7月26日(火) 出会いの日、紋別へ
網走駅の朝、九州から大雪山登山にきた25くらいの人と1時間ほど話し込んだ。内容は忘れてしまったが、やけに愉快だった印象がある。野宿旅をしていると、親近感をもって話しかけてくれる人が多い。別れ際にリアルゴールドをいただいたが、栄養ドリンクが、おじさんくさいと無礼にも感じてしまった。
朝食は天ぷらそば280円となっているから網走駅で食べたのだろう。7時40分に出発し、2年前にも自転車ではしった阿寒、屈斜路、摩周の湖をまわるコースを選んだ。津別から阿寒にむかう釧北峠への道は、まったく同じルートだ。ペダルで踏みしめてみた景色がひろがり、感傷的な気分になる。19のときと21のいまではいろいろなことが変わっていた。自分で変えたこともあるが、社会に変えさせられたこともある。自分のなかの落差が胸に迫るのだ。
阿寒までは晴れていた。自転車のときは心に余裕がなくて、ひたすらに先を急いだのだが、いまは違う。湖をながめ、みやげ物屋をのぞいて、熊の木彫りの実演を見物し、自動シャッターで記念撮影して阿寒湖を堪能した。
摩周湖にむけて阿寒横断道を走りだすと空模様があやしくなってきた。雨こそ落ちてこないが、雲がわいてきて、摩周湖の登り口には霧がまいている。これでは展望はきかないだろうと考えたが、はたして摩周湖は霧に閉ざされている。真っ白なミルクのような霧に。第二展望台まで足をのばすが、どこもかしこも霧につつまれ、さらには雨までふってきた。たまらずにカッパを着込むが、今回のツーリングはやけに雨が多い。一日晴れた日なんてあっただろうか。
濃霧と雨の摩周湖をくだり屈斜路湖にむかうとまた晴れてきた。カッパを脱ぐ。どうやら摩周湖付近の局地的な雨と霧だったようだ。山岳道路を登っていくと、後ろからものすごいスピードでバイクが迫ってきた。ミラーで見ると飛ばすようなタイプではない。アメリカン・タイプだ。あっという間に抜き去られてしまうが、ギンギンに改造したチョッパーだった。
80キロで走っていた私もスピードをあげてついていく。速度は110から120キロ。コーナーのつづく山道だ、離されそうになる。しかし屈斜路湖を見下ろす展望台までくると、いままでの劇走が嘘のようにあっさりと速度をおとし、駐車場にはいってしまう。チョッパー氏はバイクをあわただしくとめると、駐車場のなかを歩きまわりだした。私はチョッパーの隣にGSXをとめた。
チョッパー氏は駐車場のなかをくまなく歩いている。なにか探し物だろうと察しがつく。下を見て歩きまわっているから。私はチョッパーを観察した。ベースはカワサキZ400LTDだが、フロント・フォークを延長し、プルバック・ハンドルに変え、タンク、シート、マフラーからライト、ウインカーまでいじってあった。当時これだけの改造をするのはかなりの思い切りが必要だった。雑誌で見るならともかく、路上でこれほどの改造車に遭遇したことはなく、バイクの多く集まる上野のバイク街にいっても、出会ったこともなかった。
当時はコンチハンに集合管くらいだったら警察にとめられることはなかったが、車検を通る社外部品はなかったし、このくらい目立つ改造をすると、整備不良で切符を切られるリスクが高かった。
都内ナンバーのチョッパー氏がもどってきたところで、
「凄いバイクですね」と話しかける。
彼は気さくに改造箇所の説明をしてくれたのだが、急に口調がしずみこんで、
「実は、免許証を落としてしまって、探していたんです」と言う。
これで駐車場を歩きまわっていたことも、無茶なスピードで走っていた訳もわかった。彼といっしょにもう一度探すが、やはりない。別れ際に、
「カッコいいんで、いっしょに写真をとってください」と言うと、
「嬉しいな」とぽつり。
チョッパー氏は来た道をまた猛スピードでもどっていった。
昼食は玉丼450円となっている。網走にもどり北上して能取岬に行く。ガイドブックにアザラシが見えることもあると書いてあったため足をのぼしたのだ。道道をはずれて岬にいく道は砂利道である。景色が非常にうつくしく、観光客のすくない穴場だった。
