7月27日(水) 稚内の騒がしい夜

 

 XL君と別れるときに彼にとってもらう。

 XL君とは夜眠るまでのあいだと、翌日にとなりの駅まで移動してさらに長い時間話しこんだ。内容は彼の進路や、大学にいくべきか、ということだった。XL君は高3で北海道ツーリングに来ているくらいだから、受験をあきらめていた。自分を正当化したかったのだろう、大学になんかいったって意味はないし、大学生なんて遊んでばかりなんでしょう、と私に問うたのだ。社会にでてはやく稼いだほうがマシだ、と。私は自分の経験に照らして、実感していたことを自分の言葉で、年下の彼に生真面目にこたえた。簡単に言ってしまえば社会での大卒の優位性である。私だって大学受験に失敗したくちだ。第一志望の学科に落ちてしまい、二次試験で三流大学に滑りこんだのだ。偉そうなことは言えない。しかし真剣に聞いてくるXL君に本音で対峙した。彼とは8時30分に南北に別れた。私は北へ、彼は南に。

 宗谷岬にむけて北上していく。荒涼とした風景の残像がのこっている。写真を見るとまた雨になっていて、カッパを着て宗谷岬、ノシャップ岬にたっている。ノシャップ岬はすいていたが宗谷岬はこんでいて、最北端の碑で写真をとるのは順番待ちだった。寒かった。宗谷岬の歌がずっと流れていた。
 ♪宗谷の岬♪ 
ダーク・ダックスだったと記憶する。函館のような大音量ではなかった。

 

 今日は稚内駅に泊まることとした。ツーリング・ライダー、サイクリスト、バックパッカーなどの野宿組が20人ほど駅にいた。それぞれ三つのグループに分かれたが、駅のひさしの下に一列になってシュラフをならべる。お巡りさんが見まわりにきて、なごやかに話をしていく。少しまえに暴走族の車が一台やってきて、ロータリーを三周してかえっていったことを告げると、暴走している人間はひとりひとりどこの誰かわかっていると言う。稚内は狭い町だから、と。しかし滅多なことはしない連中だ、と。北海道の人たちは旅行者に優しかった。

 バイク組のなかでひとり年長の男がいた。27.8か。ホンダGL400カスタムに乗っていたが、礼文島からの帰りだと言う。当時でも利尻、礼文まで足をのばす者は稀で、北海道通とされ、大したものだと感心した。しかも前回礼文にいったときに奥さんと知りあい、妊娠させて家に連れ帰ったというから凄い。妊婦をGLのタンデムシートに乗せてかえったのである。今回はそのとき世話になったお礼のための旅だという。いろいろと話したが、私は人気のないGLに乗っている理由が知りたくて聞いてみた。昔から妙なことが気になるたちなのだ。すると、400のバイクで一番高いから、という答えがかえってきて絶句した。そういうバイク選びの基準があるとは思いもしなかった。

 駅にはヨーロッパ人の旅行者がひとりいた。どこの国の人だったか忘れたが、彼は金を数百円しか持っていないと言うのだ。金がないのにあわてたようすはなく、最後の金で買ってきたパンとジュースを私にもすすめる。私は辞退したが、言葉のつうじない異国の地で、無茶な旅をする男の気が知れなかった。彼はやはり旅費が心細くなって、バイトをしてもよいと考えていたツーリングライダーと、明日からアルバイトをすることになった。仕事は留萌の道路工事だ。私もいっしょに行こうと誘われたが断った。彼らは駅にいたすべての人間に声をかけていた。バイクも自転車も徒歩も関係なく。要するに誰でもすぐに友達になれる、開放感にあふれた、気安い気分の時間を共有していた。ただ北海道をおなじように旅しているというだけで、すぐに親友になれたのだ。

 眠る前に私がビールを飲んでいると、余裕があるな、とGL氏が言う。そんなことないですよ、と答えたが、酒を飲んでいたのは私だけだった。シュラフにはいって眠りにつこうとしていると、夕方やってきた暴走車がまたやってきて、ロータリーをまわりだす。警官に面が割れているのによくやるなと呆れていると、消火栓にぶつかって、水がふきだした。暴走車はすぐに逃げてしまったが、通報でやってきたさきほどの警官が、物を壊したなら捕まえねばならない、と苦しい顔をして去っていく。騒がしい一夜は更けていった。

                                走行距離  255.6キロ

 

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