2010年 東北ツーリング 1日目 旅の始まりは偶然の出会いから

 

 東北道 上河内SA

 

 5時30分に起床したがひどい二日酔いだ。痛む頭を抱え、水をがぶ飲みし、準備を整えて6時過ぎに出発した。天候は快晴だ。週間天気予報では明日の秋田にだけ雨マークがついていたが、その先はずっと晴れマークが続いている。これなら明日の秋田も晴れるのではないかと楽観的に考えたりした。

 高速料金をETC利用で1000円にするため、東北道の羽生ICをめざす。東北道は羽生のひとつ手前の加須から首都圏料金はかからないのだが、私はいつも羽生ICを使っている。その羽生にむかう途中で、高速のガスは割高だから、格安のスタンドで満タンにしておいた。ついでにコンビニで朝食のサンドイッチやおにぎりを買おうかと思う。高速の食事は高くて美味しくないので。しかし止まるのが面倒でそうしなかった。

 シルバー・ウィークの初日で混んでいる東北道を110キロで巡航していく。埼玉県をぬけ、茨城、栃木とすすむとようやく酒がぬけてきた。すると現金なもので腹も空いてきたの。上河内SAに入り食事をとろうと思うが、レストランは混雑していて席が空いていない。しかたがないので売店でサンドイッチ250円、おにぎり150円、お茶150円を買って外のベンチで食べるが、同じものをコンビニで入手しておけば100円は安く済んだだろうから、面倒がらずにそうすればよかったと悔やむ朝食となった。

 SAは混んでいてバイクも多かった。多彩なモデルを眺めつつ食事を終え、最初の目的地の山形県の酒田をめざす。気温は25℃、29℃、28℃となっていて、少し前まで続いていた38℃もの酷暑ではないから涼しく感じられる。しかし山形は遠い。山形道の分岐も福島にあるのかと思ったら、じっさいには宮城にあり、しかも仙台のすぐ近くだから、山形は本当に遠いところだ。

 山形道の分岐点である村田JCTの手前には国見SAがあった。ガスの残量が気になったが、SAは混んでいたから敬遠した。DRは通常350キロでリザーブとなるのだが、高速を100キロ以上で走ると燃費は落ちるから、それが気懸かりではあった。

 村田JCTで山形道に入ると車の数は激減し、気温は明らかに下がった。この時点での走行距離は293キロとなっていたのでいささか焦ってくる。SAはまだか、と思いつつ今更ながら速度を90キロに落として燃費をかせごうとするが、305キロでリザーブになってしまった。しかし予備タンになってもまだ5リットルのガスが残っているから、100キロは走れるはずだと考えてすすんでゆく。しかしそうはならずに40キロ走っただけでガス欠となり、路肩にバイクをとめる破目となった。

 寒河江ICまで500メートルの地点だった。一昨年の四国・九州ツーリングでも東名でガス欠となったのだが、バイクを揺するとエンジンは再始動してくれて、20キロほど走行することができた。ガスはまだあるのに、予備タンのガソリン・コックにゴミがたまっていて、流れにくくなっているのだと思う。今回も同じだろうと考えてバイクを揺すってみると、タンクの中から、チャプン、チャポンと音がする。やはりまだガスはあるのだ。そこでバイクを揺すってはキックをするということを10回以上繰り返していると、エンジンはかかってくれた。

 とにもかくにも寒河江ICで高速をおりてガスを入れに行くことにするが、本線からの流出路までが500メートルで、じっさいの高速出口まではかなりの距離があったから、押して歩くのは大変なことで、再スタートできてほんとうによかった。

 寒河江ICを出るとGSはすぐにあった。さっそく満タンにするが、高速代を1000円におさえても、ガス欠で途中下車するとまた1000円を払わなければならないから、混んでいても早目に給油をしなければいけないと、自戒をこめて思うのだった。しかし、山形道は無料区間があると案内がでていたから、高速に乗りなおしても高速代がかからないでほしいと祈る私だった。

 ガスが残っていてもガス欠になるのは、前述のようにガソリン・コックにゴミが詰まっているからだと思われる。それは相互リンクしていただいているFukishimanさんのHP『オートバイの壺』のメンテナンス日記を読んでいてわかっていたのだが、やり方がわからなくてそのままにしてしまっていた。そのツケがまわったというわけである。

