9月10日(水) 流れの悪い日
キャンプ場の朝 奥に若者たちの車
5時20分に起床した。もっと眠っていたかったのだが、5時くらいからキャンプ場の入口に何台もの車がやってきて、人が話しているので眼が覚めてしまったのだ。こんな時間から地元の人は寄り合いをするのだろうかと思う。水曜日の朝5時に?
朝方の冷え込みを予想してトレーナーとジャージを着て寝ていたのだが、それだけでは寒くてジャケットをかぶって眠った。シュラフに入らずにすむ気温なのだが、快適な就寝スタイルをなかなかみつけられないでいた。
キャンプ場の入口にいる地元の人たちがこっちにやってきて、料金を払ったのかと聞かれたら、領収書を受け取っていないので、昨日の役所の人の名前を告げて説明しなければならないと考えると、気持ちが重くなる。しかし昨夕、犬の散歩の人が役場の人と挨拶をしていたから、それを言えば私の話の信憑性は高まるだろうし、それよりなにより田舎は情報が伝わるのが速いらしいから、バイクの男が(よい年をした男が)ひとりでキャンプをしていることは周辺に知られているかもしれず、そうであるならばわざわざテントまでは来ないかもしれないと考えたりした。
とりあえずどんな人間が来たのかと遠くから見てみると、20くらいの若者ばかりが何人もいる。車は普通車のセダン4台で、地元の人の寄り合いではないようだ。なんだろうと思っているとそのうちの4人の若者がキャンプ場に入ってきた。4人とも黒い上下の服を着ていて、チンピラ風ではないが、眼があっても何も言わないし、挨拶もない。私の横を通り過ぎてキャンプ場の奥までいくと車にもどっていく。このときはどういうことなのかわからなかったのだが、4人はキャンプ場の様子を見にきたのである。
4人の男の後に若い男女がゾロゾロとやってくる。15人くらいいただろうか。女の子も3・4人いるがどいつもこいつも一言も挨拶もしなければ会釈もしない。勝手にトイレを使って明かりをつけっぱなしにして車にもどっていく。いったいなんなのかと思う。急にこんなことが起こると混乱してしまい事態がよく飲み込めない。トイレの明かりは私が消しておいた。
若者たちは川原で大騒ぎをはじめた。ひとりのお調子者が水着姿になって、水中眼鏡にシュノーケルをつけ、川に入ってずっこけてみせると、全員ではしゃぎだす。5時にやってきて5時30分にこの騒ぎでは非常識すぎるし、あまりにも傍若無人な振る舞いだ。鈍いように感じるかもしれないが、15人のなかに1人でいると頭がまわらないもので、ここにいたってようやく彼らが遊びに来たことがわかり、ここには私だけがいることになっているから、器物損壊などのトラブルがあると困るので、彼らがここにいた証拠として川で騒ぐ彼らの写真をとり、車のナンバーを控えておくことにした。ナンバーは福岡ナンバーが3台と久留米ナンバーが1台だが、いずれも『わ』ナンバーなのでレンタカーであった。
車のナンバーをメモしにいったときに、管理棟の受付に豊後大野市の観光案内があるのをみつけた。それによると大野市は大分一の石造文化財の宝庫とのことで、石のアーチ橋や印象的な磨崖仏が紹介されている。その中の二重にかかる石のアーチ橋は近くにあるので見ていこうと思った。
朝食の用意をしていると男の子がふたり炊事場にやってきた。そして、水を使ってもいいですか、と聞く。いいも何もここは使用料がかかるんだよ、と答えると黙り込んでいる。年は息子と同じくらいか。この子がはじめて口をきいたわけだし、ナイーブそうでもあり、ずっと立ったままでいるので可哀想になって、まあ、使ってもいいんじゃないの、と言うと男の子はコンタクトレンズの手入れをはじめた。
若者たちは大学生風だ。車のナンバーからすると福岡の大学生だろうか。彼らはキャンプ場の中を行ったり来たりしだす。それを見てシャワー室の南京錠をロックしていないことを思い出し、鍵をかけにいくと、直後に彼らが施設を見にきていた。なんだかものすごく気分が悪い。私はここを正当に利用しているのにもかかわらず、若者たちに人数にまかせてやりたいようにやられて不快だし、下らないことに神経をつかわされている。
また3人の男の子がやってきて炊事場を使いだすので、3人を交互に見ていると、そのうちの1人がようやく、おはようございます、と言った。おはよう、と返事をするが、ここで息子も挨拶がきちんとできないタイプであることを思い出す。この夏は合宿で長い期間家をあけていたが、その間に挨拶ができていたのだろうかと考えると背中に汗をかいてきた。
あいさつ、挨拶と言うとうるさく聞こえるかもしれないが、挨拶は人と人との礼節の原点なのである。礼を尽くせなければ一人前ではないし、相手を大切に思わなければ自らも同様の扱いを受けることになる。私も若いころは挨拶が苦手だったから若者の気持ちもわかるが、相手に親しみや敬意をもっていないから挨拶をしないとか、気持ちがないのに挨拶をするのは偽りであるから逆に間違っているなどというのは、未熟者の言なのである。
