晴子情歌 高村薫 新潮社 上下とも1800円
非常に密度が濃く、内省を積み上げていく小説。読みきるのに数ヶ月かかったが、これほど時間がかかるのは異例中の異例。
高村の小説は集中力と読書の肺活量が相当ないと読み通せないものが多いが、これは最重量級。10人が読めば9人が挫折するだろう。戦争と平和以上、カラマーゾフの兄弟以下の印象。
日本の近代をえがいた大長編小説の力作。
東京外語大教師の娘、晴子は大正9年に東京の本郷で生まれた。時代は昭和にはいり、戦争へとながれていく。晴子の父は妻を病気で失い、戦争に突入していく時代にも絶望して、職をなげうち、青森の実家に子供をつれて帰り、北海道のニシン漁やサケ・マス漁の雑役夫になってしまう。
小説は昭和50年に晴子が、息子の彰之に過去をふりかえって書き送った手紙として語られる。手紙は旧仮名使い、旧漢字である。旧漢字に親しんだ世代である私には、この演出は好ましいが、人によっては敬遠したいかもしれない。
物語の舞台は青森、江差、初山別、また青森と晴子の運命の変転につれて移っていく。初山別では克明に取材したニシン漁の描写がある。漁の始まる前の浜の準備作業から、実際の漁のようす、魚の処理と加工、出荷、そして漁期が終わるまでの網元や漁師たちの生活、風俗全般、人間模様まで、よくもここまでと感心するほど書きこまれている。この緻密さ、ある意味執拗さが高村の特徴だろう。
北海道フリークにしてもニシン漁は興味深いものだと思う。ニシン御殿など見学しても、往時のようすはなかなか想像がつかないものだが、これを読むと、眼前に広がるように理解できる。
東大の理工学部をでたのに、様々なことに拘泥して漁船員となった彰之は、漁の合間に船上で、また陸にあがって母の手紙を読む。過去から現在に続く膨大な量の手紙を。ストーリーはそれぞれの時代の多種多様なテーマをおりこみつつながれていく。母と子の過去と現在が語られる。
彰之の乗っているスケトウ漁船の網漁の描写がある。これまたじつに詳細・克明である。海中に投入された網が海水の水圧をうけて、力学的にどのようにひろがり、計算され、コントロールされているのかの解説がある。理科系の頭で書かれている印象。
日経新聞の朝刊連載小説がこの続編だったが、これは日経も作者もいささか無謀だったろう『新リア王』。これほど息苦しい小説を朝から読むビジネスマンはほとんどいないから。かく言う私もほかの記事を読むのに忙しく、小説を読むのは放棄してしまった。
随所に哲学的、宗教的な考察があり、作者の趣向、読書傾向が類推される。息詰まるような小説を書き上げる、精神力、才能、力量は尋常ではない。これまたある意味では執拗である。
どのような経緯で青森県野辺地の有力一族の歴史を小説の舞台としたのか興味深い。だれも注目しなかった東北、北海道の近代に文学の鉱脈を発見した高村は賞賛に値すると思う。大衆には評価されないだろうが(大衆はレディ・ジョーカーを認めている)。
高村の一番の書だと思う。また、2004年に読んだ本で一番の書。表紙に使われている青木繁の絵も効果的。
ラストにある「死」の考察は秀逸。簡単、平明な言葉で死を肯定的に記述している。
現在の初山別漁港。2005年に訪問す。沖に天売島か焼尻島の島影をのぞむ。興味のある方は『訪問記』をどうぞ。