鳥類学者のファンタジア 奥泉光 集英社 2001年 2300円+税
すばらしい完成度の小説。
2005年も終盤となり、最後に読む小説は水準がたかく、かつ、手ごたえも十分なものにしたいと考えて図書館にでかけた。作家別にならべられた書棚をみていくと、奥泉光の名前に眼をひかれる。そして『鳥類学者のファンタジア』というタイトルにも。
奥泉光は芥川賞受賞作の『石の来歴』を受賞時に読んだだけで、その『石の来歴』は前半はすばらしい出来だったが、後半になるとリズムが変わり、説明調の落ち着きのない、筆のはしったタッチになってしまい、水準はたかいものの、全体の統一感、ラストまで同じ呼吸で書きぬく耐久力が欠けた印象だった。
巻末についている作者の年表を見てみると、芥川賞の受賞は1994年であり、それから4年後の1998年から2000年にかけて連載された本書は、作家のいかなる進歩をみせてくれるのだろうかと、興味をもって手にとった。いつものように書きだしを読む。じつに巧みなはじまりである。読書欲を鷲づかみにされてしまった。装丁も凝っているし、各章のタイトルにもひきつけられる。なによりも冒頭から色濃くただよっている音楽のかおりにひかれて読みはじめた。
ジャズ・ピアニストの希梨子、通称フォギーが主人公の物語である。フォギーは36才の独身女性。本書の旧タイトルは「フォギー 憧れの霧子」だったという。内容的には旧題のほうがあっているが、本書は現タイトルのほうがふさわしい。センスのよい命名はタイトルだけでなく、様々な小道具にもなされている。
物語は国分寺ではじまって、山形、そしてベルリン、ザルツブルグ、ニューヨークへと舞台をうつしていく。ストーリーは時代をこえて現代と過去を行き来する。SFのような側面があり、ベートーベンが登場したりもする。ファンタジーと名乗る所以である。そして物語はどうやって思いついたのか、考えられないような奇抜な展開をしていく。夢をヒントにしたのだろうか。通常の発想力のわくを大きく超えた展開をドイツでしていくのだが、異国の細部の描写がすばらしく、さりげなく書かれているがリアリティーに舌をまく。作者の想像力のすごさに感嘆してしまう場面もおおかった。
ジャズ・ピアニストが主人公なので音楽の記述がおおくある。印象深いのは演奏中のプレーヤーの心理的、感覚的、肉体的な描写である。調子のよいときのプレーヤーの感覚と聴衆との一体感。ダメなときの皮膚感覚など。私も楽器を何年間かプレイしていたので実感できるが、作者も何かの楽器をじっさいに演奏するのだろう。
またジャズの即興演奏の記述も印象深い。共演者同士でアイ・コンタクトをとり、アドリブを重ねていく演奏スタイル。プレイ中にアイデアが浮かぶと、即座にそのメロディーや転調を実行して行き詰るまでつきすすみ、どうにもならなくなりそうになると、共演者がひきとって新しいアイデアで即興演奏がつづいていくのだ。
作者の音楽に対する愛情の深さが好感できる。
ストーリーは奇抜な展開をみせるがラストでは巧みな線引きや、小道具などが効果を遺憾なく発揮し、円環の環がつながるように、すべてが落ち着くべきところに見事におさまる。
文体ははじまりからラストまで乱れることなく一定のリズムでつづいている。軽薄な語り口の冗舌体だ。正統派の伝統的な文体が好みなので、はじめのうちは軽さが鼻についた。しかし読みすすむにつれて、この内容で堅い文体では、読者が少なくなるのかもしれないと、作者が考えたのだろうと感じた。慣れてくれば、軽薄な冗舌体は内容にあっているし、絶えず脱線して進行していくのも味である。日本語を知り尽くした、達人のあやつる軽薄な、アクロバティックでもある日本語は、作者の教養の深さとあいまって、刺激的でもあった。
しかし軽薄な文体は最近の流行なのかもしれない。生真面目な文体でスタートした作家が、軽いタッチに変化する例がおおいと感じるこのごろである。これが時代の流れ、読者の欲求なのだろうか。私は古いのか、違和感をぬぐえない。
作者のほかの作品も読んでみたい。