挨拶は人間関係の基本なのだ。挨拶が人と人とを親しくさせ、打ち解けあうきっかけを作る。挨拶ができなければ社会や人間関係は広がっていかず、いつまでも子供のままで、社会をわたっていくことはできない。逆に言えば、挨拶さえできれば世間を歩いていくことができるのである。気持ちのよい挨拶だけで世渡りをしている男もたくさんいるくらいなのだ。
挨拶は礼節であり、人間関係の基本であって、一人前の人間であるかどうかの尺度にもなり、その人の器を示すものでもある。器にもなっていないのはただの半人前なのである。ーーちょっと説教臭くなってしまった。これをお読みいただいている大人の方々には、当たり前のことを書きたててたいへん失礼しました。
また男女の若者がやってきてトイレを使うが、明かりをつけっぱなしにして行こうとするので、呼び止めて消させる。するとうるさいオヤジだと思われたのか、彼らはキャンプ場の入口に集まって中に入ってこなくなった。私が出発するのを待っているのだろうかと思う。これもまた面白くない状況だ。
昨夜はひとりきりのキャンプで怖かったからたくさん飲んでしまい、頭がスッキリしない。それでも昨夜コンビニで買ってきた、火の国熊本とんこつラーメンを作って食す。このラーメンはインスタントラーメンとしては高かったのだが、濃厚で美味しかった。
7時30分に準備がととのい出発する。キャンプ場の入口に群れる若者たちの横をすりぬけていくが、このわかりにくい場所に早朝から来たということは、前にも利用して土地勘があるのか。それともここの出身の若者がいるのかと思われた。若者たちはきちんと予約をしていて正式に利用しようとしているのかもしれないがーーそうではなさそうだがーー念のため後刻役所に電話を入れ、若者たちが15・6人もやってきて施設を利用したこと告げ、何かあっても私の責任ではないと話すつもりだったが、田舎の人は朝早くて周囲の変化に敏感だそうだから、若者たちの馬鹿騒ぎに気づいているかもしれないと思ってやめておいた。宿泊者名簿に住所と氏名を書いたわけではないので、何か起こっても私に累は及ばないとも思ったので。しかし挨拶もしない若者は大嫌いである。半人前の子供たちのせいで朝から誠に不快な思いをした。
キャンプ場の横を流れる川をわたっていくと、昨夜は気づかなかったが立て札がたっている。『川に飛び込まないでください。命にかかわる大事故がおきています』。大岩がゴロゴロころがっている浅い川に飛び込む馬鹿者がいるのかと驚いたが、増水したときに若者が思慮に欠けた行動をするのだと思われ、地元の方のご苦労がしのばれた。
県道688号線を南下して奥岳川と轟川の合流点にある、轟橋と出會橋のふたつの石造のアーチ橋を見にいく。大野市のパンフレットには川原からふたつのアーチ橋が見える写真が載っていて、私もその景色をながめたいと思ったのだ。朝の通学時間で、学校にむかう中学生を追い越して奥岳川をさかのぼっていく。近くにある御嶽山自然公園には、マムシの養殖場があると看板にでていてびっくりする。マムシの養殖とははじめて聞いたが漢方薬にでも使うのだろうか。
山の中の細い道をいくと栗を拾っている人がいる。四国の山でも栗拾いの人が何人もいたが、ここでは古靴でいが栗を踏み割っていて、栗の実はこうして取り出すのかと感心した。すすんでいくと暦史を感じさせる古い石の鳥居と石碑が山の中にポツンとたっているのに気づく。風格があるので帰りに見ていこうと考えて先にいくと、アーチ橋を通りすぎてしまったようで、畑の真中にある墓の掃除をしている地元の方に聞いて、8時に轟橋についた。
アーチふたつで大きい轟橋
上流に轟橋、下流に出會橋がかかり近くに駐車場とトイレが整備されていた。コンクリートと鋼鉄製の近代的な橋ばかりを眼にしているから、石の古い橋は新鮮に見える。親しみやすく、美しく、やわらかくも感じられる。上流にある轟橋のほうが大きくて古く、アーチもふたつあって、そのアーチ径が日本一なのだそうだ。これは国が林業用に作ったものだったか。下流にある出會橋は轟橋ができた後に地元の人によってかけられたとのことだった。
下流にあるアーチひとつの出會橋 沢が出会って合流しているからこの名だろう
大野市のパンフレットではふたつの石橋がいっしょの写真におさまっているので、私もそのアングルでアーチ橋を撮影したいと思っていた。しかし川原におりてみると、そうするには川の中に踏み込まなければならないとわかる。そこまではできないから、ふたつのアーチ橋を別々に記録しておいた。ところでこれは帰ってから気がついたのだが、大分焼酎の二階堂の宣伝をテレビで流していて、このCMにでてくる水田や石橋のある風景が、この豊後大野で見た景色とじつによく似ているのだ。ゆったりとしていて、おだやかで美しい光景なので、もしも宣伝に気づいて見てもらえたら、雰囲気を味わってもらえると思う。
名もなき鳥居と石碑