 祈りが通じ、山形道は無料で供用中だった。ラッキーである。山形道は月山で途切れて月山道路に接続するが、その区間をすぎるとまた山形道となる。月山道も自動車専用道路なので、ずっと山形道を走り続ける感覚で、月山ダムや滝のかかる深山を駆け抜けていった。月山の上空には雲がわいていたが雨は落ちてこなかった。

 酒田で高速をおりたが酒田には目的地がふたつあった。ひとつは紅花などで栄えた豪商、本間家の美術館を見ることで、もうひとつは有名なフレンチ・レストランのル・ポットフーで食事をすることだ。ル・ポットフーは日本のフランス料理の草分け的存在だそうで、昔は有名人がたくさん通ったのだそうだ。

 そのル・ポットフーに行くことにして酒田駅をめざす。ル・ポットフーは酒田駅前の東急インにあるのでわかりやすい。13時過ぎに東急インの3階にあるル・ポットフーについた。店内はフランス料理店らしく高級できらびやかな装飾がなされ、上品でよい雰囲気である。いつも利用しているラーメン屋やオヤジ酒場とはあまりに違うから、気後れしそうになるが、そこは年の功で鷹揚に振る舞った。

 

 

 ル・ポットフーの店内

 

 席に案内されると椅子を引いてくれ、座ろうとすると椅子を押してくれる。こんなことをしてもらったのは久しぶりである。テーブルにはクロスがかけられていて、皿とシルバー、ワイングラスとナプキンがセットされている。照明は落とされていて、右手奥にあるスタンドが私のテーブルを淡く照らしていた。

 メニューを見ると昼でもコース料理中心で、3500円、5500円、7500円の料金設定となっている。山形牛のステーキ・コースも4000円くらいであった。その中にシルバー・ウィーク限定のお得なランチ2625円があったので、これをお願いすることにする。内容はオードブル3種にスープ、肉と魚のふたつの欲張りメインディッシュ、デザート、コーヒーである。

 

 オードブル3種

 

 今日のキャンプ地が決まっていないことが気になる。酒田では『1999年 山寺・出羽三山ツーリング』の際に庄内夕日の丘キャンプ場を利用した。このキャンプ場はよいところだったのだが、食後に本間美術館を見学したら日本海を北上するつもりだから、候補にならない。午後に走れる距離を考えると鳥海山あたりが幕営地だろうと思われる。その地域にあるキャンプ場を吟味して3ヵ所ピックアップしておいた。また、高校1年の時に自転車で東北をツーリングしたのだが、その際には象潟キャンプ場を利用した。そこにまた泊ってみるのも、何十年もの時空を超えた体験ができるから、一興だなと思ったりした。

 前菜3種がやってきた。とても美しく上品に盛りつけられていて、支配人がお箸でどうぞ、と言ってくれる。気軽の楽しめるように箸がセットされているのだ。3種の中ではガーリックトーストの上にホタテをのせた一品が美味しく、他は平凡だった。

 

 スープ皿が美しい

 

 スープはポタージュとミネストローネがえらべるが、好物のミネストローネにする。スープはパンといっしょに供されるが、スープ皿が洒落ていてとても素敵だ。美しい器を見ていると笑みがこぼれてしまった。

 メインの欲張り2種盛りはビーフ・ステーキと小鯛のポワレだった。ステーキに洋ワサビを添えて食べるのがじつにいけた。ところで私の隣りでは初老の紳士がひとりで食事をしていた。男性は安いランチではなくコース料理をえらんでいる。私と同じように料理の写真をとりながら昼食を楽しんでいたから、ブログでもやっているのだろうかと思ったりした。他に客は2組だけだ。もっと入ってもよいと思うがこれも不況のせいだろうか。

 

 デザート

 

 パンをひとつ追加して食事を終えた。私は米派なのだがたまにはパンもいいなと思う。パンにバター。そしてフレンチもよいものだと。ホッピーにモツ焼き、ラーメンも美味しいのだが。

 デザートのプレートがやってきたがボリュームたっぷりだ。これに濃いコーヒーがついているから2625円はまことにお得だ。コース料理も試してみたいが、次はいつここに来られるのかわからない。それが残念だった。接客が完璧な支配人は元ライダーだそうで、バイク大好きなのだそうだ。バイクの客もたまには来店するそうなので、これを読んでくれているあなたも機会があれば是非どうぞ。