駐車場につくとツーリング・ライダーがふたり話をしていた。バイクはXL250とXJ400カスタムで、ナンバーがまるで違うため、ここで出会って話し込んでいるのだと知れる。岬を見にいき、アザラシが見えないことに落胆して、駐車場にもどってくると、話をしていたふたりは握手をして、XL250は走り去った。
入れ替わりに今度は私がXJ氏と話を始めた。彼は東海地方の人だったが日本一周中だった。3月4月と必死にバイトをして金をため、5月に出発して東北をはしり、北海道を私とは逆にまわってきたそうだ。
「ずいぶん、時間がかかりますね」と言うと、
ひとつひとつの観光地をじっくりと見ているので、1日に30キロしか走らない日もあるとか。
「1日に300キロも400キロもはしったら、何を見たかわからなくなるでしょう」と彼は言う。日本一周のために大学も休学したそうだ。私にはそんなことはできない。決まったルートをはずれるなんて、勇気が出ない。それがどんなに好きなことであっても。
XJ氏にこのさきの見所や野宿地の情報をもらい、握手をして別れた。XJ氏には後日談がある。このツーリングの数年後、バイク誌で彼が紹介されているのを見たのだ。彼は日本一周のあとに大学にもどり教師になっていた。XJ400カスタムは4万キロか7万キロを走行しているが、大事な宝物として大切にしているという内容だった。
私もサラリーマンになっていたわけだが、昔日の彼との思い出をしのび胸がいっぱいになった。しかし彼のXJを思う気持ちにおどろきもした。私のGSXは北海道ツーリングの翌年に走行距離が33000キロをこえ、すっかりヘタってしまい、大型免許に合格したこともあってZ750GPにかわった。GPも社会にでて3年目には、さらなるビックバイクへのおもいがおさえられずにZX10へとうつりかわった。ずっと1台のバイクに乗り続けるのは、日本一周の友であったということもあるのだろうが、氏の特質なのだろう。北海道の、無数にある湖を、ひとつひとつ残さず見てまわっていると言っていた彼の人柄がしのばれる。きっと出会った人間のすべてと握手をして日本一周をしたのだろう。教師の似合う男だった。
能取湖をはなれるときにキタキツネがいたので写真をとった。観光客に餌をもらいたがっているようだが、やせていて、物欲しげなのが辛い。キツネは岬にはいってきた車におどろいて草原に消えていった。
XJ氏に教えてもらったサロマ湖の展望台にいく。わかりにくいところだったが、注意して走っていたのでみつけられた。湖岸の道から登山道にはいり、10分ほど歩いたところにある天然の展望台、幌岩山展望台だ。山道をブーツで10分歩くのはたいへんだったが、XJ氏の言ったとおりサロマ湖全体が見渡せた。湖と海の境、細くのびる砂丘が、途切れているのもあざやかに見える。どのようなバランスでオホーツク海とサロマ湖がつながっているのか不思議だ。この展望台はのぼっていくときに下りてきた人とすれちがっただけで、ほかには誰もいない穴場だった。
今宵の宿はやはりXJ氏に教えてもらった無人駅の紋別駅とした。距離はあと55キロ。昭和56年型トヨタカローラSEのうしろを走りつづける。都内ナンバーの車だったので親近感がわいたのだ。カローラには営業職のような男性がひとりで乗っていた。
紋別駅につくと駅前交番でたずねて銭湯にでかけた。240円だ。二日ぶりだったのでサッパリした。駅では高校3年生のXL250S君といっしょになった。彼とはおなじナンバーで住所も近い。しかも彼の通っている都内の私立高校は、弟がいっていた学校だった。実は私もこの学校を受験して合格したが、公立高校に受かったのでいかなかったのだ。当然のことながら話があった。
コインランドリーで洗濯をしようということになった。ランドリーで洗濯機をまわしていると、地元の初老の男性に話しかけられた。どこから来たのか、と。私たちが住所を言うと男性は非常に懐かしがり、
「俺も若いころに、東京にいたんだよ」と語りだした。
男性は北千住あたりに住んでいて、生卵を自転車で配達する仕事をしていたそうだ。北千住でとれた卵を上野まで運んでいく。朝の暗いうちに出発して、卵を割らないように注意しながら、橋をこえ、川をわたり、坂をのぼる。湯島の坂がエラカッタと言う。苦労話が興味深くて、私は男性と話し込んでしまったのだが、XL君は退屈していて、悪いことをしてしまった。
走行距離 255.6キロ