2014 福島ツーリング 1日目の2

 

 野沢駅 大山まつりの幟がたつ

 昼食は行列をしているラーメン店にゆくことにした。『えちご家』という店舗で地元の人に人気だ。並んでいる方に何がおいしいのかたずねてみると、西会津は味噌ラーメンが名物とのこと。喜多方が近いから正油と思い込んでいたから意外だった。待っていると蒸気機関車の汽笛がきこえる。SLが走っているのだ。さっきたずねた駅はさびれていたが、SLがくるならあなどれない。気がつくとSLが吐き出した大量の煙が空にひろがっていた。

 私の前に4・5人の客が待っていたが10分ほどで席につくことができた。ソースカツ丼もあって気になるが、みなさんほとんど味噌ラーメンを注文するので、私もそれにした。700円である。

 

 メモをつけながら待つと5分ほどで味噌ラーメンはやってきた。早いのはそれだけでポイントが高い。さっそく食べてみると、味は普通だ。ちょっぴり辛い。これならソースカツ丼にすればよかったと思った。

 ラーメンを食べたら体が熱くなった。日差しの下を汗をかきつつ鳥追観音にむかう。国道を折れて山にのぼってゆくが、分岐から3・4キロで鳥追観音にいたった。暑いのでライディング・ジャケットを脱いで境内にゆく。会津三観音はぴんぴんころりのご利益があるためか参詣者でにぎわっていた。

 

 鳥追観音

 お地蔵様のならぶ参道の先に古い観音堂がたっていた。観音堂に入ると右に小さな坐像の観音様がみえる。左にはお守りなどを売っているコーナーがあった。観音様の安置されている内陣にあがることができるので、靴をぬいですすみ、観音様の前にすわっておまいりをさせていただく。やさしいお顔がみえた。

 立ち上がると後ろに順番待ちの女性がいる。若い母親で私と入れ違いにすわって祈りだした。彼女の夫と子供は内陣にはあがらずに静かにまっていた。

 ここにも抱きつき柱がある。男柱と女柱があり、それぞれ男は男柱、女性は女柱にだきつくのが流儀なのだそうで、何人もの善男善女がだきついていた。

 鳥追観音は昔この地の人々が農作物の鳥獣被害に苦しんでいたときに、観音様をまつったところおさまったことにはじまる。その後最澄と論争し、国宝の仏様のいる勝常寺を開設した徳一上人と弘法太子によって創建されたとつたわっている。

 

 大山祇神社

 鳥追観音の3・4キロ奥に大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)があり、近いので立ち寄ってゆくことにした。バイクでむかうとすぐに到着したが、かなりの人がいて、鳥追観音よりもにぎわっている。人出におどろきつつ神社に歩くと、神社の入口の両脇に食堂兼みやげ物店があり、そこから魚を煮るにおいがただよってきた。ニシンの煮つけと饅頭が名物のようで、店の人が熱心に売り込んでくる。客もそれに気さくに答えておしゃべりをしているから、福島の人はそういう気質なのだろう。都会ではこんな場面はほとんどの人が無視して通り過ぎるが、ここではなごやかにやりとりがされていて、スロー・ライフという言葉が思い浮かんだのだった。

 大山祇神社は小さな社だった。しかし大山まつりのため神職の方はたくさんいて、参拝者の対応にあたっている。そのようすを見ていると、会津六詣出がこの地に根づいていることを感じさせた。

 大山祇神社をでると雨がふりだした。ポツポツとした弱いものだが、濡れるのは嫌なので急いで山をくだってゆく。空は晴れているから止むだろうと思って走ってゆくと、果たして雨粒は落ちてこなくなり、また暑い日差しがもどってきた。

 柳津町にある福蔵虚空蔵菩薩で有名な圓藏寺(えんぞうじ)にむかう。やってきた道を会津坂下にもどってゆくが、山越えの国道には登坂不能地点多しの看板がたくさんでていた。夏にバイクで走っていてはわからないが、冬季にトラックやトレーラーが急坂をのぼれなくなるところがたくさんあるようだ。そのニュースをテレビで見たことを思い出した。この先がそこ、と案内があったが、たしかにアイスバーンでは大型車は上がれそうにないと感じられる急勾配だった。

 国道257号線に折れて南下し柳津町にはいった。圓藏寺は国道から旧道にゆけと表示されているので、それにしたがってゆくと温泉街にでた。ひなびた風情がよい感じだが、この温泉街は圓藏寺の門前町なのだそうだ。