 それにしても私は金に細かいケチな男のはずなのに、このところ食欲と好奇心に負けて贅沢なものを食べてしまっている。これは食べログを始めたせいである。食べログは自分が利用したレストランの感想を口コミとして投稿するものなのだが、書くだけでなく、つい評判の店やセンスのよい人のレポートも読んでしまう。情報を知ってしまうと行きたくなるのが人情なのである。私はいまだに金に細かいケチな男のままなのだが、ただ最近、ちょっと堕落したかも知れない。

 

 本間家の別荘と庭園

 

 本間美術館にむかう。本間家は酒田の殿様よりも金持ちだった豪商で、美術館は別荘を利用したものとのこと。当日の展示品は中国の紀元前の青銅器で、日本画が見られるのではないかと期待していた私の思いはかなわなかった。しかし別荘と庭園が見事だったから900円の価値はあっただろう。

 歩くと暑い。汗がにじんでくるからジャケットを脱いでバイクの元にもどった。これから夕刻まで日本海を北上し、キャンプ地を求めなければならない。ここと眼をつけておいた鳥海山のキャンプ場と、その周辺の地図をよく見てから走りだそうとしていると、こんにちは!、と背後から声をかけられた。やけに親しげな調子なので、バイク好きの観光客だろうかと思って振り返ると、
「?」
 なんとサトさんではないか。サトさんは仙台の方で今年の5月に福島のオフ会でお会いした人なのだ。そのサトさんがどうしてここに? ええ? 

 お話をうかがってみると、私が東北ツーリングに出る、まず酒田に入る、と書いたブログを読んでくださり、サトさんもご友人と酒田でキャンプする予定なので、どこかで会えるかもしれませんね、とメールを送ってくださったとのこと。そのメールを見ずに私は出てきてしまったのだ。

 サトさんは私も利用した庄内夕日の丘キャンプ場に泊まられるとのこと。やはり酒田ならここのようだ。サトさんの日程やご友人のことなどもうかがうが、この先によいキャンプ場はないですか、と聞いてみた。すると、仁賀保高原キャンプ場がよいでしょう、と教えてくださる。300円と安くてお得だそうだ。そこに泊まることにして走りだす。しかしサトさんにお会いできてとても嬉しかった。仙台のサトさんと酒田でお会いできるなんて、ネットって素晴らしい。しかし別れ際にお聞きしたが、明日は雨とのこと。酒田付近にだけ雨マークがついているのだそうだ。

 

 サトさんのバイク

 

 国道7号線を北上していくが、この道は酒田街道、羽州浜街道、おけさおばこラインと三つも名前がついていて楽しい。そして海にでるとすばらしい景色である。鳥海山も見えている。鳥海山ブルーラインという、山の中を走る魅力的な名の道もあるが、そちらに行くと鳥海山に近づきすぎて、山の姿が見えなくなるような気がしていかなかった。

 海沿いの道を象潟にむかってゆく。前にも書いたが象潟は高校生の時にキャンプした地だ。特別な期待をしていたのだが、それが裏切られて落胆した記憶がのこっている。それは松尾芭蕉が奥の細道で詠んだ、
 象潟や雨に西施がねぶの花
 という句と父の思い出につながっているのだ。この句は雨の降っている象潟の情景が、薄幸の中国美人の西施が泣いているようだ、と詠んだのだと父は言った。私が小学生の時のことだ。父からは象潟は松島とならぶ絶景の地であるということと、不幸な美人の西施のエピソードを聞いていた。

 山に風車がたくさん立っている。そういえば相互リンクしていただいている、えぼらぁ〜さんのHP『EVOMIX』の旅レポートに、仁賀保高原の風車がたくさんある写真があったことを思い出した。あれはここだったのか。ならば私も風車のいっぱいあるところで写真がとりたいが、象潟まであと5キロとでているから、まず象潟を見たいし、象潟キャンプ場もたずねたい。その後でここにもどってくることにした。

 春秋時代の人だった西施は、他国へ貢物としておくられた女性だと父は語った。隣国に攻められて困った王は、美女をおくって隣国の王を懐柔しようと考えた。しかし他国にやってしまう女なのだから、絶世の美女ではなく、それなりの女性にすればよいと考えた。その国の女たちは他国に行かされるのが嫌で、こぞって役人に賄賂をおくったそうだ。しかしずば抜けた美人だった西施は、自分が選ばれるはずはないと考えて袖の下をつかわなかった。すると人身御供にされたのは西施だったのだ。その西施の悲しい姿と雨の象潟の絶景と、ねぶの花を織り込んで詠んだのが芭蕉の句だと父は語ったのだが、象潟の海は絶景でもなんでもない。ただただ平凡で平板なもので、期待していた私は象潟の海を見て愕然とし、深く落胆したのだった。