石橋を後にして、先ほど気になった鳥居と石碑を見にいく。もどってあらためて眺めてみると、道路脇の山の斜面に石の鳥居と石碑がポツンとあって、となりには猫の額ほどの畑があり、50メートルほど離れたところに農家が1軒だけあるだけで、神社の跡とは思えないから不思議な光景だ。年月を経て黒ずんだ鳥居は存在感があってとても惹かれる。鳥居にはつる草がからまっている。これは近くにある農家のものなのだろうか。石碑に何か刻まれているが読むことはできない。鳥居の写真をとったり、石碑をためすがえす見たりしていると背後に視線を感じた。
振り返ると道路をはさんだむかいの丘の上が畑になっていて、そこに70くらいの父親と40くらいの息子がいて、ふたりは農作業中だったが、手を休めて、鳥居を熱心にながめている私を見ていたようだ。畑は道路よりも一段高いところにあるので、バイクで走っているときには気づかなかったのだ。彼らはそこにある農家の方なのだろう。そして鳥居と石碑はこの方たちの家のものなのだろう。私が振り返るとふたりは農作業にもどったが、私が鳥居を見たり写真をとったりしていることが嬉しく、誇らしいようだった。父親が息子に、わかる人にはわかるんだよ、と語っていたように見えた。
九州にはこのような鳥居や石碑がよくあったから、格別珍しいものではないようだ。しかし大分には歴史と文化と美意識があると感心して走りだす。磨崖仏に石橋、それに鳥居と石造は大分の文化で、ここは石の国だと思う。そういえば大分にはサッカーJ1の大分トリニータがある。トリニータは手ごわいチームで嫌いなのだが、大分県は好きだ。いいじゃないか、大分。
アーチ橋と名もなき鳥居に大満足して今日の目的地の阿蘇にむかう。国道502号線にもどってまた原尻の滝方向にすすみ、県道46号線に入って北上していくと、普光寺の磨崖仏の案内がでている。この磨崖仏のお顔は大野市のパンフレットに別格で取り上げられていて、怒っているような、しかつめらしい顔をしているような、素朴なようで複雑でもあり、とても惹かれたのだ。しかし大野に磨崖仏はたくさんあるから、どこにあるのかまでは確認していなかった。それがここから5キロの地にあるのなら、縁も感じるから寄っていくことにした。
県道をはずれて普光寺にむかう。昨日偶然の成り行きで大野に泊まることになったのだが、アーチ橋や鳥居、磨崖仏と私の感性に響くものがあって、大野に縁を感じるようになった。土地に宿る何者かが私を導いてくれたのだろうかと考えていると、またしても思わぬ出会いが待っていた。
古墳があり、そこに埋葬されていた石碑の蓋が、石碑がわりに文字を刻まれて古墳にたてかけてあったのだ。石棺の蓋は見たことがなかったから、はじめは何なのかわからなかったのだが、それでもたいへんな物があると感じて急ブレーキをかけた。市の案内板がたっているので読んでみると、この石棺の蓋はこの古墳に埋葬されていたものが盗掘されて持ち出され、ここから何百メートルも離れたところに、何世紀も放置されていたのだそうだ。それを古墳の案内の石碑に利用することになって、ここに設置されたとのこと。
この蓋が何世紀も原野に打ち捨てられていたという事実もすごいが、文化的に貴重なものを石碑にしてしまおうという発想も考えられない。ここでは古墳や石棺はそれだけありふれたものなのだろうか。この蓋は正式には『丸山古墳石棺蓋(がい)』と言うのだそうだが、写真をとりたいと思ったのに、帰りにもここを通るからと撮影せず、そしてもうここにはもどらなかったから、画像を残せなかったことが残念だ。しかし、この石棺の蓋を見ていて、よい紀行文が書けるような気がしてきたのだった。
また走りだすが案内通りにいくと遠回りをさせられているような感じで、5キロのはずなのにやけに時間がかかって普光寺に到着した。参道は民家の軒先をいく細い道だと案内がでているから、バイクをとめて歩いていく。民家の庭の先は下り階段となっていて、そこを降りていくと普光寺の山門にでた。こじんまりとした寺で『ピアノの寺』と案内がでている。ピアノは好きだが、今は磨崖仏を見にきたのでどこにあるのかと本堂にいってみると、ピアノはあるが磨崖仏はない。本堂の裏にあるのかと思ったがそこにもなくて、境内を探しまわると、『磨崖仏』と書かれた小さな看板があり、寺の横の谷の方向を指している。谷のどこにあるのだろうかと見てみると、谷の先、寺と相対する山肌に、巨大な磨崖仏があるのが見えた。
山肌に磨崖仏が見える
磨崖仏は大きい。じつに大きい。となりに寺もあるのだが、それと同じ大きさなのだ。磨崖仏は中心に不動明王がいて、左右に童子が配されている。不動明王のお顔は無骨だが、厳しさと優しさが混在しているような印象で、とても魅力的だ。そして左右にいる童子は老婆のような顔をしていて、表情は憂愁をおびているのだ。不動明王と童子の面持ちが作者の内面と意図を感じさせる。
不動明王と童子
普光寺をでて谷に下りていき磨崖仏に近づいた。谷には小山があり、天然の小さな展望台となっていて、そこに登るとお顔がよく見える。パンフレットによると不動明王の高さは11.3メートルと大分県最大で、日本でも最大級の磨崖仏なのだそうだ。その大きさといかついお顔の不動明王、童子の苦悩の顔付きから眼をはなせない。高い精神性を感じる。私は無宗教だからだろうか、仏教の宗教心よりも作者の内面の憂色と芸術性を強く感じた。
