8月22日 笹川流れ 村上イヨボヤ会館


 子供の声でおきた。時間は5時50分。テントからでると早起きの人がちらほらと歩いている。大半のキャンパーはまだ眠っているようだ。顔をあらって荷物をまとめだす。6時20分に管理人がやってきてゲートの施錠をとく。カップラーメンの朝食をとって7時に出発した。

 3日もDRにのっているとエンジンも従順になる。キック2発で始動した。ふだんはさぐるようにキックするが、無意識に力いっぱい踏みぬいていた。これはケッチンが恐くてなかなかできないことで、バイクではなくて体のほうが順応したのかもしれない。3日目にして社会人や家庭人の殻がとれて、完全な旅人になったようだ。

 山形空港を背にして鶴岡にむかう。早すぎて観光はできないだろうが中心地は見ておきたい。すいている道路を快適にはしり、7時30分には鶴岡城址についた。場内を散策すると、藤棚のしたで野宿をした若いサイクリストが出発の準備をしている。昔の自分とかさなるが、サイクリストは少なくなった。今回の旅で見かけたのは五指にかける。一方のモーター・サイクリストも10人いなかった。

 サイクリスト君は蚊におそわれて大変だったのではなかろうか。案じながら城跡をでて、昔の藩校だった致道館を外から見る。庄内の中心地は酒田ではなくて鶴岡のようで、街も大きく活気があった。朝早くから開いている駅前のみやげもの店で買物をして、8時に新潟にむけて走りだした。

 新潟の村上によって往路の東北道ではなく、関越道で帰るつもりだ。海岸線をはしるR7にはいり温海温泉で給油する。燃費は22.9K/Lだった。

 日本海沿いの笹川流れを見たかったのでR345にはいる。道がせまく、曲がりくねっていてトンネルも多い。海をながめながらゆっくりと走ったが、また雨がふりだした。歩道に屋根のついたバス停があったのでバイクごとその下に避難する。沖には粟島が浮かんでいて、はじめてみた私はシャッターをきった。


 
 雨はすぐにあがったので走りだすが、また降ってくる。観念してカッパをきて走るが、5キロごとに降ったりやんだりをくりかえす。背後には黒雲があるが頭上は夏空だったり、逆になったり、新潟方面が晴れているのが救いだった。

 ツーリングのバイクが増えだした。ハーレーやGL1500などの大型車が多い。年配の人たちで新潟方向からやってくる。バイクとは100台以上すれちがったが、荷を満載しているのは1台もなく、日曜日の日帰りツーリングばかりだった。

 笹川流れの景観はすばらしい。海岸線にそって巨岩、奇岩の磯が連続する。しかし集落の町並は貧しげだ。海流が強いために身のしまった魚がとれるそうだが、景色と鮮魚だけでは経済は難しいのか。「荒天時波しぶき注意」の看板がでている。冬はどのような光景になるのだろうか。

 雨は激しくなったり、やんだりをくりかえす。短い距離で天候が変わる。空も海もつめたい灰色だ。しかしここにも海水浴客がいて、雨にうたれて震えている水着の子供がいたりする。

 村上にはいると景色が一変した。大きくて豊かな街で、これまで走ってきた海岸線とはまるでちがう。ここでは見たいところがあった。全国でここにしかない鮭の博物館だ。渓流釣りで鮭鱒科の山女と岩魚を追い求めることも趣味としているので、鮭鱒のことは何でも知りたいのだ。

 市内にはいれば案内板があるとおもっていたが、出ているのは地元言葉の案内だけで、余所者の私にはまったくわからない。誰かに聞きたいと考えていると、村上警察署があったのでこれ幸いと飛び込んだ。

 警察のまえにバイクをとめ、目にも鮮やかなエメラルド・グリーンのカッパ姿でなかにはいる。受付にたつがお巡りさんたち怪訝そうな風情。一番若いお巡りさんがたくさんのなかから押し出されてきたので、用向きをのべると親切に教えてくれた。

 鮭の博物館はイヨボヤ会館という名前だった。その名はたしかに案内板にのっていたが、方言の表示では地元の人間しかわからないぞ。もとより余所者など来てもこなくとも良いのかもしれないが。警察では地図のコピーまでわたしてくれた。

 大きな、位の高い魚を、イヨボヤと呼ぶのだそうだ。村上は古来から鮭漁の盛んなところで、漁業だけでなく料理も有名だが、鮭の人工授精をはじめたのがこことは知らなかった。しかも江戸時代から、というのだからすごい。もしかしたら世界的にも一番かもしれないではないか。江戸時代に産業振興、漁獲高増大のために考案されたそうだ。漁業や人工繁殖、料理まで、長い年月にわたって築かれた文化には感歎せざるをえなかった。

 館内の見学は1時間で終わった。楽しかったが魚に興味がなかったらおもしろくないかもしれない。昼になったので隣接するサーモンハウスで食事をとることにした。はいっていくと店内に客はひとりもいない。面食らったが6人がけのテーブルに案内されて、鮭定食1260円を注文した。

 目の前に冷蔵ケースがあり、ビールと地酒が冷えているのが見えて喉がなる。しかし飲むわけにはまいらない。こらえて食事をとる呑兵衛だった。

 イヨボヤ会館をでるとまた雨だった。脱いだカッパをつけて走りだすが、集中豪雨のようになり、オフロード用のヘルメットでは雨が口にあたって痛い。激しい雨のなかでも車のながれは速く、70から80キロで走っている。前の車に遅れて、後方の集団に追いつかれるよりも、前方がよく見えなくてもついていくほうが安全だと判断して、無理をすることしばしだった。

 新潟市内にはいるとありがたいことに晴れてきた。しかしまたいつ降ってくるかわからないので、カッパのまま走るが、新潟の道路がととのっているのには驚いた。高速にまぎれこんでしまったのかと疑うほどで、自動車専用で信号もない。分岐点にはインターチェンジと看板がでている。もともと有料道路で無料化されたものなのだろうか。それともこれは元首相の角さんの力なのかと感心することしきりであった。

 市街地は片側二車線の自動車道で、郊外になるとふつうの国道にもどるが、長岡市街にはいるとまた高速のような道である。道路の整備は行き届いていて、保守党の強い県は優遇されているのが実感され、日本の国はこうなっているのね、と思い知らされた気がした。

 花火で有名な長岡をぬけると、ようやく雨はもう降らないと確信して、カッパを脱いだ。ここから先はスキーや釣り、旅行で何度も訪れている勝手知ったる道で、気持ちに余裕がでてきた。

 湯沢までは高速代が惜しいので国道をはしった。しかし三国峠を国道で越えるのはつらいので、関越道にはいる。関越トンネル手前のPAによって、荷物が飛ばないように積みなおしをすると、月山の水をつめておいたペットボトルが紛失していた。荷のあいだにはさんでおいたものが抜け落ちてしまったのだ。どこで落としてしまったのか。あの水で酒をわって飲もうと、今夜の楽しみにしていたのだが、無念である。

 荷物を固定して本線にもどった。110キロで走行しても抜かれっぱなしである。近年車の性能は本当によくなった。昭和の御世はこうではなかった。古すぎるか。

 高速道をおりたのは18時であった。給油をすると燃費は24.8K/L。19時15分に帰宅したが、総走行距離は1094.7キロ。費用は37788円であった。

 

                            平成14年 11月6日 記述 


トップ・ページへ          ツーリング・トップへ          BACK