 象潟の町に入って中心部を走りまわる。しかし芭蕉の句などの案内はない。どうしてなのか。象潟の人は奥の細道を大事に思っていないのだろうかと疑っていると、小さな看板のでている橋に出た。象潟橋という名の橋だ。案内によるとここから眺める鳥海山と九十九島は象潟八景のひとつと言われていたとのこと。しかし海の方向を見ても九十九島はひとつもないのだった。

 先に進むと道の駅象潟があった。ねぶの丘ともでている。ここに入ってみると展望台があり、登ってみると海ではなく、田んぼの中に九十九島が散らばっていた。昔の象潟は松島のように小島が海にたくさん浮かんでいたが、地震で海が隆起し、陸地になってしまい、小島は陸の小山になってしまったそうだ。どうりで象潟の海は無味乾燥なはずである。これで高校生のころからの疑問がひとつ解決した。

 

 陸地に点在する九十九島

 

 展望台の下には芝生の公園、ねぶの丘がある。そこに一目で西施とわかる中国女性の像があるのでいってみた。大きな像である。にかほ町の案内がでていて、西施は国のために我が身をささげた女性だとある。父の話とは大分ニュアンスが異なり、しかもぼかした説明だ。しかしここは美しいところだ。夕日を浴びてきらめく海の先に島が浮かんでいる。この海に九十九島があったなら、たしかに松島とならぶものであったろう。

 

 西施像

 

 ところで帰ってから西施のことを調べてみると、史実はまったくちがった内容となっていた。越の王が呉の王を女で骨抜きにしようと考えて、謂わば人間兵器としてえらばれたのが西施なのだ。西施は一般女性だったため、宮中の礼儀作法から舞踊、音曲、そして性技まで仕込まれて呉におくられ、見事にその使命を果たしたとのこと。父の話もにかほ町の説明も事実とちがっているが、小学生や観光客に語るには適切なものなのだろう。

 象潟の手前にあった多くの風車が気になるがもう16時をすぎた。風車は他にも見えているからもどらないことにし、高校生のときに泊まった象潟キャンプ場をさがすことにする。そのキャンプ場はすぐにみつかった。海の近くの松林にあり、オープンしているのは7・8月らしく今は誰もいない。しかしこんなに狭いところだっただろうか。とても広かったイメージが残っているのだが。

 仁賀保高原キャンプ場にむかうことにする。その前に夕食の材料を買いたいが、スーパーはないのでローソンに入った。ル・ポットフーのランチでまだ腹はいっぱいなので、砂肝の塩焼き198円と漬物228円のみをえらび、それに酒と水も買い込んだ。

 

 鳥海山を眺めながらキャンプ場へ

 

 看板にしたがって何度も分岐を折れ、鳥海山をながめながら高原に上ってゆくと、16時55分にキャンプ場の入口についた。受付に人はいなくてキャンパーの気配もないが、キャンプ場を利用する人はここに電話せよと番号がでている。そこに連絡してみると、近くにあるひばり荘が管理をしているとのことで、そこで料金の300円を支払った。ついでに近くに風呂はないかとたずねると、かくせんそう、があると言う。核戦争? と思ったら、鶴泉荘だった。

 キャンプ場に入ってみるとファミリー・キャンパーが2組いた。野営場にひとりきりというのは怖いから、他に人がいてくれてよかった。ファミリーから離れたサイトにテントを張り、鶴泉荘に入浴にいく。鶴泉荘は象潟方向に12キロもどったところにあり、料金は300円だ。温めの湯にゆっくりとつかり、350円のビールを買ってテントにもどった。

 ビールを飲みつつ今日のメモをつける。ローソンで買ってきた砂肝と漬物を酒のあてにするが、昼にたくさん食べたからこれで十分だ。テントの中で飲んでいるととても気分がよい。大好きなキャンプをしてひとりの時間をすごすのは私にとって至福の瞬間だ。今日1日のことを反芻する。ル・ポットフーと象潟と鳥海山、それに何よりもサトさん。

                                            走行距離 500キロ