不動明王を仰ぎ見る
磨崖仏の真下にいって不動明王と童子を見上げてみた。また離れて全体をながめる。この磨崖仏に魅入られてしまった。これはたぶんひとりの男が長い年月をかけて彫ったものなのだろう。自らの信仰心と精神性を不動明王と童子にそそぎこんだのだろう。この山肌に丸太の足場を組んで、ひとりで岩盤を刻んだのだろう。いったいどれほどの年月をかけたら完成させることができるのか。10年だろうか、それとも20年か。しかし何世紀も後まで残り、人々を教化し、救おうとした営為は、人が一生をかけてなすべき仕事ではなかろうか。
私は信仰を持たないから美術的な眼でしか見ることはできなくて、不動明王と童子の表情のすばらしさしか感じないが、それでも何世紀も後の人間を打ちのめすほど心に響くものを残す行為こそ、人が生涯をかけてなすべきことではないかと感じてしまった。
毎日毎日、何年も何十年も岩肌を刻みつづける僧のことを想像する。臼杵の大仏群にも感動したが、この磨崖仏により心を動かされた。石棺の蓋にも感銘を受けたが、この磨崖仏が私の大分でのNO.1だった。
磨崖仏にとらわれた余韻とともにバイクにもどると、地元の老人が通りかかり、
「磨崖仏は見ましたか?」と聞く。
「見ました。すごいですね。感動しました」と答えると笑っている。そして、
「アジサイは咲いていましたか?」と名物の花のことに触れたのだが、花などまったく眼に入らなかったし、アジサイなどどうでもよいことだと思う。あの磨崖仏の前では何物も存在感をなくしてしまうだろう。
阿蘇にむかう。国道442号線を北上し、由布院までいったからやまなみハイウェイを南下して、阿蘇を北から南へ走りぬけたいと思っていた。しかしR442は西にも続いていて、間違ってこちらにすすんでしまった。昨日行きたくないと思ったいた方向、竹田、久住山といってしまい、阿蘇の南にでてしまう。しかたがないから南から北へ阿蘇を走りぬけ、また別の道で南にもどってくるという非効率な周遊コースをとることにする。予定通りにならなくて気分が悪いが、その分阿蘇をたくさん走ることができてよかったじゃないかと、無理に自分を納得させようとしたが、当然できなかった。
昨日も感じたのだが九州は金がまわっていない印象だ。北海道ほどではないが、活気や活力がなくて本州と経済格差があると思う。家は平屋が多く、ボロ屋はあまりないが、住宅に金はかかっていない感じだ。また四国のように古い車は走っていないから、物を長く使い続けることはしないようだ。
今日はジャケットを着て走っていても肌寒い。天候は曇りだったり、薄曇りだったりして、気温表示は22℃、21℃である。阿蘇にのぼっていく道は北竜ロマン街道という名前がついていて、高原らしい風景となった。スカイパークあざみ台という展望所があったので立ち寄ってみた。
スカイパークあざみ台にて
国道から折れて展望所にのぼっていくと景色が急速にひらけてくる。展望所につくと北にある久住山の連なりと、それ以外の東西南の草原のように見える、伸びやかな山肌のコントラストが阿蘇らしい風景となっていた。木々が生えているのに、緑の草原のように見える山肌は、北海道のナイタイ高原よりもはるかに広大だ。この空間の広がり、雄大な高原を見るために阿蘇に来たのだと思う。ここは阿蘇らしい360℃の広やかな遠景を楽しむことができて、しかもあまり人がいないからお薦めの展望所である。もっとも空いていたのは9月の平日だからで、休日には混雑するのかもしれない。
長者原
あざみ台から走りだすとナイタイ高原のただなかをいくような、大草原を左右の見る道だ。やまなみハイウェイと名を変えた道路を北上していくと、山々にかこまれた盆地のような広豁な地、長者原(ちょうじゃばる)にでた。ここも阿蘇を代表する景勝地で、道路脇にある『長者原』の看板の前でとった写真がよくバイク誌に載っているから、私もここで記念撮影をしたいと思っていた。同じことを考えたライダーで混んでいるだろうと思っていたらーー北海道の宗谷岬のようにーー意外にも誰もいなくて、さっそく看板の前にバイクをとめて写真をとった。
やってきた方向を振り返ると煙を吐いている山があるが、久住連山のなんという山だろうか。長者原は四方を山にかこまれているが、突き抜けたような緑の空間が広がっていて、阿蘇ではここがいちばんだと思う。しかし九州はバイクが少ない。四国もそうだったが、九州もライダーに人気がないのだろうか。北海道に負けないくらいよいところだと思うのだが。