 

岩山の上にたつ圓藏寺 

 狭い道をすすんでゆくと圓藏寺の裏門についた。正面である山門は数100メートル先にあるようだが、駐車場が空いていたからここからおまいりすることにする。石段がつづいているから、かなり歩くものと覚悟したが、お寺まではすぐで、裏門の先に古くて風格のある本堂があらわれた。

 圓藏寺は古くから信仰をあつめる名刹とのこと。裏口から正面にまわりこんで大きな本堂に入ると貼り紙がたくさんはってあった。浴衣・どてらでのおまいり禁止、静かに祈るべし、ここはお寺(なので)手はたたかない、神社ではない、静かに手をあわせる、など。温泉街が近いからマナーを知らない人もくるのだろう。それをいちいち注意するのはたいへんだから、こんなに注意書きが多くなったのだろうと思われた。

 

 圓藏寺がライトアップされたポスターがあるが荘厳だ。境内には大きな紅べこがいて柳津が発祥の地だと書いてあった。眼下には只見川がながれ橋がかかっている。寺をでてそこを通りかかると、岩山の上にたつ圓藏寺の姿がよく見えた。壮観だった。

 これで今日の予定は終わったが、まだ時間があるので、会津三観音の残りのひとつ、会津美里町にある中田観音にゆくことにした。その前に柳津森林公園にあるキャンプ場に泊まりたいと思っていたので、下見をしてゆくことにする。明日は福島市をまわるつもりなので、中田観音から福島市方向に適当な野営場があればそれでもよいのだが、とりあえず柳津の幕営地を見ておくことにしたのだ。

 会津坂下方向にもどると森林公園の案内板がでていた。GSの横を折れて踏み切りをわたり、山の上にむかってゆく。途中にあった集落をぬけて更に山奥にはいってゆくから、ずいぶん距離があるように感じたが、後で確認してみると国道から2キロしか離れていなかった。

 

 柳津森林公園のキャンプ場 

 ひらけた場所にでると芝生の広場と管理事務所があらわれた。芝生にはバイクが3台乗り入れてあり、テントが三張とタープがひとつたっていた。狭いが居心地のよさそうな野営場である。ここに泊まってもよいと思ったが、とりあえず中田観音にゆくことにする。その後は成り行きにまかせで決めればよいだけだった。

 会津坂下にもどり、駅の横をぬけてТMに細い線で示されている道で美里町にゆこうとするが、迷ってしまった。TMにある道路がみつけられず、高速道路と会津坂下の町の位置から方向を見定めて、農道をすすんだためだ。それでも美里町には入れたのだが、どこにいるのかわからず、行きつ戻りつしていると、新鶴の集落にいたった。茅葺屋根の上にトタンをかぶせたような古い会津の家並みがつづく村落だ。中田観音はどちらに行ったらよいのかわからないので、歩いていたおばあさんに聞いてみた。すると近くにある温泉の『ほっとぴあ』を通りすぎて、山を下ったところにあるとのこと。おばあさんは会津弁でおしえてくれたが、昨年のNHK大河ドラマの『八重の桜』のように、ーーしてこらんしょ、と言っていたのはとても新鮮だった。

 

 中田観音

 『ほっとぴあ』に後で入浴しようと思って下ってゆくと中田観音にいたった。小さくて古い観音堂だ。人も車もいないからバイクを山門の近くにとめた。道に迷って走りまわり、暑い中で大汗をかいたので喉がかわいた。お茶を買って一息いれるが、500mlのペットボトルを一気に飲んでしまった。

 中田観音におまいりする。観音様は公開されておらずお姿を見ることはできない。観音堂には右横から入れるようになっていて、そこに抱きつき柱があった。抱きつき柱は会津のお寺にはなくてはならないもののようだ。またここは野口英世の母親が英世の火傷の平癒と出世を祈ったところとして有名である。

 中田観音の近くには会津六詣出の残りのひとつ、伊佐須美神社がある。そこにゆけば会津六詣出がかなうことになるのだがやめておいた。もとより三観音めぐりも六詣出もするつもりはなかったのだ。ほっとぴあにゆくことにする。ほっとぴあは美里町が運営する施設で、料金は町民でない者は500円だったと思う。 

 

 ほっとぴあ