するために利尻と礼文にわたり、開陽台で幕営しようとしていて、今回のツーリングはこれまでの北海道でやりのこしたことを果たしたいという考えがあり、言わば北海道ツーリングの総決算というつもりもあったのだ。

 雨で暮れゆく国道243号線をすすみ、道道885号線にはいった。途中に多和平の看板がでていて、ここならば日が暮れないうちにテントが張れそうだから、よほどこちらでキャンプをしようかと思う。多和平は駐車場のすぐ横がキャンプ場で設営が楽ということもある。開陽台キャンプ場もバイクを乗り入れられるようだが、展望台の裏にあるキャンプ場への行きかたがわからないから、まず展望台側からキャンプ場にはいって、キャンパーに道をたずねてからバイクをまわさなければならない。それが面倒だが、それでも開陽台で野営がしたい気持ちがまさり、多和平を通過していった。

 何もないまっすぐな道をいく。雨はいちだんと強くなり、ザンザン降りで、しかも暮れてしまい真暗な道道となった。外灯はなく、たまに対向車がやってくるとヘッドランプの光で雨が乱反射して前が見えなくなる。開陽台にテントを張ったら養老牛温泉につかりにいきたいと思うが、真暗で本降りの雨のなかをすすんで、どんな結末が待っているのだろうかと不安になる。今夜のキャンプはどういうものになるのかと。行ってしまえばいつもなんとかなってしまい、楽しく過ごせてきたのだから、あまり深く考えずに気持ちを楽に持とうとするが、さすがに辛い大雨の夜間走行だった。

 ようやく道道から開陽台への左折点についた。道道から折れていき、開陽台への導入路にはいって、真暗な丘にのぼっていく。そしてついに18時10分、開陽台の駐車場に到着した。霧がたちこめていて、明かりはまったくなく、無人だが車は1台だけ、新型のワーゲン・ビートルがとまっている。人は乗っていないのでなんだろうと思うが、とにかくテントのはいったダッフルバックをもって展望台の裏にあるキャンプ場に歩く。キャンパーにキャンプ場へバイクではいる道をたずねて乗り入れるつもりだった。

 展望台の階段をのぼっていく。荷物は重いし焦っているから、急いでしまって息が切れる。ようやく丘をのぼりきり、無人の展望台をまわりこんでキャンプ場にいくと、なんと誰もいなかった。9月の雨の日とはいえ、キャンパーがひとりもいないというのは考えてもいなかったので、呆然としてしまう。こんな酔狂なことをするのは私だけということなのだろうか。8月中であれば雨でも何人かはいたと思うのだが。

 無人のキャンプ場は恐いものだ。しかも雨で真暗ときている。それでもこれから移動して他のキャンプ場にいくのは嫌なので、雨のなかテントをたてだした。しかし強い雨でテントがまたたく間に濡れてくる。これではテントを設営しても中はびしょ濡れで、またマットを敷いた狭いところで寝なければならない。躊躇したがだれもいないので、展望台の軒下にテントをたてさせてもらうことにした。

 たてかけのテントを展望台の入口前にうつす。よい年をした男が公共施設の軒先で、マナー違反のゲリラ・キャンプをするというのは心が痛むが、背に腹は代えられない。テントをたてて荷物をひろげ、濡れたものは風にあてて乾かしつつ、バイクから荷をはこぶ。駐車場には車上狙い注意の看板がでていて、雨の夜とはいえ荷物をバイクにのこしておくのは不安なので、3回往復してすべての荷をテントに運び入れた。またバッテリーにつないである充電システムも雨で漏電してはいけないので、バッテリー端子からはずしておく。カッパを着たままで、、駐車場から展望台までの階段を重い荷物をかかえて行ったり来たりし、最後はスパナでバッテリーのナットをゆるめたり締めたりして、汗だくになってしまった。稚内の森林公園キャンプ場に泊まったときは、わずかな階段が辛いと思ったが、ここにくらべれはなんということもない。開陽台の階段は長く、辛く、雨は強くて、ワーゲンはとまったままだった。

 無人の展望台も不気味なものだった。ガラス窓が多いから、誰かがこちらを見おろしているような気がしてくる。もちろんそんなことはないのだが、何秒間か窓を凝視してしまった。私に霊感はないのだが、妙な気配もないので、展望台に、申し訳ない、一晩宿をお借りします、と頭を下げてテントにはいる。それでもテントのなかで酒を飲み、メモをつけだすまでは恐かった。そして何より人が来ることを恐れていた。雨の夜の展望台にのぼってくる人間を見たら、それこそ幽霊に見えるだろうし、そうでなくともこちらはゲリラ・キャンプをしているという引け目がある。人が来たら卑屈になってしまいそうで嫌なのだ。誰も来てくれるなと願ったが、やはりそんな物好きは私くらいなもので、心配は杞憂におわった。

 

 開陽台の夜 刺身とコッヘル酒

 

 19時前には落ち着いて、焼酎を飲みつつメモをつける。こだわりの柿ピーをつまみつつ、フクハラで買ってきた刺身もとりだした。腹が空いたら蕎麦かパスタを食べようと思い、キャンプ場の水場から水をくんできておいたが、それを使うことはなかった。

 今日も書くことが多くて、19時にはじめたメモは21時05分までかかってようやく終わった。その間に何杯の酒を飲んだのだろうか。柿ピーと刺身をたいらげてラジオをつけると、台風は関東に上陸する見込みだと伝えている。下着と靴下をとりかえてラジオに耳を傾けていると、いつの間にか眠りに落ちていた。

                                                              294キロ