長者原の北のやまなみハイウェイをいくが、ここは森のなかをいくただの山道で、眺望はまったく得られない退屈な道だ。国道210号線にぶつかる水分峠は24℃で、日差しがでてきて暑くなってきたが、走っていればちょうどよい気温である。国道210号線に入って西にむかい、県道40号線でまた長者原方向に南下していく。渓流に沿っていくこの県道40号線は空いていて気持ちよく走れる道だ。そろそろ昼時となったので、山女料理の専門店や白粉を塗ったお多福が接客をしている面白そうな茶屋が気になるが、大分名物の『とり天』の看板をだしている店が日本一長い人道吊り橋の九重“夢”大吊橋の近くにあるので、そこに行くことに決めてしまっていた。
とり天、とり天と思いつつ大吊橋には11時45分について、駐車場にあるレストランの山もみじに入ろうとすると、店の前でジャム販売をしている店員の愛想がないことがひっかかる。店に入ろうとしている客と眼があったら、頭を下げたり、いらっしゃいませの一言くらい口のするものだが、この女は目つきが悪くてしかめ面をしているのだ。嫌な感じがしたが、とり天にとりつかれているので山もみじに入り、大分名物の看板メニュー、とり天定食1050円を注文した。山もみじの接客は親身なものだったので気分を持ち直したが、楽しみにしていたとり天がちっとも美味しくないのだ。味のついていないとり天をタレにつけて食べるのだが、このタレが薄口すぎて味がなく、塩気のないとり天を食べている状態で、こんなにまずいものを口にしたのも久しぶりだ。しかも観光地とはいえ、これで1050円は高すぎる。これが今回のツーリングで最低の料理だった。
とり天定食…‥
食事に落胆して大吊橋を見にいく。料金がかかるから、もとより歩いてわたる気持ちはなく、ただながめるだけのつもりだった。ゴールデン・ウイークに茨城県の竜神大吊橋にでかけたが、少し前まで竜神大吊橋が日本一長い人道吊橋だったのに、この九重“夢”大吊橋にその座をうばわれたと聞いていた。日本一と日本二位の吊橋を見たことになるが、吊橋は吊橋でそれ以上でもそれ以下でもなく、特に心を惹かれることのない存在で、大勢の観光客が歩いているのを見て、また走りだした。
南下していくとまた長者原にもどってきた。ふたたび雄大な景色に胸のすく思いをして、さっき走ったやまなみハイウェイで南にいって周遊コースを終える。県道41号線に入って大観峰にむかうが、その手前からまた大草原がひろがって、日本とは思えないような風景である。思わずバイクをとめて写真をとるが、通りかかったライダーが、その気持ちがわかるよという表情で微笑していた。
日本とは思えない大草原
時速80キロで快走して大観峰にむかう。左右は起伏の大きな大草原のつづく道で何もない。これぞ阿蘇というところである。ところで阿蘇には15年前にも来ている。そのときはレンタカーで九州をまわったのだが、福岡や伊万里、長崎を観光し、柳川でどんこ船にのってウナギの美味しさに驚いた。ハウステンボスや熊本城、水前寺公園を見て、阿蘇をまわり、大観峰と草千里に感銘をうけたことを覚えている。そして宮崎の椎葉、高千穂を観光して大分から羽田にむかったのだ。前回たずねたところで再訪したいと思ったのは、大観峰と草千里、そして柳川のウナギだけである。
大観峰の駐車場に着いたのは13時だった。大観光地だけあって人が多くバイクもたくさんとまっている。しかし荷物を満載しているバイクはなくて、地元の日帰りのライダーが多いようだ。オフロード・バイクも皆無で、国産・外車の大排気量車、重量車がならんでいる。四国もそうだったが九州も長距離ツーリングのライダーは少ない。1日にすれちがう人数もひとり、ふたりと数えられるほどだ。北海道にくらべると人気がこんなにもちがうのかと驚くほどである。荷物をたくさん積んだライダーやサイクリストとは同種の仲間だから必ず手をあげあうが、日帰りツーリングのライダーとはほとんどピースサインをかわさない。それが北海道と違うところだ。私も面倒だから自分から手をあげることはしなかった。
大観峰は15年前から変わっていなかった。四国も九州もほとんど変化していない印象だが、その間に北海道は大きく変貌した。道路がたくさんできて開発がすすんだのだ。それだけ北海道経済は苦しく、公共工事が必要だったということだろうが、逆に言えば四国と九州はゆとりがあるのだろう。
駐車場から大観峰へなだらかな坂をのぼっていく。暑くなってジャケットを脱いだ。やがて丘の頂上の展望ポイントの大観峰につく。360℃の大展望がひろがって、ナイタイ高原などくらべものにならないほど広大で雄大だ。しかし草原や原野だけでなく、町や田も見えてしまうのが観光客としては不満だ。地元の方の暮らしがあるのにこんなことを考えるのは誠に身勝手だが、何もない草原だけを見たい私としては、そこが大観峰の瑕疵だと感じられた。
大観峰
大観峰から走りだすが、方向を誤り迷走してしまう。何を勘違いしたのか、来た方向にもどってしまい、気づいてUターンするも今度は道をまちがえて、大観峰のまわりを何度も行ったり来たりして30分もロスしてしまった。それだけ阿蘇を満喫できてよかったじゃないかと、また無理に思い込もうとするが、さっきと同様自分を欺くことはできない。遅い車を強引にぬいたのに、その先で地図をひろげているあいだにぬきかえされるということを繰り返し、なんともバツの悪い思いで軌道修正をした。
空は雲が多くなってきた。雨が降りそうではないが、空が暗く、重い感じである。国道212号線を南下して草千里にむかっていくと坊中野営場がある。人気のキャンプ場なのでここで泊まりたいと思っていたが、今回は時間があわない。次の機会にと思って先にすすむが、空の色がさらに黒くなってきた。
阿蘇のえくぼ 米塚
ユニークな形をした草の山、米塚があらわれて、熊本方向に行く県道298号線に入って見にいく。米塚は可愛らしい姿の山で、阿蘇のえくぼと呼ばれているそうだが、なんとも微笑ましい小さな山だった。
米塚のすぐ先に草千里を見おろす展望台があった。15年前の草千里には何もなかったのだが、この展望台の他に、眼下に見える大きな駐車場とレストランやみやげもの店も整備されていて驚いた。九州は変わらないものと思ったばかりなのに、ここは大きく変化していた。牛の放牧されている草千里ヶ浜を見やる。右手になだらかな山があり、その下には池があって牛が群れている。阿蘇らしい雄大な眺めだが、せっかちな私はすばらしい景色を眼にしても、すぐ先にすすみがちだ。でもそれではあまりにもったいないので、一瞬よりも少しだけ長いあいだ、広漠たる草千里ヶ浜をながめた。
草千里
展望台の下に見えていた駐車場に入ろうとすると、ここは有料とのこと。施設の維持管理費を利用者から取るとのことなのだが、それはここに店をだしているレストランやみやげもの店から徴収すべきではないのかと思う。立地からしてそれで十分に商売が成り立つはずだから、観光客から金をとるという考えには同意できない。それとも行政は両方からとっているのだろうか。いずれにしても納得のいかない金を払いたくないので、駐車場には入らず、バイクの特権で路上駐車しーーもちろん通行の邪魔にならないようにーー無料でトイレを使わせてもらった。
ここ草千里までは行きたいところとコースは固まっていたのだが、この先のことは決めていなかった。そこで今後のことをよく考えようと思ってバイクの横で地図をひろげていると、雨がポツポツと落ちてきた。大したことはなかろうと高をくくっていると、ザーッ、と降ってくる。たまらずにレストランの軒下に避難して、この雨に足止めされた時間を利用し、これからのことをよくよく考えることにした。
この先は宮崎の海岸にぬけて、海沿いを佐多岬まで南下していこうかと漠然と考えていた。その場合は前回の九州旅行で高千穂を訪れているから、そこを避けたいのだが、ルートを探るとどうしても高千穂を通過しなければならず、それが不満だ。そこで眼を西に転ずると、今回のツーリングでどうしても見たいものがある熊本に注意をひかれる。熊本では宮本武蔵が五輪の書を執筆した洞窟をたずねたいと思っていたのだ。できれば武蔵の墓と武蔵の書や絵をおさめた美術館も。
これから熊本にいって洞窟と墓を見学し、その後は熊本から南へ高速道路が走っているから、夕方のETC通勤割引を利用して、半額になる100キロだけすすみ、キャンプ地を求めるという手もある。いろいろと思案したが、これからの日程を考えると一般道でのんびり走っていては予定していたところをまわりきれなくなりそうなので、高速で南下する案をとることとし、熊本から100キロ以内のICから近いキャンプ場を検索すると、人吉ICから東にいったところに『ゆのまえグリーンパレス』というキャンプ場があり、ここにいくことに決めた。料金は1200円と高いのだが、サイトにバイクを乗り入れることができて、ゆのまえ温泉遊楽里のすぐ前にあるとTMにでているから、入浴も便利で設備もととのっているだろうと思ったのだ。人吉ICの近くには無料の公園キャンプ場もあるが、バイクの乗り入れはできないし、料金が高いほうが当然管理もよいだろうと判断した。無料のところは、今朝のように人のことを考えない若者がいるかもしれないから避けたのである。
雨宿りのあいだに家内に草千里の画像つきメールを送る。母にも電話をしたがかからず、勤め先にも連絡を入れておいた。いつまで待っても雨はあがらないから、15時30分にカッパをつけて走りだす。来た道を引き返して、米塚を見にいった県道298号線で熊本へいく。雨具とブーツカバーで完全防水していたが、米塚をすぎて山を下っていくと雨はすぐに止んでくれた。そして晴れて暑くなってくる。熊本まで40キロあって市街地につくと16時をすぎているから、武蔵の洞窟は鹿児島までいった帰りにすることにして、高速で人吉に急ぐことにした。安いGSがあったが入りそこね、その先は高いから見送っていると、ICの入口についてしまった。IC直前のパチンコ店の前で、シャキーン!、とまたETCカードを仮面ライダーのように取り出して、ETCに装着した。カードをはずしてあるのは盗難防止のためである。カッパを着たままでは暑いのだが、これから高速道路で山岳地帯を100キロ移動するから、いつ雨降りにあってもよいように、用心してそのままとし、16時15分に熊本ICから九州自動車道に入った。
高速道路を時速90キロで南下していく。ガスの残量が少ないから、東名のようにガス欠にならないようにゆっくりと走る。15キロほど走行すると、もしかしたらと考えていた雨が降りだして、すぐに激しい夕立となった。ここから土砂降りの雨が15キロほどつづいた。速度を80キロに落としていくが、東名と違って空いているし、ゆっくりと走っている車も多いから問題はなかった。
雨の九州道 宮原SA
宮原SAで給油をした。燃費は24.08K/Lとよく、ガスは176円と高い。宮原SAの前で雨はあがり、雲のあいだから輝かしい日差しがあらわれて心がはずんだのだが、それもつかの間、走りだすとまた雨だ。夕立のような激しい降りなのですぐにやむと思うのだが、高速道路を移動しているから、またどこで驟雨の会うかわからない。土砂降りのなかをすすんでいくとトンネルが多くなる。いくつものトンネルをぬけると、やがて一段と長いトンネルに入った。後で地図を見てみると肥後トンネル6300メートルだ。ここをぬけると天候が変わり、晴れていたから助かった。やがて人吉ICについてETC割引で半額の950円で高速をでるが、トンネルは23.4もあって、トンネルばかりの高速だった。この間を一般道で走ったら相当に時間がかかったはずで、かなり距離を稼いだと思う。
国道219号線を東にむかうが、空の色が黒くなってきてまた雨が降りそうだし、日の暮れるのも早そうで、先を急ぎたいのだが、人吉の車は時速40キロで流れている。はじめは特別遅い車が先頭にいて、それをぬけば普通の速度で走っていると思い、すりぬけて行ったのだが、どの車も法廷速度の40キロで走っていて、ひどいのになると30キロで巡航している始末だ。信じられないが人吉は時速40キロの国なのだ。それに加えて夕方の帰宅時間と重なって混雑しているから、10キロすすむのに30分もかかってしまい、驚いたが猛烈に苛々としてしまった。スーパーで水や食料なども買いたいのだが、雨もポツポツと落ちてくるし、キャンプ場がどんなところなのか、泊まることができるのか、行ってみなければわからないから、気持ちに余裕が持てなくて立ち寄れない。すりぬけをつづけていくが、路上教習車にパトカーまでいて思うように走れず、やがて雨がザーザーと降りだしてしまった。
18時45分、人吉ICから1時間もかかって『ゆのまえグリーンパレス』の入口についた。ここはパークゴルフ場などもある大きな施設で、丘の頂上に温泉があり、キャンプ場はその手前にある。キャンプ場は思ったよりも小さな敷地で、入口にはチェーンが張られており、利用者はいなくて真暗だ。TMに載っているキャンプ場だから当然キャンパーがいてにぎわっているものと思っていたので、これには驚いたし、今夜もひとりなのかと気持ちが沈む。それでもここに泊まるほかないから、丘の上にあるゆのまえ温泉『遊楽里』にいってキャンプしたいと言うと、受付の女性が戸惑っている。どうしたのかと思っていると奥から男性がでてきて、キャンプ場はもう少したつと遊楽里が運営することになっているが、現在は湯前町が管理していて、担当の人間は帰ってしまったそうなのだ。それでも宿泊してかまわないとのことで料金の1200円を払うが、また領収書はなくて、それはよいのだが、電気がつかないとのこと。町の人間が鍵を持っていってしまったから、電源を入れられないとのことだが、ここまで来て、19時近い時間で、日は暮れてしまい、強い雨まで降っているのにこれから別のキャンプ場にいくのは嫌だから、明かりなどいらないと答え、ここに泊まることにした。話の成り行きから断られるのかと思い、そのときはどうしようかと思ってしまった。
宿泊者名簿に住所と氏名を記入するように求められるが、勤務先とその住所、電話番号まで書くようになっている。念が入っているなと思いつつすべてを書き入れると、そんなに遠くから、おひとりで、と男性がつぶやいている。年に一度の気ままな旅なんですよ、と答えると、それはそれは、と言っていたが、なんとも物好きなという表情だった。
強い雨降りのなか、キャンプ場の入口のチェーンをはずして場内に入った。野営場の中心には大きな東屋のような建物があり、炊事場となっている。この屋根の下にテントをたてることにして、バイクごと建物のなかに乗り入れ、DRのライトの中にテントを設営した。いつものごとくテントはすぐにたって、マットとシュラフをひろげ、荷物も運び入れ、いつもの決まった場所に懐中電灯もおいて、野営の準備はすべて終わったが、今夜もひとりだ。四国・九州はほんとうに空いているが、無料のキャンプ場のほうが旅人は多いのだろうか。
夕食は手持ちの蕎麦にすればよいと考えて、まず入浴にいく。激しい降りで、雨水がながれている坂を傘をさしてサンダルで歩いていく。キャンプ場のすぐ上には売店があって、トイレがあるからこの軒先でゲリラキャンプができるなと思ったりした。
遊楽里にいって宿泊の受付をしてもらった女性に400円を払って風呂に入った。温泉の400円は安いが1200円のキャンプ代は高すぎる。設備を考えれば半分の600円が妥当ではなかろうか。明かりがきちんとついてそのくらいの価値だと思う。
風呂で汗をながした後で、400円のビールを飲みつつロビーで今日のメモをつける。21時過ぎまで文字を書きつけてテントにもどり、ずいぶんと遅くなったが夕食にしようとして水道の蛇口をひねると、なんと水がでなかった。
明かりがつかないのは対処のしようがあるが、水がでなければ何もできない。人吉ICからここに来るまでの間に、スーパーで水を買おうと思ったのだが、気が急いてそうしなかったのだ。炊事場のとなりに管理室があるので、懐中電灯を手に見にいってみる。しかし鍵がかかっているから当然中に入れないし、もしかしたら建物のまわりに水道のバルブがあるのではないかと思って探してみたが、管理室内に設置してあるのが当り前でみつからなかった。
どうしたらよいのか途方に暮れる。雨は相変わらず強く降りつづけていた。水がでないのではトイレを使うこともできないのだろうかと考える。真暗なトイレにたしかめにいく気にもなれず、とにかく遊楽里にもどって水がでないと女性に言うが、女性にどうすることもできないし、男性職員はもういなくて、いたとしても管理室の鍵は町の人間が持っていってしまったから対応のしようがなく、遊楽里も閉店の時間になってしまった。500mlの水を2本220円で買うことしかできなくて、憮然とした思いでテントにもどった。
最低のキャンプ場である。こんな状況が待っていようとは思いもよらなかった。ここにつく前は1200円の高額キャンプ場だから、設備がよくて夜も外灯で明るく、芝生のサイトにバイクを横づけし、温泉につかって快適な野営ができるものと思っていた。それがこのザマである。記憶にないくらいひどい状況だ。
水を1リットルだけ手に入れたから焼酎の水割りは飲むことができるが、蕎麦を茹でることはできない。缶詰とビーフジャーキーの夕食をとるのかと思ったが、すぐとなりにある売店のことを思い出した。トイレの水が使えるのではないかと。行ってみると考えたとおり、洗面台の水がでる。トイレの水を利用するのは気分が悪いが、この際そんなことは言っていられないし、キャンプ場の水道からでる水と同じ水と思われるから、この水で蕎麦を茹で、茹であがった蕎麦を締めて、蕎麦つゆはミネラル・ウォーターで作り夕食とした。蕎麦を口にしたのは21時50分である。
なんとか夕食をとれた
夕食をとって人心地がつき、テントに入って酒を飲みつつメモの続きを書く。こんなにドタバタのキャンプも珍しいだろう。すべてが裏目にでてしまったが、今日は朝からこの調子で、挨拶もしない傍若無人な若者たちから、昼食の味のないとり天に、キャンプではこの始末なのだ。流れの悪い日だと思うが、たまにはこんな日もある。それに考えてみれば、磨崖仏や石棺の蓋、名もなき鳥居との出会いもあったから、悪いことばかりではなかった。
母から電話がかかってきた。草千里ではつながらなかったのだが、着信を見て折り返してきたのだ。いま熊本にいて明日は鹿児島にいく、と言うと、よくもそんな遠いところまで、と話していたが、やがて、お金はあるのかい? みやげは何もいらないよ、と言う。ほんとうにお金はあるのかい?、と何度も。お母さん、私はもう子供じゃなくて、よい年をしたオヤジなんですけど。
雨はようやくあがった。電話を終えてラジオを聞きつつ酒を飲む。台風が来ているが、速度が遅く沖縄に停滞しているそうだ。明日は北九州の雨の確立が高く、南九州は晴れるとのこと。南九州のほうが台風のいる沖縄に近いのだが、雲の関係でそうなるのだそうだ。いずれにしても天気が良いのはありがたいと思っていると、突然車がキャンプ場内に走り込んできた。すごい勢いで。
車は炊事場の前の土のサイトをグワッ、と音をたてて通過し、キャンプ場の奥までいって止まった。そのまま停車しているから、懐中電灯で車を照らしてこちらの存在を示す。22時をずいぶんと過ぎているから、尋常ではない行動だ。いったい何者なのかと身を硬くしていると、車はUターンしてゆっくりもどってきた。車は私の前で止まったが、乗っていたのは初老の女だ。作業員風の。女は、
「キャンプ場の管理の方ですか?」と言う。
「キャンプ場の客だが」と答えると、先日ここを利用した際に傘を忘れたので、それがあるかと思って入ってきたとのことだが、誠に胡散臭い。キャンプ場の入口のチェーンがはずれているのを見て、反射的にハンドルを切って走り込んできた感じだから、めぼしい物があれば盗んでいこうとしていたとしか考えられない。明かりがついていないから誰もいないと思ったのだろうが、私のテントとバイクがあるのを見て、どう言い訳しようかと奥に止まって考えていたのではないのか。女は、お騒がせしました、の一言もなく逃げるようにして走り去ったが、念のためハッチバックの車のナンバーを覚えておいた。しかし今日は最後までこんな日だ。やはり流れが悪い日なのだ。
388.1キロ